第8話 通院と手術
まだ雪が無かったから夏に近い秋頃だったと思う。
お母さんとわたしは二人でおじいちゃん先生を訪ねた。
と言うかお母さんが
「お出かけしよう!」
と言ってお出かけして飛行機に乗ったら、おじいちゃん先生のところに着いたと言うのが正しいかな。
二人して難しい話をしているので飽きてしまったわたしの相手をしてくれたのがまだ新人だったリンダさん。
そう言えばあの頃から背中をぽんぽんされてたから、もう猫背だったのかも。
おじいちゃん先生とお母さんとで話し合って何かが決まったらしかった。
少なくともわたしに分かったのは、毎月一回飛行機に乗ってこの病院に来なければならないと言うこと。
翌月の一回目の再診はお母さんと一緒。
でもニ回目からは
「行き方は覚えたね。念の為に行き方はポシェットのノートに書いてある。お財布には一万円入れてあるから」
と、一人で通院することになった。一万円! 大金! を持たされて。
わたしは駅から汽車に乗り空港へ行って飛行機に乗る。
着いた内地の空港からモノレールに乗って終点で黄緑色の汽車に乗り換えて病院のある駅で降りる。
駅から徒歩二十分――直通バスがあるのを知らなかったから――で病院に到着。
「一人で来たの?!」
受付に迎えに来てくれたリンダさんのびっくり顔は、驚くと言うより青ざめているような感じ。
「おかあさんが、くちがあるんだからこまったらひとにききなさいって。でもこまらなかった。ひとりでこれたよ」
わたしは驚くリンダさんの様子からすごいことをしたような気持になってお母さんの口癖を真似してえっへんと胸を張る。
「沼田先生! ちびちゃんが一人で来ちゃいましたよ!」
「ちびじゃないよ!」
いったん走り出したリンダさんは、途中でわたしのことを思い出したのか戻って来るとわたしは抱きかかえておじいちゃん先生の診察室に連行されたのであった。
月に一回の健診は、血液検査にレントゲンやエコーとか色々。その日に分かる結果は結果用紙をもらう。
時間のかかる検査は後日郵送。
採血の針は見た時は怖かったんだけど、緊張したリンダさんが手にした注射器の先の針が目で分かるくらいにブルブル震えていて最後は小声で
「あー」
とか言って注射器を持つ方の手首をつかんで天に向けるともっとブルブルさせて、それが面白くって怖いのを忘れて平気になったのでありました。まる。
帰る時は来た時の逆の順番。
駅までは改札まではリンダさんが手をつないで一緒に来てくれる。
「またねー」
不安そうなリンダさんに手を振って改札を抜けて――時々長く手を振りすぎて振り返ったらドアが閉じていてぶつかって転んだりもした。
都会の街並みはキラキラしてて汽車は楽しい。
モノレールは川の上の高いところを走るからちょっと怖い。
飛行機はお姉さんがお菓子をくれるし、翼がキラキラ輝いたり雲の上はいつも晴れて明るいから好き。
家に向かう汽車は見慣れた風景だから退屈。
到着時間は分かっているから駅には、いつもお母さんが車で迎えに来てくれる。
月日は巡って小学生に最初の冬休み。
月一回の定期検診に珍しくお母さんとお父さんが一緒に来てくれてわたしはにこにこ顔。雪が深くなって駅までの移動だけでも大変なのに内地まで来てくれるなんて。
いつもの検査が一通り終ってリンダさんと診察室に戻って来るとおじいちゃん先生、お母さんとお父さんが睨み合ってて怖い。
「最大限の努力と助力を約束しましょう」
長い沈黙の後におじいちゃん先生がそう言って、お父さんとお母さんが深々と頭を下げていた。
一年後の小学二年の冬、わたしは入院した。
どうしてここにいるのか知らされないままに血を抜かれたり下剤を飲まされたりして二日がかりで手術の準備は進んでく。
今は知っているけど全身麻酔をすると筋弛緩するから身体の中を空っぽにするんだよね。
麻酔の原理は未だに分かっていないと言うのはほんとなのかな。
「点滴に眠くなるお薬入れるね」
手術台に寝かされたわたしに多分看護師さん――術衣着ちゃうと誰か分からない――が声をかけてくれてからの点滴の横に着いたでっぱりから何かを入れたみたい。でも眠くならない。お目目ぱっちり。
「眠くなってきた?」
「ぜんぜんねむくない」
聞かれるままに返事をしたら室内がちょっと慌ただしくなった。
「ええと、マスク付けるね。付けたら深呼吸。いい?」
「はぁい」
眠くならないなーとか思いながら口元にマスクを付けられて言われるとおりに深呼吸をしていると、私が眠ったと思ったのか聞かれても構わないのか
「なあ、この機械って日本では俺達が一番最初に使うんだよな?」
「バカ言え。沼田先生が色々いじってカスタマイズしてるんだ。世界初だよ」
「気持ち良さそうに寝ちゃって」
先生や看護師さんの声を最後にぱっつんと意識が途切れた。
機械ってなんだろう?
突然切れた意識がやっぱり突然繋がって真っ暗闇からいきなり明るい場所に引きずり出されたような衝撃を受けてわたしは目を覚ました。
「かひゅ」
肺が酸素を吸い込もうとしてうまく取り込めない
「ゲホゲホゲホゲホゲホ」
むせて、口元にかぶせられた何か――マスクを取ろうと手を動かそうとして身体の真ん中の激痛に悲鳴を上げる。
何が起きているか分からない自分の身体の痛みに泣きわめいて暴れるわたしの手足を誰かが抑えてる。
怖い。
理由の分からない痛みも押さえつけられている腕もみんな怖くてわたしはもっと泣き声をあげてもがく。
涙でかすんだ視界に人影が見えるけど誰だか分からないし何を言っているかも分からない。
と、ほっぺに何かが触れる感じがして、痛みから逃げるように意識が頬に向く。それはゆっくり着いたり離れたりする。
「チビ助! 聞こえとるか。落ち着いて、静かにゆっくり深呼吸せい。ゆっくりゆっくりじゃ。儂の指の動きに合わせるんじゃ」
聞き覚えのある優しい声に言われたとおりにほっぺに触れる指の動き合わせて短く早い呼吸を長くゆっくりの呼吸にしようと努力する。
呼吸が落ち着いてくると身体の痛みも引いて周りを見る余裕もできた。
身体が動かないから目だけを動かして周りを見るとお母さんとリンダさんが泣いていてお父さんはやっぱりむっつりしてた。
おじいちゃん先生も涙目だった気がする。
わたしは麻酔が覚める時間になってもずーっと眠り続けてたそう。
脳波も身体の機能も正常値なのに目覚めない。
それで傷の痛みを外部刺激にするために鎮痛剤を使わなかったとか……しどい。
何かの機械を埋め込む手術は終わった。
この手術を境にわたしの中で大きく二つのことが変わった。
一つは発作を起こす成分のあるものを口にすると……吐いちゃう。
埋め込まれた機械が胃に入った食べ物による身体の反応で判断して悪い物は胃から先に行かないように嘔吐反応を起こすとかなんとか。
今でこそ幾つかに絞られたから避けられてるけど、当時みたいに発作を起こさない代わりにおぇってなるのはそれはそれで…うーん。
そして、もう一つは、“死”を考えるようになったこと。
おじいちゃん先生の『普通なら死んどる』と言う言葉。
海で溺れた時の『空の蒼と海の碧』。
そして麻酔での意識の消失と覚醒。
お母さんのお母さん。つまりお祖母ちゃんのお葬式でぼんやりと感じ始めてたものがとても近くにいることに気付いてしまった。
そして、一人ぼっちの病室が寂しさと不安を募らせていく。
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