第5話 山田先生までも… 

翌朝、明の家族はいつも通りに起きて食事をとっていた。

明と父さんは、それぞれ学校と会社に行って、コピーをとって皆に配ろうと計画していた。

専業主婦の母さんは、本のコピーを綴じて紐を通して首に下げていたが「私は家でじっとしているわ」と言った。


居間の端にあるテレビでは、お決まりのように朝のニュースが流れていた。

「この町で起こっている事件についてのニュースは何もない。ヘビ男たちは、明たちにしか見えないのだから仕方ないか」

トーストをかじりながら、横目でテレビを見ていた父さんがつぶやいた。

「よかったじゃない」

母さんが微笑んだ。

「ニュースが流れているだけでもありがたいわ。ずっと遠くだけど、テレビ局のある町の人は、一生懸命に仕事をしているということだもの」

「ほほう、久しぶりに、ポイントをついた意見を聞いたぞ」

「褒めているんでしょうけど、全然うれしくないわ」


夫婦の会話を聞きながら、食事を終えた明が席を立った時だった。


【さて今日は、ある中学校での素敵な活動を紹介したいと思います】


女性キャスターの声に、何気なくテレビを見た明は驚いた。両親も動かしていた口をとめた。テレビ画面には、明の学校の校門が映っていたのだ。続いてリアカーを引いていく生徒たちの後ろ姿が映された。和子の姿も見える。昨日の生徒会の古本集めだった


マイクをもった男性レポーターがにこやかに登場した。

「今、生徒たちは不要になった本を集めにいきました。集まった本をどうするかというと、図書館のない町に寄付するのだそうです。それでは、この学校の校長先生から、詳しくお話を聞いてみましょう。校長先生、どうぞ」


カメラがぐるりとまわり、灰色の背広姿の校長が登場した。

時間は、昨日の放課後の職員会議の前のこと。校長の頭の中は、企み事でいっぱいのはずだ。けれどその表情は余裕たっぷりだった。


「皆さんにお話をする前に、まず、これを見ていただきたいのです」

背広のポケットに手を入れた校長は、黒い紙を取り出した。

「さあ、カメラマンさん、もっと近くに寄って下さい」

黒い紙が表に向けられ、赤い噴水模様が、画面いっぱいに映し出された。

「これは全ての願い事を叶えてくれる絵馬です。さあ、よく見て…」

校長の声が聞こえ、画面はそのままとなった。レポーターの声も、今まで話していたキャスターの声も入らない。故障中のような、高い機械音が流れた。


明はとっさにリモコンを手に取り、テレビのスイッチを消した。首を曲げ、食卓の父さんたちの真面目な顔を見てほっとしたが、今の自分の行動が不安をかきたてた。


今の映像は録画だ。

取材中にレポーターとカメラマンは仕事を放棄してしまい画面が静止したのだ。という事は、誰かがビデオのファイルをテレビ局に運び、チェックをスルーしてニュースに流したのだ。

校長にそんな力があるだろうか。きっとテレビ局の偉い人にも校長の仲間がいるのだ。

『いや違う。今感じた不安はそんなことじゃない』


「父さん、今のニュース。どのくらいの人が観ていたんだろう?」

「あれは全国ネットのニュースだ。時間も朝のゴールデンタイム。視聴者は、何十万、いや何百万人といるだろう。それにあの画面がそのまま止まっていたとすると、一千万人を超える人が観ていたかもしれない」

「お隣さんもそうだけど、あのチャンネル見ている人多いのよ」

母さんの視線が窓際に流れた。


「なんてこと」明は息を飲んだ。

二十メートル以上は離れているが、レースカーテンの向こうに隣の家のテレビがはっきりと見えた。その黒く静止した画面からは、不気味な人の形が、ぬるりと出てきていたのだ。

「ヘビ男、見えるのか」

隣に立った父さんに明はうなずいた。母さんは恐怖でその場に硬直している。


「さあ、うかうかしていられないぞ。急がなくては。我々、一般市民の肩には重すぎる仕事だ。だが、動かなくては!」

父さんが低く唸った。

「会社にいって、コピーをとるんでしょう?そんなに急がなくても」

明は聞いた。

「それじゃ、とても足りない。あちらさんがテレビを使ったなら、こちらもだ。放送局に乗り込んでコピーを映しだすんだ。明はどうする、一緒に行くか?」


「私、一緒に行くわ」

一人で家にいるのが恐くなったらしく、素直な口調で母さんが言った。

明は少し考えたが、「僕は学校に行く」と答えた。

母さんは顔を歪めて、何かを言おうしたが、

「明なりに考えがあるんだ。それに、この件に関しては、明は専門家だ。だろう?」

「うん」と明は頷いた。

実際、学校でコピーを取る他は何も考えていなかった。

ただ、自分は、この町に残ってするべきことがあるような気がしていた。それにぼんやりと和子の顔が思い浮かんだのだ。


明はいつもと同じ時間に家を出て、学校に向かった。両親は一足先に、何十キロも離れた放送局に車で向かった。

一人、家の鍵を閉めて外に出たのだが、寂しさはなく、怖くもなかった。胸の奥で熱く燃え出したものがあった。何よりも、父さんが自分の意見を尊重してくれたことが嬉しかった。 


町には、朝のあわただしさはなかった。

静まり返った道に歩く人はおらず、自転車や車も走っていなかった。

いつも通りなのは、野良犬や野良猫ぐらいだが、あさるゴミが捨てられていないので、困ったようにふらついていた。町はまだ眠っていた。昨日の様子から考えると、人々は仕事や学校に行くことを止めてしまったのに違いない。


時折、家々からヘビ男たちが出てきた。膨らんだ袋を持ってどこかに進んでいく。

「いい加減にしてくれ」

明の願いに似たつぶやきに反応して、近寄ってきた者もいたが、五メートルほど近づいたところで消えていった。そのまま学校まで何事もなく歩き、正門を通った。

駐車場には、白いポンコツ車が一台だけとまっていた。

玄関に入ったが、生徒たちの姿や声は全くなかった。げた箱は、一つを除いて全て上ぐつが入ったままだ。急いで靴をはきかえて三階の教室に走った。


「明くん、おそいわ」

教室には、ぽつりと一人、和子が席についていた。沈んでいた顔が、口を尖らしながらも明るくほころんだ。

「やっぱり登校したのは僕たちだけだったんだ。朝のニュース見た?」

「ええ。でも、テレビの取材があったなんて知らなかった。うちの父さんったら、あれを見たら、急に放送局に行くって言い出してね。私を学校に送ってから、そのまま車でいったの。母さんと礼子も一緒に」

「うちもだよ」

二人は顔を見合わせて笑った。人が考える事は大体同じなのだ。ということは、和子も学校に行くことに疑問を向けられたに違いない。

『僕のことも、ちょっとは思ってくれたのかな』

ふと考えて、明は息苦しくなった。

「山田先生は?あのポンコツ車が駐車場にあるの見たけど」

明は思いついたように聞いた。


「今、印刷室で先生の持っていた本をコピーしているわ。授業どころではないから、後で他の生徒たちの家に配りに行こうって。私も手伝おうと思ったけど、とりあえず、明君が来るのを待っていたの。顔を見たらほっとしたわ」

「ありがとう、和ちゃん」

また胸が苦しくなった。好きとかそういうのではなくて、和子は自分のことを待っていてくれた。この状況を共感できる大切な仲間だ。先生を除けば、二人っきりの…

明は火照ってきた顔を軽く叩いた。余計なことを考えている場合ではない。


二人は教室を出て、一階の職員室の隣にある印刷室に向かった。階段を降りかけた時、カツカツと響く足音が聞こえた。四、五人はいるだろう。

「誰か、学校に来たみたいよ」

声を弾ませた和子が足を早めた。

「待って」

明は声を抑えながら小柄な肩に手をかけた。

「どうしたの?」

明のこわばった顔つきに、和子も声を絞った。

「今の足音、聞いたでしょ。あれはスリッパとか上靴の音じゃない。大人の履く革靴の底の音だよ。おかしいよ、校舎内を土足で歩くなんてさ」

「確かにそう」

和子は納得した。二人は階下に耳を傾けた。


足音は、小さくなりながら廊下を進んでいった。ドアが引かれる音とともに、突然、

「何をする!」

山田先生の怒鳴り声が校舎に響いた。ガタガタと激しい物音が続き、やがて、また足音が聞こえ始めた。先ほどの革靴の音に、軽い靴音が混じっている。

「あれは山田先生の室内シューズの音だ。さっき来た人たちとこっちにくる」


何かまずいことが起こっている!二人はすぐ近く、三年D組の教室に入って息を潜めた。足音は三階にやってきた。

「あの二人は、下部しもべたちの活動を止める邪悪な本を持っています」

「もはや君の一冊で千冊に達する。我らが神の復活に必要な数は揃うが、本を持っていれば、先ほどまでの君のように神への従順さに欠ける。すぐにでも取り上げて幸福への道を教えてあげなければ」

山田先生と聞きおぼえのある人の声だった。

「あれは校長先生だわ。ああ、山田先生」

「くそう!先生も、校長の仲間に…」


遠ざかる足音に耳を傾けながら、明は廊下をのぞいた。山田先生と校長、もう三人の大人たちが、A組の教室に入っていくところだった。それぞれの首には、大きな札のようなものがぶら下がっているようだ。

「あれも絵馬かしら?」

「和ちゃん、行こう!」

力強く言い、明は和子の手を引いた。

「どこに?」

「絶好の隠れ場所さ。でも、逃げるんじゃない。神とか言っていたけど、事件は在る場所で確実に進行している。僕たちも前に進むんだ」

「神って、もしかしたら」

「たぶん、それは特別な闇の者。ヤマタノオロチなのかもしれない」

明の落ちついた口調に、和子は少し驚いたようだった。そのまま二人は階段を降りていった。


「ポンコツだけど、こんな時には便利だ」

明は傷だらけの車を指で弾いた。さっきはなかった校長の黒光りするセダンが隣にとまっている。地面に落ちていた木の枝を、ポンコツ車の隙間の空いたトランクに差し込んで留め金をはずした。


「ここが一番の死角だよ。それに、どこか秘密の場所に案内してくれるかもしれない」

明は狭い空間に背中を丸めながら入り込んだ。迷いながらも和子も入った。

「でも、どうしちゃったの。明くん、急に男っぽくなったみたい」

顔を突き合わせながら、和子が聞いた。

「スサノオの本が教えてくれたんだ。理想に過ぎないかもしれないけど、困難があっても逃げてはだめだって。知恵と勇気、それと大切にしたいものがあれば、どんなことでもやり遂げられる」

「まあ、かっこいい」和子が微笑んだ。

「父さんの受け売りだけどね」

小さく付け加え、トランクの留め金に枝を挟んでふたを閉めた。これでロックされることはない。歪んだ縁からは光が差し込んでいる。窒息することはないだろう。


『そう、うまくいっている。これから向かう先には、事件の黒幕たる闇の者がいるのかも知れない。ヤマタノオロチ…実在するとしたら、どんな姿なのか。いや、怖いもの見たさなど、甘い考えは吹き払え!』

冷静さを維持しようと、明は尻のポケットの中でひしゃいでいる文庫本に意識を注いだ。


人の気配とともに駐車場の砂利をふむ音が聞こえてきた。

「では、山田くん、先に行っているよ。先ほど説明した場所に来てくれたまえ」

「わかりました」

校長の声に山田先生が応えた。

続いてバタリとドアが閉められた。高く軋むようなエンジンの音のせいで、先に出発したはずの校長の車の音は聞こえなかった。一度、つんのめるように揺れて車は走り始めた。


乗り手を自分一人と思っているせいか、あるいは性格が変わったのか、先生の運転はひどく荒かった。不自然で窮屈な姿勢と合わさり、二人ともかなり気分が悪くなってきた。話をする余裕などなく、時々、目を合わせるだけだ。トランクのふたを確認されやしないかという不安も、どこかに吹き飛んでしまった。


やがて大きくカーブを切った車は、舗装されていない道に入ったらしく、ガタガタと震え始めた。

トランクの隙間から見える景色が、がらりと変わった。ビルなどの建物は見えなくなり、枯れ葉の目立ち始めた木々が後ろに流れていった。


「ここは、どこか山の中。そんなに時間は経っていないから、町からは離れていないはずだ」

明は言った。

「さっき、木々の間に総合病院の屋上が見えたわ。たぶん、町の北側にある山よ」

顔をしかめた和子が続いた。


二人の体の痛みと気分の悪さが限界に達しようした時、車はとまった。




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