第9話:報告書

 報告日がやってきた。


 宰相と約束をしたのは週に1回。最初の数週間は大して書くことがなかったのだが、王子ボンクラが騎獣ワイバーンを得てから報告することが随分増えた。


 正直なところ、シンファエル王子は言われるほどボンクラではない。


 確かに自分に(かなり)甘いし、勉強嫌いだし、頭悪いし、僻みっぽいし、飽き性だし、だらしが無いし、流されやすいし、おだてに乗りやすいし、フェロモンは異常値を叩き出すし、自己愛はナルシストレベルだし、すぐに無理だだの出来ないだのと喚くし、体臭は公害だし、貧乏ゆすりもするけれど。


 ……いや、やっぱボンクラか。


 だけど、根は素直だ。


 アルヴィーナの出来があまりに良すぎて比べられた弊害というか、自己顕示欲が強いのが性的に傾いただけなのでは無いだろうか。


 なんたってアルヴィーナは令嬢で、誰にでも股を開く様に躾けてはいない。俺の前ではパンツ丸出しだったこともあるが、それは子供の頃の話だ。国母になるべく(そんなつもりは元々はなかったが)貴族令嬢として正しい見本になる様に仕上げたから、隙がない。魔力も、頭脳も、体力も、全てにおいて(今の所)アルヴィーナの方が遥か上をいく。そのアルヴィーナと張り合おうとしたら、まあ、股間しか顕示欲を満たせるところがなかったという事か。


 あと、よくブツブツいっているのは、「男として守るべきものを見つけさえすれば、私は王太子になれるのだ」という言葉。あれはきっと国王や王妃、宰相あたりからのプレッシャーなんだろうな。


 まあ、その守るべきものを『アルヴィーナ』と考えたというのが王子の運の悪さだけどな。他の令嬢を選んでいたのなら――例えば例の侯爵令嬢あたりだったなら、『守るべきもの』の中に収まって、案外立太子されてたかもしれない。だとしたら、俺はこの国を出てた可能性が無きにしも非ずだが。


 あの事件が起こるまでは、王子がどんな人間だったかなんて知らなかったから、まだのほほんとしてたかも知れないけど。


 国の重鎮達がきちんと褒めて飴と鞭を使い分けていれば、あんなふうに極端にいじけることもなかっただろうに、ちょっと可哀想な気がした。出自は選べないからな。しかも親がちゃんと面倒見ていないんじゃな。王妃なんてどう見たってアルヴィーナを贔屓して自分の娘のように扱ってるし、王子として面目丸潰れだ。


 数日前、王宮でアルヴィーナと鉢合わせて立ち話をしていたら、王子が俺たちを廊下の先で見つけて、ものすごい形相をして睨みつけてきた。アルヴィーナが軽蔑した視線で睨み返したら、途端に弱気になって視線を外して逃げ出してしまった。


 こりゃ、先々思いやられるなあ。マジで義妹好みの男に仕立て上げれるのか心配になってきた。



「お兄様、あの猿・・・の調教はどんな塩梅ですの?」

「こらこら。王宮ではちゃんと敬称をつけなきゃダメだぞ」

「むぅ。わかりましたわ。では、王子殿下の調はいかがですの」

「アルヴィーナ?」

「……訓練はいかがですの」

「よろしい。殿下は最近ワイバーンを気に入られてね。空の散歩を楽しんでいるよ」

「まぁ!ワイバーンですって!?猿を煽てて空を飛ぶとは存じませんでしたわ。猿は木に登るだけで、飛ぶのは豚じゃありませんでしたこと?」


 聞いたことねえよ、空飛ぶブタなんて。魔物か?


 っていうか、義妹アルヴィーナよ。だんだんお前の方が悪役っぽくなってる気がするんだけど、大丈夫か。最近伯爵領にも帰っていないし、会う時間がなかったからな。侍女サリーたちにちょっと気をつける様言っとくか。帰ったらマカロンでも作ってやるかな。


 俺がちょっと引いていると、それに気がついたのかアルヴィーナは扇子を広げて口元を隠した。


「お義兄様、今度はいつ領地に戻っていらっしゃるの?わたくし、お義兄様の手料理が食べられなくて寂しいですわ」

「ああ、うん。これから宰相と会議があるけどその後、一旦帰る予定だ。明日は休みをもらうから、久々に領地を見て回ろうか?」

「素敵ですわ!でしたらわたくしも、お休みをいただきます!そうと決まったら明日の分の書類も整理してきますわ」


 ぱあっと花が開く様に笑ったアルヴィーナは、スキップをするかのように執務室に戻っていった。その仕事って、本来ならシンファエル王子がやるべきヤツなんだよな。


 1年の期限付きで、俺がシンファエル王子の再教育をする間、アルヴィーナは王子がするべき公務をという名目で王宮に毎日通っている。本当ならここで暮らしてもいいのだけど、王子妃の部屋とか絶対嫌、と固辞して伯爵領から通っている。とはいえ、瞬間移動で来るからあまり問題はないけど。


 さすがは俺のアルヴィーナである。伯爵令嬢の我儘が通ってしまうこの国、やっぱりやべぇんじゃねえかと思うこともあるが、細かいこと気にしていたら、俺の立場もおかしなことになるから、問い詰めないことにしている。




 ◇◇◇




「そうか、そうか。殿下にワイバーンを調教できる力があるとは分からなんだな」

「ええ。最近は庭の散歩より、空中遊泳を好んでおります」


 宰相は王子にワイバーンの専用騎獣ができたことをいたく喜んだ。ワイバーンは忘れっぽく気性が荒いので調教が難しく、なかなか契約を結べないせいもある。

 まさかフェロモンだけで手懐けたとは思っていないのだろうが、まあ、問題ない。アレと契約を結んだら、今度は王子の婚約者になる人間が危ないと思うんだけど。アルヴィーナなら大丈夫だろうが、ワイバーに勝てる令嬢っているのかな。


 青いワイバーン(メス)はスカイという愛称をもらって、シンファエル王子にデレデレ状態だ。やっぱ魅了とか持ってるんじゃないかな、あの王子。女なら誰でもいいとかありそうで怖い。俺は名前はワイコにしたらと薦めたんだがセンスがない!と白い目で見られた。


 余談だが、人間の男に負けた雄の2頭はすっかり仲良しこよしになって、お互い慰め合っているようである。ちょっとばかりやさぐれてる感じもするので、そのうちお見合い相手を見つけてきてやるべきか。伯爵領ウチの騎獣養成所に女の子のワイバーンが数頭いた筈。


「初めて飛んだ時は、笑いながらお漏らしをして空中で失神したんで、一時どうなることかと思いましたが、スカイがしっかり咥えて地上に降りてくれたので事なきを得ました」

「そ、そうか…」

「今のところ、王宮の上空のみ飛んでいますが、慣れたら少し遠乗りもしてみようと思います。慣れたところでハイベック伯爵領に視察ついでに行ってみようと思いますが、どうですかね?」

「ハイベック領か。ワイバーンでどのくらいかかる?」

「30分もあれば大丈夫だと思いますが。なんでしたら転移でもいけますけど」

「いや、あれに余計な魔法は覚えさせんでくれ。あちこちに転移陣を作られても敵わん」


 確かに。あっちの領、こっちの領で女性宅に上がられたら収拾がつかなくなるしな。まあ、その前に魔力が全然足りないと思うけど。


「最近スカイは王子からしか餌を食べないんで、朝は5時起きになりました。りんごや野菜に魔力を込めてもらって殿下手ずから餌付けているようです」

「ほほう。それは良いことだ。魔獣とはいえ責任感が増すだろう」


 スカイにとっては夫に甘えてる状態でもあるんだがな。ま、いいか。余計なことを言うと取り上げられてしまうかも知れないし。魔力は使えば使うだけ量も増える。元々楽器を鳴らせる程度の魔力しかなかった王子だが、今はまあその倍くらいになっている。


「それと最近は剣と護身術の練習も始めました。で、騎士団も同じ訓練をしたいと言ってるんですが、どうしましょうか」

「殿下と同じ訓練を?それは、こう言ってはなんだが簡単すぎないか?」

「俺…私もそう言ったんですがね」

「殿下の体力づくりのメニューは?」

「こちらにあります」


 俺は予め用意してあった月のトレーニングメニューを書き記したものを宰相に手渡した。

 簡単すぎて怒られるかもしれないが、何せ今まで何もしていない肉体だからな。


「どれ…。修練場のランニング、え?30周?懸垂100回?腕立て300回、腹筋300回、槍飛び100回……?この槍飛びというのはなんだ?」

「ああ。私が殿下に向けて投げた槍を飛びながら躱す、瞬発力と脚力を高める運動ですね」

「殿下に向かって、や、槍を投げる……?」

「刺さっても治すんで、万全ですよ」

「いやいや!刺さっても治すって、刺さるの!?」

「まあ、避けなければ刺さりますね、普通」

「いやいやいやいや!ダメだろう!それは!?」

「えっでも、アルヴィーナは6歳の頃に習得しましたよ」

「えっ!?」


 宰相は目をまん丸にして俺を見た。そんなに驚くことか?


「ああ、そうだ。身体強化の魔法は教えたので、使刺さっても全然大丈夫ですけどね」


 これを言い忘れてたら驚きもするか。失敗、失敗。


「身体強化の魔法…?それ、属性はなんだ?」

「えーと。無属性じゃないすかね。生活魔法の一端なので誰でも使えると思いますが」

「生活魔法…?庶民の技か。誰でも使えるものではないと思うが…」


 宰相は狼狽えて、また手元のメニューに視線を落とした。

 あれ?貴族って生活魔法使えないのか?まあ、メイドやら下働きが全部やるから、ってことか?使えれば楽なのにな。勿体無い。


「……槍飛び100回、腿上げ100回、縄跳び300回、スクワット100回…?あ〜…。ちなみにこれは全部、一週間のメニューなのか?」

「まあ、今月はそれくらいですね。慣れてきたら回数を増やして、あと、剣に慣れてきたらアクスに変えて、丸太切りを増やそうかと」

「ま、丸太切り?それはアレか?その、木こりの仕事では無いのか?」

「ああ、そこまでの量は切りませんよ流石に。丸太10本ぐらいに抑えようかと思います」

「待て待て待て待て!それは通常の人間の1日の仕事量じゃ無いだろう!?」

「えっ?伯爵領では一人100本くらい1日切ってますけど?」

「どこにそんな資材があるんだ!?」

「もちろん、魔法を使って成長促進を図っていますから自然破壊にはなっていません。林業は伯爵領の特産の一つでもありますし」

「いや、もういい。その丸太切りは専門に任せてくれ。うちの殿下が猿からゴリラになったらどうしてくれるんだ」

「……そこまで考えていませんでした。申し訳ありません」


 ああ。可能性は無きにしも非ずだった。ゴリラ化してフェロモン振りまくってたら、魔獣も寄ってくるかもしれないな。危ない危ない。丸太切りはナシ、と。


「こ、このメニューが毎週のメニュー…」

「あっいえ。これは1日にやるメニューです。今のところ筋肉痛がひどいので隔日ですから、週3日って感じです」

「……え」

「隔日で魔法の訓練と体力づくりを交互にしてますから」


 宰相は、次のページに目を通した。魔法の訓練だ。


「魔法…。ええと、ファイアーボール100回、ウォーターボール100回、ウィンドカッター100回、アースクエイク100回……!?」


 宰相の目玉が落ちそうなくらい、目を見開いた。ちゃんと場所は弁えてるから心配いらないんだけど。


「魔導士の修練場を借りて隅っこでやってますから、特に邪魔はしていませんよ」

「い、いや、これも1日の量?」

「そうですね。たまに侍女の仕事を手伝わせて頂き、洗濯水を出したり、シーツの乾燥も合わせていますから、これで廃嫡されても市井で生きていけると思います」

「いやいやいや!廃嫡予定まで組まんでもいいから!」

「ですが、もしアルヴィーナに気に入られなければ、廃嫡にすると陛下が仰っていませんでしたか?」


 あれ?宰相がそう言ってたんだっけ。王妃殿下だったかな?


「そ、そうだったか、な?」


 自分でも覚えてないのかよ。ボケたか?ま、誰も王子ボンクラには期待していなかったからな。


「そ、それで、シンファエル殿下はこのメニューに付いて行けているのか?風魔法しか使えないと思っていたが」

「まあ…今はまだ10分の1くらいですかね。ですが、のんびりしている時間もないので、スパルタで行こうと思っています。魔法属性というのは間違った認識です。魔力があれば大抵の魔法は呪文と適正、魔法陣で使いこなせる筈ですから。ああ、ただ闇魔法と聖魔法は別格ですが」

「えっ?」

「貴族の間では、何属性の魔法が使えるというのがステータスになっているようですがね、一般市民の間では生活に必要な魔法を覚える必要性に迫られますから、魔力さえあれば、水だろうと火だろうと使えますから。まあ、残念ながら識字率が低いので魔法陣や呪文も簡単なものしか扱えないんですけど」

「そ、そうなのか…?それは、正すべきなのでは?」

「私の仕事じゃありませんし?そのための魔導士団でしょう?」


 宰相は青ざめてしばし考えた後、顔を上げた。いや、また別の仕事押し付けられるかとヒヤヒヤしたぜ。このおっさん怖いからな。


「……殿下には、せめて三分の一くらいの量にしてやってくれないか?」

「アルヴィーナはこのメニューで10歳の頃には全部毎日こなしていましたけど?」

「そ、そうか…。だがな。相手は元々猿以下だったしな……」

「……そうですね。わかりました。ただその場合、期限内に義妹アルヴィーナの好みに育てるのは無理かもしれませんが」


 宰相は、汗ダラダラになって無言になった。きっと頭の中で天秤にかけているのだろうな。アルヴィーナを諦めるか、王子を捨てるか。ふふふ。さあ、どうする?


 その後の報告は、能力値を表したものを差し出し、体力・魔力のグラフと現在値、ヘチマブラシやローション、ヘアケアの補充数、不衛生から炎症を起こした皮膚病の治療の経過、体内の寄生虫の有無と治療、虫歯の治療と食事制限などを報告して終わった。


 王子にかかる食費が半分になったことに宰相の機嫌が上昇し、治療にかかった費用に青ざめ、全てを報告し終わった時には、宰相はげっそり10歳くらい歳をとったような顔をしていた。


 そして報告は毎週じゃなくて、毎月でも良いということになり(自分の心労を防ぐためだと踏んでいる)、やはりトレーニングメニューの采配は俺に任されることになった。天秤は、アルヴィーナに重きが置かれたようだ。廃嫡されないよう頑張れよ、ボンクラ王子。




 ◇◇◇



 エヴァンが去った後も宰相はシンファエルの報告書を手に、じっと俯いていた。


「これは、新たな王妃候補をあげた方が良さそうな気がする……。には荷が重すぎるだろ。騎士団でも取り入れたいというはずだ。こんな無茶苦茶な運動量を『準備運動』で括ってるようなスパルタ、耐えられる奴がいるのか?ああ、アルヴィーナ嬢がいたな…ははは」


 ちなみにこれは、午前中の準備運動で、午後は座学で「音楽」「テーブルマナー」(これはシンファエルの希望)、「歴史」「魔導学」「政治」「マネーマーケティング」「生活一般論」も取り組んでいることに宰相は気がついていなかったのだが、どちらにせよシンファエル王子の頭の中には内容が全く入っていかなかったので、エヴァンの教え損でもあった。


 エヴァンが来て、まだ1ヶ月とちょっとしか経っていない。


 シンファエルは確かに清潔にはなった。肌も髪もあるべき姿に戻っている。悪臭で倒れたり吐いたりする者もいなくなった。それでも王子宮に近づく者は少ないが。侍従長と侍女頭には泣いて喜ばれ、護衛騎士は踊り出す始末で、王宮内ではエヴァンの株が急上昇している。


 殿下の体も多少は引き締まったかもしれないが、どこか子供っぽさが抜けていない。「ああなりたい」「こうしたい」とわがままを言っているのもよく聞こえてくる。まだ16歳、されど16歳。王族として、16歳はもう大人でなければならないのだ。


「もう、アルヴィーナ嬢を女王にした方が良いんじゃないのか」


 なんて弱音を吐き出しそうになって慌てて口を噤み、言葉を飲み込んだ宰相でであった。

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