第30話: 王城の腐海

 ふーふーと鼻息も荒く、国王バルタは、たった今追い出したエヴァンとアルヴィーナの態度を思い出して、地団駄を踏んだ。


「おのれ、小賢しい平民風情と娼婦のような小娘が!カレンティエのお気に入りだからと甘やかしていたのが裏目に出たわ!腹立たしい!おい、お前!騎士団長と魔導師団長を呼べ!」



 ***



 朝から妃であるカレンティエの姿が見えないと思っていたら、妃の部屋はもぬけの殻で、自国から連れてきていた次女達を連れ、すでに出国した後だった。


 カレンティエの執務室の机も綺麗に片付けられて、置き手紙と共に離婚届が置いてあった。


『前略 バルタ国王陛下殿


 自分の息子ではあるものの、あんな頭もパンツの紐も緩い王子では、この国はこれから先滅亡に向かうのみでしょう。貴方の子種に期待した私が馬鹿ではありましたが、今回の事で私の立場をつくづく考え直しました。アルヴィーナにも愛想を尽かされ、頼みの綱である宰相であり義兄でもあったエリクソンまで、私の意見を聞かずあっさりと国外追放にした貴方には、ほとほと愛想を尽かしました。


 陛下を夫に持ったのは大層な間違いであり、私は以前申し上げました通り、実家に帰らせて頂きます。ここに離縁書も用意致しましたので、あとはお好きになさいませ。我がカスプリオ帝国は今後一切この国と関わりを持つ事を致しません。しかしながら長年この国を収めてきたものとして、最後の置き土産に、下記の近隣諸国に連絡を取っておきましたので、是非とも同盟を結ぶ事をお勧めします。昨日のうちに伝書は送りましたので、うまくやってくださいませ。


 ちなみに、私が連れてきた侍女15名は私と共に祖国へ連れ戻します。また、私に着いていきたいという約30名の者にも自由を与えましたので、悪しからず。


 貴方の愛したカレンティエより』


 まるで他人行儀で第三者的な手紙を読んで、しばし放心したバルタであったが、キィッと歯噛みをし、手紙を破り捨てドスドスとその上で足踏みをした後、自分の執務室へ戻ってきた。


 いつもお茶を入れてくれる侍女はカレンティエについていったと見えて、見慣れない侍女がビクビクとお茶を入れた。仕事をしようと書類を見たが、何を言っているのかさっぱりわからない事業企画書のようなものだったり、王宮で開かれるパーティの出席者の名簿の見直しだったり。これはもしかすると、王妃の仕事がこっちに回ってきているのかとその書類の束をチリ箱に投げ捨てた。次の束を手に取ると、どこかの部署の決済書だったり、国庫の見積書だったり、会議の内訳書だったりして、もしかするとこれは宰相の仕事が回ってきているのかと気づき、これも思いっきり窓から投げ捨てた。


「エヴァンを呼べ!」


 そう叫んだバルタだったが、彼がアルヴィーナを連れてやってきたのは3時間も後のこと。とはいえ、朝一番の早馬で出した勅令で、エヴァンのいるハイベック伯爵領まで馬で3時間はかかるのだ。つまりエヴァン達は書簡を受け取ってすぐさま転移して来たわけだが、そんな些細な事をバルタは気が付かない。王が呼んだら一刻も置かず、すぐに現れるのが当然だと思っているからだ。


 もともと『お飾り国王』と揶揄られていた王もそんな口差がない噂を耳に挟んでいるため、どいつもこいつも馬鹿にして、と僻み根性が滲み出て余計に腹立たしく思った。しかもエヴァンは王妃にも兄である宰相にも一目置かれ、騎士団も魔導士団もまるでエヴァンが賢者であるかのように恭しく扱う。それもバルタには面白くなかった。


 エヴァンが来るまで、父上、父上、と顔を見せていた馬鹿息子ですらぴたりと来るのをやめ、ウキウキと騎士団にまじり修練をこなし(ほとんどついて行けていなかったとはいえ)、最近ではワイバーンを乗り回し空を飛んでいた。羨ましいのを通り越して、恨めしく空を見上げては、ぐぬぬと歯を食いしばった。


 王は馬にもワイバーンにも乗ることはない。何せ王なのだ。王宮に篭り、せいぜいバルコニーから下界を見下ろし手を振る。王宮内では王妃と宰相が忙しく働く中、自分は庭師と会話をし、たまに厨房に顔を出しお菓子をつまみ、午後になってようやく整えられた書類にハンコを押すだけの毎日。時々侍女に手を出しては妃にバレて土下座をする、そんな日々にすっかりひねくれてしまっていた。


 公爵の次男坊だった頃が懐かしい。あの頃は何もせず遊び歩いているだけでよかった。とっとと婚約者を決めておけばよかったが、よりどりみどりで選べなかったのだ。


「元はと言えば、兄上がカレンティエを娶るのが嫌だと逃げた所為じゃないか!」


 自分だけ好きな女を嫁にもらい、面倒なことは全部バルタに押し付けた。最初のうちはそれでもよかった。ちやほやされて美しい帝国の妹姫を妻に迎え。だが、カレンティエは苛烈な性格でコントロールフリークだった。なんでも自分の思い通りにならなければ気が済まず、すぐに癇癪を起こすし、おかしな性癖まであった。縛られて鞭で打たれて、蝋を垂らされハイヒールで踏まれて、ようやくできたのがシンファエルだったのだ。


 かわいい男児が生まれ、これで落ち着くかと思ったのだがーー。


「陛下、陛下、陛下ーーー!」


 ノックをするのも面倒だったのか、侍従の一人が転がり込むように執務室に入り慌てて扉を閉めた。物思いに沈んでいたところを強制的に浮上させられ、バルタはイライラしながら「何事だ!騒々しい!」と叫んだ。


「た、大変でございます!貴族牢にいる御令嬢がに、妊娠、出産をいたしました!」

「何だと?」

「で、ですから、出産を、いえ、魔物を産み出しています!現在進行中であります!貴族牢が瘴気に溢れ、魔導士達が必死で結界を作って止めていますが、魔力切れも時間の問題!どうかアルヴィーナ様をお呼びする許可をください!」

「出産?瘴気?魔物を産んだ?」


 バルタは何が起こっているのかさっぱり分からなかった。


「セレナ嬢は妊娠していたのか!?」

「き、昨日の地点ではそんな素振りもありませんでしたが!」


 ハッとして、バルタは頭を掻きむしった。


「さてはあの女狐め!昔のことを根に持って王家を謀ったのか!」


 侯爵家の夫人ライラは、元ハイベック伯爵令息の婚約者だったが、結婚間近で破棄された。可哀想に思い子爵家の三男を婿に立ててやったのだが、恩を仇で返しおったのだ!


「侯爵家め!実は出産間近な娘を押し付け、シンファエルと既成事実を結んだと見せかけたのか!おのれ、どこまで王家を馬鹿にすれば気がすむのだ!侯爵家を呼び出せ!不敬罪で死刑だ!」

「そ、それより、アルヴィーナ様を!瘴気を浄化しなければこの城も持ちません!」

「出来るか!あれはすでに、」


 国外追放を自分から望み貴族籍も国籍も捨て出ていった、などと。


 バルタは青ざめた。瘴気の浄化は聖魔法を使える者しかできない。魔導士の中にも数人はいる。だが、アルヴィーナほど強い魔力を持つものはこの国のどこを探してもいない。いや、エヴァンがいたか。だが、あれは聖魔法が使えたか?使えたかもしれんし、使えなかったかもしれん。よく覚えていないのだ。


 宰相と王妃はおそらく知っていたはずだが、王には興味がなかった。城から出ずに安穏と過ごして来たから、魔法など王宮内で必要なかった。まさに息子と同じ考えで、使えなくても問題ないと思っていたのだ。


「魔導士団長が今は押さえていますが、長くは持ちません!すでに貴族牢は森になりつつあるのです!」

「森?」

「瘴気の森が育っているのです!王よ!ご命令を!」

「わわわわかった、すぐにアルヴィーナ嬢と、ええと、誰でもいい魔法を使えるものと、そ、それから結界を使える者を集めてこい!」

「はっ!」


 国の惨事なのだ。さっきの今で、まだ領地にすら戻っていないはず。すぐに見つかるはずだ。そしてきっと戻ってきて瘴気を払ってくれるに違いない。緊急の事態なのだ。なんたって6年もここで生活をしていたのだから。ここはアルヴィーナにとっても第二の家のような者なのだから。


 うまく行けば、死刑はナシにしてやってもいい。不敬も見逃してエヴァンの監視役も戻してやろう。なんて破格な条件だ。喜ばないわけがない。


「ほ、褒美はいくらでもとらせると!」


 しかし侍従はすでに駆け出した後であり、開け放たれた扉に向かって王の声が虚しく響いた。



 ***



「王から言質は取った!アレク!アルヴィーナ様を呼び戻してくれ!」


 走りながら侍従は護衛騎士であるアレクを見つけてそう叫んだ。さっきまでハイベックの兄妹が王と謁見をしていたのは知っている。急げばすぐにも連れ戻せるはずだ。


「はあ?無理だろ。エヴァン殿とアルヴィーナ様は国を出るつもりだったし、すでに転移で消えたからどこに飛んだのかまで分からない。おそらく荷物を取りに領地に飛んだか、もう国を出たかのどっちかだ。あの方達は用意周到だからな。俺たちも急ぎ荷物をまとめ辞表を出すつもりだ。お前もとばっちりを食いたくなかったら逃げたほうが身のためだぞ」

「な、なんだって!?」

「なんだよ、何があったんだ?」

「瘴気が!貴族牢の令嬢から魔物が生まれた!というか、瘴気と魔物を際限なく生み出し続けてるみたいだ!すでに森になりつつあるんだ!」

「何ぃ!?」


 アレクは目を剥いて、つい先程無理矢理にでもアルヴィーナ達にについて行かなかったことを、思いっきり後悔した。自身が大事ならすぐさま出て行けと忠告まで受けていたのに。


 アレクは侯爵家出身の騎士だ。


 数年前、魔獣に襲われた際アルヴィーナに命を助けられ誓いを立てた。アルヴィーナがいずれ王妃になるのならと胸を膨らませ、ボンクラ王子よりも自分が見染められるチャンスもあるのではないかと下心を持っていたことも否めないでいるが、その後ろには常にエヴァンの影があった。


 腰の低いアルヴィーナの兄。騎士団長も魔導士団長も恐れ慄き、あれに逆らっては身の破滅だと皆に言い聞かせていた。あの男に近づくのであれば馬鹿な悪巧みや下心は捨て静粛しろ、と。特にアルヴィーナ嬢に近づけば家すら潰されるぞと言われた。


 当時は、たかが伯爵家の養子であるエヴァン・ハイベックに何を恐れる事があるのだと鼻で笑ったのだが、その傲慢な考えはすぐさま叩き折られた。学園の同期の元伯爵嫡男である友人が家ごと潰されたのをきっかけに、芋づる式で大手商会も、その仕事に携わっていた貴族達も全部合わせて捕縛された。


 ハイベック領の商会と問題を起こしたのが原因で、一月もしないうちに全ての悪事が明るみに出て、次の日には商人も平民もハイベック領への移動を申し出たというのだ。商売敵の潰し合いかと眉を顰めたが、その背景に友人の父親だった伯爵がアルヴィーナ様を無理矢理手篭めにしようとしたという噂が上がった。

 王宮から学園に通う王子の婚約者に、自分の息子より年若の12か3歳の少女に何を考えていたのだと呆れたが、それを知ったエヴァンが力の限りその伯爵家の悪事を探り出し、全ての闇を明るみに曝け出したというのだ。その手腕たるや、手段を選ばず鮮やかに、一切の手加減なく赤裸々に国民に知らされた。


 そのため、そんな悪徳ロリコン領主の土地になぞ住みたくない、と商人も平民もごっそり引っ越し、その伯爵領には荒れた大地と空き家だけが残ったのだという。利益の上がらななくなった領地そのままでは国にとっても損害であるが、そこをハイベック伯爵家が裏でどんな取引があったのかは知らないが、買い取った。


 そしてあれよあれよという間に土地改革を済ませ、農工業開発地区へと作り上げてしまったのだ。そこにできたのは各種ギルドのヘッドオフィス、テイマー養成所や平民用の算術学校と職業訓練場だった。草食魔獣を手懐け乳牛に改良し、グラスオークという養豚場まで作り、ワイバーンを騎獣に仕立てたのもエヴァンだった。今では国一番の魔獣肉輸出量を誇っている。その街にあるギルドはアルヴィーナ様が代表になっている。


 アレクの友人だった男も平民に落とされたものの、まだ若く本人が問題を起こしたわけでもない、ということから情状酌量され、開発地区の平民学校の教師に抜擢された。官吏を目指していた男だが、教師の役目は案外身の丈にあっていたようで、今でもそこで規律正しく教師をしているらしい。


 閑話休題とにかく


 ハイベック領はエヴァンが代行領主についている。領主の名前を知らなくても、エヴァンは皆が知る人物であり、領民に好かれ、騎士団と魔導士団に恐れられ、王宮にいるものならば誰もがエヴァンが陰の独裁者と噂するというのに、それにクビを言い渡した無能な国王。


 どちらに付くかは一目瞭然だろう。


 だからといって仲間を捨てて、自分一人でエヴァン達を追うわけには行かない。エヴァンについていくのが筋というものだ。


「仕方がない。お前はハイベック領に早馬を。できればエヴァン殿かアルヴィーナ様に伝えたいが、いなければ伯爵邸にいるメイド長のサリー殿に連絡を入れろ。あの人ならエヴァン殿達に連絡が取れるはずだ」

「わ、わかりました!」


 侍従が慌てて走り去るのを見定めて、アレクは己の剣を握りしめた。


「俺が死ぬ前に来てくれるといいんだけどなあ」


 そうつぶやいて首をこきりと鳴らすと、貴族牢のある塔へと走っていった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る