第15話:不機嫌の理由
せっかくの休日は、とんだアクシデントに見舞われてあっという間に消し飛んでしまった。
あの後俺は、白目を剥いて泡を吹いていた王子の上半身を起こして、薬玉を半分喉の奥に突っ込んだ。
「ブフォッ!?」
あわや吐き出すところだった口を塞ぎ、鼻もつまむと王子は顔を真っ赤にして飲み込んだ。
「貴様、何を…っ!ぐもぅっ!?」
涙目になって不平不満を言おうと口を開けた王子の口に、残った半分を突っ込み同じことをするとやはり飲み込んだ。このくらいの勢いがないと、絶対こんな得体の知れない緑色の玉なんか口に入れないだろうからね。
すぐさま目を覚ましたという事は、それだけ効き目があったという事で良いのかな。
「魔物になりかけた気分はどうですか?」
「なっ、何を言っている?うぅっ、なんだこの不味いものは!口の中が臭いぞ!」
「良薬口に苦しですよ。内臓を食い荒らされていた後ですからね。ちゃんと治ると良いんですが。明日になってゾンビ化してても恨みっこ無しですよ」
「ゾンビ化!?」
「まあこれに懲りたら、ちゃんと勉強して私の休みにまでついてこないでください。アルヴィーナも怒らせるし、緑竜にも会うし、瘴気にまみれるし、せっかくの休みなのに散々です」
「お、お前、ふけ…」
「不潔?それは殿下でしょう?」
「違う!ふけ…っ」
「それ以上、不敬だのなんだの口出したら俺、マジで側近やめますからね。殿下がアルヴィーナに認められなかったら、どのみち俺は用済みだし、今のうち次の側近を探しておいてくださいね?」
「ふぬっ!?そんなことが、」
「出来ますよ。俺は元々平民ですからね。伯爵家から追い出されようが、国外追放されようが生きていけますから。でも殿下は違いますよね?宰相殿になんて言われますかね?」
「うっ!」
殿下が悪いわけではない。これは単なる八つ当たりだ。
それはわかっているんだけど。考えても見たら、この
出来ねぇよ!気づいちまったよ。側近やら教育係やら赤の他人として接することはできるけど、アルヴィーナの夫になるとか、させるとか、何考えてたんだ、俺は。
せっかく楽しみにしていた休みなのに、とんだハプニングの上、アルヴィーナまで怒らせてしまった。おまけに緑竜とおかしな約束までさせられて、国中の瘴気まで浄化しなくちゃならなくなった。ただでさえ手一杯なのに、これ以上俺にどうしろというんだ。これで、魔法契約の反故で魔力取られちまったら、竜に殺されるの目に見えてんじゃねえかよ。何やってんだよ、俺。
昔存在したとかいう賢者とか、勇者とか、剣聖とか、魔導士とか、今出てきて欲しいくらいだよ。俺はそこまで実力があるわけでも才能があるわけでもない、ただの貴族の養子になった平民だっていうのに。これまでの人生、順風万歩に行きすぎて、調子こいたのか?
「はあ、とにかく今日はもうお城に帰ってください。明日はいつも通りに伺います。それから、スカイにあまりお咎めを下されませんよう。竜なんて上位種に遭って混乱しただけですからね」
「竜…」
「ええ、殿下も見たでしょう?覚えてますか、緑色の大きな竜」
「ああ、うん。多分。え、その竜はどこへ?」
「雲隠れしちゃいました。恥ずかしがり屋さんなんです」
「そ、そう、なのか…?竜が、恥ずかしがり屋…」
本当素直だよね、王子。平民だったらよかったのにね。幸せだったよ、きっと。
とはいえ、竜生で見るとまだまだ若い竜で、住居不定だった。恐らく永住の地を探しながら出てきたのだろうが、領域を超えてきたあたり、向こうでも瘴気の問題があるのか、居住地が不足しているのか、あるいは変わり者の竜なのかわからないけど。
親父様が了承を出せば、ここが竜の永住の地になり、俺の人生はここから奴隷のようなものになるのか。国土中の正気を浄化して歩かなくちゃいけないんだからな。
……とはいえ、今とたいして変わらない気がしないでもないな。だったらドラゴンの背に乗って巡礼の旅に出るのも楽しいかも知れない。
まあ、親父様次第だがな。
王子は俺の機嫌の悪さを理解したのか、横になったまま身動きしないアルヴィーナをチラチラ見ながら渋々スカイによじ登った。
「その…アルヴィーナは…」
「魔力暴走の反動で気を失っているだけです。命に別状はないので、俺はこれから伯爵邸に連れて帰りますから、殿下はどうぞ一人でお帰りくださいね。寄り道しちゃダメですよ?」
「う、うむ…わかった。伯父上、いや、宰相には口添えを頼むぞ?」
「……できる限り媚を売ってみます。それと、体に少しでも異常があったら、すぐに知らせてくださいね?」
「わ、わかった。ではまた明日な」
王子が飛び立つのを見送った後、俺はアルヴィーナを抱え上げた。気を失っているというのにまるで重さを感じない。
「まだ萎びた人参のままなんだな……」
細くて軽くて、今は疲れ果てて眠っているし、泣き腫らしたせいで目元も赤い。
「ごめんな……」
本当は楽しい1日になるはずだった。例えドラゴンに出遭ったとしても、二人ならきっとなんとかなった。領地をちょっと見て回って、新しいお店でアルヴィーナの欲しいものを買ってあげる予定でもいた。それからランチも一緒に食べて森でリンゴを摘み取って。家では厨房を借りてアップルパイを作る予定だったのだ。
俺は時折しゃくりあげるように息をするアルヴィーナの目元にキスを落とすと、アキレスと共に転移魔法で伯爵邸に戻り、アルヴィーナの私室へと運び込んだ。
驚いて飛び出してきたのはメイドの3人組だ。相変わらず和気藹々とカードゲームをしていたらしく(仕事してんのか?)ちょっと慌てふためいていたが、俺の腕の中のアルヴィーナを見るなり形相を変えた。
「エヴァン様!お嬢様に何をされたんですか!」
「何って…。領地に行ったまではよかったんだけど、ちょっとしたハプニングがあってね。瘴気を払う羽目になっちゃって、魔力暴走を起こしたんだよ。今は落ち着いて眠っているけど」
「魔力暴走、ですか?」
「うん、目が覚めたら教えてくれる?」
「ちょ、ちょっと待ってください!魔力暴走っていうわりに、泣き痕が見えますけど?ほんとに何があったんですか?」
サリーが食い下がって睨みつけてくる。ああ、こいつ、ホントにアルヴィーナ大好きだもんな。
「今日のお出かけはアルヴィーナ様は本当に心待ちにしていらしたのに。こんなに早くご帰宅の上、魔力暴走なんて、嬉しすぎってわけじゃないですよね?まさかエヴァン様が襲い…」
「アホか」
前言撤回だ。そんな期待した目で見てきても、何も面白い事は起こっていない。
「
「あんのクソ王子…!どこまでもお嬢様の邪魔を……っ!!」
メリーが握り拳を宙に振り上げ、シャドーボクシングを始めた。血気盛んだね。君も。
「喧嘩…。お嬢様とエヴァン様が、ですか?」
「まあね」
「そんなはずはありません!エヴァン様、また余計なことを口にしたんでしょう!」
今度はローリィだ。メリーは桶に水を出し、濡れたタオルをアルヴィーナの額に乗せていた。かすかに治療魔法の魔力が見えたから、きっと目の腫れはすぐに引くだろう。
「多分ね。デリカシーのないことを口にしたとは反省してるよ。とにかく、今はアルを休ませてあげて。ちょっとややこしいことになったから、親父様と会談してくる」
「……わかりました。あとでじっくり話していただきますからね!」
はいはい、とひらひら手をふって部屋を出る。
「まずは頭を整理しないと…」
ものすごくいろんな情報が飛び交った数時間だった。
一番深刻な問題のドラゴンと瘴気については親父様に話すとして。いや、竜については伏せておいたほうがいいか。すぐ商売につなげるからな。これ以上誰とも魔力契約は結びたくない。
王子については、親父様に言わなくてもいいか。雷が落ちるか、俺もアルヴィーナもとっとと追い出される可能性がある。前科持ちの家系だもんな。慰謝料払えと言われる前に出ていけとか言われそう。
王子については、宰相と話し合わないと。馬鹿に付ける薬はないと諦めるのは簡単だが、契約の反故だけは避けたいところだ。やるならうまく誘導して向こうから解消させないとな。
それより、何より。
アルヴィーナの気持ちに気付いてしまった。それ以上に自分の気持ちに気付いてしまった。ずっと妹として見てきたつもりだったのに、いつの間にか自分の
「何年越しになるのかなあ……」
思えば、アルヴィーナが令嬢として訓練を始めてからか。どんどん綺麗になって、弟分のような存在から少女になって、その頃にはもうアルヴィーナしか見えていなかった。アルヴィーナのために女装もして、女の園に入り込んでもなんとも思わなかった。ま、恐怖はいくらか感じたけどな。一緒に共有することでアルヴィーナを独り占めできると錯覚してた。
「恥ずかしいなあ。我ながら」
『わっ……わたくしの理想の男性は、その、エ、エヴァンよ』
『エヴァン、大好き』
『私エヴァンと離れたくない!だから頑張る』
顔に血が集まるのが感じられた。
あれは、アルヴィーナがいくつの時だ?7歳?8歳?
『エヴァンがいれば他に何もいらないと、わたくしは言っているのです!』
そう言ったアルヴィーナは顔を真っ赤にして、本当に傷ついたような顔をしていた。
俺は両手で顔を覆った。今誰かに見られたら、きっと真っ赤になってる。泣きそうだ。
「俺だって、アルヴィーナがいたからこそ、頑張ってた」
全てはアルヴィーナのために、頑張ってきたことだった。領地の整備だって、アルヴィーナがもしも領主になった時、ちゃんと安心して収められる領地であるように、良い領主だと言われるように。親父様が商売にしか興味がないから、このままいけば、俺のように金で売られてしまうかもしれないと危惧して。変な男にアルヴィーナが任されてしまうことを避けようとして。
アルヴィーナが王妃になったら、この領地はどうなるかなんて考えてもいなかった。いや、アルヴィーナは優秀だから、王妃をしながらもこの領地を守っていたかも知れないが。そのための手助けなら、代行を押し付けられても受けようとはしていたし。
実兄のサリヴァンーー今は名を改めてただヴァンと呼んでいるがーーを助けたのだって、偶然だった。路地裏で死にそうになっていたのを拾って仕事と住むところを与えただけだ。貧民街の連中に施したのと同じように。ただヴァンは魔力があって、字が読めたから元貴族だと気がついた。あと親父様と奥様によく似ていたからということもある。領地にいることを誰にも知られたくないと言ったから、下水道の管理の仕事を押し付けた。彼は今も真面目に働いているし、自分が兄だと告げる気はないと言っていた。それならばと俺も何も言わなかったが、どこからか聞きつけたようだった。
おそらくメイドの誰かだろうな。市井によく行くのはローリィか、サリーか。情報は重要だと教えたけど、ゴシップまで拾ってこいとは言っていなかったんだがな。俺が実子じゃないと言ったのもあいつらだろうか。
「キリがついたら合わせてやるか…」
俺は頭を振ってやるべきことを優先させるため、親父様に面会に行った。
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