我慢強さは詰まった排水溝
目を覚ますと、その日はなんだか体が鉛のように重かった。物理的に重いわけではない。ただなんだか、ベッドから足を出そうと思えど足はいやだよと行動を拒否してくる。
ならば回転してベッドから落ちてやろうじゃないかと思っても、体は接着剤で固定されているように動かない。
俗に言う金縛りか。いよいよ諦めだった。
腕時計の針は六時半をさす。本来なら起床の時間だ。横で先輩はまだ寝ているようだ。いびきが聞こえる。
天井と私の睨めっこ。永遠に続く時間は目覚まし時計のように覚ましてくれるわけでもなく、無駄という言葉がお似合いな時間が忌まわしくもスクスクと育っていく。
そんなんだから結局、食事の時間まで体は動かず。垂れたよだれの跡と、あくびによってできた涙の跡、砂漠のような乾燥地帯と化しボサボサチリチリになった髪の毛が、洗えなかった私の首から上の惨状をよく示してくれている。
本来なら私は一日に決めたルーティンを電車のように過ごすが、その日は朝から脱線していたため、だるい体を引きずって登校することになった。さながら私は引退間際の錆びた蒸気機関車のようだ。
学校が終わり帰ってきても、レールから外れた列車は元に戻らず走り続けた。学校では友人から「なんだかいつもと違うね。具体的に言うと今にもにんじんを咥えて踊り出しそう」と言われ、下校の時も足を滑らせてうっかり転んだりと。
とほほ。と言えることばかりだったが、レールから脱線した自分を客観視した時、自分は得難い経験をしたな、と思えたのだ。
まず一つに普段ならしない、寝ぼけてやった行動や言動が、今になって思えば楽しかったなということだ。呂律は回らず取ってつけたような言葉の連発だった。ぜひあの思考回路をエッセイにあてたいのだが、そううまくいかないものだ。
そして二つ目、別にレールが脱線しても電車たる私にはなんの事故も起きなかったのだ。ただ少し周りからの印象は悪くなったが、その程度だった。別に泣いてはいない。
脱線した電車は普段と違うレールを走った結果、悪いことはたしかに少しあった。けれどもプラスとマイナスで考えれば、むしろその日の謎行動は良い息抜きになって、次の日からは元気に元通り。普段通りの運行ができたのだ。
思えば私が普段と違う行動を起こした原因は、連日連夜の農業実習やテスト勉強により、たまった疲れが一度に爆発したことだった。
ならその日行ったガス抜きのような無意識の動きは、良い方向に行くに決まっている。
私は無意識になんだか重荷が取れていたが、みんなは疲労や悩みがたまるまえに、しっかりと栓を抜こう。まかり間違ってもエナドリに頼ったり、無理に我慢するなんて馬鹿げた行動はしないように。
そんな強がりに似た我慢は、便秘を無理に我慢し続けて死ぬのと同じほど馬鹿らしいのだ。
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