第12話: 緑のドラゴン
「エヴァン!ドラゴンに王子?が近づいてる!」
ほとんど悲鳴のように、アルヴィーナが鋭く息を吸い込んだ。千里眼を使って周囲の様子を伺ったのだ。
「走るぞ!」
「了解!」
ボンクラは本当にボンクラだ。魔獣百科も見せて魔獣がいかに危険かもこんこんと言い聞かせたのに、無邪気なまでに警戒心もなく近寄っていく。いかに俺の魔法が優れていたって限度がある。ただでさえ凶暴だと言われるドラゴンだが、傷を負ったドラゴンの能力は未知だ。無事でいられない可能性もある。
「っていうか、あいつ、なんか変だわ」
「変なのは常時じゃないか!」
「そうだけど、そうじゃなくて。なんか魔物化してる…感じが?」
「ま、魔物化?」
「嫌な予感がする。アレはほっといて帰らない?」
「いやいやいやいや。そんなわけにはいかないから!」
一応たった一人の王子だし。俺、とりあえず側近だし?王子が魔物化したので放置しましたなんて言ったら、宰相に殺されるだろ?忌々しい魔法契約なんかしなければよかった!
「チッ!仕方ない!王子まで時間にするとどれくらいだ?」
「《瞬歩》使って3分!」
その程度の距離なら遠隔操作で防御強化をかけることができる。
《瞬歩》は風魔法の一つ。これも子供の頃に覚えた魔法の一つだ。転移ははっきりした位置がわからないことには移動できないため、急ぎの
遠隔操作は苦手なんだが、間に合わず死なれても困る。俺は王子にかけている自分の魔力を辿り、物理攻撃無効化を付け足し、その上で結界を作った。大雑把だが、俺たちがいくまでは持つことを願いたい。しかもスカイはどこ行った。何処フラついてんだ?フェチの途中で見失ったのか?まさかすでにドラゴンの餌食に…。
「アル、スカイの姿はドラゴンの近くにいるか?」
「居ないと思う」
「わからないのか?」
「ドラゴンの周りがよく見えないのよ」
緑竜が結界を張っている可能性もありか。あるいは隠蔽か。
俺たちは《瞬歩》を使ってとにかく現場に急いだ。
◇◇◇
シンファエルが緑の小山だと思ったドラゴンに近づく途中で急に体が重くなった。
「うっ?な、なんだ、体が重い…?」
つい先ほど体が軽くなった、と思って居たのが突然、突風に逆って歩いている様な圧力を感じ、シンファエルは素直に立ち止まった。
「なんかこっち来るな、みたいな圧力を感じるんだが。あの山か?」
そこで、突然見えない壁に阻まれた。これこそがエヴァンの結界だったのだが、その場に貼り付けられてしまったかの様に動けなくなってしまった。この地点でシンファエルは実はドラゴンからの威嚇も受けていた。だからこそこの周囲に魔獣などは近寄れず、シンファエルは大きな魔獣に襲われることもなかった。何処までも悪運だけは強い。そしてどこまでも鈍かった。
具合が悪くうずくまっている緑竜だったが、小さなゴミを払うぐらいの力は残っている。穢れを持った蝿が自分に近づいてくるのを払おうとしたら、突然結界で防衛されたのを感じて僅かに顔をあげた。
ドーム型の結界の中にいるのは青黒い何か。どう見ても穢れを纏い、ゴブリンか何かにしか見えない。ゴブリンが結界を使うなど、聞いたこともなかった緑竜はちょっと興味を持った。よく見れば、本人の魔力ではなく、慌てて作ったのかあちこちに歪みがある。荒削りではあるが、しっかりゴブリン(仮)を守っているように見えた。しかし、中にいるのは魔虫を生み出しながら、森を汚している穢れ。歩いて来た軌跡が真っ黒に焼け爛れたかの様になり、植物が死に絶えていた。
ーーとなると、この結界を作った誰かはこの汚らわしい小蝿の存在を知って、結界内に閉じ込め、浄化させる方向に持っていったのだろうか。もしや、森の守り人がまだ生きていたのか。数百年前に絶えたと思っていた種族だったのに。
ドラゴンは気分が悪かったのだが、擬態を解いて頭を出した。
「ひょえぇっっ!??」
結界の中で何やら叫び、尻餅をついた小蝿は股間を濡らした。わずかに眉を顰め、ドラゴンは考える。結界が張ってあってよかったな、と。
今現在の気分の悪さはこの瘴気の強さと比例している。森が死にそうになっているのだ。その原因がわざわざ自分の目の前に現れた。だが穢れた体から生み出される瘴気に自分がもしも侵されでもすれば、自身が穢れた悪竜になってしまう。小賢しく、煩わしい。忌々しい穢れだと緑竜は嫌悪した。
「殿下!無事ですか!?」
目の前に突然、二匹の蝿が現れた。いや、人間か?
「エヴァン!ま、魔物だ!!私は身動きが取れない!おま、お前が犠牲になって私を助けるのだ!」
「殺していい?ねえ、エヴァン。いいよね?なんかすっごい汚くなってるし?魔物?魔物だよね、これ?」
「いやいや。ダメだから。ちょっと落ち着こう」
ーーほう。守り人とはこんなに小さいものなのか。それにしても蝿と会話ができるとは、なかなかやるな。結界を作ったのは男の方か。
緑竜はしばらく傍観することにした。煩わしくなれば三匹とも
「殿下。身動きが取れないのは俺の結界の中にいるからです。安全なので、全て終わるまでその中で大人しくしていてください。いいですね?」
「私は城に帰るぞ!スカイはどうした?あの役立たずめ!私を空から落とすなど、不敬にも程がある!」
「スカイは殿下の契約獣ですから、不敬罪とか通用しませんよ。それより殿下、何処に落ちたんですか?もんのすっごく汚いんですけど?」
「沼だ!ドロドロのヘドロみたいな沼に落ちたのだ。だが、お前のサバイバルの授業を思い出してな。しっかり実行したぞ」
「そうですか。その割には泥まみれでしかも、半分魔物化してますがね。どうして普通にしていられるんでしょうね?」
「魔物化?」
「ええ。よくご自身の腕とか足とか見てください。ほら、魔虫が湧いてきてるでしょう?血肉食われてるんですけどね。感じないんですか?」
「なにぃ!?」
ーーああ、今頃気が付いたのか。アレは人間だったのかな。神経中枢を侵されてるのか…となると末期だな。痛覚も何もわからなくなって正常な思考ではないのだろう。もう助からないだろう。そのまま魔物になって朽ち…。
「《浄化》」
「《ホーリーキュア》」
二人が同時に魔法を唱えると、結界の中にいた
『なにをしたのだ?』
思わず声を上げた緑竜だったが、その声に気がつき緑竜を見上げたのはエヴァンだけだった。
『俺の言葉がわかりますか?』
『あ、ああ…分かるぞ。お前は森の守り人か』
『守り人?ああ、いいえ。俺達はただの人間です。守り人というのはエルフ族のことですね。この森で見たことはありません。というか、俺は会った事すらありません。本当にいるのかも眉唾ですが……緑竜がいうのであればいるのでしょうね?』
『いや、守り人は我も久しく見ていない。もう絶えたのだと思っていた。ところで、この森が不浄すぎて我は具合が悪いのだ。なんとかならないかと思って出てきてみれば、ひどくなるばかりでとうとう休まなければならなくなった。お主が使った技はなんだ?この辺り一帯の瘴気が薄れたんだが?』
『ああ…なるほど。ええと、俺というより、これはアルヴィーナの力ですね。俺は補助をしただけです』
エヴァンがアルヴィーナに視線を向けると、緑竜もアルヴィーナを見た。
『この様な小さな体で随分力が強いのだな』
緑竜と視線が合った為アルヴィーナは首を傾げて、エヴァンをみた。
「このドラゴン、何か言ってるの?」
「ああ、念話を使ってる」
「わたくしには聞こえませんけど。なんて?」
「どうやって瘴気を払ったのか聞いてきた。森が不浄すぎて具合が悪くなったらしい」
「まあ。それは良くないわね。気持ちはわかるわ!私なんて何年我慢したことか!臭いって本当に心をゴリゴリ削るもの!」
途端にアルヴィーナは緑竜に駆け寄り、はしっと抱きついた。理解者がここにも!と涙ぐんでいる。
「さりげなく私を不浄なもの扱いするな!不敬だぞ!」
結界の中から小綺麗になった王子は、それでも口から魔虫を吐き出しながら叫んだ。自分のことを言われたと理解できただけ進歩である。
「口から魔虫吐きながら何言ってんのよ!不潔よ、不浄よ!」
アルヴィーナがものすごく嫌な顔をして指を刺したのを見て、俺は慌てて王子を見た。
「ああっ!?まだ完全に浄化されてない!《キュア》!《浄化》!《ウォッシュ》!」
チカチカと光りながら、泡立ったり黒い霧を口から吐き出したり、シンファエルは結界の中で翻弄された。幾分口から瘴気沼の泥を飲み込んでしまったから、体内はすでに瘴気に侵され魔虫の食物庫になっていた。
『ああ、其奴はおそらく神経中枢がやられておるぞ。もっと確実な方法でないと、いずれ魔物になる。今のうち殺した方がーー』
『いやいやいや!ダメダメダメだから!一応王子だからね、この国唯一の!』
『ダメなのか。ならば、森を浄化して我を治してもらえぬか?さすれば我の力を貸しても良い』
『森の浄化!?この森は広すぎて一度では無理だ。この森は瘴気が生まれやすいみたいで、何度浄化しても湧き出てくるんだ』
『では其奴は諦めて、殺ーー』
『やります!やらせていただきます』
あまりにもあっさりと諦めろと言われエヴァンは引き攣った。こんなことをアルヴィーナに言えば、喜んで手放すだろうが、エヴァンの立場上そうもいかない。
「アルヴィーナ。森の浄化をして緑竜を治癒できるか?」
「えぇ〜。無理でしょ?ドラゴンはまだしも森はもう何年もやってるじゃない」
「ひとまずこの辺りだけでも浄化してみないか?もちろん俺も補助するし、緑竜も可哀想だろ?」
あくまでも緑竜と森のためにと念を押す。シンファエルのシの字も出してはいけない。
「一緒に?」
「一緒にだ」
「……しょうがないなあ。じゃ、できるだけ広範囲でね」
「ありがとう。さすが俺のアルヴィーナだ」
「えへへ」
『……お主、うまいな』
『ふ。まあな』
何年かけてると思っている。エヴァンはちょっぴり自慢げに胸を張った。【
「それじゃ、久々に本気出すとするか」
「神の手、使うの?」
「それじゃなきゃ、森全体は難しいからな」
「じゃあわたくしも、最上級の聖魔法、試してみていい?」
「女神の歌声か!?完成したのか!」
「まだ使ったことないからわからないけれど、多分」
その間、シンファエルは完全に無視され、自分のお尻のあたりからわさわさと虫が這い出てくるのを感じて、もぞもぞと居心地悪く座り込んだ。
「おい、私は城に帰りたいと言ったのだぞ」
「殿下。殿下は今ご自分が魔物になりそうだってことだけはご理解くださいね。その状態で城に帰っても切り払われるだけですから、ちゃんと治療しましょう?」
「え?魔物?」
「ああ、そうだ!乾布摩擦で心を落ち着けますか?」
「へちまは?」
「勿論こちらに」
エヴァンが空間収納からへちまを取り出すと、王子は笑顔になった。結界はエヴァンの魔力で作られているためエヴァンの腕を拒むことはなく、へちまを結界の中に突っ込んだ。まるでむずかる赤子におもちゃを渡す様な感覚だ。
「あ、あとこれを舐めていてください」
そう言って、胡桃大の飴玉を渡すと王子は何も言わず、疑いもなく喜んで口に放り込んだ。モゴモゴと口の中で転がそうとするがかなりでかい。だが蜂蜜味で甘い。
実はこれは、毒消しと魔蝶卵で作った飴玉だ。本来なら人に使うものではなく、魔獣や騎獣の虫くだしなのだが、すでに魔物化しつつあるシンファエルならいけるかもしれない。体内に巣食った魔虫を、体内で孵化した魔蝶の幼虫が食べ尽くしてくれるだろう。まあ、成長した蝶が口から飛び出してくかもしれないが、ゲジゲジのような
キラービーの蜂蜜でコーティングされた飴玉がお腹を空かした王子を満足させた。何せここまで口に入れたのは毒物ばかりだったのだから。食べ終わったら、もう一個強請ろうとも考えている。
「生命力だけは人一倍よね…。殺しても死ななそう」
『同意するぞ、娘よ』
言葉はわからなくても、隣で頷く緑竜を見て、なんとなく意思疎通のできるアルヴィーナであった。
乾布摩擦のためにいそいそと服を脱ぎだした王子を見て、一瞬眉を顰め、視界に入れないようそっぽを向いたアルヴィーナは、エヴァンの隣で魔力を練り始めた。巨大な魔法陣が空中に浮かび上がり、その魔法陣にアルヴィーナが重ね書きをしていく。青白い魔法陣と白銀の魔法陣が混じり合い、魔力が重なり合っていく。
このわずかな時間がアルヴィーナは大好きだった。エヴァンの魔力が指先に、頬に、肩に触れるか触れないかの距離で香る、自分だけが知っているエヴァンの香り。
大好きなエヴァン。
わたくしのエヴァン。
あなたが望むものならば、なんだってあげる。
そんな気持ちを魔力に乗せる。
エヴァンは気がついていなかった。アルヴィーナの持つ聖魔力は、エヴァンに寄せる愛から成り立っているのだと。エヴァンがそばにいて初めてアルヴィーナの聖魔力は発揮されるのだ。
「
「
混じり合った魔力は完全な調和を持って、水紋のように広がった。
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