第10話 恋の幕開け 前編

「……う~ん。今の状況からだとかなり厳しいな……」


 夕暮れに照らされる放課後の教室に響く声。

 私の担任の男性教師が資料をパラパラと見ながら、私に一枚の紙を差し出してきた。


 夏ごろに受けた模試の結果だ。

 見たくはないけれど、ゆっくりと視界をそちらへ向ける。

 判定には『E』と書かれていた。もちろん一番希望が薄い。

 合格確率は二十パーセント未満。


 納得がいかなかった。

 どうして、自分は頑張っているのに。


「……少し他の選択肢も考えた方がいいかもな」


 多分先生にはそんな気はないと思うけれど、それは遠回しに『お前は諦めろ』と言われている気がした。

 私は面談中、幾度も涙を落としそうになったが、何とかスカートの裾を力いっぱい握りしめ踏ん張ることができた。

 

***

 

 重い足取りを何とか前へ前へと運びながらも、今日はもう少し家には帰りたくなかった。

 時間を潰す様に気を紛らわす様に、色々なところを寄り道をした気がするが、まったく覚えていない。


 気が付くと、普段はあまり通らない商店街に彷徨っていた。

 何も考えず歩いていると、角のほうに一つのお店があった。


 少しアンティークな雰囲気があり、中をちらりと覗くとまだお客さんはいないようだ。

 少し分かりにくいが外に設置されているメニューを見る限り、カフェらしい。


 すると、急にどっと疲れが押し寄せた。きっと無心でかなりの距離を歩いていたからだろう。

 

「少し……休憩しようかな」


 そして、私はカラカラリンとベルのなるドアを開け、吸い込まれるように店の中へと入って行った。


***


 店の奥の方の席に案内され、椅子に座っても中々注文を取る気にもなれなかった。

 さっきの面談で言われたことが思い返され、ぐさりと心をえぐっていたからだ。


 私は元々勉強が出来るというわけではない。

 でも、それなりに……報われても良いと思えるくらいには努力しているのだ。


 それなのに結果は思うように出ない。


 ……どうして、みんなと同じくらい頑張っているのに。

 考えたくないと思えば思うほど、意識してしまい、気がつけばスカートの上にポタポタと雫がにじんでいた。


 ダメだダメだ。こんなところで泣いちゃうなんて。

 袖で目を擦っていたその時、ある男の人がまだ注文をしていないのに、ことりと飲み物を置いた。

 さっき案内してくれた人だ。

 少し背が高く、ちょっと目キリっと鋭いのが特徴的だった。


「え?」

「今日だけだぞー」


 中学生でお金がないと勘違いされたのだろうか。

 思わず、カバンから財布を取りだす。


「あっ、あの! お金ならあります!」


 すると、その男の人は呆気にとられたような顔をし、急にクスクスと笑った。

 ……何が可笑しいのだろう。


「いいよいいよ。まだ親父いないし、サービスだよ。サービス。君、さっきから元気なさそうだし」

「え、でもそんなのいけないです! 待っててください今お金を……」

「あっ、言い忘れてたけれど鼻水ついてるよ」

「え? 嘘。ほんとですか?」

「いや、嘘」


 思わず顔が赤くなる。信じて鏡取り出したのに!

 なんだこの人、私のことをバカにしてるのかな? 

 そんなことを考えていると、急に遠慮しているのが馬鹿馬鹿しくなってきて、私もサービスに甘えることにした。

 

「うちのコーヒーは苦いのが苦手な子どもでも飲みやすくて評判なんだよ」

「……子どもじゃないもん」

「そうかいそうかい」


 相変らずにケラケラと笑うその人になんだかヤキモキし、私はそっぽを向く。


「ま、あったかいうちに飲んでくれ。落ち着くぞ」

「……いただきます」


 一応感謝の言葉を口にし、カップに手を取ると、香ばしい香りがした。

 ふーふーと口で風を送る。


 ……もう、大丈夫かな?

 けれど、コーヒーはまだまだ熱く、蒸気で眼鏡が曇ってしまった。

 その様子を見ていた男の人はまた吹き出す。


「……ぷぷ、めちゃくちゃ曇ってるじゃん。ちゃんとふーふーしなよ」

「し……しましたよ! 熱いんだから仕方ないじゃないですか!」

「そっかそっか。なら仕方ないな」

「そうです! 仕方ないんです!」

「「……」」

「「ふふふっ」」


 お互い少しの沈黙の後、私もなんだか可笑しく思ってしまい、思わず吹いてしまった。

 ……なんだこの人。ほんとに調子狂うなぁ。


「やっと、笑ってくれたな」

「そのセリフ言ってモテるの少女漫画の世界だけですよ」

「誰が彼女歴ゼロの根暗だって!?」

「いや、そんなこと言ってないですよ……」

「誰が彼女おろか友達もいない奴だって!?」

「だから聞いてないですって……」


 呆れながらもすっかり涙は乾いていた。

 仕切りなおす様にずずずっとコーヒーを一口、口に含む。

 この人が言ってるようにそれほど苦みが無く、ほんのり甘い上品な味わいだ。

 今まで飲んできたコーヒーで一番美味しいかもしれない。

 男の人は私が飲んでる様子を満足気に眺めていた。

 それにしても……ほんと何なんだこの人は。

 でも、元気づけようとしているのは伝わってきて、それが可笑しくって。

 

「……ざいます」

「なんて?」

「ありがとうございますって言ってるんです! ばーか」

「お礼とチクチク言葉同時に言われたのは初めてだわ……」

「お得ですね」

「どこがだよ」

 

 またクスクスとお互いに笑った。

 その後もあれやこれやとお喋りしていると、カラカラリンとベルが鳴り、荷物を持った男の人が店内へと入ってきた。


「店番ありがとな~《みなと》」


 なんかサングラスをかけててかなりダンディだ。さっきの会話からするとお父さんだろうか。


「はいよ~。……じゃ、俺もそろそろ仕事に戻るわぁ。今日は客少ないし、気のすむまでここにいてくれて構わんぞ」

「……言われなくてもそのつもりです」

「そうかいそうかい」


 少し微笑みながら私は返事をし、男の人は相変わらずケラケラと笑う。


「今はゆっくり休んでいきなー。そんで、また立ち上がればいいんだ」


 こちらを向きそう言った後、その人はプラプラとした足取りで奥のキッチンの方へと行ってしまった。


 また、立ち上がる……。

 そうだ、何度転んでも立ち上がればいい。

 何を弱気になっていたんだ私は。そんなの私らしくない!

 絶対に諦めてなんかやるもんか。

 その人の言葉が胸に刻まれたような気がした。


「……みなと……って言うんだ。名前」


 ボソッと呟いた後、コーヒーに口をつけながら、気づいたら仕事をしているその人のことを目で追っていた。

 

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