第6話 朽ちた神社


ドアを開ける音、遠ざかる足音を確認して、二人はトランクからはい出した。


足元には、薄黄色の落ち葉が散らばっているひび割れたコンクリートがあった。

「ここは駐車場だよね」

「ええ、全く手入れされていないみたい」

体の凝りをほぐしながら、二人は周囲を見回した

そこは、山の中にぽっかりと開いた教室ほどの広さの空き地だった。十数台の車がひしめいて停まっている。二台前には黒く光る校長の車があった


「あっちだね」

明は駐車場の先に見える朽ちかけた大鳥居を指さした。

「先生たちは、鳥居の先の神社に行ったんだわ」

「行く?」

明の問いに、和子は無言でうなずいた。

向かう先に楽しいことは待ってはいない。奇怪なヘビ男たち、心を奪われた人々の巣窟があるのだ。

『和ちゃん、何があっても君を守るからね…』

明は湧き起こる不安を打ち消しながら、和子の手を力強く握った。和子はその手をしっかりと握り返した。


二人は車のひしめく駐車場のわきの小道をまわり、なだらかな山道を登って行った。道はアスファルトが砕けて雑草が生い茂っていた。時折車が通るらしく、草がわだちに横倒しになっている。やがて前方に再び鳥居が見えてきた。

奥手では、黒い煙が空に立ち昇っている。

「あの煙、おかしい」

「ええ、空中にほとんど拡散していっていないわ」

「何か特殊なものを燃やしているのかな…」

明は、歩きながら周囲の臭いをかいだが、僅かに焦げくさいだけで、気になるほどではなかった。それより目についたのは、道の両脇の森の奥にちらほらと見かける電化製品などの残骸だった。


「ここって、あの事件のあったゴミ神社?」

明は聞いた。

「たぶんそう。ゴミは殆どなくなっているけど、管理されている神社なら、駐車場も参道も、こんなに荒れていないわ」

答えながら、和子はふと足を止めた。

「ニュースで言っていたわ。ここは、昔、スサノオが神様として祀られていたって」

「ということは、どういうこと?」

明の問いに和子は首を傾げた。

スサノオの物語を邪悪と考える校長たちがやってきたのは、当のスサノオを祀っていた神社だった。何かしら重要な関係はあるのはわかる。だが、答えには至らなかった。

二人は、より慎重に歩き始めた。


「まっすぐ行くのは、あまりにも危険よ」

「そうだね」

二番目の鳥居をくぐったところで、二人は参道からはずれて藪の中に入った。くもの巣やイバラに悩まされながら進んだ先に、かなり古びたやしろが見えてきた。

大きさは、神主がいる神社と同じぐらいだが、壁板はツタに覆われている。屋根瓦は半分以上はげ落ちて土がむき出していた。社の中で火が焚かれているらしく、先ほどの煙が、あちこちの壁の隙間から流れ出ていた。

鼻の詰まった坊さんたちの念仏のような奇妙な声が響いてくる。


「あの声の調子、聞いていると胸がすごく苦しくなるわ」

「僕も。眠れない夏の夜みたい。息苦しくなってくる」

二人は足元に気をつけながら、社の後ろに回り、壁の隙間からそっとのぞいた。


二十畳あまりの板間の広間のこちら側に土間があり、赤い炎が燃え盛っていた。その後ろには、十数人の大人たちが座り、呪文のようなものを唱えている。

一番前には校長が座っていた。町内会の祭りで、モチ投げをしていた商店街のおじさんたちの顔も見える。列の後ろには山田先生がいた。

大人たちは皆、首に絵馬をかけていた。紙ではなく、木でできているようだ。まっ黒ではないが、かなり古く黒ずんでいる。

「あれのせいで、山田先生は校長先生の仲間になってしまったんだわ」

和子のささやきに明はうなずいた。

「うん、あの絵馬は、紙のものとはデザインが違う。きっと働きが違うんだ」

紙の絵馬に心を奪われた人々と違い、居並ぶ大人たちには、偉大な目的を達成しようとする強い意志があるようだった。燃えさかる炎に加えて、人が発する熱気がむらむらと伝わってくる。霊気が漂うとも言えるものかもしれない。


「そういえば、この辺りにはヘビ男たちが全くいなかったわ。私たちの持っている二冊の本の力だけではないわ」

「あれのせいだよ。山田先生の後ろの…」

大人たちの後ろには、何十冊もの本が山積みになっていた。よく見れば、手にとって前の人に渡している。最後に受けとった校長が、ああ、炎の中に投げ込んだ。


「ここにスサノオの本が集められていたんだ。だから、ヘビ男たちは姿を現さない」

「それじゃ、私たちが持っている本の役割は?」

「うーん。役割は…今はないみたい」

明は肩をすくめた。


「それにしても、本をあんな風に燃やしてしまうなんて」

炎をにらむ和子の目には涙がにじんでいた。本嫌いの明でも、今では、ただもったいない以上であることがわかった。人の心の財産となるものが、悲鳴をあげることもなく、ただ灰になっていくのだ。

明の胸の奥で、熱い血がドクドクと音を立て始めた。苦い味が舌の周りに広がった。本を燃やしている人々への、そしてそれをただ見ているしかない自分への怒り…


やがて本の山はなくなり、最後の一冊となった。それを手に取った校長が目を見開いて声を張り上げた。

「さあ、これが千冊目です。邪神スナノオを祀る時に集まったという盲信者の数と同じ。これが燃え尽きた時、あなた様の復活を邪魔するものはなくなる。さあ、さあ、さあ!」


投げ入れられた最後の一冊は、炎の中でメラメラと燃えていった。

「復活、復活、復活…」

十数人のこもった低い声が社を震わせた。そして、ついに本が灰になった時、校長は恍惚の表情を浮かべたが、すぐさまに硬い表情となり、鋭い視線を周囲に注いだ。

校長は振り返りながら、立ち上がった。


「我らの仕事の一つは果たされた。神はその肉体を形成されつつある。だが、今、儀式は中断してしまった。何故なら、共にあるべき同胞が、この社の中に現れないからだ。その理由は?わかっていると思うが」

大人たちは、疑念を含んだ目つきで互いを睨みつけた。

「疑いの心をぶつけあっても見苦しいばかり。諸君、外に出よう」

校長の声に、最後尾に座っていた山田先生が後ろの戸を開いた。


明は総毛だった。

境内には、無数のヘビ男たちが集まっていたのだ。振り返って、二人の背後を見れば、薄暗い茂みに、墨を流したように黒い集団がうごめいている。和子は、吐き気をもよおしたように口を押えた。


皆と一緒に外に出た校長は、ヘビ男たちとの距離を測るように、腕を伸ばしてその場でぐるりと回った。絵馬をかけた校長たちには、ヘビ男たちの姿が見えているのだ。

「なるほど。我らが同胞は教えてくれた。この境内に、未だに燃やされない邪悪な本を持っている者がいるという事を。そう、その者がいるのは…そこだ!」

校長の指は、明たちがのぞいている壁の隙間に、まっすぐに向けられた。

校長は、集結したヘビ男たちが作る円弧の中心を指さしたのだ。もちろんそこには、ヘビ男が近寄れない本を持った二人がいた。

たちまち大人たちは、二手に分かれて社の裏にまわり込んだ。


『まずい、逃げられるか⁈』

明は後ろの深い藪に視線を走らせた。

『だめだ。あの熱狂的な大人たちは、イバラも気にせずに猟犬のように追いかけてくるだろう。体力と足に自信のある僕でも、すぐに捕まってしまう。まして和ちゃんは…』


「和ちゃん、今は踏ん張りどころだ。チャンスはきっとくる」

明は和子の手を固く握った。

「うん」

握り返された手が、大人たちの強い力にあっけなく引き離された。

体格のいい中年男性に掴まれた和子は、狩人に運ばれるケモノのように、肩に逆さまにぶら下げられた。健気けなげにも叫び声ひとつあげない。

明に掴みかかってきたのは山田先生だった。

「先生、目を覚ませ!」

明は、先生の骨張った腕に噛みついた。だが、痛みを感じる様子はなく、どこにそんな力があるのかと思うほどに、万力のように肩を掴んでいた。


「おとなしくしろ。言うことを聞かないと、また居残りだ!」

先生は冷たい目をして言った。

「なに、トンチンカンなこと言ってるんだ」

「それは、見当違いという意味の言葉。神に選ばれし存在の僕は、トンチンカンなことなどは言わない」

何を言っても無駄なようだった。

二人は社の中に連れ込まれた。後ろ手にロープで縛られて炎の前に座らされた。持っていた本は、あっさり抜き取られてしまった。


一同は何事もなかったかのように儀式を再開した。

「今、私は神からの声を聞いた」

和子の持っていた本を、炎の中に投げ込んだ校長が振り返った。

「少年には我らと同じ、真の絵馬をかけよ。そして自らの手で邪悪な本を燃やさせよ。少女は仲間に加えることなく、そのままにしておくようにと。なんとこの娘は、神が完全に復活するための、最初に幸福の門をくぐる者に選ばれたのだ。ああ、なんと慈悲深き神よ!」


「あああ、選ばれし者!」

「ああああ、姫よ!」

どよめきと共に、大人たちは、和子に向かって深々と頭を下げた。

「彼女は僕の教え子です」

山田先生が狂ったように手を叩いている。


『和ちゃんに何が起こる?生贄。怪奇映画や冒険映画じゃないが…でも他には考えられない。くそっ、なぜ一人で来なかった。結局、ヒーロー気取りを見せたかっただけじゃないか! 』

明は自己嫌悪の苦い思いを噛みしめた。懸命に後ろ手のロープを解こうとしたが、ロープは皮膚に食い込むばかりだった。隣で和子ががくりと首を垂れた。

「和ちゃん!」

返事はなかった。たとえ気丈な彼女でも、あまりの恐ろしさに気を失ってしまったのだ。


「明。これで君も僕らと同じ、神の間近に仕える者だ」

木の絵馬をもった山田先生が近づいてきた。させるかと、床に転がりながら首をひねった明だったが、細長い手がしっかりと頭をおさえた。



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