第3話 はるか果て
見慣れない景色に目を凝らす。
「ああ、また壊してしまったみたい。」
「何を?」
健一は尋ねる。文と健一は幼馴染だ。文は女で、健一は男。
「だから、ね。いつも大事にしろって言われてるのに。私はつい壊してしまうんだよ。」
「だから何を。」
健一はイラついた様子で聞き返す。
漫才のようだ。と
「お前ら、本当は付き合っているんだろう。」
広は言い放つ。言い放つのだ。
文のことが好きだった。でも、健一とのやり取りを見ていると、正直そんな気持ちも覚めてしまった。勝手に恋して勝手に失恋する。俺はそういう役回りなのだと悟る。
だから、不思議なのだ。文と健一、この二人はなぜ付き合わないのかと。傍から見てもいつも一緒にいて、まあ口喧嘩を起こしても、仲がいいという風に見える。そう収まっているように感じる。
だが、最近気づいたんだ。どうやら、二人の関係は特殊だって。
文はいつもとぼけている。彼女はわざとやっているつもりはないのだろう。だが、だが。俺の記憶している小さいころの文。あいつはもっと理知だった。
なのに、今は何かを抑制しているような、いつもとぼけた感じで過ごしている。そこがまた、俺があいつを、文を好きになった理由なんだけれども。
そして健一は、
「おい、広。お前何してんだよ。文のことばっかり見て。」
俺が文に好意を持っていることを当然のごとく知っている。
なのに、それを伝えることはない。曖昧にぼかして、どうするつもりなのか、と怒りたくなるような恥ずかしさを感じる。だから、幼馴染ではあっても苦手で避けたい。
「文、最近ますますぼけてきてるな。また仕事辞めたって。」
健一は言う。でも、俺はそれはそうだろうと思う。たいてい一番まともなのは俺だろうと思っている。健一も文も、どこか狂っている気がする。
「まあ、な。あいついっつもきょどけてるからな。」
俺がそういうと、
「きょどけてるってなんだよ?まあ分かるけどな。」
健一もそう言うのだ。
あれじゃつかいものにならない。二人は合致する。
私は、眺める。ただ眺めている。
ああ、また広と健一は私についてそしっているのだろうと。ただ、二人だけなのだ。私の相手をしてくれるのは。
いつからだったか、調子が悪くなった。幼かったし、ただいつもと違うということだけは認識していた。だから、その状態で普通に社会に溶け込むことは困難だった。いや、私としてはできているつもりでも、傍から見るとおかしいということだ。
もう受け入れてしまおうか、広は私を好いている。そして健一も。だが、私は彼らに恋愛感情というものを感じない。いや、本当は恋愛感情なんて感じたことはない。うれしい、楽しい、狂おしい。小説の中でだけ登場するフィクションだと思っていたが、どうやら実在するらしい。
私は人間は、現実は非常に淡白なものだと認識していた。だって、そのような強い感情など感じたことがないから。
ただ、たまに怒りというか。非常に不安定な激情が私を突き抜ける。それは到底我慢できるものではなくて、でも誰にも理解されることもない。
だから、ひた隠す。縮こまって、耐えるというイメージが適切かなと思う。
希望なんて欲しくなかった。
絶望だけを見せてくれれば、傷つかなかった。
だから、
そのままなら良かったのに。
「好きだ。」
と言われた。
私は硬直した。ああ、どうやら私も好きみたいだ、と。初めて恋愛感情というやつを抱いたらしい。感情が穏やかだ。この心地を継続させたい。そんな欲望を抱いてしまった。
私の世界、広と健一と文。だけだったのに、彼が村雨がすべてを壊す。
底抜けの思いを彼からもらったのだ。良くも悪くも、毎日が苦しく、刺激的に感じる。正直、ずっと死んでいて動きのなかった感情が激しく揺れている。そんな感じなのだ。
ただ、村雨は常に満たされていた。そう感じている。多分、恋愛に関する欲求以外。だから、なにも満たされていない私が、彼と対等に歩こうなんて多分、無理なのだ。依存して、欲求の物理的な量の違いに辟易して、立ち行かなくなる関係だということは見透けていた。
断絶しよう。そう思う。
早く振ってくれないだろうかという期待を込めて、彼に問答する。そうしたら、私は後悔しないし、現実を受け入れられるだろう。
なのに、彼は断らない。どうして。断わってくれれば楽なのに。
はあ、もういったん全部やめてしまおう。
何か他のことをしたいと願う。
こんな苦しい気持ちは、どこか遠くに行ってしまうくらい。私を潤す何か。
だから、広と健一以外とはもう会わないと思ってきた人生を捨て去ろうと思う。
ここから出よう。
ここから出よう。
身一つで、どこかへ。
それから文は消えた。と広はつぶやく。
「そうだな。」
健一がそれに相槌を打ち、二人はもう戻ってこないだろう彼女を、彼女に思いをはせている。
やるせない毎日だ。せめて、きちんと気持ちを伝えられていたら、俺たちは悔やまなかった、と切に思う。
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