第7話  発作

 病院の玄関まで来るとすっかり太陽は沈んでしまって空にはぽっかりお月様。

 今日は月が大きくて明るいな。

「暗くなっちゃったね。送ってあげようか?」

「リンダさん。わたしをだしに仕事さぼろうとしてもだめだよ」

 人差し指を立てて左右にふりふり。

「ばれたか」

 二人で笑って、それからわたしは帰り道の大学構内の方に向き直る。

「また来月ね」

「はぁい」

 気乗りしない返事にリンダさんがぽんとわたしの背中を叩く。

 それを合図にわたしは歩き出す。

 途中振り返る度にリンダさんが手を振ってくれていて、見えなくなるまでずっと手を振ってくれていた。

 ありがとう、リンダさん。気を使ってくれて。

 ほんとを言えばあんなことがあったから今だって何か飛び出してくるんじゃないかってビクビクしてる。

 でも敷地内敷地内。警備員さんたちともお友達だし詰所も分かってる。

 気持ちを切り替えよう。

 綺麗なお月様を見て楽しいことを考えよう。

 月と言えば……『ムーンウォーカー』! は見てないからパス。

 あとは『E・T』。E・T、Phone home。早くおうちに帰りたい。

 わたしのおうちはどこだろう……

 富士見女学園中等部に来て二年とちょっと。

 最初に病院に来たのは小学生になるちょっと前だっけ。



 小学校に入る前の内地より短い春休み。

 入学祝いに家族旅行で夢の国かっこ仮称かっことじに泊りがけで遊びに。

 夢のような世界は本当に楽しくて、いつもはむっつりしているお父さんも心なしか楽しそうに見えた。

 異変が起きたのはお昼を食べて少しして。

 わたしは吐き気と腹痛でおトイレの住人。

 一度、外に出たものの目まいがしたのは覚えていて、そこからは記憶は断片的。

 ピンクとか動物の被り物に上着まで夢の国のグッズの満載のサンタクロースのような髭を生やしたメガネでシワシワの優しい目のおじいちゃん。

「大丈夫じゃよ。儂は医者じゃからな。安心して任せとき」

「…おじいちゃ…ん…先生?」

 この時の呼び方を根に持っているのか沼田先生は、わたしがおじいちゃん先生と呼ばないといい顔をしない。本当は、おじいちゃんがお医者さんの先生って言いたかったんだと思うんだけど。

 次に気が付いた時は病院のベッドの上で点滴中。

 バックヤードで応急処置を受けて、それから救急車でここまで運ばれたと知ったのはずっと後。

 寝ている間にたくさん検査を受けたにも関わらず、その時点では原因不明。

 口にしたものには何も問題は無くて何がどうしてこうなったやら皆目見当がつかず、首を捻るばかり。

 目を覚ましても様子見が必要だったので、わたしとお母さんは病院にお泊り。お父さんとお兄ちゃんとお姉ちゃんは予定通りに夢の国のホテル。

 何が悲しかったのか、ずっと泣いていたことだけはよく覚えてる。

 翌日になって全部の検査結果を見たおじいちゃん先生――ちゃんと白衣着用――

「さ~ぱり分からん」

 と肩をすくめて見せた。

「分かるのはアレルギー数が異常値を示していて、こんなにあったら……普通なら死んどるってことぐらいじゃな」

「そんな…」

 いつもそんなことをしないお母さんが青ざめてわたしをぎゅっと抱きしめた。

 あんな顔を見たのは後にも先にもこの時だけ。

「奥さん、提案なんじゃがな。娘さんを儂に預けてみんか。こう見えても儂はゴッド・ハンドと異名を持つゼネラリストなんじゃよ。時間はかかるかもしれんが、対応方法を見つけ出すことができるかもしれん」

 お母さんは、何かを言いかけて止めて、結論を出さずにお父さんと相談することにしたようだった。

 それから、わたしたちはお父さんたちと空港で合流。

 帰りの飛行機の中で

「白目むいちゃってさ。ピクピクしちゃってさ。で、こーんなだよ」

 当時、中学二年生のお兄ちゃんはそう言っては白目になってブルブル震えてわたしが倒れた時の真似と言ってからかわれた。

 お母さんに怒られてもお兄ちゃんはやめなくてとってもすんごくいやだった。 


 小学校に入っての最初の夏休み。

 気候的に寒くてそんなに泳ぐことのできないのに運よく暖かくなって家族で海水浴。

 そこでわたしは溺れて死にかけた。

 死にかけたって言うのは大げさかな?

 久しぶりの海でご機嫌なお兄ちゃんはボード状の浮き輪にわたしを乗せて沖へ沖へと進む。

 もう足の付かないところまで来ていてカナヅチのわたしはビクビク怯えて全身を硬くするしかできない。

「こわいからかえりたい」

「落ちたってボードに捕まれば大丈夫だろ。簡単にこんなところまで来れないぜ。楽しいだろう」

 お兄ちゃんは楽しませてくれようとしてくれたのは間違いないんだと思う。

 何度かそんな会話を繰り返した後に横波が来てボードがひっくり返った。

 海中に落ちたわたしは必死に海水を掻いてボードを探したけれど見えるところにはなかった。

 水を掻いて水面に顔を出しては、また沈む。

 何度となく繰り返して、わたしは空と海の境を行き来した。

 そして溺れながらわたしは思う。

(ああ、空の青と海の碧は違う色なんだなぁ)

 浮き沈みするたびに空の青と海の碧の違いが鮮明に脳裏に焼きついていく。

 やがて海の碧だけが視界を染めて水面に反射する太陽を見ながらわたしの記憶は途切れた。

 目を覚ました時には砂浜に寝ていてお父さんとお母さんとお姉ちゃんと知らない人に囲まれていた。

 お兄ちゃんはお父さんにひどく怒られた。溺れているのに気付かなかったらしい。

 そして、その日からお兄ちゃんはあんまりわたしと話さなくなった。


 その後も家族で出かけて食事の後に何度か具合が悪くなり、わたしは外食に行かなくなった。と言うか行けなくなった。

 自分が具合悪くなるのもいやだったけど何よりも家族が、特に具合が悪くなるとお父さんが不機嫌になるのがとても悲しかったから。

 そうすると家に残るわたしに誰かが一緒にいないといけなくなる。それはいつもお母さんの役目。

 お母さんの態度は変わらなかったけど外食から帰って来たお父さんとお兄ちゃんとお姉ちゃんは楽しそうにしてたのにわたしを見た途端に不機嫌になる。

 わたしは、ごめんなさいと謝ってうつむくように、それからわたしは我慢しなきゃいけないと思うようになった。

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