自然のため
突然だがきみたちは自然が好きだろうか、あるいは守りたいと思うだろうか。
幼小中と一般的な義務教育を施された諸君らはおそらくノータイムで〝はい〟の一言とともに首を縦に振るだろう。無論私も周りと同じように挙手する側の人間だ。
だがここで理由に派生させよう。
私は惜しみもなくいうが、私が自然を愛しているのはただ山や海で遊んだり自然由来の食べ物を口にするのが好きだからというそれだけだ。
別に動物がとか森や海がなんて考えてはいない。自己で行動させてもらっている。
こんな私に罵声を浴びせるかもしれないが、自己で自然を愛しているのはみんな同じじゃないかと私は思う。
無論百いないとは言わないが、本気で自然を愛している人は聖心な処女のクリスチャンレベルでいないと思っている。
たしかに動物は可愛いし美しい。だが花が散るのとまた同じ。自然というならしょせん枯れるのも自然の一環であり、致し方のないことだと腹を括るべきだと私は思う。
人のせいで絶滅危惧種になった動物もいるだろう。だからこそ人間が手をくわえなければならない。それはたしかに崇高だが、酔狂でしかない。
例えだが、きっとだ。私の中の予想の範疇でしかないが、自然の一つである動物が自然の一つである虫のせいで絶滅に瀕している。これは人間の責任ではない。だが人間はおそらく動物のために虫を駆使する。悪びれもせず、命を語るのにゆるんだ天秤に乗せてきっと語る。
「虫と動物の命の価値は同じじゃない」
「虫だからしかたがない」
そんな紐の切れた発想でカタルシスを感じながら虫を躍起に駆除し始めるに違いない。
それに思うが自然を大事にしたいとは思っても実際に自然のためになる行動をしている人はどれほどいるのだろう。
一日一歩は大事だ。勉強も運動もまず基礎からだ。だから自然の保護もまず一歩から、だがそれは人間大のお話だ。ダメなのだ。それでは。
木々はものによっては数百年と生きる。
地球は数十億年前から生きている。
人間の一歩では到底自然のためにはならない。博打のような大きな一歩で、一歩で百歩進む気でむなわなければそれは無意味で無価値な行動となる。地球から見れば人間が一本の苗を植えるのは目に見えない雑草が生えているのと同レベル。蚊に刺された程度でしかない。
そんな小さな一歩を踏むくらいなら頭を使う方が良い。
動物がかわいそうだ保護したいと言って肉を食べる者がいる。
森や海を守りたいと言って自分の足元を見ない者がいる。
彼らはいっそのこと空で暮らしたほうが良い。きっと苦悩から解放されて幸せになれる。
恐竜は滅びた。時代の流れか地球の流れか、彼らは骨を残して次の世代の地面となった。
だったら自然や動物を永劫に残すなんてできないんじゃないか。いやむしろそれが自然だ。人間もどうせ土になる。
もしや恐れか。土にならないために他のもので成功させてから自分たちにインプットしようとしているのか。
そう考えれば、やはり人間は自己のために自然を愛しいているのだろうか。
自然が好きなら、やはり自然に任せて放っておくのが一番だ。
更新され続ける弱肉強食で理不尽な自然。これに対応できないのはその動物のせいでも、人のせいでもない。はっきり言えばしかたがない。
放って放って絶滅したなら、いずれ掘り返して懐かしめば良い。静かに眠っていた骨たちを。
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