第4話  定期健診

 水曜日は五時間目でおしまい。

 いつもなら図書室で自主的なカウンター当番と言う名のお話書きをするんだけど、今日は残念ながら予定があるからお休み。

 残念なのは予定の方だけど。

 中等部の敷地からエスカレーター式の女子大学――短期大もあるよ――を通って

「中等…部?」

「小さくて可愛い」

 と大学のお姉様方の過分な評価を背に受けながら目的の医学部付属病院に重い足を向けて、てくてく。

 病院とは小学一年生の時に来て以来だからもう七年のお付き合い。

 代替わりはしてるけど病院の受付のお姉さんとも仲良し。

「いらっしゃい。一か月なんて早いものね」

 診察券を受け取りながら受付の津田さんが明るく笑いかけてくる。いつも笑顔の津田さんだけど、わたしの時は笑顔三割増しな感じ。気が重いのが顔に出てるのかな。

「月が替わりましたから保険証の提示をお願いします」

 お隣でもう一人の受付の川島さんが他の患者さんに話してる。

 わたしは月が替わっても保険証を出したことない。持ってないから。家にはあるのかもしれないけど、わたしは臨床実験とかなんとか診療で自費? 実は慈悲とかでおじいちゃん先生が費用を払ってる…だったかな。

「はい、診察券。いつも通りに採血からね」

「はぁい」

 診察券を返してもらいながら今日のメニューの入ったクリアホルダーを受け取って津田さんに頭を下げる。

「いってらっしゃい」

「いってきます…」

 笑顔の津田さんに力なく返事をしてわたしは受付から右にあるエスカレーターに乗って採血室に向かう。

「いらっしゃい、一か月ぶりね」

 採血室に行くとリンダさんが待っててくれた。

 わたしの担当看護師リンダさん。本当の名前は林田真由美はやしだまゆみさん。

 通院するようになってからの担当で、最初はほっそくてなんか頼りなーいって感じの新人さんだったのに。今や恰幅の良い頼れる看護主任さん。

 林と言う漢字をリンと読めると知ったわたしがふざけて呼んだのがきっかけであだ名のようになっちゃった。本人も嫌がって無さそうなのでそのまま。

 他の看護師さんの噂話からすると試験に受かって師長さんに昇格するらしい。

 そうなったら、きっとリンダさんはわたしの担当じゃなくなっちゃうんだろうなぁ。いやだなぁ…

「どうしたの。何か嫌な事でもあった?」

 担当を外れる想像が顔に出てしまったのかリンダさんが心配そうに顔を覗き込む。

「あっ、ううん。なんでもない。そうだ。聞いてリンダさん。今日ね、とうとうゲロ子さんて呼ばれちゃった」

「何それ酷い。ちゃんと言い返した?」

 わたしの背中に手を当てて採血室にうながしながらリンダさんが顔をしかめる。

「もちろん。意地悪な同級生のA子さん、B子さんて」

「なんでA子さんなの?」

「もっと増えそうだから。今のところZ子さんまで。それ以上になったらクラスで完全孤立しちゃうけど」

「もう嫌なこと言わないの」

 当てられてた手でぽんと背中を叩くリンダさん。

「でも、しょうがいないと思うんだ。前から憧れてる人がさ。途中から来た転校生にずっと構ってたら誰だっていやでしょ?」

「それはそうかもだけど…八つ当たりしていいかは別問題。はい、そこ座って」

 空いている丸椅子に座ったわたしは、袖口のボタンを外して両腕とも袖まくり。

 今日は、どっちが出るかなー。

「うーん、右かな」

 右腕にゴムバンドを巻かれて、リンダさんが採血する血管の様子を確認。

 本日の犠牲者は右の血管。

 アルコール綿で消毒されて

「はい、チクッとします」

 なんて、わざわざ言うリンダさん。

 ずっと採血をしてるから知っているのに。リンダさんが上手だって。

 本当に上手な人は針が刺さる時にチクッともしない。スッと滑るように針が血管に入るんだー。

「ふふ…」

 針を刺されてるのにリンダさんが新人の頃を思い出してちょっと笑ってしまう。

「なーに、また昔のこと思い出しているの?」

「だって、今はすっごい上手なのに…最初は緊張して手がブルブル震えてたり、注射器落としたりしてるんだもん」

「あったりまえでしょう。初めての採血が小学生の貴女で。しかも分からないくらいに血管が細い。痛い思いなんてさせたくないもの。緊張して当たり前だわ」

「あの時はちくっとしただけ」

「痺れは無い? 痛いところは?」

「ないでーす」

 おどけて返事をしていると、とすっと左側から音がした。

 足元に目を向けるとクリアホルダーが床に落ちてる。それから目を向けた左手はなぁんにも持ってない。うん、そうだと思った。

 わたしの左手は、ちょっと触感と言うか感覚がお鈍ちゃんなのだ。

 小学校何年生の時だったか、やっぱり採血をする時に針を刺されるといきなりビリっとした痛みが走った。

「痛いところありませんか?」

「さされたとこいたい」

 針が刺されたところは痛いし、そこから腕の――名前が分からない肘の左斜め位のあたりがビリビリしてた。

「そう? 血は取れてるから大丈夫」

「ひじんとこもいたいです」

 痛くて涙をこらえながらわたしは訴えたけど採血している人――看護師さんじゃなかった――は

「ちゃんと血が取れてるから大丈夫大丈夫」

 と話を聞いてくれなかった。

 ビリビリと痛みは親指の先まできて、言っても相手にしてもらえなくて、わたしは大声で泣き出した。

 そこにリンダさんが来てくれて対応してくれなかったら、どうなってたのか想像するととても怖い。

 そのあと整形外科で診てもらったけど問題ないって言われた。

 でも、わたしの左手は薄いものを持つと

「あーら不思議。このようにいつの間にか床に落ちているのです」

 クリアホルダーを拾おうとして採血中なことを思い出して終了までお預け。

 あれ以来、指先の感覚が鈍くて親指から肘の方へ指を当てると触られた感触は薄いのにピリピリする。

「神経に触っちゃったのかもしれないね。大丈夫。神経は再生するから」

 と診てくれた整形外科の先生は言ったけど中学生になっても治ってませんよ。もしかすると神経が再生するのはわたしが死んじゃってからだったりして。それじゃ治ってないか。

「ちゃんとご飯食べてる?」

「食べてますよ。朝昼晩と山盛り出されてるから」

「そう」

 リンダさんの言いたいことは分かる。

 お母さんの献血に付き合って採血するところを見てたから。

 血液型がB型の人は献血好き。と巷で言われるようにお母さんは献血大好きで、わたしの買い物に行くと言う名目で街に出ては献血をしてた。

 だから検査採血の時でもお母さんの血液が濃くて勢いのすごいのも見ているから、わたしの場合は薄くて壊れた水道から漏れてるみたいな感じで採血に時間がかかってる。

 ちゃんと食べてないってかもって心配してくれてるんだろうな、リンダさん。

 そう言えば、お母さん。三カ月連続で献血してお医者さんに怒られてたっけ。

「前回の献血から三〇日以上というのは、三十一や三十五日なら良いという意味ではありません。普通は血液の再生が追い付きません。今回は数値的に問題ないので献血をお受けしますが、今回以降は最低で三ヶ月は期間を開けて下さい」

「わたしいったのに…」

 一緒にいたわたしのつぶやきにお母さんは苦笑い。

 おまけのお話でその一か月後にお母さんは鼻血を出して

「献血してないせいよ」

 と大笑いしてた。

「うーん、いいかな。抜くよー」

 抜かれた試験管四本分の生き血は、そのまま吸血鬼たちの元に届けられて……薄いとかまずいとか文句を言われてる姿しか思いつかない…我ながら発想が貧困。

 小さく穴の開いたところにぺったん。脱脂綿付のシールを付けられたら右腕を心臓より高く上げてじっと五分。

 と言ってもその場にいられる訳じゃないから、廊下のソファーで時計とにらめっこ。

「次は――」

「さっ採尿でしょ」

この言葉を言うのはちょびっと恥ずかしいから、急いで言葉を続ける。

「それから心電図に視力検査。最後にレントゲン」

「X線撮影ね。レントゲンは人の名前よ。じゃあ、また診察室でね」

 採尿コップを置いて笑みを浮かべながら去っていくリンダさん。

 知ってますぅ。レントゲンさんがX線を発見した人のお名前だって。

 でも、わたしの周りはみんなレントゲン撮るって言うんだもん。小さい頃からそうなんだから簡単になおんない。電車なのにいまだに汽車って言ったり道外を内地って言っちゃうのとおんなじ。

 とかなんとか考えているうちに五分が経ったので、自分で言った順番に各科を回るためにソファーから立ち上がった。

 はぁ…先は長いぞ。がんばれ、わたし。

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