第13話:調和のアポカリプス
水紋が広がるように、エヴァンとアルヴィーナの魔力は共に混じり合い大きく滑らかに広がっていく。樹々がざわめき、瘴気が晴れて森が息を吹き返した、ような気がした。
『ほう…これほどの力があるとは』
緑竜が低いハミングで浄化の魔法を受け止めると、森の緑が深みを増した。
飴を口の中で転がしながら、
「どんなマジックだ?」
嬉しそうに尋ねる王子を横目に、俺は一息ついた。俺の魔力は豊富だが、これほどまでに魔力を一気に使ったのは久しぶりだ。アルヴィーナも少し顔色を悪くしてよろめいた。魔法はどうやら成功したようだった。実に心地よい、アルヴィーナならではの聖魔法。疲れた体にすっと馴染んでくるようだ。
「無理させたな。大丈夫か?」
「だ、大丈夫」
大丈夫と言いながらも俺の胸にもたれかかってくるところを見ると、かなり辛いのだろう。顔も少し赤い。アルヴィーナを抱き上げ、緑竜の隣に座らせた。頬に手を乗せ上を向かせると潤んだ瞳でほんのり微笑むアルヴィーナがいた。我が妹ながら、時々とても色っぽい。邪な感情を持たないよう、頭をくしゃくしゃと撫でて誤魔化した。
「アルは少し休んでていいから。よく頑張った」
「エヴァンの頼みだもの」
力なく微笑むアルヴィーナの頬を軽く撫で、エヴァンは立ち上がり、新たな魔法陣を構築する。
『何をするのだ?もう瘴気は消えたぞ?』
気分がすっかり良くなった緑竜が、まだ何かをしようとするエヴァンに声をかけた。
『ああ。このままだとまた瘴気だまりができるから、瘴気の沼とか池とか浄化させて埋め立てるんだよ』
『そんな事が出来るのか?』
『普段は一つ一つ見つけたらその場でやるんだがな。俺の休日は今日だけだし、時間を置いたらまた瘴気だまりが出来るだろ?それじゃ意味がないからな』
『……そうか』
そういうと、緑竜は隣に座り込む赤い顔をしたアルヴィーナをチラリとみて座り直した。
「《
改めて俺は魔力を練り、瘴気の残り香を追跡し浄化魔法を唱えた。魔力が矢のように飛び去り瘴気の発祥地を突き止め浄化をする。
森のあちこちで火柱が上がり、それも空中に消え失せていく。
『森は燃えてないな』
『結界で包んであるからね』
『ほう…』
『俺の魔力の届く範囲の瘴気だまりはこれで消えたはずだ。あとは
『素晴らしいな』
緑竜は地面がハミングをするのを肌で感じ、木々のざわめきに耳を澄ました。清々しい空気に森が歓喜する。それを肌で感じた緑竜は久しぶりに頬を緩めて、その生命の息吹を楽しんだ。
『それで。緑竜はうちの国の王子を浄化できるのか?』
『……あれをか?』
そう言ってから王子を見ると、シンファエルは白目を剥いて口から泡を吹き仰向けに倒れていた。
「げ!やべ?!」
シンファエルの腹のあたりがもこもこと動いている。これは、腹を食い破って魔蝶が出てくるのか?と焦ったエヴァンだったが、その直後パカッと口を開け、黒光りのする魔蝶が飛び出した。
「黒い魔蝶!?」
「いやぁぁ…グロいわぁ」
魔蝶は通常飴色をしているもので、羽の部分に青水晶のような斑点がある。だがシンファエルの口から飛び出してきたのは真っ黒の魔蝶で赤い斑点が羽についていた。しかも通常の魔蝶の倍くらいの大きさがある。ズルズルと次から次へと口から出て来て飛び立つ魔蝶は、一見するとホラーだ。
「突然変異か、別種が生まれたのか」
『あれは捕まえたほうがいいと思うぞ?下手すればワイバーン並みの大きさになりそうだ』
「賢者の書で見たことあるわ。怪獣と呼ばれる生き物でモス…なんだったかしら」
呆れたような緑竜の言葉に我に返り、俺は慌てて魔蝶を捕獲し、収納魔法で閉じ込めた。帰ったら調べてみよう。用途が変わるかもしれない。
「よっぽど腹に何か悪いもんが溜まっていたのか」
「悪いもんしか詰まってないんじゃない?」
アルヴィーナはマジ王子に容赦ないな。まあ、わからないでもないし、不憫にも思う。なんとか名誉挽回を図ろうとしても肝心の王子がこれじゃな。俺が令嬢でもやだもんな。
こんなんで本当に王子妃になれるのかちょっと不安になる。アルヴィーナが結婚してもいい、とお墨付きにならないことにはこの教育は失敗だ。
「アルヴィーナ。こいつは今のところまだお前の婚約者(保留)なんだ。歩み寄れないか?」
「っえ、エヴァン?」
「お前の好みになるよう、俺も頑張るからさ。アルヴィーナも殿下の良いところを探してみないか?」
俺がそういうと、アルヴィーナは眉を思いっきり顰めて嫌そうな顔をして、それから俯いてしまった。
ああ、機嫌を損ねたかな。こいつは昔から怒ると口を聞かなくなる。俺と目を合わせようともしなくなるので、どうしていいかわからなくなるんだよな。
当然、傷つけたいわけじゃない。
アルヴィーナにはずっともっと幸せでいてほしいからこう言っているんだが、時々琴線に触れるらしく怒らせてしまう。歩み寄れとか、無理だよなあ。酷いことを言っている自覚はあるんだけど。
「アルヴィーナ」
「お兄様は、わたくしがこの男と結婚したほうが幸せになれると思うのですか」
伯爵令嬢の笑顔を貼り付けて冷たい視線で俺を見る。
うわぁマズイ。令嬢の面が出てきた。こうなると俺の手には負えない。本当に怒らせたらしい。実は今日は月のモノの日だったとか?
「えっと」
「他の女と懇ろになるような、不潔を通り越して不浄な魔物と呼んでもいいような、口から真っ黒な魔蝶を吐き出し、魔虫を身体中から湧き上がらせるような、名前だけ王子との結婚が、お兄様は、お望みなのですか」
「で、でもさ。国のトップに立てるよ?」
「わたくし、今でも令嬢の頂点に君臨していますわ」
「それはそうだけど」
「こんなのと結婚をしては、汚点になるだけとは考えられませんか」
「いや、だから、俺が今再教育してるわけで」
「つまりお兄様のコピーを作っていらっしゃると?」
「そ、そういうわけじゃないけれど」
こえぇ。いつになく、アルヴィーナが本気で怖え。笑顔なのに目が笑っていない。ドラゴンより怖ぇぞ。
『お主は女心がわかってないようだの』
『ドラゴンにまで言われたかねえけど、緑竜のあんたには分かるのか』
『まあな。伊達に長生きはしとらん。女は種族を超えて強くて怖い。とっとと機嫌を直さんことには、魔性のものが生まれるかもしれんぞ』
『ええぇ!?』
アルヴィーナから生まれる魔性のモノってなんかとてつもなく強くて、ダメな気がする!俺でも勝てる気がしない!終焉の天使とか生まれそう!
「アルヴィーナ!俺が悪かった!アルの気持ちを無視した俺が悪かった!押し付けるわけじゃないんだ。嫌なら、ええと、国を追われることになるかもしれないけど、一緒に逃亡する手もある。ただ俺は、アルに幸せになってもらいたいだけだ。だから機嫌を直してほしい」
「幸せ?わたくしの幸せはお兄様と一緒にいることですわ。5歳の時からそれだけは変わっていません!」
「それはもちろん、」
「エヴァンがいれば他に何もいらないと、わたくしは言っているのです!」
えっと…?
「いや、アルヴィーナ。それはとても嬉しいけど、俺はお前の兄貴だし…」
「エヴァンはっ!」
涙目になって睨みつけるアルヴィーナを見て、もしかして俺が養子だって知っているのかと訝しんでしまった。俺が本当の兄じゃないと親父様達しか知らないと思っていたけれど、考えてもみれば王宮に出入りしている限り、王妃や宰相からそんな情報くらいは聞いているかもしれない。隠しているわけでもないのだ。知っていてもおかしくない。
でも俺は、アルヴィーナを義妹としてしか見ていない、筈で。
俺はもともと平民で鍛冶屋の息子だ。血筋が一番大切と言われる貴族のアルヴィーナには、俺は到底似つかわしくない。アルヴィーナの兄でいるからこそ、こうして一緒にいられるということもわかっている。親父様も俺を跡取りにしようなどとは考えていないし、俺は領地を立て直すために都合よく使われている身なんだ。目処が立てば、俺はおそらくお払い箱だ。
俺はいざとなれば平民でも生きていけるが、アルヴィーナは違う。こいつは貴族の中にいて初めて光る才能を持った女の子だ。正義感が強くて、頭がいい。魔力も多ければ、コントロールもうまく、度胸もあるし勉強家だ。大体、国を支える人から認められているのに、なんで平民なんかに引き落とさなければならないんだ。
「俺は、アルの兄貴だよ?ずっと一緒にいられるわけじゃない。いずれアルヴィーナは結婚して国を引っ張っていくか、伯爵領を栄えさせて行かなきゃいけない立場にあるだろ?」
「エヴァンが兄様なら、伯爵領はお兄様が後を継ぐのが普通でしょ?」
「それは……親父様次第だからな。とにかく、俺はアルヴィーナが幸せになってくれればそれでいい」
「……もういい。エヴァンがそんなに望むんなら、王子と結婚する。それでいいんでしょ」
「投げやりになるなよ。お前の人生だぞ?」
「わたくしの人生?わたくしの人生って、両親に駒にされ、大好きな人から引き離されても我慢して、好きでもない男と結婚すること?どこにわたくしの意見が?
権力のある人間に、ああしろこうしろと突かれて矯正されて、人形のような人生がわたくしの人生?わたくしの
「アルヴィーナ。それは違う」
「バカに仕事はない?仕事がなければ金がない?金がなければ遊べない?美味しいものも食べられない?
はっ。笑っちゃうわ!
「アルヴィーナ!」
頭に血が上ったのか、アルヴィーナの魔力がどんどん高まって暴走した。アルヴィーナがこんなに感情的になるなんて、いつぶりだろうか。俺は考えるよりも先にアルヴィーナを抱きしめていた。
本当のバカは俺だ。アルヴィーナの気持ちには気がついていた。でも、だけど、アルヴィーナは貴族で俺は平民の生まれだ。俺は十も上だし、幸せに出来るとは思えない。王族になれるだけの能力があるのに、俺と一緒に平民になってくれなんて言えないだろ?
ずっと、アルヴィーナだけ見てきたんだ。他の誰よりも可愛くて俺だけに懐いて、独り占めしたかった。子供から、妹からどんどん成長して大人になっていくアルを、俺が認める誰かの横に立たせることだけ考えていた。
「もういい、大丈夫だ。無理しなくていい。ごめんな。デリカシーがなかった」
「エヴァンなんか嫌い!大嫌いよ……っ!!」
結構な力で胸を叩かれたけど、本気で嫌がっているわけではないようだった。シーっと耳元で囁いて落ち着かせる。わんわん泣いて、嫌い、と繰り返すアルヴィーナを俺は落ち着くまで抱きしめて、頭を撫でた。
俺のアルヴィーナ。
俺だけのアルヴィーナ。
俺は、手を伸ばしてもいいのだろうか。
ボンクラはまだ白目を剥いて倒れていて、黒い魔蝶がひらひらとあたりを飛んだ。
『……どれ、我があの黒いのを捕まえようかの?』
『すみませんが、頼みます』
『まあ、オナゴの感情は起伏が激しいからの。どの種も同じじゃな。……ところで、あそこにいるチビこいトカゲは仲間か?』
あそこ、と言う緑竜が示す方を見ると、スカイが
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