第14話:契約の条件
いつからそこにいたのか、全く気が付かなかった。
スカイはぎくりとして固まり、脂汗を流している。視線だけは王子を見て、俺を見て、緑竜を見てを繰り返していた。
『緑竜。威圧を止めてくれないか?あれはそこで白目を剥いている王子の騎獣なんだ』
『……ああ、契約獣か。わかった』
ワイバーンにとってドラゴンは格上種だ。やっと成獣になったばかりのスカイにとって、緑竜は恐るべき相手なのだと理解できた。緑竜が視線を外し、ため息を一つすると、スカイがビクッと体を震わせて頭を低くし、上手いこと羽の鉤爪を使って匍匐前進を再開した。キューと鳴き、王子を羽の下に匿った。
なんだ。可愛いとこあるじゃないか。きっと落としてしまったことを反省して、まさかのドラゴンが目の前に現れてどうしたらいいかわからなくて、おどおどしているのだろう。
『随分前から茂みに隠れていたからな。こちらの様子を伺っているみたいだったし、恐らく
緑竜はチラリとシンファエルに視線を流して、いやそうな顔をした。
『上空を飛んでいて、きっと緑竜に気を取られたのだと思う。まだまだ好奇心の強い年頃だからな。ついうっかり振り落としてしまったみたいだ』
スカイはバツが悪そうに頭を上下し、王子の頭を毛繕いし始めた。だが、いかんせんワイバーンの嘴は長い。力加減間違えて頭蓋骨に穴を開けないようにね。ほんと、まじで死ぬからね。
『ところで、王子の中身は大丈夫そうなのか?死んでないよな?』
『ああ。魔蝶は全部吐き出されたな。だが内臓はかなりの機能を失ったようだぞ?放っておけば死ぬだろうな』
『ああぁ…。厄介な』
『それほどまでにしても助けたいのか?』
『……俺の気持ち的にはどうでもいいんだけどな。一応国の王子だし、死んだら死んだで色々すごく面倒なことになる。俺は国外追放でも死罪でも仕方ないが、
俺の腕の中ではアルヴィーナがぐったりと意識を失っていた。おそらく月のもののせいか、とにかく体調がすぐれなかったところに魔力の暴走と感情の暴走と、新作の聖魔法の使用で疲れたのだと思う。こんな無理をさせるつもりではなかったのに。
さっきのアルヴィーナの言葉に心臓がギュッと掴まれた気がした。
親に見捨てられないように、期待に添えるようにと厳しく育てたし、なんでも面白いように吸収していくアルヴィーナに過度に期待を寄せすぎたのかも知れない。加えて、俺自身の立場もアルヴィーナに上乗せした。あんなに思い詰めていたなんて。こんなことならとっとと連れ去っておけばよかった。貴族令嬢の心得なんて教えないでどこか遠くに逃亡して、二人で生きていけば今頃は。ーーいや。それじゃあ幸せとは言えなかったかもしれないけど。
「アルヴィーナ…」
俺が呟いたのを見て、緑竜も視線をアルヴィーナに落とした。
『なるほどな…。助けてやれんこともないのだが、条件があるぞ?』
『今しがた、森を正常にしたじゃないか!』
『うむ。我は条件はそれだけとは申してないぞ?』
『きったねぇ!』
『我はドラゴンだからな。狡猾だと人間たちには言われるが、それは人間がバカだからだ』
そんなこと言われたって、何千年も生きてるドラゴンと知識で立ち向かえるわけもねえだろう。威圧を向けられたら身動きできないどころか、気を失っていてもおかしくねぇんだぞ?普通に駆け引きできるような対等な立場じゃねえだろが。
って考えると、王子のメンタルって一体どうなっているんだ?瘴気に侵されても気が付かず、歩き回っていたし、最後まで気がついていなかったみたいだし。実はものすごい資質があるんじゃねえのかな。
脳みそがついていっていないだけってことも考えられるけど。あ、あとなんたっけか、緑竜が言ってたな。神経中枢をすでにやられてるって。そのせいなのかな。6年もコケだかカビだか体から早していた地点でもう神経中枢なかったのかもしれない。
『それで?この小蝿を助けるために
『くっ……条件はなんだよ?』
『うむ。ではひとつ目にこの森を我にくれ。それから、住みやすいようにお主とそこの娘とで管理しろ。最後に、我と契約を結んでほしい』
「えっ?」
契約?緑竜と?
『この娘には
『ま、まあ。それはそう、……なのか?緑竜と契約すれば?俺が?』
『我は其方の従魔になるつもりはないがの。この森の主になるには、人間の領域を侵すわけだからな。人間と契約をせねばならんのだ。この森を侵害しないと約束してくれるならば、我に人間を傷つける気は毛頭ない』
なるほど。誰が決めたのか、領域の不可侵の決まりでもあるのだろう。だから今までドラゴンの姿を見ることはなかったのか。
『それなら、この領の正式な後継はここにいるアルヴィーナだ。アルヴィーナと契約を結んでくれないか』
『それは出来んな。この娘の魔力ではいささか足りぬのだよ。それに我とこの娘が契約を結ぶと言うことは、我の生贄となるぞ?』
『生贄!?』
『ああ。魔力の質も量も足りとらん。この娘の聖魔力には条件があるし、いつでも使えるものでもないしの。我も種の関係をややこしくするつもりは無い。なんなら二人と契約を結んでも良いが、それだと其方もその娘も別のものと婚姻は結べぬぞ?』
『そうなのか?』
『ああ。二人で一つとして見なされるからの』
アルヴィーナはシンファエルと婚約関係(仮)にある。一旦保留になっているものの、解消はされていない。これで竜と契約を結んだので結婚できませんと言ったら、宰相は怒るだろうな。
ーーたかが権力者の元に生まれたからってだけで!わたくしがその尻拭いを押し付けられているのよ!
でも、アルヴィーナも怒ってるんだよな。政治の駒にされて、大人のいいように翻弄されて。
俺はアルヴィーナの兄として守るべき義務がある。王子についても結局はアルヴィーナ次第だ。
王族との魔力契約には、アルヴィーナが納得する男にシンファエルを鍛えることが一つ。
他言無用が二つ。それ以前にシンファエルが根を上げれば(王族の放棄)、契約は無効。
期間は最大2年で、その間にシンファエル個人が問題を起こせば契約反故と見做し、俺の過失であれば俺の魔力は封じられる。王族が契約を放棄、反故にすれば彼らには罪人の焼印が押される、というものだ。かなりきつい契約だが、王族から言われれば仕方がないし、俺から契約を反故することは考えていなかった。
可能性として一番大きかったのはシンファエルの王権放棄だったから、宰相も王妃も深く考えなかったのかもしれないが。
もともとアルヴィーナが王子を好きだと思っていたからこそ、この仕事もなんとかなると思っていたんだがな。本人がこんなにやる気が無いんじゃ、成功させるのも難しい。というか今更ながら、アルヴィーナをこんな
つまりどの道、俺は宰相を怒らせることになるということだ。
「はぁ」
俺はため息を吐いた。
『条件はわかった。だけど、だけど領地に関しては、俺の一存では決められない。この森はもともと魔獣が良く出るせいで人は滅多に来ないはずだ。緑竜が住む分には問題はないと思う。その代わりと言ってはなんだが人間が侵入してきた場合、できる限り追い出すようにして殺すことはしないでほしい。あと人の村や街を襲わないことを約束してくれるなら、できる限りの交渉をしてみる』
『良いだろう。お主がこの条件を飲めるのならば、人間に手出しはしない。飲めないならば、その決断を下した人間はどうなるか知らんがな』
『……おい。それは脅しじゃないか?』
『そうともいうな。まあ、頑張れ』
くそ。ドラゴンと交渉はするなと良く言われるが、こういうことか。命に直結だもんな。
ただ、契約自体は俺だけでもなんとかなる。問題は親父様にどう伝えるかだ。何せ伯爵領は親父様のものだからな。あの人は、でもあまり興味がないかも知れんけど。
いや、下手したらドラゴンと交渉するとか言い出すかもしれん。森はくれてやるが金を出せとか言い出しかねないからな。そんで、その交渉は俺にさせるんだよな。あの人はそういう人だ。
『なあ。もしこの森の持ち主がタダではやれんとか言ったらどうする?』
『我もタダでくれとは言わん。そうだな…。其方との契約次第では豊穣を約束しても良いぞ』
『豊穣?』
『ああ。土地を豊かにし、食物を育ちやすくしてやる。ただし、手入れを怠れば何も育たんがの』
それは、物凄く魅力的だ。今の所豊穣なのはハイベック領だけで、他領はもっと灌漑を進めなければならない。それも親父様は商売と捉えていて、高価な魔道具として売りに出しているから遅々として進まないが。何せ俺とアルヴィーナの魔法がなければ、一気に進めるのは難しいからだ。つまり、そう。俺たちが魔道具ってわけだ。ちくしょうめ。
『俺との契約次第というのはどういうことだ?』
『ふ。学んだな。賢い人間は嫌いではない』
緑竜はニヤリと笑った。油断ならねえ。
『先の条件に合わせて、我に名を授けよ。それから国土の瘴気を消してくれ』
『いやいやいや、ちょっと待て。無茶苦茶言うなよ。名前をつけるのは構わないけど、国土全土の瘴気は無理だ』
『なぜだ?』
『なぜって。一人の人間にそんなことができたんなら今頃やってる。できないから瘴気は無くならないんだろ?緑竜だって、何年生きてんのか知らんけど、瘴気のなかった時代なんかあったのか?』
『……ないな。そうか、そういうことなんだな』
『だろ?』
『其方の言いたい事はわかった。では我も手を貸すから、一緒に瘴気を殲滅させよう』
『えっ!?』
『我が其方を背に乗せて瘴気の強いところへ飛ぶ。そこで其方が力を発揮すれば良いのだ。その地を清浄なものにすれば、我が力も届きやすい』
『いや、待って…』
根本からしてわかってない。
俺の魔力だけじゃ足りないっての。魔力欠乏症になったらどうしてくれるのさ。
『でなければ、この商談は無しだ。我は豊穣を約束はしないし、お主らは穢れて死ぬが良い』
『いやいやいやいや!ちょっと待って、マジ待って!』
『では、やるか?』
俺、なんでこんな威圧の高いやつらとばかり、やりあわないといけないの?泣きたい。
『……まずは、親父様にこの森の権利について話をつける。契約はそれからだ。とりあえず、この森にいるのは構わない、と思う。それと、俺にはこの王子の教育係という仕事もある。あまり身軽に歩ける立場ではないんだ。一週間時間をくれ。それまでに条件を整えてまた来る』
『ふん。だからこの小蝿はここで始末しておけばよかったものを』
『責任放棄、ダメ。絶対』
『わかった、わかった。ではそれまでここで惰眠を貪るとしよう。来た時に起こしてくれ。ああ、土産は新鮮な水を頼むぞ』
『土産までねだるのかよ…』
ふふんと鼻で笑い、緑竜は背を丸め、猫のように丸くなって小山に擬態した。俺の目にはまだ竜に見えるが、風景と同化して今度来た時はわからないかも知れない。
はあ、とまたしてもため息を吐き、未だ白目を剥いている王子を見てはたと思い出した。
「あっ!ちょっと待った!ボンクラの内臓修復まだしてないじゃないか!おい、緑竜!」
小山になった緑竜からコロンと何かが転がり出てきた。
『それでも食わせとけば大丈夫だろう。この森の瘴気を消してくれた礼だ』
転がった緑色の塊は、先ほど王子に与えた飴玉と似たようなサイズの薬玉だった。
「……これ、食わすのか…」
野菜の嫌いな王子が食べたいと思わせるような色ではない事は確かだった。
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