第21話:動き出す未来

「とんでもないことになった」


 事の始終を聞いた宰相であるエリクソンは、机の上で頭を抱えた。アルヴィーナ嬢が目を覚ましたと聞いたエヴァンが、王子殿下を残して伯爵邸に転移をしたと言うことは伝達が来た。殿下は、朝の修練場でいつものトレーニングを済ませてから部屋に戻る予定である、と聞いていたため、朝の執務室で仕事をしていたのだが、そこへ大慌てで従者が駆け込んできた。


「侯爵令嬢がっ!修練場と王子宮の渡り通路の一角で、殿下と睦みあっていたようです!」

「何ぃ!?」


 朝っぱらから何をのぼせたことを言っているのだ、とエリクソンは目を剥いた。


「数名の騎士が訓練を終え、見回りに来たところで現場を押さえた模様!殿下はご自身の宮で軟禁、侯爵令嬢は貴族牢に入っています。いかがいたしましょうか」

「こ、こここ侯爵令嬢とは、例の、フィンデックス侯爵の、セレナ嬢のことか」


 殿下が小太りで緑色の髪で悪臭を放ち、半径1キロ以内誰も近寄ることが出来なかった時に、殿下の下半身を受け入れようとしていたと言う、図書室での、あの令嬢。ゲテモノ食いと噂のセレナ・フィンデックス。


「は。左様で」

「い、いったいどこからセレナ嬢が入ってきたのだ!出廷禁止令が出ておったであろう!?門番は何をしておる!?」

「それが、本日は門番も誰も御令嬢の姿を見た者はいないのです。最後に侯爵令嬢が王宮で確認されたのは三日前、フィンデックス侯爵夫人が王妃殿下のお茶会に招かれた時に一緒にお見えになっていたようなんですが、王宮の出廷禁止令が出されていたので、門前払いをされておりました」

「……ではその時に忍び込んだとでも?」

「あ、或いは、王子殿下が内密に引き入れたのではないかと思われますが」

「エヴァンの目が光っているうちに、そんなことが出来るほどの度胸も頭脳もは殿下にはない」


 あれは直ぐに騙されおだてに乗るが、自分から策を企てる器ではない、とエリクソンは考える。エヴァンによってどれほど常識を詰め込まれようとも、王族としての威厳を教え込もうとも、右の耳から左の耳に素通りしてしまうような大馬鹿だ。それが、エヴァンにバレないように何かを企むなど、どう考えたって無理に決まっている。エヴァンはその辺は抜かりない。第六感的なものを持ってして、トラブルを事前に察知し解決する特技があるのだ。少なくともエリクソンにはそう見えた。しかもアルヴィーナ嬢が目覚めたのは偶然今日だっただけの話で、予定に組み込まれていたわけではない。


 だとすれば、侯爵令嬢が何やらきな臭いことを企てたのに違いないのだが。間が悪かった。


 エリクソンは仕方なくやりかけていた業務を途中でやめ、貴族牢に入れた侯爵令嬢を尋問室へ通すよう、護衛騎士へ呼びかけた。念のため魔法使用防止の枷も忘れない。


 騎士によると、発見された時セレナ嬢は気を失っており、無理矢理凌辱されていたようにも見えたものの、三日前から紛失届が出されていた魔導士のローブを纏い、その下には何も身につけていなかった事から、彼女の方から殿下に近づいた線が強いことを示した。


 現在は目を覚ましており、自分は殿下と相思相愛なのだと涙を流しているという。


 尋問室に行くと、セレナ侯爵令嬢はエリクソンの顔を見て青ざめて立ち上がり、美しいカーテシーをした。


「エリクソン・ハルバート公爵様にわたくし、セレナ・フィンデックス侯爵令嬢がご挨拶申し上げます。この度はお手数をおかけして申し訳ございません」

「……頭をあげよ。セレナ侯爵令嬢。私は忙しい。ここへは宰相として事実確認のためにきた。そなたは何をしに王宮へ忍び込み、なぜ殿下を誑かしたのだ」

「お言葉ですが、宰相閣下。わたくしセレナ・フィンデックスは、シンファエル王子殿下の寵愛を受けて、この度王室まで馳せ参じました。アルヴィーナ伯爵令嬢では、殿下のお相手も満足にできず、義兄であるエヴァン様にのみ心を許す態度をとっていると聞いておりました。


 わたくしは、優越ながら学園でも殿下の寵愛を受け、相思相愛の関係を結んでおります。立場と致しましても侯爵令嬢であるわたくしに、いったいどんな障害があると言うのでしょうか」

「セレナ嬢、つまり其方はシンファエル殿下が呼びつけ参上したと言うことで間違い無いのか?」

「……ございません」

「其方はいつ王宮に来たのだ?門番も侍従も其方が王宮に来た事を認めておらぬが、殿下が内密に呼び出したとでも?」

「そ、それは、その…」

「其方が王宮に最後に現れたのは数日前、其方の母上がお茶会に呼ばれた時だと聞く。その時は禁止令により其方は出廷を認められなかった。もしやと思うがその時に忍び込んだのか?」

「し、忍び込んだなどと、人聞きの悪い…っ。わたくしはただ、ただ王子殿下に一目でいいからお会いしたくて、」

「忍び込んだのだな?」

「……いえ、その…」

「…確かに其方は、殿下の……寵愛を受けたと見受けられる。だが、それとこれは話は別だ。王宮は殿下のためだけにあるのではない。複雑に政治や権力が絡みついておる。其方のような小娘が簡単に忍び込めるようにもできてはおらんし、殿下の思惑通りに進むようにもできてはいない。誰に手引きを受けた?」


 セレナは気丈に振る舞っていたが、最後の一言で視線を泳がせた。


「正直に話してくれたら、そなたは罪には問わんし、それなりの待遇も認めよう。殿下との仲を認めてやらんでもない」


 セレナはハッと顔をあげた。認めて貰えるのだろうかと期待に目が輝く。セレナ自身は母親の恨みを晴らすだけの道具になるつもりはなかった。アルヴィーナから王子を取り上げようと画策したわけでもなく、陥れようとしたわけでもない。ただ、シンファエルと共に居たかっただけ。真実の愛を貫き通したかった。


「……あの、お、お母様に言われましたの…」


 エリクソンは静かに瞼を閉じ、セレナの言葉を反芻した。


「其方の母君は、ライラ・フィンデックス侯爵夫人で間違いないな?」

「は、はい。母は、その、わたくしに王子殿下を篭絡せよと申しまして」



 それからトクトクと流れるように話し出したセレナの話を聞き、エリクソンはライラの真意を理解した。


 つまり、この件は20年以上前に自分を婚約破棄したハイベック伯爵の嫡男であったサリヴァンの、年の離れた妹が王子妃になるなど到底許せない、という私情を挟んだ復讐劇の末端だったのだ。


 エリクソンはため息と共に、過去の事件を思い出していた。



 サリヴァンは廃嫡されたハイベック伯爵の長男である。

 当時、ライラ・フィンデックス侯爵令嬢と婚約していたのだが、学院でマリアンと言う、当時の男爵令嬢に数人の高位貴族の令息と共に籠絡された。ちなみにマリアンは敵国のスパイであるという事で男爵家共々処刑され、既に亡き者になっている。


 その結果として、マリアンに篭絡された子息の数だけの令嬢が婚約破棄をされ、国をあげての問題になった。子息らは廃嫡になり国外追放を言い渡されたものの、婚約破棄をされた令嬢たちは、次の婚約者を見つけるのに相応の苦労を強いられた。何せ追放された子息らは皆貴族の嫡男で、次男が後継になったせいでもある。


 余っていたのは子爵や伯爵家の3男以下、下手をすれば男爵家の長男など婚約者のいない者しか充てがうことが出来なかった。侯爵令嬢であったライラは長男であるディビッドが廃嫡されたため、自身が嫡子になり養子縁組を結ぶしかなくなった。


 当時、フィンデックスとハイベックは国を上げての事業に取り組んでいたのだが、サリヴァンの婚約破棄により頓挫した。そこでフィンデックス侯爵はハイベック伯爵に高額の損害賠償金を求め違約金も上乗せした。


 ハイベック伯爵は息も絶え絶え、爵位も返還すべきかと言うところになり、フィンデックス侯爵は溜飲を下げたものだったが、国も大変な時期であったため、エリクソンはハイベックに事業は今まで通りフィンデックスと提携する事を義務付け(しかも利益はフィンデックスに有利となるように采配し)、とある裕福な子爵家の3男であるアルバートをライラに与えたことでチャラにしたつもりだった。


 それで問題は解決したと思っていたのだ。


「お母様は、アルヴィーナ嬢から殿下を奪い取りなさいと命令しました」


 セレナ嬢は俯き加減でエリクソンに告げた。


 プライドの高いライラは、元婚約者であったサリヴァンの見た目を大層気に入っており、婚約破棄など認められるわけもなく、マリアンが死罪になったのならサリヴァンを私にちょうだい、とねだったのに示しが付かぬとそれも叶わず。挙句に大した美形でもない子爵家の3男など養子に迎えなければならず、プライドも尊厳も、恋心もボロボロだった。


 政略結婚を結ばされたライラは、子爵家三男のアルバートと子を設けたものの、生まれてきたのはアルバートに似た女児。盛大に失望したライラは、自身の子であるセレナを駒として扱った。その頃には勢力を完全に盛り返していたハイベックよりも常に上を狙い、いつか見下してやると誓ったのだ。


 そこへ、どこからともなくアルヴィーナ・ハイベックが突如として現れた。伯爵令嬢のくせにその態度はまるで公爵令嬢のように高飛車で気位も高く、能力も顔もハイスペックで、サリヴァンとよく似た美しい令嬢だったこともあり、ライラはほぞを噛んだ。


 確かにアルヴィーナ嬢は、親から見放され放置された令嬢だと、その昔はまことしやかな噂も流れていたのだが、王宮のお茶会に現れたアルヴィーナ嬢は、とても10歳とは思えない高貴な存在感を醸し出していたことから、本当に彼女がハイベックの令嬢か調べたことがある。勿論正真正銘ハイベック伯の令嬢だったが、その後ろにエヴァンがいたのだ。


「あのハイベックを国の頂点にあてがうなど、国王は何を考えているのか!」


 ライラは腹を立て、一度は宰相に異議を申し立てたこともあるが、王妃に足蹴にされた。他に見立ての良い娘がいないと、暗に馬鹿にされたのだ。お前の娘では到底太刀打ちはできないと。


 ハイベック伯爵は賠償金を完全に返済しており、尚且つ伯爵領はどこよりも安全で裕福、多大に国に貢献している。アルヴィーナの能力をみよ、お前の娘が叶うのか、と。だが、ライラは王子の馬鹿さ具合も同時に見てとり、こっそりと娘をけしかけたのだ。


『なんとしてもハイベック令嬢より上を目指しなさい』


 ライラの娘セレナは無理だと見てとったが、母はそれを許さない。そしてセレナは、とうとう闇魔法と微力ながらも魅了魔法を覚えたのだ。


「ですが、宰相様。わたくしは本当にシンファエル王子殿下をお慕いしているのです」


 エリクソンは、セレナを見て理解した。それは、おそらく本音なのだろう。まだ16歳の娘が自らの体を投げ出し、たとえ母親に無理を強いられたのだとしても、王子に言い寄ると言うことはそれだけの思いがなければ無理だろう、と。


 なんたって、屈強の騎士ですらゲロを吐き、エヴァンが現れるまでは誰一人として近づきたがらなかった王子に抱かれようとしたのだ。ある意味ガッツのある令嬢でもある。愛がなければ無理だ。この令嬢なら、例えシンファエルがゴブリンになっても嬉々としてついていくのかも知れない。ゴブリンに国を預けようとは思わないが。


 たとえ、地位があり将来王子妃になるとしても、どれだけの女性があの時の王子に近づいたかと思うと、エリクソンにはこの少女が本当のことを言っているのだ、と信じる以外なかったのだ。



 

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