第31話:ハイベック伯爵邸の使用人

「サリー、国王陛下からお手紙が来ましたよ〜」


 アルヴィーナの部屋の窓をキュッキュと磨いていたサリーは、ローリィの間の抜けた声に思わず雑巾を落としてしまった。


「なんですって?」

「え、ですから国王陛下からお手紙が」


 脚立から滑るように降りて来たサリーは、焦った様子でローリィが手にする手紙を奪い取った。なんでそんなに慌ててるんですかぁ?と目を丸くするローリィに、教育が足りな過ぎたわと思いながらも封書を見ると確かに国王の封蝋が押してある。宛先はアルヴィーナだ。


 手紙をローリィに託した執事は、伯爵付きの執事で基本アルヴィーナやエヴァンに関することに無関心である。そうであれ、と伯爵に言われているのだ。自分たちは、実の息子がやらかした事件からもう10年以上経つというのに、未だに王宮に出廷禁止を喰らっているし、ボンクラの収めるザール国よりも敵国の商人や武器商人を相手にしたほうがお金になるから、と全てエヴァンに丸投げしているのだ。そのため彼らが屋敷にいない時は、幼い頃からエヴァンとアルヴィーナに仕えている最年長のサリーが主権を握っていた。


「エヴァン様とアルヴィーナ様は?今朝王宮に向かったはずだけど、まだお帰りではないわよね?」

「ああ、えっとこの手紙を持って来た人がまだ外で待ってるんですけど聞いてみますか?」

「それを早く言いなさいよ!もう!」


 サリーはローリィの脇を抜けて駆け出していく。


「ローリィ!あなたは、メリーにエヴァン様かアルヴィーナ様に連絡を取るようにいってちょうだい!」

「はーい」


 走りながらも服装を整え髪を正し、入り口に行くまでに息も整えたサリーはメイド長らしくスッと姿勢を正した。


「大変お待たせいたしました。王宮からわざわざお越しいただきありがとうございます。申し訳ございませんが、エヴァン様とアルヴィーナ様は今朝王宮に向かって以来、こちらには戻って来ておりません。ただ今、部下の者に連絡を取るよう申し付けたところですが、お急ぎのご用件でしたでしょうか」


 まんじりともせず行ったり来たりしていた従者はあからさまに青ざめ膝をついた。


「も、もうだめだ。おしまいだ」


 頭を抱え震え上がった従者にサリーはただならぬものを感じ、近づいた。


「アルヴィーナ様がどうかされたのですか?」

「ああ、ああ。どうかされたも何も…。いや、アルヴィーナ様のせいではないのです。陛下が、いや元はと言えば王子殿下ボンクラが…っ!」

が何をやらかしたのです?簡潔におっしゃってください。必要とあれば私どもが始末しますゆえ」


 何やら恐ろしいことを言うサリーだったが、侍従は藁にもすがる思いでサリーを見上げた。




 ◇◇◇




 大まかな事情を聞いたサリーは、大慌てでメリーとローリィに事情を話し、至急エヴァンとアルヴィーナと合流するよう伝えた。


「大至急ですよ。いいですね?私はこれから王宮に行き瘴気の森の進行を留めますが、どこまで力になるかわかりません。魔導士団も頑張っているようですが、長くは持ちません。エヴァン様はおそらく領地のどこかにいるはずです。まさかあの方が私たちに何も言わず、領地を放って国外逃亡するとは思えませんからね」


 このメイド3人は、エヴァンが育て上げた精鋭だ。アルヴィーナを護衛するために暗躍したことも数知れない。サリーは特に魔力が多く、攻撃魔法に優れているし、浄化も得意だ。エヴァンやアルヴィーナほどではないにしろ、魔導士としても食べていけるくらいの力はついた。メリーは有効範囲はあるものの転移や念話、防衛に優れているし、ローリィは戦闘狂だが治癒魔法が得意で、三者三様得意分野が違う。


 今回の場合、メリーに領地に飛んでもらい、念話でエヴァンに連絡を取ってもらう。残念ながらメリーの念話範囲はそれほど大きくなく、せいぜい屋敷の庭の端から屋敷内にいる人に届く程度だ。だからこそ、領地に飛んで地道に話しかけながら見つけるしかないが、足で探すよりは断然早い。逆にエヴァンやアルヴィーナから連絡が入れば早いのだが。


 ただしメリーは、体術は得意とするが、魔法攻撃ができない。そこでちょっと不安ではあるが、ローリィを補佐に添えた。多少の怪我ならば癒せるし、実はローリィはちょっとマニアックで、隠密行動が好きだ。敵と見做した相手をじわじわ甚振るのが好きなところがあった。

 血を好む暗殺者向きなので、ローリィを戦いの場所に連れていくのは憚られる。せっかく治癒魔法を持っていても、闇魔法の使い手とかになりそうで怖い。下手すればヤンデレ、いや、ただの殺人鬼となりかねないからだ。


 部下を育てる使命感に燃えるサリーにとって、二人は大事な妹分。瘴気まみれになるのは自分だけでいいだろうとサリーは覚悟を決めた。エヴァンとアルヴィーナが来るまで持ち堪えればいいのだ。


「頼みましたよ?それから、陛下からの文書も渡してくださいね」

「わかりました!姉様もお気をつけて!」

「メリーは私が守るから安心してください〜」


 サリーはうん、と頷き踵を返し厩舎に向かい、エヴァンの愛馬アキレスに頼み込んだ。通常の馬の何倍もの速さで走るアキレスなら1時間足らずで王宮につくはずだ。エヴァンとアルヴィーナに関係があると賢くも察したアキレスはサリーが自身の背に乗ることを許容した。ありがとう!と首を撫でたサリーは従者には先に行きますと断り、アキレスは王宮に向かって飛ぶように駆けた。


「姉様が頑張ってるうちに、エヴァン様とアルヴィーナお嬢様をなんとしても探さないとね!」


 メリーはローリィの腕を掴むと、領地に転移した。




 ほんの十数分の間であった。


 気配を消して置物のように入り口付近に立っていた執事は、皆がいなくなったのを見計らうと、ほうと息を吐いた。


 この伯爵家に仕えて二十数年。エヴァンが養子になり、ぼろぼろで今にも崩れそうだった伯爵家は立ち直った。それからずっとこの館で奉仕に励んできた執事だったが、伯爵からは名前すら覚えてもらえず、影が薄いためメイドたちからもたまに無視される。頭の毛もかなり薄くなり、少ない髪を右から左に流したバーコードになっているが、自身はハゲよりはいいと考える。何よりも執事っぽく見えるだろう。


 そんな執事だったが、エヴァンのおかげで給料もいいため、現状に甘んじていた。ただ、エヴァンとアルヴィーナがこの家のカナメだと言うことはしっかり把握している。自分の生命線でもあるのだ。厨房で働く妻もそう考えているため、忠誠は伯爵自身よりエヴァンにある。


 そのエヴァンが国外逃亡を企てている、いや国外追放された?とサリーと王宮からの使いが話しているのを聞いた。何があったのかは想像がつく。ボンクラの王子サルがまたしてもやらかして、アルヴィーナ様とエヴァン様がついに愛想を尽かしたのだ。それでいつもの口癖のように騒ぐ王子に”不敬だ!国外追放だ!”とか言われたのに違いない。そんな機会を逃すアルヴィーナではない。エヴァンが出て行くのなら、アルヴィーナももちろん追従するに決まっている。あの二人は常に二人で一人なのだ。


「あのお方は神より怖い…。ここを出て、エヴァン様とアルヴィーナ様について行くか……」


 できれば定年退職するまで伯爵家に仕えていたかったが、蓄えはある。もしエヴァンがお前は要らないと言えば仕方がないが、ハイベック領なら仕事もあるし、老後も安泰だ。妻と息子と一緒にレストランを開いてもいいだろう。


 執事はいそいそと厨房に向かった。そうと決まれば妻や息子たちにも伝えて荷物をまとめなければ。そしてもちろんその話は伯爵家内であっという間に広まり、皆が皆荷物を整え始めたのはいうまでもない。





 ◇◇◇





「いつやっても転移って気持ち悪いわぁ〜」


 少し顔色を悪くしたローリィが胸をさすりながらあたりを見渡した。突然現れたローリィとメリーに一瞬驚く人々だが、二人の姿を確認すると何事もなかったかのように挨拶をし、動き出した。


 ハイベック領では日常茶飯事にエヴァンやメリーたちが現れるからだ。メリーたちは領地のど真ん中の道端に転移した。よく行く肉屋の近くだ。


「おや、メリーさんじゃないか。今日はどうしたんだい?お使いかい?」

「ええ、まあ。エヴァン様を見ませんでした?」

「エヴァン様かい?今日は見てないねえ。そういえばアルヴィーナ様と王子様の結婚話はどうなったんだい?一時婚約破棄の噂が流れてたみたいだけど?」

「やだなぁ〜、ミズーリおばさん!アルヴィーナ様があんな小猿と結婚するわけないじゃないですかぁ〜。破棄に向けて頑張ってるんですよ〜」

「おや、やっぱりアルヴィーナ様はエヴァン様が居るからねえ。あんな完璧な王子様がいたら他の男の人じゃ無理だよねぇ」

「当然ですよぅ。最近お二人ともラブラブで、もう日記に書きまくりですぅ」

「あらあら。どうせならエヴァン様が王様になってアルヴィーナ様が王妃様になればこの国も安泰なのにね」

「ああ、そうそう。その王宮が今、大変見たいでぇ。なんか王子が瘴気を撒き散らして魔獣が発生したらしいんですよぅ。それなのに王様がエヴァン様のせいにしてぇ、それに怒ったお嬢様とエヴァン様が国外逃亡を企ててるとかで〜。それで探してるんですよねぇ。エヴァン様たち」

「え、ええっ!?」


 通りすがりの商人も、領民も足を止めた。


 えっと驚く領民たちの前で、ローリィは皆が聞いてくれていると言うことに気を良くして胸を張った。


 みんなで探せば早く見つかると思っているのだ。あまり難しいことを考えるのは苦手なローリィは、皆が顔色を変えているのことに気がつくことも無く、集中して念話を続けるメリーを横目で見ながら、手助けしているつもりであった。


「ちょっと皆さんにも聞いてみて下さい。もしエヴァン様たちを見かけたら教えて下さいって」

「そ、それは、大変じゃないか!ちょっと皆、聞いたかい!?」

「エヴァン様が国外逃亡!?馬鹿な!俺たちはどうなるんだ!?」

「ちょ、ちょっとみんな、エヴァン様を探さないと!大変だ!!」

「王宮に瘴気があふれてるだって?」

「魔獣が出たって、本当に!?うちの息子は王宮で出仕に出てるんだよ!?」

「あんな王に任せていたらこの国は滅亡するんじゃないか!?」

「瘴気が溢れてるのはあの王子のせいだってよ!」


 世間話を始めたローリィの横で、メリーは念話を使って必死でエヴァンを探していたため、ローリィが何を口走ったのか全く聞いていなかった。ローリィの爆弾発言は野火のように広がり領民が、商人たちが眉を顰め、その不安や怒りは国王に向かっていく。


「あのバカ王がアルヴィーナ様を監禁しようとしたらしいぞ!」

「それに怒ったエヴァン様がアルヴィーナ様を連れて国を捨てた!」

「俺は王がエヴァン様に冤罪をかけたと聞いたぞ!?」

「神様が怒って王宮はもうダメなんだって!?」

「アルヴィーナ様の加護を失ったせいだ!エヴァン様たちを探せ!賢者エヴァン様と聖女アルヴィーナ様についていくぞ!」

「国王を差し出そう!あのバカ王子もだ!生贄にして赦しを乞わなければ!」

「「「「おう!」」」」


 知らぬ間に賢者だ聖女だと崇められたエヴァンとアルヴィーナを、領民たちは疑問も持たずに受け入れた。恐るべし集団パワーだ。

 そしてどんどんエスカレートしていく領民や商人たちに気づかず、メリーは必死の形相でエヴァンに呼びかける。


 <エヴァン様!どこですか、エヴァン様!一大事ですよ!姉様が危険です!>


 反応はない。


 <どこに居るんですかーー!まさか私たちを置いて国外に行っちゃったなんてことないですよね!?>


 泣きそうになったメリーだったが、ここで泣き崩れるわけにはいかない。ローリィの腰を引き寄せると、有無を言わさずメリーは転移した。


 それを見た領民たちは、置き去りにされたのでは、といよいよパニックに陥った。



 それから数時間、領地の端から端まで転移で飛んで、エヴァンとアルヴィーナを探したが未だに見つからない。その間、転移の先々でローリィのは続き、パニックは領内だけに収まらず、近隣の領土にも飛び火した。


 そろそろ魔力が尽きそうだ、と絶望に沈んだところでメリーが初めて異様な周囲の動きに気がついた。


「な、何が起こっているの?」


 暴動が起こっていたのだ。一丸になった領民が武装して王宮に向かっていた。




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