蓼喰ふ虫

谷崎を知ったのは確か上京の前後だったように思う。


ゴールデン街に構える文壇BARなる場所で大学生に薦められたのだったか、webサイトの知人に影響されたのだったか。ともかく、その辺りのはずだ。

あやふやなのはこの時分、東京への夢に期待を膨らませていたのと、出てきた際は完全にお上りさんとなって浮き足立っていたからである。確か五年前くらい。随分昔のように感じるな。



それで、最初に読んだのは痴人の愛だった。鉄板だ。この作品からナオミズムなんて言葉が生まれたそうだが、割と現代的な価値観には合う主義のような気はする。性に奔放なところ以外は。



痴人の愛を読了後に思った事は、率直に馬鹿な男だなぁという主人公に対する感想と、谷崎の持つ艶やかな文体への心酔である。

作中生々しく書かれるナオミとの関係は不純以外に表せないが、主人公の目と心情から伝わる昂ぶりや執着が読んでいる俺を倒錯させ、思わず生唾を呑む。自由奔放な魔性の女、ナオミに対し苛立ちを覚えながらも、肉体的な、あるいは精神的な女の性に、情動が動くのだ。


この作品は凄い。いや、ヤバい。あらすじだけ読むとしょうもないのに、どうしてこんな背徳的なんだとかなりの動揺を覚え、よし、別の作品にも手を付けてやろうと思えた。

そうして選んだのが、蓼喰ふ虫だった。



同作は離婚直前の夫婦の話で、妻の方は既に他の男と夫公認でくっついている。しかし子供がいるため中々踏み切れず、だらだらと日常を過ごしているというのが起となっている。


この設定。谷崎の実体験がモデルとなっているといわれていたが(細君譲渡事件などと呼ばれているそうだ)実際には別の似たようなでき事を作中に落とし込んだものらしい。こんな凄まじい話が二つもあるとか昔の人間は頭おかしい

のかと乾いた笑いが出る。


で、作中、二人は色々あってようやく離婚を切り出すわけだが、そこからラストまでの数ページが個人的は本番。情事の始まりが、息が止まりそうな程の艶かしさが、最後の最後に記されて、そこで物語が終わる。



本を閉じ、俺は思った。欲望や感情を余す事なく数多の表現で書くと、傑作が生まれるんだなと。


これまでやってきた事。悩んでいた事。考えていた事。不安。辛苦。愛情。諦観。夢想。全てが無となり、現実がひっくり返って刹那に呑まれる。こんな事されちゃあもう駄目だよ。感嘆しかない。どれだけ道徳を歩んでいたとしても、男として理解できてしまう結末はカタルシスとフラストレーションが同時に襲ってきて言葉が出なくなる。人間の内にある泥のような心理を解放させつつ閉じ込めてしまう筋書きは芸術性すら感じ、ただただ、圧倒。美というのは、人の欲から出るものなのだろうか。恐ろしいものだ。



俺も内に秘めたリビドーを文学として表現できるよう言葉を集めていきたい。いつになるやら見当もつかないが。

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