第10話:ハイベック伯爵領にて

「ーーで、どうしてですの。お兄様」


 ラフなシャツとパンツを履いたアルヴィーナが、腕を組んでエヴァンを睨みつけていた。


「いやあ…どうしてかなぁ」

「貴様っ!私が邪魔者のような目で睨みおって!不敬だぞ!」

「いや、邪魔なんですのよ。殿下」



 せっかくの休みだから、ということで久々にアルヴィーナと伯爵領の視察に出かける約束をしたまでは良かったのだが、宰相の部屋を出てすぐボンクラ王子に捕まった。先日行く予定で馬に乗れないということが発覚したため、流れてしまっていた領地視察。この一週間、ワイバーンのスカイに乗って王都の空を飛び回っていたのだが、すでに王城の上空は飽きてしまったらしく、お前の領地に連れていけとわがままを言って、断りきれなかった。


 王子のナルシスト度は爆上がりで、乾布摩擦は1日3回とか、おかしな回数を嬉々として頑張るシンファエルだが、毎朝の訓練は相変わらず十分の一の割合でしか出来ないし、午後の座学は「脳みそはどこに行った!?」と叫びたくなるほど覚えてくれない。新たな技として、「こんなに頑張ってるのに、エヴァンの嘘つき」と「アルヴィーナばっかりずるい!」が増えた。


 ぜんっぜん可愛くねえ。


『お前は私の教育係だろう!私のいうことを聞くのが仕事じゃないのか』

『いえ、教育係という点では、私の言う事を聞くのはあなたの方ですが、私は一応側近です』

『側近ならば尚更だ!私はハイベック領に視察に行くぞ!もちろんスカイに乗っていくから、馬より早いだろう!』

『ええ〜。だって私、明日休みなんですよね。そんな24/7で仕事なんてできませんよ。それに義妹アルヴィーナとの約束もしましたし』

『何ぃ!?貴様、王子の私よりも妹を取るというのかっ!不敬だずるいぞ!』

『いやいや、当然じゃないですか。俺の可愛い義妹アルヴィーナとの約束は反故できませんよ。そうでなくても義妹あれは王子の仕事を代わりにやって大変なのに』

『わっ、私だって頑張ってるじゃないか!乾布摩擦も続けてるし、毎朝のトレーニングだって頑張ってる…っ!領地に連れて行くと約束したくせにっ!嘘つき!嘘つきめ!』

『ええ?ちょっと、そんなことで泣かないでくださいよ、まいったなあ』



「ーーということがあったんだよ。今日だけ頼むよ、アルヴィーナ。視察が終わったら一緒にお前の好きなアップルパイでも作ろう」

「そんなくだらない泣き落としをしたのですかっ!殿下ボンクラのくせに!全然可愛くありませんわよ!」

「うるさい、うるさい!私も行くと決めたんだ!嫌なら貴様が遠慮しろ!」

「なんですってぇ!」


 うわぁ、もう。なんか領地の平民学校の新入生の引率みたいな気分だ。俺はちょっとゲンナリしながら二人の様子を眺めていた。


 しっかし、お互い素を出してるし、なんだかんだ言って結構仲良いんじゃないのか?


「エヴァン!今何かおかしなこと考えましたね?!」

「えっ、いや別に。と、とにかく、ここで言い合っていても埒が開かないからもう行くよ?」

「……むう。わかりましたわ。殿下、くれぐれも邪魔しないでくださいまし!それから、これはお忍びですわ!俺様はやめてくださいね!『不敬だずるい』もナシです!」

「望むところだ!それにお前!私の側近を呼び捨てにするのはやめろ!不敬だぞ!」

「ほら言った!!今ずるいって言いましたよね!?今日はエヴァンの仕事は休みです!それにわたくしは昔っからエヴァンを呼び捨てですわ!」

「わ、私もエヴァンのことはエヴァンと呼んでいる!」

「だからなんだというんですの?殿下はエヴァンのことをお師匠様と呼ぶべきじゃなくて!?」

「な、なんだとっ!?」


 ああもう。また始まったよ、先が思いやられるな、こりゃ。


「はあ、それじゃ殿下はスカイに乗っていくんですね?アルヴィーナはどうする?」

「エヴァンはアキレスに乗っていくのでしょ?わたくし同乗しても良いかしら?」

「うん、良いよ。久々だしね」


 アルヴィーナがガッツポーズを取って、チラリと王子の方を見て、ふんと鼻で嘲笑った。


 だから、それやると悪役っぽいからやめろって。これ以上煽るなよ。王子が俺と相乗りしたいって言ったらどうしてくれるんだ。


 王子は王子で、ぐぬぬと唇をかみしめて真っ赤な顔でアルヴィーナを睨みつけていた。ちなみに王子はいまだに馬には乗れないでいる。馬は賢い動物で、バカは嫌いなようだ。




 スカイは小型のワイバーン(メス)で、殿下の騎獣だ。


 もともとワイバーンはドラゴンに比べてかなり小さいけれど、スカイはまだ成獣になったばかりなのだろう。つぶらな瞳でシンファエルを見つめ、命令を待っている。主人と契約獣というよりは憧れのプリンスと恋する乙女みたいな図なんだが、さすが人間の鼻でもわかるほどの強烈な匂いを放つ王子のフェロモンだ。人間より魔物との方が相性が合うのだと思う。あ、例の侯爵令嬢を除いては、だけど。彼女は今謹慎中らしいけど、近いうち修道院に入ると噂が流れている。まあ、やらかした令嬢だもんね。今は妊娠してるかどうか検査をしているらしいけど。


 力強く地面を蹴るアキレスを追いかけるように、スカイは空高く舞い上がり、右へ左へ楽しそうに飛び回っている。スカイにとっても王城の上空ばかりでは退屈だったのだろう。元々自由に大空を飛び回るのがワイバーンだから、檻の中の生活は息苦しいとは思う。


「エヴァンと一緒にアキレスに乗るのも久しぶりね」


 風を切りながらアルヴィーナが後ろから俺の腰に手を回してきた。昔はよくこうやって領地まで駆けたものだったな、そういえば。あの当時はアルヴィーナを前に乗せていたけれど、いつの間に後ろになったんだろう。


 二人きりになると、アルヴィーナは少し砕けた言葉遣いをする。どこにいても気を張っていなきゃいけないから、俺といる時だけは許すことにした。俺自身も貴族言葉で話したくないし。


「そうだな。つい最近の事みたいな気もするけど、殿下のお守りをし始めてから、ずいぶん領地にも来てなかったから。久々に地下に入るか?」

がいなければ良かったんだけど、今日はやめよう。あの臭いに釣られてスライムたちが寄ってきても嫌だし」

「……それもそうだな。じゃあ、出来るだけモンスターのいないとこにしようか」


 そういえばそうだった。スライムは鼻がないくせに臭いには敏感だ。汚物とか腐った食いモンとか好んで食べるし。おかげで助かってはいるんだけど、汚物と間違って王子を溶かされても困るしな。……困るかな?


「それでも、以前よりはずいぶんマシになったわ。前は息止めて一気に話さなくちゃいけなくて、思わず結界張っちゃってたし。王宮でも半径1キロくらい近くに来ると匂いでわかってたから、近寄らないようにしてたし」


 そのせいで、王子は王宮に一緒に住んでることにも気が付かなかったんだよな。避けられてたから。


「あ、でもおかげで《ステルス》が出来るようになったわ」

「えっ?それはすごいな」


 ステルスって隠蔽と隠密を掛け合わせたようなものだろ?気配遮断と魔力探知遮断もついてるの?すごくないか?それ。


「消臭魔道具とか開発してもらえばよかったわね。魔導士団に頼もうかしら」

「いや、魔道具で全部解決しちゃうと元が正せないからダメだな」

「もう、適当にして『できませんでした』ってポイしちゃえば良いのに」

「いやいや。一応宰相から任命された仕事だからね。国には貢献しないと」


 国外追放とかされちゃうし?色々王族と魔法契約結んでるし?破ると罪人になっちゃうし?


「むう。真面目なんだから。でも……そんなエヴァンが、す、好きよ」


 アルヴィーナはそういうと、ぎゅっと俺を抱きしめた。うんうん、可愛い義妹だ。完璧だとどれほど周りが思っていてもまだまだ16歳の子供で、ちょっとブラコンになっちまったけど。


「俺も好きだよ、アルヴィーナ」


 ぎゅうとしがみつく手を、その上からポンポンと叩いて俺も言い返した。アルヴィーナが、がっかりした顔でため息をついているのは全く気がついていなかったが。



 ハイベックの領地はほとんどが開拓済みになっている。人間たちの住まいと森や山脈の間は平地のまま残し、いざという時のため結界を張っているのだ。元々ハイベック領は瘴気が濃いのか、森林や山岳地帯には凶暴な魔物が数多くいる。そのため、珍しい植物や魔獣が手に入るわけだが、戦う術を持たない人間が、山岳地帯に無闇に近づいて命を落とす事件が過去に多かったため、境界線を張った。


 もちろん強制的ではなく、領内にある学校や職業訓練場ではなぜ立入禁止区域があるのかはちゃんと説明しているため、常識のある人間は危険地帯に入り込んだりしない。中には金目当てで入り込む輩もいるようだが、無事帰ってきたためしはない。


 行方不明で家族や知人が助けを求めにきた場合、未成年者の初犯に関してはダメ元(大抵の場合はもう骨すらも見つからない)で助けに入るけど、大人が度胸試しや討伐目的で入った場合、俺は感知しないことにしている。俺も不死身じゃないし、危険を承知の上でやってるんなら、自業自得というものだ。


 俺が確認できた魔獣やモンスターは、本にして図書館や学校で自由に閲覧できるようにしてあるし、調教師テイマー訓練場でも調べることができる。もし己の力を過信して未確認の上で入ったのだとすれば、死んでもしょうがない。と思うんだよね。


 そう思いながら、上空を見上げると、後ろから追ってきていたはずのスカイが、俺たちを追い越して瘴気の森に向かって一直線に飛んでいった。


「うわぁあぁぁっ!?止まれぇぇぇぇぇ!」


 という、王子の悲鳴が時差で俺の耳に入って来る。一瞬ぽかんと口を開けたが、がっくりと項垂れた。


「アル、飛ばすからしっかり掴まってろ!」

「ん!」


 スカイはまだ若く、好奇心が旺盛だ。王子と契約して日も浅く、ワイバーンだから頭もそれほど良くない。つまり、森の方角に何か興味を惹かれるものがあって、我慢できず飛びついて行ったのに違いない。それが好物の食いもんだったり、王子以上のフェロモンの強いオスなら分からないでも無いし、まあ、ぶっちゃけ俺でもなんとかなるんだが、もしこれが上位種のドラゴンだったり、魔物だったりした場合、王子がヤバい。

 この数ヶ月、管理をしていなかったせいで森で異常があっても気が付かなかった可能性もある。


 俺はアキレスの腹を蹴った。


「親父様、ちゃんと代わりの管理人出してくれたんだろうな」


 あの人は商売ごとには鼻が効くくせに、儲けにならない事には尽く無頓着だ。特に支払いが絡むと途端に後ろ向きになる。


「エヴァン!千里眼で見えた!ドラゴンがいる!」

「マジか!?」


 千里眼って、いつの間にそんな高等スキルを手に入れた!?そういう大事なことは兄ちゃんにきっちり連絡してくれよ!


「まだ若い。緑色のドラゴンだ!怪我をしてるみたい」


 手負か!まずいな。ってか、そこまでわかるのか、千里眼。俺も覚えないと。


「アル、手綱を取れ!」

「ハイッ」


 アキレスの上で立ち上がろうとする俺を見て、さっと前方に移動して手綱を握る。これも手慣れたものだ。

 しばらく使っていなかったスキルだが、錆びてないことを祈って魔力を練り上げた。


「《ラッソ》!」


 開拓を始めた頃のフロンティア・スキルの一つ、投げ縄。


 野生の動物が多かったハイベック領は、未開拓の地がたくさんあって魔獣もさることながら、モンスターも野生動物も好き勝手に領土を荒らし回っていた。それを最初は鞭を使って調教していたのが、ある日投げ縄ラッソのスキルを手に入れた。魔力でできたロープは魔力の続く限り標的に向かって伸び、捕獲する。それが空であろうと水の中であろうと邪魔になる障害物さえなければ捉えることができる優れたスキルだった。


 投げ縄ラッソは見事にスカイの首を捉えて森への侵入を妨害し、俺の方へと誘導する。強い魔力を放つことで強制的に興味を断ち素面シラフに戻すと、スカイは慌てて旋回し俺に向かって急降下してきた。


「ぬおぉぉぉおお!?」


 だが急に向きを変えたせいか、それともすでにパニックになっていたせいか、王子は握っていた手綱を手放してしまい、バランスを崩して真っ逆さまに森へ落ちて行ってしまった。


「「ヤッベェ!」」


 二人揃って悲鳴を上げた。


「アル、言葉遣い悪すぎ!」

「それどこじゃないでしょ!」

「それもそうだ。スカイ!《フェチ》!」


 《フェチ》はいわゆる「とってこい」と命令するテイマーのスキルである。俺は投げ縄ラッソを解除して命令を出した。


 つまりスカイに向かって、ボール王子をとってこいと言ったのだ。


 スカイはまたしても向きを180度変えて、今度は王子を拾い上げるために森に向かって一直線に降りていった。墜落死をする可能性とドラゴンに遭遇する可能性は五分五分。落ちて来るところを飲み込まれたらそれでおしまいだが、そこまで運が悪くないことを祈った。スカイにとっても契約者が死ねば、それなりのダメージを受ける。本能でそれをわかっているのか、スピードも先ほどの比ではなかった。


 俺がそうしている間もアルヴィーナは手綱を握り、一瞬の躊躇もなく森へアキレスを走らせる。アキレスも『ガッテンだ!』とばかりにスピードを上げ王子の落ちた方向へ蹄を踊らせた。昔、厩のじいちゃんが言った「昔は空も飛んだ」というのは案外この辺から来てるのかもしれない。俺のいう事しか聞かないと思っていたアキレスだが、アルの手綱捌きにアキレスも不満はないようだった。


 さすがは俺のアルヴィーナだ。


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