第9話 終わりと始まり

明が目を覚ましたのは、それから一週間も経ってからのことだった。

ヤマタノオロチが消えた後、しばらく呆然ぼうぜんとしていた山田先生や大人たちは、倒れた壁の下敷きになった人のうめき声や、和子の助けを呼ぶ声に、やっと正気に戻ったらしい。明も含め、傷ついた人々を慌てて病院に担ぎ込んだ。


家でごろごろしていた病院の医者やスタッフは、急に仕事のことを思い出して駆けつけてきたので、準備も整っておらず、あれやこれやと大変だったそうだ。幸いとも言えるのは、放っておかれた入院患者たちが、一種の麻酔状態のようになり、病状はよくもならなかったが、悪くもなっていなかったことだった。


父さんたちは、静まり返った放送局に忍び込むまではよかったが、さて、どう機械を操作してよいものか途方にくれたそうだ。

「それでな、近くの職員宿舎を探し出して、若いお兄さんを引っ張り出してきたんだ」

「だけど、たいへんだったのよ」

母さんは今でも興奮が醒めやらずとばかりに説明した。

「つけっぱなしだったテレビを消して、スサノオの本のコピーを見せたら、お兄さんはすぐに正気に戻ったわ。そのお兄さんったら、放送局に着いたら、すごい照明装置や撮影器具を出してきてね。本格的なドキュメンタリー番組みたいになったのよ。あー、ビデオを撮っておけばよかったわ」

「それで途中でな、正気に戻った人たちが駆けつけてきて、放送局を占拠したテロリストと勘違いされて、捕まえられたりしてな」

明は、ベッドの上に乗り出して話す二人に微笑んだ。


両親たちは場所こそ違っていたが、明たちと一緒に戦っていたのだ。ヤマタノオロチが消え去ったのは、両親たちの働きもあったからに違いない。きっと人々が正気に戻り、この世界から闇に吹く風が強まっていたのだ。


とにかく、放送局や警察でのすったもんだが済んだ後で、山田先生から、父さんのスマホに、明が入院したとの連絡が入ったのだ。駆けつけた両親は、傷だらけで高熱を出している明に驚いたが、よい夢でも見ているのか、時折浮かべる笑顔に安心したそうだ。



明が目覚めたという連絡を受けて、和子と山田先生が飛び込むように病室にやってきた。

「やあ」と明が手を上げると、和子は幼い子供のように泣きじゃくりながら抱きついてきた。山田先生は目を潤ませながら、にやりと笑い、「おはよう、寝ぼすけ」と言った。それから先生はいろいろと教えてくれた。


山の神社に集まっていた校長や大人たちは、[児童の街作り推進会]というボランティアのメンバーとのこと。それで、商店街のおじさんたちもいたのである。会の人たちは、神社の境内に捨てられていた粗大ゴミを片付けていたのだが、そこで、ヤマタノオロチの言葉を聞いた白い大蛇と出会ってしまったのだ。

鎌首を持ち上げた大蛇は、消化されずに残っていた古い木製の絵馬を次々と吐き出した。それからのことは、校長も、他の人たちも覚えていなかった。

町中に配られていた紙製の絵馬は、駅前の印刷屋で作られたもので、商店街の会長の家から印刷を注文した書類が出てきたそうだ。


「それで、大蛇が消えた後に残った白い玉は?」

「あれは日本のどこにでもいるシマヘビの卵だったよ」

山田先生が答えた。


病院に来る途中で買ってきたケーキを分けながら、和子が振り返った。

「あの大蛇は生まれ変わりたかったのではないかしら。今度は化け物なんかにならないように。そう思って、卵を境内から離れた林の中に埋めたわ」

「あの大蛇は、大きくなりすぎた自分を、どうしようもなくなっていたんだ。普通のヘビに生まれ変われるなら本望だと思うよ。でも…」

少し不安そうに話した明に、山田先生が笑った。

「大丈夫だ。新しく生まれてきても、化け物なんかになりはしないさ。

壊れてしまったあの神社は、星空観察のできる見晴らし台に建て直すことになったんだ。校長たちが、町長や、土地の持ち主の神社の神主さんたちにお願いしてまわったんだ。放っておいたら、またゴミ捨て場になってしまうとね。境内だった敷地には小さな公園も作るそうだよ。あとは、僕ら人間の心掛け次第だ。しかしだ…」

先生は言いながら首を捻った。

「僕は、あの木製の絵馬を首に掛けられてからの記憶がない。和子からいろいろ聞いたけど、和子も僕らに捕まってから、大蛇が現れるまで気を失っていた。その間に何があったんだい?」


明は、ヤマタノオロチの不完全な復活と、人間を食べようとしていた事。そして枯れ葉を吸収して、まき散らすとともに、この世界から消えたことを話した。

「枯れ葉が、滅びゆく命だったのね」

「やがては新しい命のふところの土になる枯れ葉、それがこの世界を救ったってことか。なんだか、自然のありがたみを感じるな」

先生は感心したように息を漏らした。

「それは考えてもみなかったよ。僕らの知らない所で、大きな力が働いているってことだね」

「まさにな」


「ねえ、明君は大切なものを思い出して、我に返ったのよね。それって何だったの?」

ケーキを乗せた皿をそれぞれに渡しながら、和子が大きな目でのぞきこんだ。

「それは…」

本人を目の前にして、「それは君だ」なんてとても言えなかった。明は口に蓋をするように、丸ごとケーキを突っ込んだ。

「・・!」

ろくに噛もうともせずに飲み込もうとしたので、喉に詰まってしまった。目を白黒させながら窓際に走り、水道の水で何とか流し込んだ。


「ふうー、どうなるかと思った」

何気なく外を眺めた明は目を見開いた。


明が今いる病室は、病院の二階だった。

朱色の夕日を浴びた大通りが下に見える。買い物袋を自転車のカゴに積み込んだ人、ジョギングをしている人、そして色とりどりの車、何もおかしくない普段通りの町。だが…


「和ちゃん、先生。二人にも見えるの?」

振り返りざまに明は聞いた。二人は頷いた。


町の日常の風景の中に、ちらちらと黒い影が見えていた。それは前に町に溢れていたヘビ男ではない。はっきりとしたものではないが様々な形のものがあった。


「私たちはまだ特別な目を持っているのよ。闇の世界から来た者を見ることのできる目を」

「どうも夕方にはよく見えるみたいだ。ヘビ男たちに目がいっていた時は見逃していたが、闇の世界から来ている者は、たくさんいるということらしい。今は、悪さをしていないようだが、また、闇の世界からヤマタノオロチのような大物がやってきたらどうなるか」

「そうなんだ」

明は頷いた。

不思議と不安な気持ちは起こらなかった。体のあちこちで感じていた傷の痛みが、どこかに吹き飛んだ。

「僕らにはあいつらが見える。ということは、もしものことがあったら戦えるってことだ」

「まあ、そうだが」

山田先生も、ケーキをムシャムシャと口に突っ込んだ。


「明君、なんだか楽しそう」

「うん、確かに闇の世界からくる者との戦いは怖いさ。でもね、どこか胸の奥でワクワクしているんだ。何だろう。もしかしたら、またあの声を聞きたいのかもしれない。今度は顔を見てみたいし」

明の言葉に、和子が頷いた。

「スサノオね。そうだわ。間に吹く風は、世界は三つあると言っていたわ。闇の世界とこの世界、そしてあの声が…スサノオがやってきた眩しい光の世界が。そう考えたらワクワクしてくる。

ねえ、明君、目が覚めたら聞こうと思っていたのだけど。先生の車のトランクに乗り込む時、いいこと言っていたわよね。困難があっても逃げてはだめだって。何と何があれば、物事をやり遂げられるのだったかしら?」

明は微笑んだ。今度は父さんの受け売りではなく自分の言葉だ。

「知恵と勇気、それと」

自信をもって言いはじめたが…

「それと?」和子の目がのぞきこんだ。

「大切にしたいもの」

小さく早口で言った。


「明、そういや、さっきの和子の質問に答えていないぞ。大切なものが何かを。それにどうした、顔を赤くして?ははーん、なるへそね」

先生はクスクスと笑った。頬を赤らめた和子が明の肩を強めに叩いた。

「はいはい、そうでした。知恵と勇気と大切にしたいものでした。大切なものが何かなんて言わなくても結構よ。口ごもったりするから先生が勘ぐるのよ。闇の世界の大物だか何だか知らないけど、来ていらっしゃい。今度は、私が明君を大切に守ってみせるわ!」

いつも通りの活発な和子だった。最後の一言に、先生の眉がぴくりと動いた。明はそれを無視して、西に沈もうとする太陽を見つめた。


「やがて暗い夜がやってくる」

山田先生が、明と和子の間に立ち、二人の肩に手を乗せた。

「そして、また明るい朝がやってくる。君たちがいれば、この世界に光が消えてしまうことはない。そんな気がする。お二人さん、何か起こったら、また仲間に入れておくれよ。僕も一緒にこの世界を守っていきたいんだ」

「もちろんだよ。けどさ、もうすぐ僕ら受験だよ。勉強も忙しくなるし、今度は先生が中心に動いてよ」

「へっ、どの口から、勉強なんて言葉が出てきたんだ」

「そりゃ、こっちの台詞せりふだよ。先生がそんなこと言っていいのかよ」

明は山田先生の口をひねりあげた。先生も負けじとひねり返す。和子がブッと吹きだした。



終わり


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闇からの侵入者~ヤマタノオロチの風の吹いた町 @tnozu

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