第19話 過去と今

「湊。そうね、名前は湊にしましょう」


 ここはどこだろう。何で俺の名前を……?

 薄暗い明かりの中、ぼうっと周りの物が見える。どうやら部屋の中のようだ。

 一人の女性が俺を抱え、こちらを上からのぞいている。横にいるのは……親父だ。……ということはこの女の人は……母さん?

 嘘だろ。母さんは俺が小さいころに……。


「俺もそれが良いと思っていたよ」

「ふふっ……みんなに好かれ、多くの人がこの子に集まるような……そんな人になって欲しいな」


 母さんと思わしき人が呟く。

 ははっ……ごめん母さん。俺、友達いないんだよな……いや、何この悲しい連絡。


「でも、お前は人を引き付ける魅力があるからいいが……俺に似て、一匹狼みたいなやつに育ったらどうする?」


 親父が心配そうに尋ねる。


「ふふっ、その時はその時よ。でもね、どんな人でも生きていれば大切な人と出会うはずよ。私とあなたが良い例じゃない。……少なくてもいい、その人の心の安らぎになるようになるのなら。困っている人がいたら手を差し伸べ、苦しんでる人がいたら大丈夫だよって励ますような……そういう子になって欲しいの」

「……それもそうだな。……俺はお前と湊が安らぎだぜ」

「キャーあなたったら~」


 イチャイチャと子どもの前で何を見せられているんだ……。

 ……それにしても安らぎ……か。

 俺は誰かの安らぎになれているのだろうか。

 母さんが望むような人に……。


***


「湊……ぱーい」


「……かあさ……ん」


 あの後、勉強しながら机に突っ伏したまま寝てしまったようだ。

 目を覚ますとエプロン姿の神代がこちらを覗きこんでいた。まだ、朝早いからか眼鏡をかけている。

 ……って今俺なんて言った!?

 

「え……今私のことお母さんって……ぶふー!」

「ち、ちが! 違うからこれは!!」


 必死の抵抗を試みるがもう何をしても無駄だ。あーオワタ。


「ちょうがないでちゅねぇ~! みなとちゅわ~ん朝ごはんでちゅよ~」

「ああああああああああああああああああああああああ!!!!!」


***


「いやぁ~それにしてもさっきの出来事だけでご飯三杯はいけますね~。ま、今日はトーストですけど。先輩ジャムいります?」

「も……もう勘弁してくれ。ほんっともう勘弁してください……」


 食事中もこれでもかというくらいからかわれ俺のメンタルは残りゼロだ。

 死にたい気持ちになりながら、ジャムを受け取りトーストに塗り一口かじる。美味い。

 食卓には他にスクランブルエッグと焼きベーコン。また、横にはサラダなどが並べられていた。先に起きて作ってくれたのは本当に有り難いが、さっきの出来事でお礼を言うどころか、正面に座る神代の顔すらろくに見れない。

 

「ま、その哀れもない姿を見れて私も満足ですし……先輩がそこまで言うなら聞いてなかったことにしてあげましょう」

「ほんとお願いだからね!? もう泣くよ俺!?」

「先輩の泣きっ面見て喜ぶ人なんか私ぐらいしかいませんよ……」


 お前は喜ぶんかいっ!


「……それにしても夏とはいえ、梅雨が長引いてるせいか、まだ朝は冷えますねぇ~ホットミルクいります?」

「……欲しいです」


 もう威厳もクソもねぇな……。先生ならまだしも同じ年頃の女の子にお母さんは軽く死ねる。そして、転生してチート能力を……!

 って現実逃避をしても仕方ないか……。とため息を吐きながら神代からホットミルクを受け取った。

 神代もミルクを手渡した後、口をつけようとするが湯気で眼鏡が曇ってしまった。


「ありゃ」

「おいおい、しっかりふーふーしろよな……」


 ん? このやり取り以前にもしたような気が……。


「あ!」

「どうしたんですか?」


 思わず声を出す俺を神代は不思議そうに眺めていた。

 そうだ! 確か去年店で泣いている子がいて……眼鏡をかけた……顔はそうだな……例えるなら今の神代みたいな……あっ。


 脳の片隅に置かれていた記憶がフラッシュバックする。……そうだ、全て思い出したぞ!


 神代と俺は……バイトする前に会ったことがある!


「……神代。いきなりですまないが、アルバイトに来る前、俺のカフェに来たことあるだろ?」

「うっ、なっなんの話ですかね~気、気のせいじゃないですか?」


 この反応はビンゴだな。よし、次は俺のターンだ。


「やっぱりお前だったか…いや~あの時は店で泣いてる子がいてどうしようって焦ったものだわぁ~」

「な……泣いてないし! 欠伸してただけですもん!」

「いや、泣いてた。百パー泣いてた」

「う……うるさいですよ! せ、先輩も過去のことを掘り返すなんて女々しいんじゃないですか~? ママ怒っちゃいますよ~?」

「あっ、おまっ、さっきなかったことにするって……」

「撤回です。こうして争いというものはなくならないんですね……」

「……泣き虫」

「……マザコン」

「「……」」


 やれやれ、これでは両成敗だ。仕方ない。


「……ここはお互い手を引くってことでどうだ」

「……そうですね。傷口が開くだけです。争いは何も生みませんし」


「「……ぷ」」


 お互いに思わず吹き出す。ほんとくだらない言い争いだ。

 くだらないけれど……楽しいな。神代といると……っていや、何思ってんだ俺!


「でも、思い出してくれたんですね」

「へ?」

「いいえ~何でもないで~す」


 急にニヤニヤし出す神代。変なやつだな……と思っているとまだ礼を言っていないことに気付いた。


「そういえば神代、朝ごはんありがとな」

「ま、手軽な物ばかりですが」

「それに……誰かとご飯を食べるってやっぱりいいものだな」

「ふふっ、そうですね!」


 普段親父は朝いないし、いつもご飯を食べる時は一人だった。

 そして最近気づいたことがある。俺って神代といる時、割とお喋りなんだと。

 もちろん学生の朝は忙しい。そんなにゆったりと優雅な朝は送れないだろう。

 けれど、もう少しこの時間が続けばいいのにと思いながら、俺は温かいミルクに口をつけたのだった。


***

 

 時刻は七時半ごろ。

 ここからは俺も家に戻って、学校の支度をしなければならない。


「さて、今日はいけそうか?」


 玄関で靴を履きながら尋ねる。

 ぐっと伸びをして眠気を覚ます神代。


「少し寝不足ですが、何とか……いえ、何とかします!」

「健闘を祈る」


 軽く拳を前に出す。


「なんかこれバトル漫画みたいですね!」


 眼鏡をくいっとしながら、嬉しそうに神代は拳を当てた。


「ぜってー勝つ!」


 にっと満面の笑みで答える神代に俺も釣られて笑う。

 今の神代なら大丈夫だろう。なぜかは分からないがそんな気がする。

 ……さて俺も頑張らないとな。


 こうして俺達の期末テスト一日目が幕を開けたのだった。

 

 

 


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