第6話 ぱんつのうた
「林田君、チビ助を頼むぞい」
何かの扉を開ける音がしてから足音が近づいてくる。
「開けるけど良い?」
「はい」
と答えたものの何だろう? 念のための『ボディーガード』? ケヴィン・コスナー?
カーテンを開けて入って来たリンダさんはおしぼりタオルを持ってた。
「床に座っちゃったでしょう。病院なんてバイ菌だらけだから清拭してあげろですって」
あれくらいでって思うけどおじいちゃん先生はそう思わないんだなー。
「何してるの?」
両手を差し出すわたしにリンダさんが首を捻る。
「患者さんにやらせる訳ないでしょう。はい、立って」
逆らっても無駄なことは知っているので大人しーく立ち上がる。
「診察台に寝っ転がっても良いわよ?」
「もーリンダさんまでふざけないで」
普段ふざけないリンダさんがこんなことを言うなんて気を使ってくれてるのかなーと思う。
温かいおしぼりタオルであっちこっち――主に床に着いた場所を拭かれて気持ち良くてちょっとくすぐったい。
カーテンの外で、あっちの人が騒いだりしてても気にしない。そう思ってもあの目を思い出してブルッと身体が震えて肌が泡立つ。
「ちょっと、大丈夫?」
鳥肌に気が付いたリンダさんが立ち上がってわたしの顔を覗き込んでくる。
「ん…大丈夫」
強がってわたしは頷く。
でも、わたしの涙腺はちっとも言うことを聞いてくれなくてみるみるうちに目から涙があふれ出してしまう。
「大丈夫、大丈夫だから」
抱きしめてくれるリンダさんのぬくもりを感じながら、泣きたい訳じゃないのになーって思う。身体が小刻みに震えてるからやっぱり怖かったのかも。
「さっきの見たでしょう。沼田先生ね、あんな枯れ木みたいな身体をしていても合気道百段なんですって。だから安心なさい」
「ふふっ、百段はウソだぁ」
「林田君、聞こえとるぞ。枯れ木とはなんじゃ枯れ木とは」
おじいちゃん先生の声にわたしは思わず笑ってしまう。
それで安心してくれたのかリンダさんはしゃがみ込んで清拭を再開。
寝たきりの時のように身体が汚れていると感じていないせいかとってもくすぐったい。
「ねっ、リンダさん。すごくすっごーくくすぐったい」
「じゃあ、くすぐってあげましょうか」
「診察室で大きな声を出しちゃっても良ければどーぞ」
「こいつ、可愛くないぞ」
そう言ったリンダさんはおしぼりタオルで身体を拭くんじゃなくて撫でるように背中に触れる。
「そこ床に着いてない…」
笑いをこらえている間にあっちの人の騒ぐ声が遠ざかって、少しして軽い足音が近づいてくる。
「入っても良いかの」
「どうぞ」
カーテンを開けてすぐ閉めたおじいちゃん先生が後頭部を掻く姿は、ちょっと情けなく見えた。
「すまんかったな」
と、おじいちゃん先生は頭を下げた。
「あそこまで非常識な輩がおるとは想像もつかんかった。管理不行き届きじゃったよ。次回からは鍵を掛ける。本当にすまなかった」
リンダさんまで頭を下げてしまって…なんかちょっとやだ。
「えーと。問題ありません。ありません。ありません。食べてます。量が多いから減らして下さい。普通。まだありません。予兆も感じません」
頭を下げるおじいちゃん先生のつるつる頭に向かってわたしは一気にまくし立てた。
「なんじゃ?」
不思議そうにするおじいちゃん先生に、わたしは満足してむふーとして答える。
「今日の問診の答え。いつも同じだから先に答えてみましたー」
「ぶふっ」
リンダさんが拭き出す。
「こりゃやられたわい」
顔を上げたおじいちゃん先生も笑顔が浮かんでる。
やった! 大成功。
ちょっと考えてたんだー。いっつも同じ質問だから先に答えちゃうのはどうかなーって。
「じゃが、食事の量は変更せんぞ。もっと食べて大きくならんといかん。せめて乳バンドが必要なくらいな」
「乳バンド?」
リンダさんは分からなかったみたいだけど、わたしは知ってる。
「えー、胸だけ大きくなってもやだー」
「あほかい。全体的にと言う意味に決まっておるだろうが」
「胸って…乳バンドってブラジャーのこと?!」
遅れて反応したリンダさんにおじいちゃん先生とわたしの二人で頷ずく。
「沼田先生! そう言うのはセクハラだって前に言いましたよね?!」
「そんな言葉知らん。セクハラ? なんじゃそりゃ、セクシー・ハラショーの略か」
とぼけた顔をして英語とロシア語を混ぜた造語に今度はわたしが拭き出してしまう。
「まっ、何はともあれ良く頑張ったな」
骨骨したおじいちゃん先生の手が頭を撫でてる。
と思っていたら、そのまま頭を掴まれてくるっと半回転。
「こっちも大きくならんとな。子供も産めんわ」
するっと白衣を脱がされて、お尻をぺちんと叩かれた。
ぐがーん! 油断した。
「沼田先生!!」
リンダさんがベッドのシーツで身体を隠してくれながら怒ったけど
「セクシー・ハラショーじゃよ」
カカっと笑っておじいちゃん先生は背を向けたままバイバイと手を振る。
「また来月、待っとるぞ」
「はー……」
い、と返事ができなかったのは、衝立の影に消えるおじいちゃん先生が怖い顔をしていたから。きっとすごく怒ってる。あっちの人に。
「まったく沼田先生ったら。貴女も怒らないとだめでしょう?」
「んーでもおじいちゃん先生は違うから」
あっちの人と、と言う言葉を飲み込んでわたしは言う。
おじいちゃん先生のはふざけてるように見せて肉付きを確認するとかしてるんだと思うし。その方が気安いから。
お尻を突き出して触られる方がもっといや。
「あら、いけない。もうこんな時間。ちょっと待ってて。着替えを取ってきてあげる。あんな大きな検査着はもう禁止。鍵は閉めていくわね」
ひったくるようにロッカーのカギを持ったリンダさんは、怒涛のごとき勢いで診察室を出ていく。
残ったわたしはシーツを身体に巻きつけたままくるっと一回り。
マントみたい…じゃなくてポンチョ?
マカロニ・ウエスタンとか西部劇みたいな。
ジュリアーノ・ジェンマとかクリント・イーストウッド。
ガンマン。ガンマンと言えば早撃ち。
あっ、お話が浮かんだ。
早撃ちの女の子ガンマン。父親を殺されて復讐を誓う。
んー、一人だと寂しいから双子の姉か妹がいることにしよう。
それで復讐の相手は――
「ほら、現実に帰って来なさい」
揺さぶられて我に返るとリンダさんが部屋に戻ってた。
「またお話を考えていたの?」
リンダさんは数少ないわたしの趣味を知る一人。
考え始めると声をかけられても気づかないから揺すってくれる。
「そう。西部劇で早撃ちの女の子が主役。あっ、服持って来てくれてありがとう」
ロッカーの篭ごと持って来てくれたリンダさんにお礼を言って受け取る。
「ゆっくりで良いからね」
そう言ってリンダさんはカーテンを閉めてくれた。
篭を診察台に置いて下の方に入れた下着を取ると自然と頭の中に曲が流れ出す。
(ぱーんーつーはー前と後ろを確認してからはーく♪
肌着は頭からすっぽりー♪
今日は履いてないけど、タイツを履いてお腹を隠してー♪
シャツを着てーボタンをとめるー
スカートをはーいたらできあがりー♪)
子供だったとは言え口に出していたとは思えないような歌を心の中で歌いながら服を着ていく。ぱんつを後ろ前に履いたりシャツも裏返しだったりしたうっかりさんなわたしにお母さんが考えた着替え歌。
全部着てから一通りセーラー服に乱れが無いか。スカーフに捻じれはないか確認。
うん、ばっちり。
「お待たせ、リンダさん」
カーテンを開けるとリンダさんはお腹を押さえて声を殺して笑ってる。
「まだ、その歌を歌っているのね」
あっ、まさか……
「もしかして…口に出てた?」
「ぱーんーつーは、から聞こえてたわよ」
ぎゃー! やっちゃった!
「懐かしいわね。そんな風に歌わないと着替えもできなかった子が、もう中学生。それもお嬢様学校の生徒ですもんね」
しみじみとリンダさんは昔のわたしを思い出して言う。
リンダさんに着替えを手伝ってもらったりもしてたっけ。
「猫背も治ったしね」
リンダさんは、またぽんと背中を叩く。
うつむきがちの癖が治ったのは富士見学園中等部の教育の賜物です。うん。
作法の授業で正しい姿勢をみっちり学んだから。
クラスメートも綺麗な姿勢だし、高等部のお姉様方は背中に棒が入っているのでは? と思うくらいにピンとしてる。凛としたその御姿はとてもお美しい。
「玄関まで送るわね」
また、背中をぽんと叩かれてわたしは歩き出した。
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