ハッピーエンドのその先は

滝野遊離

本文

 彼女は空に飛んでいた。――否、空に向かって”落ちていた”のほうが正しそうだ。正しく重力加速度で、上向き鉛直を正として落下運動をしていた。そして、当の彼女は呆然としていた。それも仕方が無いだろう。学友と帰路で談笑していただけなのに、突然空に向かって体がふわり、だ。ふわりどころの騒ぎでは無いだろう。パラシュートも無しにスカイダイビングをしてみるといい。それでも彼女は飛び続ける。もうすぐ雲を突き抜けて、空気が薄くなるころだ。彼女もなにかしらかの覚悟を決めたのか、ふっと息を止める。雲の中だ。知識として雲は水蒸気だ、と知っていても疑ってしまう人も多いのではなかろうか。確かにこれは何の衝撃も起こさずに通れた。だが、通り抜けたとは言っていない。まだ、彼女は真っ白な水蒸気の粒に覆われているのだ。

 雲を、抜けた。そこには花畑が広がっていた。かなりの勢いで落ちてきた彼女は、そのまま花園に突っ込んだ。土に埋もれてしまいそうな勢いだったのに、「いてて……」とだけ発して花に囲まれていた。暫し彼女は周囲をきょろきょろと見ては考えるような振りをして、自分のポケットには何が入っているのか確認をしていた。そしてようやく、「ここは、どこなのか」上とを見上げながら、そう呟いた。

「やあやあ美しい少女、ようこそ我らが庭へ。こちらは潤沢な空気。地上と同じくらいの酸素濃度になっているはずだし、気圧も間違っていないはず。そう、ここは殆ど地球。それに生物が生存するための最重要資本なんだから敬ってあげてほしいな? そしてこちらは花。我らが孤島の象徴であり、産業であり、住民であり、住居である花。そう、美しい少女――君のことだよ――が落ちてきた場所の子たちは大丈夫かな。ところで美しい少女は、名をなんというのか?」

 すうっと彼女の影から現れた、前腕ほどの大きさの少年は長々と台詞を吐いた。花びらに坐れるほどの小ささの割には声は大きく、彼女が聞くことには不便しなかった。

「私は、花菜っていいます。あなたは」

「僕はリラ。呼び捨てで構わないよ」

 リラと名乗る、文字通りに小さい少年は空中をくるりと回った。一つ一つの動作がリラの顔の良さとサイズのギャップを引き立て、とても可愛らしい、格好いい、美しい、麗しい。

「疑問に思っているだろうからお答えすると、僕はこの花園に生きる妖精。花を住処とし、花の副産物を頂いて、他の孤島や地球面との交渉材料にして生計を立てているんだ」

 ふうんと花菜は頷き、唐突に髪の毛を解いた。ひらりと広がる彼女の髪の毛は、もはや幻想だった。

「それで、なんで私はここにいるの?」

 長い、それこそ腰までは優にある髪の毛を見せたのも、威嚇のためだったようだ。

「それはな、話すと長い理由がある」

 明らかに狼狽えながら、リラは思考を整理しているようだ。いきなり少女が空に落ちたのだから、流石に理由くらいなくてはおかしい。理由もなかったら、空に落ちてしまった、これが本物の堕天ってやつですか、とコメディ調子に受け取るしかない。彼は、花粉を指先に取ったり弾いてみたりした後に、すっと前を向いた。

「申し訳ないが、適切な説明は不可能だろう。僕が予想したところによると、もしも完全なる説明を求むのならば悠久のときが流れてしまうだろう」

 花菜から長い溜息が溢れ出る。まるで、小学校高学年女子が、馬鹿な男子を蔑むような溜息。

「それで、私が帰れる見込みは」

「ごめん、それはないや」

 先程の返答とはちがい、ノータイムで返事が帰ってきた。一度また、ゆっくりと息を吐ききった彼女は、ここに来て一番の強い表情でこう述べた。

「じゃあ、ゆっくりでも、まとまらない言葉でもいいから。悠久の時なんてものが流れてしまうのならばそれでもいいから。私がここにいる理由を説明してほしいです」


「それで、やっぱりよくわからなくて、それで、」

 リラが五歳児のように、小さな声でつながりの多少欠けた話を言う事に、花菜はうんうんと、こちらも五歳児を扱うかのように相槌を打っていた。

「つまりはこういうこと? 私は花の副産物の中でも高級な〝新しい昔話の主人公〟にされるためにここによばれて、その話のもととなる伝説を作るべきってことですか」

「だいたいあってる」

 苦悩の五歳児介護がようやく終了した歓びか疲れか、彼女は花畑の上に倒れ込んだ。

「あれ、それ帰れそうじゃん」

「それは無理」

 悪びれるかのようにはにかみ、重い言葉を軽く伝えた。

「だって帰す方法わからないもん」

「探してよ、私が帰る方法を。それで十分にドラマチックになるんじゃないの?」

 それから二人は、花畑の中で遊び呆けているように見えた。

 月は昇りて日は沈み、夜の帳が下りたころには、二人はすやすや寝入っていた。花畑の布団の上に転がって、小さな光球が飛び交い、それに身を囲まれている様子は幻想としか言えなかった。


 翌朝、と言うには陽は上の方にあるころ。二人は、この島の中心にある大木を訪ねていた。ここで一番古い記憶が分かるのはここくらいのものだ。彼女はラベンダーに類似した花を束ねつつも、彼のことを心配しているのだろう。じっと彼を見つめて、手元を狂わせ何度も花を落としている。

「なにかわかったの」

 彼女は、樹の下の草むらに倒れ込んだ彼に話しかけた。

「何も。とりあえずはどうにもならない」

 じゃあどうすればいいのと目で訴えかける彼女を恐れ、慌てて付け足した。

「物語を作ろう。誰もが楽しい物語を」

 その当時は、それが最善と考えられる策だった。


 それからまた幾日も経った或る日のこと。二人はいつものように、花園の横に作ったベンチで日向ぼっこをしていた。太陽も見えないのに明るく、ぽかぽかとした春の陽気が伝わってくる。花冠を編む彼女と、花を摘んでくる彼。二人の周りにはこの光よりも暖かく柔らかな空気が広がっていた。

「もう帰るとかそういうの、疲れちゃった。ここだっていい場所だし、美味しいものもあるし、もう帰らなくたっていいんじゃないのかな」

 編みあがった小さな花輪を彼の頭に乗せて、彼女は空を見上げる。真っ青で、雲一つない。彼女が来てからこの気候は変わることが一度もなかった。

「その言葉を、僕は待ってたよ。やっぱりこの物語は『僕も君も、永遠に幸せでありましたとさ。』で終わらせるべきだと思っていた」

 ぐぐぐと背伸びをして、彼の花冠の位置を修正する。

「じゃあこれで私たちはハッピーエンド、か。そしたら何して生きていけばいいんだろうね」

「とりあえず物語を書いて、また幸せに暮らせればいいと思う」

「もう現実に戻りたいとかなくなっちゃったしな。ま、花で遊ぼ」

 二人は笑いあって、花畑の真ん中に飛び込んだ。


 それから二人は、幸せに暮らしたとさ。

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ハッピーエンドのその先は 滝野遊離 @twin_tailgod

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