第6話:ボンクラ王子シンファエルの憂い2

 アルヴィーナが私の婚約者になって、初めての会合が城で開かれた。

 

 私は浮かれて何日も前から何をしようか計画を立て、甘いお菓子もたくさん用意した。

 気に入ってくれるといいな。

 あのビュッフェテーブルでたくさん食べていたから、きっと今日もたくさん食べるだろう。

 食べ終わったら母上のバラ園をエスコートして、楽団を呼んでコンサートを開いてもいいかもしれない。



 そんな甘い考えは、初日から崩れ落ちることになる。


 大雨だった。先週までいい天気だったのに、なんて運が悪いんだろう。

 日を改めた方が良いのかなと思ったが、せっかくあの美しいアルヴィーナに会えるのだし、城の中でもお茶会はできる。

 

 と思ったのに伯父上が来た。


「王子妃になるためには王子妃教育というものがあるのだから、アルヴィーナ嬢は遊びに来るわけではないのだよ」

「初日くらい、良いではないですか」

「これから6年のうちに王子妃としての教育を受けてもらわなければならないし、殿下が立太子されたら王太子妃としての教育もあるのです。一日とて無駄にはできません。殿下にも教育係が着きましたから、しっかり王太子としての心得を学んでください」

「お茶の時間くらいいいでしょう?」

「そうですね…。もちろん休憩時間はありますから、お茶を共にしたいのであれば、それまでに殿下はご自身の課題を終わらせてください」

「ええ……そんな」

 

 そうしてアルヴィーナ嬢は登城したものの、教育係に攫われて帰る間際の30分しか私との時間が取れなかった。


 そうしているうちに数週間がすぎて、久しぶりに時間を合わせることができた私は、剣技の授業をすっぽかしてアルヴィーナに会いに行った。


「ねえ、アルヴィーナ嬢。私たちは婚約者なのだから、もっとお互いを知る必要があるね」

「そう思うのでしたら、殿下。もっと精力的にお勉強をいたしましょうよ。今日の課題もまだ終えていませんよね?」

「勉強?いや……それより今日は天気もいいし、ピクニックに行かないか?」

「ピクニック?……それは森に行くということでしょうか?」

「森?いや、王宮の庭に四阿があるからそこで…」

「リンゴの木がありますか?」

「りんご?」

「キノコは?」

「きのこ?」

「毒草はどうでしょうか?薬草は?舌下蘭ぜっからんが我が領では見頃ですのよ。アレから取れる蜜はキラービーを引きつけて酔わせますの。そうしたら蜂蜜も手に入りますわね?」

「え?キ、キラービー?」

「まあ、この王国のどこにでもいる魔物でしてよ。森に入れば、そこら中にいますわよ?平民でも知っていますのに、ご存じありませんの?お手製の魔物図鑑を今度持って参りますわ。キラービーのハチミツはプルプルしたロイヤルゼリーの部分がお肌にも髪にも潤いを与えて、素晴らしいんですのよ。我が伯爵領ではお化粧品の新製品として開発中ですの。それに合わせて蜜蝋を使った保存紙の開発も進んでいまして、これで包めば鮮度が落ちないという謳い文句で……云々かんぬん」


 アルヴィーナ嬢の話は全くチンプンカンプンだった。


 リンゴからキノコになって、なんとからんの話からいきなりキラービーになってしまった。

 キラービーって蜂の魔物?危険なんじゃないの?

 ロイヤルゼリーってなんだ?


 ポカンとしていると、母上がやってきて、ロイヤルゼリーの話を詳しく教えて欲しいとアルヴィーナ嬢を連れていってしまった。


 なんなんだ?


 それからと言うもの、アルヴィーナ嬢が来ると母上が連れていってしまい、私との時間は30分以下になった。


「母上!アルヴィーナ嬢は私の婚約者です。連れいて行かないでください!」

「シンファエル。ヴィーナちゃんは王子妃教育、王太子妃教育、そしてお妃教育というものをこれから何年もかけてこなさなければならないの。あなたがもっと自覚を持って勉強をしてくれるというのであれば、ヴィーナちゃんの負担も少しは減ると思うのだけど?」


 ヴィーナちゃん?私はまだアルヴィーナ嬢と呼んでいるのに?


「な、…それとこれは別の話でしょう?」

「あなたもせめて、自分の妃を守れるほどの力をつけるべきだと思うのよ?」

「また剣の稽古の話ですか?」

「剣だけではなくて、魔法もそう。ヴィーナちゃんは剣も魔法も得意で水魔法、風魔法、火魔法を使えるの。あなたはどうかしら?」

「えっ……?わ、私は……」


 そんなにたくさんの魔法が使えるなんて。

 だって、アルヴィーナ嬢はまだ学園にも通っていない。

 なんで魔法が使えるんだ?

 私だって家庭教師からはまだ魔法の定義を学んでいるところなのに。


「わ、わかりました……。魔法の練習をしてきます」


 魔法なんて。

 使えればそりゃあ、楽しいかもしれないけど。

 日常生活に必要ないじゃないか。

 せいぜいハープを奏でるのに風魔法を使うくらいで、他にどこにも使うところなんかないのに。




「殿下!殿下は風魔法が使えると伺いました」


 次の日になって、朝からアルヴィーナが満面の笑顔で駆け寄ってきた。ああ、やっぱり可愛い。


「でしたら、薬草園の草取りをお願いしてもいいでしょうか?」

「は?」

「王宮魔導士の持つ薬草畑があるでしょう?先日の雨で雑草が異常繁殖してしまい、てんてこ舞いしているんですの。わたくしは沼地になってしまった畑の除水作業を手伝うので、殿下は雑草を風魔法で取り除いていただけませんか?」

「雑草?は?この私が?畑仕事?」

「魔導士の皆様も騎士団の皆様もお手伝いしているんですのよ。ここは一致団結して皆で取り組めば、あっという間に終わる作業ですわ!」

「ふ、ふざけたことを言うな!私は王子だぞ!」

「あら」

「そんな下々の仕事を、なぜ私がしなければならないんだ!気分が悪い!」


 私は腹が立って、アルヴィーナ嬢を残してその場を大股で離れた。

 私の魔力を馬鹿にしているのか。

 王子に向かってなんてことを言うんだ。父上に言いつけてやる。

 ちょっと可愛いからと優遇すれば、図々しいことこの上ない!

 騙された気分だ!


 あまりにも腹が立ったので、しばらく部屋をうろうろして気を沈め、落ち着いたところで父上に謁見の伺いを立てた。

 すぐに許可が降りて、侍従を従えて王の執務室へと向かう途中でふと薬草園が視界に入った。


 いや、それは薬草園ではなく、空に浮かんだ土がついたままの薬草株だった。

 目を丸くして身を乗り出して廊下から外を見ると、そこには数人の魔導士たちが魔法を使って薬草株を宙に浮かし、アルヴィーナ嬢が沼になってぐちゃぐちゃになった畑の土から水球をいくつも取り出し、火魔法で蒸発させ、土を柔らかな状態に戻しているところだった。


「な、なんだ、あれは…!?」

「ここ数日の雨で被害が出た畑を、アルヴィーナ嬢がお手伝いを申し出てくださったようです。伯爵領で同じようなことをしたから慣れていると仰っておいででした」


 侍従が、滑らかにそう告げる。慣れてるって、あんな大規模な魔法、嘘だろう?しかも水魔法って水を作り出すだけじゃ無いのか!?


「水魔法のコントロールが上手な方は、空気中から水分を取り出したり、体内に溜まった毒素を取り出したりも可能なんだそうですよ」

「た、体内から?」

「アルヴィーナ嬢はまだそこまでコントロールはできないけれど、兄はできるとおっしゃっていました。薬草から薬用分だけを取り出すことも可能なんだとか」

「兄?兄がいるのか」

「ええ。魔法は兄から学んだと」


 驚愕の視線を向けていると、地均じならしも終わったのか薬草が地面に戻っていき、魔導士達が歓喜の声をあげた。そしてアルヴィーナ嬢は「では次の畑へ行きましょう!」と魔導士団を引き連れて、和気藹々と次の畑へ向かっていった。


 なんなんだ、あれは。規格外だろ?規格外だよな?

 私は父上に文句を言う気持ちも萎えてしまい、そのまま部屋に戻ってふて寝をした。

 あんなの、敵うわけないじゃないか。

 父上も母上も、私にあんなレベルの魔法を期待しているのか。


 絶対無理だ。


 王宮の侍女たちが、アルヴィーナ嬢の美しさを噂する。

 騎士たちが、アルヴィーナ嬢は剣も扱えると騒いでいた。

 魔導士団が、アルヴィーナ嬢にぜひ手伝ってもらいたいことがあると、父上に伺いを立てた。

 私がやらないでほったらかしていた政務を、アルヴィーナ嬢が片付け始めた。





 アルヴィーナ嬢が、アルヴィーナ嬢が、アルヴィーナ嬢が。





「父上。アルヴィーナ嬢はたかだか伯爵令嬢なのに、皆少し褒め過ぎではないですか?」

「うむ、だがな。アルヴィーナ嬢はお前がやりたがらない仕事をやってくれているのだ。気に入らなくば、お前がその仕事をやるのが筋だろう?」

「っ!で、ですが。私にもやるべきことがたくさんあって」

「王になりたければ、後回しにせず任された政務をやりなさい。わからなければ兄上……宰相に聞けば良い」

「でしたら!父上に伺ってもいいですか。王は伯父上ではなく父上でしょう!」

「わ、わしにはわしの政務があるから、忙しくてな。お前の分まで面倒は見切れん。必要ならば文官の補佐をつけよう。家庭教師はどうした?帝王学の教師がおっただろう」


 そんなの、とうの昔にクビにしてしまった。

 小難しいことばかり言うし、大昔の歴史や座学ばかりだ。

 私が妃にやらせればいいと言った時、誰も反対しなかったじゃないか。

 私はもっと優雅ににこやかに速やかに私の思う通りにしたいのに、なぜ誰も彼もアルヴィーナ嬢ばかり褒めるのか。





 次第に、私がアルヴィーナ嬢を避けるようになり、学園が始まってしまった。


 学園は、華やかな生徒で溢れていた。制服があるから皆同じような服装をしているが、美しい令嬢がたくさんいた。

 なぜ、私のお茶会にはあんなに少ない人数だったのだろう。

 美しい令嬢はたくさんいるのに。ああ、そうか。高位貴族令嬢だけだったからか。

 私の結婚相手に、なぜ子爵家や男爵家ではいけないのだろう。同じ貴族なのに。


 それでも、アルヴィーナ嬢はその中でもダントツの美しさだった。

 久しぶりに見かけた彼女はサイドの髪を編み込んで後ろで束ね紅色のリボンを結んでいた。

 キラキラした新緑の瞳は夏になっても新緑のまま、若々しく瑞々しい色合いだ。


 私は王子なのに、まるで手に入らない孤高の花を指を咥えてみている気分になって、イライラしてアルヴィーナ嬢に近づいた。


「アルヴィーナ!私を無視して学園に登校するとは何事だ!」

「はい?」

「お、お前はこれから王宮に住んで、私と一緒に通学する。わかったな!」


 私の婚約者なんだから、私の言うことを聞いて当たり前だろう。

 なんでそんな冷めた視線を向けるんだ。


「お言葉ですが、殿下。私はあなたの婚約者になってすぐ、王妃様の勧めで王宮に住まいを移しております。すでに三ヶ月も経っていましてよ。わたくしと共に通学なさるのでしたら、あと1時間は早くお目覚めくださいませ。王子ともあろうお方が、始業時間ギリギリに登校するなど、恥ずべきですわ。率先垂範してくださいませ。それから親しき仲にも礼儀ありと言います。名前呼びならまだしも、お前呼びは受け入れられませんわ。改めてくださいまし」

「な、なんだと?」


 情報が多すぎて訳がわからない!


 えっと、すでに王宮にって、よく見かけると思ったら王宮に住んでいたのか。

 母上も誰もそんなこと教えてくれなかった!

 私は朝8時には起きているぞ!お前は一体何時に目覚めるんだ!?


 あと、恥ずべき行為と言ったか?始業より早く来ただろう!

 なんの問題があると言うんだ?

 そのソッセンスイハンとはなんだ!


「き、今日はおま……そなたを待っていたために遅くなったんだ!」

「まあ、そうでございましたか。それは失礼いたしました。わたくし、学園に入学して以来三ヶ月、朝は6時から騎士科の皆様とお稽古をこなし、その後で園芸部のお手伝いをしていますので、始業の2時間前には学園に来ていますの。殿下もご一緒にいかがですか?」


 だから何時に起きてるんだよ?!


「騎士科?男に混じって何をしているんだ」

「お稽古と申しました。走り込みや素振り、剣技の訓練ですわ。それに騎士科の皆様は、男性ばかりではありませんことよ?お城にも女性騎士の方がいらっしゃるでしょう?」


 そんなこと知らなかった。騎士は男で、女は侍女だと思っていた。


「こ、これからそれは禁止する!くだらない土いじりもなしだ!」

「殿下、それは横暴というものです。わたくしにも学園では共に学び、教育を受ける義務があるのですから立場は同じ。わたくしはこれでも殿下をお支えするために、妃教育も真面目に取り組んでおりますし、国のため役に立つことは全て覚えたいと思っているのです。


 殿下は、土いじりと卑下されますが、美しい花を咲かせるには土壌の手入れは大事ですし、美味しい野菜も土が悪くては育ちません。草木を育てることは一昼一夜ではできませんから、こうして毎日手入れをしなければならないのですよ。


 それは国についても同じことが言えます。『ローマは一日にして成らず』という言葉を賢者の書で読み、感銘を受けましたわ。人々に関心を持たねば、人々も関心を寄せません。お芋を…いえ、国を作るためには、こうした日々の努力が必要だということです」


 私も含め、周りにいた人間は皆ぽかんとした顔をした。


 何を言っているんだか、半分も理解できなかった。

 賢者の書?あの汚い字で書かれた本か。

 古語だと父上は言っていたが、いつの間に読めるようになったのだ?訳書でもあるのか?


は一日にしてならず』?なんの隠語だ?一日では馬を慣らすことは出来ないということか?

 確かに馬とは心を通じ合わせなければ、慣れることは無いだろうが…。


 そこで始業10分前のベルが鳴り、アルヴィーナ嬢は見惚れるようなカーテシーをして自分の教室へと向かっていった。

 周囲にいた人たちも一人去り、二人去り、私だけが取り残された。


 私が間違っているのか、それともアルヴィーナ嬢がおかしいのか。



『一人の男として守る者も持たずに、国を任せることは出来ない』


 伯父上の言葉が蘇る。


 あの女は守る価値などないではないか。私が男として守れる女性を見つけないことには、私はいつまで立っても王子のまま。子供のままなのだ。


 だから私は―――。




 扉のノックの音で意識が現実に引き戻された。


 入室を促すとそこには簡素な服装をした金髪の男が立っていて、夏の海のような美しい青い瞳が細められたのを見た。


 その手にあるのは、麻のような網のような細長い乾いた物体と美しいガラスの小瓶だ。白っぽい粉末状のものが入っている。


「さあ、まずは服を脱ぎましょうか」


 私の元に突如として現れた男を目の前にして、私は冷や汗と共に後ずさった。





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