よろめき

マニマニ

第1話


 イヤホンを耳に突っ込んでぶらぶら歩く。人生でそう沢山も出すことにはならないコレクションのランウェイを夢想すると足取りも軽やかだ。良い音楽、良いモデル、良い服、固唾を飲む観客、最後に現れて余裕ある笑顔でお辞儀をする俺。祝祭めいた妄想だ。

 ステップを踏んで歩を進めると遠くから演説が聞こえて来る。踊りながら彼らの前を歩くと1人また1人と後ろについて来る。イヤホンを挿した耳には彼彼女この人たちの歓声は水の向こう側のように遠い。踊りながら俺は堀を渡り門をくぐる。赤いスニーカーは女の子の履くダンスシューズのように俺をステップから逃がさない。イヤホンから流れる音が俺の体を自在に操る。腕を伸ばし、脚を伸ばし、仰け反ったり丸まったり跳ねたり転がったり……。カタツムリの背中の貝のようにぐるりと小高い丘を通って城へと向かう。

その道すがら、俺の後ろで踊る人々は1人また1人と前へ躍り出た。俺を追って踊っていたのにそんなことを忘れたように好き勝手に踊り続ける。俺は先頭から徐々に後ろの集団に紛れ始めた。前には踊り狂いながら進む人々が、後ろには橋に収まり切らずに堀へと落ちる人々がある。どこを向いても人人人人。赤いスニーカーは赤い靴のような魔性のダンスシューズではなく、もはやピクリとも動かない。疲れ果てた体を抱えて呆然と辺りを見回すだけになった。

上を見上げれば先頭が天守閣の天辺にたどり着いた。瓦を蹴り落としながら踊り狂うそいつは届くはずがないのにこう言った。

「小原泰史、お前のせいだぞ」

ヒッと喉が張り付いたと同時にそいつはてっぺんから飛び降りた。落ちていく様はなぜかはらりはらりと舞うようだった。それを皮切りに1人に、またひとりと天守閣から飛び降りる。それを見た人は驚喜とも取れる声をあげて城へと向かう。気がつけば蟻が集るように人がみっしりと城に張り付いて、ぼろぼろと飛び降りてゆく。それを見て興奮した群衆はまた城へと駆け寄り、蟻山の1人になる。その繰り返しだ。きっと本丸のあたりには死体が散らばっているだろう。落ちてきた人に当たって動けない奴らを踏み潰してみんな天守閣へと群がる。断末魔と肉が地面に当たるぐじゃ、という音があちこちから聴こえている。半狂乱の俺は二の丸三の丸と駆け降りて堀に架かる橋へと走った。すれ違う人はみなこう囁くようだった。

「お前のせいだ」「お前のせいだぞ」「お前が悪い」「お前の責任なんだ」「お前のせい」「お前のせい」「お前のせい」

俺は踊っていただけで、俺は夢をみていただけで、俺は演説を無視しただけで、別に何にもしちゃいない。

俺は生きていただけで、今も生きたいだけで、無我夢中で逃げている。俺が始めたことに勝手に暴走したのはお前らじゃないか。俺のものなのに俺に諦めさせたのはお前らじゃないか。言いたいこと死ぬほどあるが、まずは今死なないことが先決だ。逃げろ逃げろとイヤホンから聞こえて来る。赤いスニーカーはすぐに泥に塗れ、血に塗れ、キャンバス地から靴下を汚しじっとりと足を湿らせる。橋を渡れ、渡ればこの城から逃げ出せる。堀を見るな、あそこは人を飲み込んでなお腹を空かせる、人から生まれた魔の川だ。逃げろ逃げろ逃げろ!


 木の橋から硬いアスファルトを踏みしめるとあたりはすっかり夜になっていた。落ちる人々をはっきりと見せた青空は、あれは何時の話だ?手元の時計をそういえば俺は見なかった。俺は確かに昨日ここを通って、繁華街の駅までタラタラ歩き、途中でケイを見つけて「よお飲みに行こうや」なんて肩を組もうとしてやめたはず。あいつの隣にいた男が嫌に媚びた仕草をしていて、興が削げたんだっけ。なんだよ、そういう感じかよって。待てよ、それは昨日の話。じゃあ今は?

月末の山積みの業務に追われてやっと落ち着いたのが昨日だ。時計のカレンダーを確認、いや今日だ。それは今日だ。スマホを確認、やはり今日がその日だ。

なんだったんだろう、とふと天守閣を振り仰げば変わらぬ静けさでそこに佇んでいた。混乱しながら歩くうちに、だんだん昨日ケイを見かけたのは見間違いだった気もしてきた。そう、今日は大変だったんだ。月末業務も大詰めで、へとへとの脳のまま電車に乗るのは嫌だった。兎にも角にもタラタラ歩き、繁華街から電車に乗ろう。

前方の曲がり角から見慣れたロングヘアが現れた。程よく鍛えた、アンニュイな雰囲気をした男と一緒だ。ロングヘアことケイが好意を寄せられている時の反応はわかりやすかった。ちょっと媚びた雰囲気があって、気に入られようとしている相手に対して同じだけの熱量で返せるものがなくて困ってしまう。今回は違った。数日前、お前が好きになった相手以外の申し出を受けるなとしたり顔でアドバイスしたのを思い出す。

「ケイ!」

ぱっとケイが振り返る。俺を見つけて微笑み、そしてバツの悪そうな顔をした。隣の男が不思議そうに振り返る。ああそうか、違う名前で呼ばれてんのか。

「友達?」

男がケイに訊く。綺麗にマスキングした嫉妬と下心を感じた。なるほどね、分かってきたぞ。

「そうそう、学校一緒だったんすよ」

えっと、と口籠るケイに助け舟を出す。こいつは全部説明したがるところがあっていけない。

「そっか、辰哉です。よろしくね」

「小原です。オバラヤスフミ」

「ジュンと飲もうかってとこなんですけど、小原さんもどうっすか?」

「あー、俺今日あんま寝れてないんで辞めときます。またジュン経由にでも誘ってください」

残念、と微笑む辰哉くんは何かとスマートな雰囲気で、ケイはにこにこと立っている。しっかりしろよな。

「どこ行くの?"楽"?」

「あーうん、そのつもり。また連絡する」

「あそこ美味いしな。また今度!」

バシッとケイのケツを叩いてにかっと笑ってやる。うん、と微笑むケイが何ごとか言ったように聞こえたので耳を近づけてやる。

「お前のせいだからな」

「え?」

「だからお前、忙しいもんな、月末」

「あ、うん」

空耳が先程の情景を呼び起こす。ぞわりと鳥肌が立つ。靴を確認、乾いた赤いスニーカーだ。

またね、と掛け合う声も遠く、ぐわんぐわんと頭が重くなって来る。

またね、うん、またね、さようなら。

目の前がブラウン管のテレビのように砂嵐がかかる。一歩、また一歩とステップを踏むようによろける。ワン、ツー、ワン、ツー、ぐるりと視界が完全に回ってしまった。周囲の人のざわめきと、頬についたアスファルトの冷たさが気持ちいい。後ろからケイの声がする。ごめんな。

「おれのせいだわ」

へらっと笑ったことは覚えている。それからはもう耳に水が入ったみたいに世界が遠くて、目は開けてるはずなのに見えなくて、開けているのか閉じているのか分からないから全部シャットアウトするみたいに瞼を下ろした。

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よろめき マニマニ @ymknow-mani

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