第12話 恋の幕開け 後編
「あ、ありがとうございました~!」
カランコロンとベルが鳴る。
私がバイトを始めて一週間が経とうとしていた。
覚えることはかなり多く大変だが、学べることも多い。
お客さんを見送ると、様子を見ていた先輩が話しかけてきた。
「頑張ってくれてるな神代」
「ふふっ、当ったり前じゃないですか! このままいくとすぐに私、看板娘になっちゃいますね~!」
一週間一緒に仕事をしながら、所々探りを入れてみたけれど、先輩はやっぱりあの日のことは覚えてないみたいだった。
まぁ、一度しか会ってなかったし、そっちのほうが普通か……とか思いつつも、少し寂しいかな……なんて。
「だが、アルバイトっていうのはちょっと出来るようになった時が一番気抜けたりするからなー」
「分かってますって。気をつけますよっと」
「ほんと調子のいいやつめ……」
「先輩はちょっと心配し過ぎです!」
そそくさと私は注文されていたアイスコーヒーを二つトレイへと乗せる。
確か……これは三番テーブル……あ、あのおばさん二人のところか。
「お待たせしました~。こちら注文のアイスコーヒーで……」
一つ目のアイスコーヒーをテーブルに置こうと前のめりになったその時だった。
左右のバランスが崩れたことで、ぐわんと嫌な感触がトレイ越しに伝わる。
……あ、やば
ふと、時間がゆっくり感じた。その時、変に冷静になっていたのを覚えている。
ガチャンッ!!!
引っ張られるように残っていた方のグラスがトレイから飛び出し、茶色の液体はテーブルに飛び散り、お客さんの服へとかかってしまった。
「あら、どうしてくれるの!? 私の服が台無しじゃない!!!!」
「あっ……も、もうし……」
謝ろうとしたが、やってしまったという恐怖で上手く言葉が口から出ない。
ゾゾっと嫌な汗が背中をつうっと落ちていくのを感じた。
「ほんとっ! 今の子ったら謝ることも出来ないのかしら!!!」
「そうね!! 嫌になっちゃうわ!!」
もうこのころには冷静でいられなくなってしまい、私はその場に立ちすくんでいた。
なんとかしなきゃ。なんとかしなきゃ。なんとかしなきゃ。
その時だった。
「大変申し訳ありませんでした!」
先輩だ。握られていたタオルをお客さんに渡すと言葉を続ける。
「お洋服は後日、こちらでクリーニングに出させていただきます。もちろん今日のお代金は頂戴いたしません。この度は申し訳ありませんでした」
「ほんっと、せっかく久しぶりに友達と会えて楽しい時間を送っていたのに……台無しだわ!」
「そうねぇ!」
「申し訳ありません……」
私はただただ突っ立っていることしかできなかった。
***
入口とは反対の方、キッチン側にもう一つ扉がありそこの裏口を開けると、二階の休憩室へとつながる階段がある。
私は外の空気が吸いたかったのもあり、休憩室の前の階段でぼうっと座っていた。
あの後、私は相当パニックになってしまい、先輩は私の気持ちを落ち着けるため、少し休憩することを提案してくれたのだ。
……やってしまった。せっかく先輩の役に立てると思ったのに。本当に情けない。
あぁ、また泣いてしまう。ほんっと泣き虫な自分が嫌になる。
するとガチャリと下の扉が開く音がした。あ、先輩だ。
「よっ」
そして相変わらずのプラプラとした足取り階段を上り終えると、私の横へと座った。
「先輩……お店は……?」
「あぁ、構わんさ。さっきのお客さんも帰って、今お客さんいないし。少しくらいあけても……ほらよっ」
何か手渡される。ほんのり温かい。
「あの……先輩……これは?」
「いや、見ての通り缶コーヒー。下の自販機で買ってきた。うちのコーヒーでもいいが……先輩が後輩を励ます時は缶コーヒーって
「古のころに缶コーヒーないです……」
「ふっ、そうかもな」
ぷしゅっと缶を開ける音が同時になった。
いけないいけないと涙を拭く。さっきのこと謝らないと。
「その……さっきはすいませんでした。失敗しちゃって……まだまだなのに調子に……」
「ああ、構わん構わん。っていうかつい最近始めたばかりだろ? 失敗はつきものだ。そんなに気にしなくても良いと思うが」
「で、でも先輩まで……その怒られちゃったし……」
「はは、気にすんなよ。怒られるのとハブられるのは慣れてる」
「さらっと悲しいこと言わないでください……」
どや顔をする先輩に可笑しくなって思わず笑ってしまう。
ほら、いつだってこの人はこうだ。
落ち込んでいる人を放っておけなくて……ほんとずるい。
「それにお調子者の神代の事だ。二カ月後くらいには『結構私も仕事出来るようになりましたよね~。いやぁ、私飲み込み早いからなぁ。流石私!』とか言ってる気がするわ」
「いやいやいや! そんなこと言いませんって!」
「言う」
「言わない!」
なんだか子どもの喧嘩みたいだ。っていっても高校生もまだまだ子どもか。
お互いにひとしきり笑った後、コーヒーをちびちび飲みながら少し話す。
先輩がアルバイトを始めた時のことや、行ってみたいカフェ……などなど。
先輩が大戸高校出身と知った時もこの時だった。先輩は面接の時に分かっていたらしいけれど。
そんなことを繰り返していたら、段々と気持ちも穏やかになってきた。
「……っともうこんな時間か。流石にそろそろ行かないとな。落ち着いたか?」
「はい、大丈夫です」
「ならよし」
パンパンとズボンをはたき、腰を上げる。
また、私は先輩に助けられてしまった。
そういえば、いつかのこともまだお礼を言っていない。
「ん? どうした?」
先輩は不思議そうに私を見つめる。
勇気を出せ私! ぐっと袖を握る。
「あ、あの……恥ずかしいので一度しか言いませんから……ちゃんと聞いてくださいね」
「……お? なんだ?」
「先輩……いつもありがとうございます」
「お、おう……でもいつもって……まだ一週間ぽっちだろ? そんな世話した覚えは……」
「いや、いつもです。……かっ感謝してるんです! 有難く受け取ってください」
恥ずかしくて死にそうだ。思わず私はそっぽを向いてしまった。
……でも、言えた。
「ん……まぁ、いいが……。なんか変なやつだな神代は。ま、面接の時から変なやつってことは分かっていたけれど」
「も~! 何を~! 先輩だって……そのえっと……んーっと……、ばーか!」
「ボギャブラリー小学生かよ……」
呆れながらそう言った後、先輩はぐっと伸びをした。
「……終わったら賄いのケーキ食いてぇな」
「ふふ、いいですね!」
「だろ?」
ニヤリと笑う先輩。
その後、まるでサラリーマンみたいに私達は腰に手を当て、コーヒーをゴクゴクと飲み切った。
「じゃ、後半頑張るか!」
「はい!」
あーあ。……ほんとこの人には敵わないや。
***
「……って言う感じなんだけれど……」
「……」
ぽかんと口を開ける絵里。あれ、どうしたのかな?
「あれ……絵里……? おーい」
「……やんけ」
「へ?」
「アオハルやんけえええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!!!!!!!!」
「ちょっと絵里、うるさい」
「は?? は?? もうそれ尊敬だけじゃないって!! 一歩手前まで来てるって!! 真鳳話してる時凄いにやけてたし!!」
「だから違うってば! 本当に! もう、今日私バイトだから! じゃ! また明日!」
「えー! 話し終ってなーい!」
そそくさと問われる前にカバンを肩にかけ、教室を後にする私。
途中、先生に注意されたような気がされたが、聞こえないふりをした。
先輩のことは……尊敬している。これは本当だ。(直接は言いたくないけど)
……でも絵里が言うようにそれだけじゃない他の気持ちがあるのも確かだと思う。そして、その思いはこの二カ月でどんどん大きくなっていってる気がする。
……じゃあ、一体この気持ちにはどんな言葉がつくのだろう。
この時の私にはまだ分からなかった。
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