第23話:魂の抜けたアルヴィーナ

「エヴァンお兄様、お願い」


 潤んだ瞳で俺を上目遣いに見上げ、両手を胸の前で祈るように組んだアルヴィーナを見て、俺は頬を引き攣らせていた。



 ***



 アルヴィーナが目覚めてから数時間。

 王城が阿鼻叫喚に包まれる中、エヴァンもアルヴィーナの部屋で叫び出したい心境にあった。アルヴィーナはお兄様と呼ぶことはあってもエヴァンお兄様と呼ぶことはない。エヴァンとお兄様は使い分けているからだ。人前で貴族令嬢として立ち振る舞う時はお兄様と呼び、二人だけの時にはエヴァンと呼ぶ。


 だが、魂の抜けたアルヴィーナは本能のままエヴァンに助けを求めていた。いや、絡め取ろうと画策していた。


 もともとエヴァンが大好きだったアルヴィーナの肉体は本能で悟っていた。この男を逃してはならない。必ず手に入れるのだと。そこに心からの敬愛や恋慕の気持ちがあるかどうかは定かではないものの、肉体は目の前の兄を「男」として認識し、なんとかたらし込もうとしているのだ。体は武器。それしか考えていなかった。


 そしてその様子を見下ろすかのように、天井ではまさに悪霊でも迷い込んだかというほどの禍々しい魔力が轟いている。


「わたくし、心細いのです。後生ですから隣で抱き締めていてくださいまし」

「いや、抱きしめる必要ないでしょ。ここにいるんだし。兄妹とはいえそれは無理だよ?代わりにサリーではダメかな?」

「ダメですわ!ダメですわ!エヴァンお兄様でないとダメなんですわ!隣で一!緒に!わたくしを慰めてくださいまし!」


 アルヴィーナのくねくねした体の動きもさる事ながら、イヤイヤと首を振る仕草まで、サリーたちメイドも引き攣りながら一歩引いていた。


 こんなアルヴィーナは見たことがない。


 一体どこで、こんなを身につけたのか。アルヴィーナの美貌は誰もが認めるところであるが、それ以上に淑女然とした立ち振る舞いや清々しいまでの凛々しさがあってこそ高嶺の花であるアルヴィーナ像が成り立っていたのである。それが今や、まるで普通の御令嬢、いやそれ以下に成り下がっている。それが、サリー、メリー、そしてローリィの脳内に警鐘を鳴らしていた。


 これは誰だ。


 アルヴィーナを乗っ取ったに違いない。


「エヴァン様……森で悪霊レイスでも拾ってきましたか?」


 ボソリとサリーが呟く。



 ***




「アル。サリーたちが怖がってるよ?早く戻ってきてくれないかな?」


 俺は首を左右に振りサリーの不安を否定すると、天井を見上げた。


 ああ、禍々しいまでの魔力が渦巻いている。これにはサリーたちも気がついているらしく、ローリィはパニクって治癒魔法をあたり一面に振りまいている。


 治癒魔法では、あれは癒えないんだよ、ローリィ。今度一緒に浄化魔法を覚えようか。


 悪霊と間違われても仕方がないな。そんなに怒るくらいならとっとと自分の体に戻って来ればいいのに、アルヴィーナは頑なに天井に張り付いている。


 戻って来れない理由でもあるとか?アルヴィーナほどの魔力の持ち主が、悪霊なんかに取り憑かれるとは思えないんだが。


 あまり長いこと肉体から離れていると、地縛霊になってしまうんだけど。


「医者…よりも神官様をお呼びした方が…」


 治療を諦めたローリィが不安げに俺に視線をよこした。アルヴィーナのメイドたちには、これまで俺の視察について歩き、魔獣や魔虫は何度も見てきたし、なんなら退治をすることもできるほどには訓練した。


 だけど、アンデッドやレイスは未だ嘗て出会ったことがないし、退治方法も知らない。アンデッド系には聖魔法や聖水しか聞かないとは教えたことがあるが、3人とも簡単な治癒魔法は使えても聖魔法は使えないのだ。


「いや、悪霊じゃないから」


 俺が苦笑してそう言うと、メリーが口を出した。


「悪霊というよりも普通の令嬢になってますよね?」


 あれ?天井に張り付いている魂の方じゃなくて、体の方?


「いや、普通っていうのかしら、これ?メンヘラ入ってない?」

「メンヘラって何?」

「依存度が高いとか嫉妬深いとか心に闇を抱えてるとか、精神的不安定な人のことを言うみたいよ」

「あっ、聞いたことあるわ。奥様がそれ系よね!」

「それをいうならあの人、ほら侯爵令嬢のセレナ様!」

「ええっ?そうかしら?あの人はどっちかっていうとゲテモノ好き?」

「ああっ言えてるわぁ!」


 サリーたちは、ああだこうだとおしゃべりをし出した。どいつも視線がうろついて会話をするものの、どうしていいのかわからないと半ばやけくそだ。


 アルヴィーナの変化について来れず、現実逃避を始めたか。


 てか、王子をゲテモノ扱いしてるよ?軽く不敬だよ?ボンクラも良い加減不敬だけどさ。


 でもね、君たち。王子についてはまだしも、本人を目の前にしてメンヘラとか言って余計に怒らせてないか。天井の暗雲はますます淀んで重くなるばかりって気づいてない?


「エヴァンお兄様ぁ、メイドたちがひどいことを言いますぅ!アルヴィーナ悲しいわ!慰めてぇん」


 ぎゃっ!肉体の方も負けていなかった!


「はーいはい、そこまで。アルの機嫌がどんどん悪くなるから、君たちちょっと外出てて。あとは俺がなんとかするから、誰もこの部屋に近づけさせないようお願い」

「エヴァン様!お嬢様に襲いかかる前にちゃんと許可を、」

「襲わないから!余計なこと言わない!出てった、出てった!」


 全然緊張感のないサリーたちの背を押して部屋から追い出し扉を閉めた。結界を作り防音処置もする。これでしばらくは誰も入って来れないはずだ。


 仕方がないな。ちょっと荒療治になるかも知れないけど。


 俺は深呼吸をして椅子の背を前にして跨ぐようにして座り、アルヴィーナに向き合った。


「エヴァンお兄様」


 うるうると歓喜に溢れアルヴィーナ(肉体)が前のめりになり手を伸ばしてきた。


 ゾワゾワする。ここにいるのはアルヴィーナじゃない。ただの欲情した肉塊だ。


 26年生きてきて、学園にも入り、それなりに貴族の御令嬢も見てきたし、なんなら年頃に関わらず平民の女性陣も周りにウザいほどいた。俺が、伯爵の養子だと知れてからは特に市井ではこのアルヴィーナ(肉体)と同じような視線をよく向けられた。


 やたらと媚を売るように笑顔を向けてくるものもいれば、体に触れてくるものもいたが、気持ち悪い、というのが正直な心情だった。その行動は残念ながら貴族も平民も変わらなかったようだ。俺だって欲望の一つや二つはあるが、そんな甘ったるい罠は忙しさにかまけて無視し続けてきた。


 俺にはアルヴィーナがいたから。


 気にも留めなかったんだ。どの女も似たような人形みたいで、ちょっと髪の色が違うとか、目の色が違うとかその程度の違いでしかなかった。人形遊びに夢中になるような性格でもないし、それより楽しいことも夢中になることもたくさんあった。


 今ならわかる。




「兄じゃないから」

「えっ?」

「俺、君の兄じゃないから」


 アルヴィーナの肉体は狼狽えて視線を泳がせた。でも俺の意識は天井にある。アルヴィーナ(肉体)を見つめながら、天井にいるアルヴィーナ(魂)に語りかけた。


「あの、エヴァンお兄様?わたくし、記憶が」

「わかってるよ、アルヴィーナ。だから敢えて言う。俺は君の兄じゃない。だから君を抱き締めて慰めることもできないし、二人きりで部屋にいることも本当は良くない。だからアル。アルが戻って来たら、俺はこの屋敷を出て行くつもりだ」

「え、エヴァンお兄様?」

「俺の可愛いアルヴィーナ。馬鹿な俺を許してはもらえないか?アルヴィーナは俺のものだと、子供の頃からずっと思っていた。誰にも渡すつもりなんかなかったんだ。だけど、俺は平民だし、10歳も年上だし、手に入れるわけにはいかない、無理だと思った。こんな感情は持ってはいけないと心の奥深くに封じた。ずっとアルヴィーナの兄を演じ続けようとした。


 初めて会った時から、好奇心いっぱいの目を向けて俺に懐いて、後ろをついてくるアルヴィーナが可愛いと思った。全身で愛を求めていて、アルヴィーナの世界には俺しか存在していなかった。


 だから、アルヴィーナを俺好みの女に仕上げていこうと思った。そんな後ろ暗い俺の気持ちには全く気が付かず、俺の言う事やる事、全てを素直に吸収して、アルは貴族令嬢としての風格もつけて、どんどん綺麗になっていった。


 幸か不幸か、糞王子ボンクラの婚約者に選ばれたからと一緒になるまでは誰にも奪われずに俺の、俺だけのアルヴィーナにしておけると思って、誰にも、糞王子ボンクラにでさえ手につけられないように、完璧に仕上げようとした。俺だけが本当のアルヴィーナを知っていれば良いと思ったから、王子さえも見下せるような令嬢に仕上げれば、誰も近寄ることは出来ないと思った」


 ずっと封印していた感情を吐き出すのは、勇気がいる。


 こんな変態じみた思惑なんて、アルヴィーナに知られたくなかったけど。でももうだめだ。全部全部吐き出して、それでだめなら諦めて森に篭ろう。緑竜と一緒に世捨て人になればいい。


「アルヴィーナが王妃になれば、誰の手に触れることもなく俺だけのアルヴィーナでいてくれると、どこかで思っていた。アルヴィーナの好みが俺だって言われて、ちょっと優越感にも浸った。糞王子ボンクラを俺に似せて隣に飾っておけば、少しは気も紛れるかと思ってこの仕事も引き受けた。全部、気づかないうちに俺の気持ちを押し付けていたんだ」


 俺は大きく息を吸い込んだ。天井を見上げると暗雲めいた魔力は鎮まっていた。けれどまだ戻ってくる様子はない。


 当然だ。きっと狼狽えている。可哀想なアルヴィーナ。こんな気持ち悪い懺悔なんて聞きたくなかっただろうな。


「俺は、アルヴィーナを愛している」


 言い切った。今の俺の顔はきっと見られたものじゃない。


「アルが俺を必要としないのなら、それでも良い。その時は影でお前を支える」

「エヴァンお兄様…」


 アルヴィーナの肉体がおどおどとした声で俺を呼びかけた。天井から視線を外し、アルヴィーナ(肉体)を見る。その瞳にいつもの光はない。アルヴィーナの不在は明らかだった。俺は肩をすくめて笑った。


 内心で思う。お前じゃない、と。俺の欲しいアルヴィーナはここにいない。


「兄じゃないと言ったよね。実は、養子縁組の解消の手続きをした」

「えっ?」

「それと、西の瘴気の森を俺の管理下に置いた。伯爵領とも切り離されて、俺個人の土地だ。緑竜との約束もあるし、俺はこれから平民としてあの地で暮らすことになる。宰相には、これからこの国に溢れる瘴気についてどう浄化するか研究するからと言って免税もされた。親父様とも、もう繋がりはない。だからある程度の自由が手に入る」


 だから、俺と一緒に来ないか。そう言いたいのだけど。


「瘴気の森?」


 アルヴィーナ(肉体)はやはり覚えていないが、アルヴィーナ(魂)ならこの意味はわかるよな?


「緑竜に力を貸して、協力を得るつもりだ。アルヴィーナが目覚めたらこの屋敷も出て行くつもりでいた。だから戻って来てくれないか?最後くらいきちんと話がしたい」


「だ、だめよ!だめよ!だめったらだめ!お別れなんて許さない!エヴァンお兄様はわたくしのものよ!に渡さないわ!わたくしのものよ!絶対に、絶対に、あ」


 アルヴィーナの肉体が泡を吹いて後ろに倒れ込んでしまった。





 あれ?


 もしかして本当に何かに取り憑かれてた?




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る