4月13日(土) 新入生研修合宿(三日目)

4月13日(土) 天気…曇り/晴れ



 不良たちに襲われ、間一発のところを意外な助っ人に救われた、その翌日。朝早くから僕ら一学年生と全員が教師たちから突然召集をかけられ、食堂に集められた。


 朝食の時間はまだだというのに何事かと思えば、今朝、僕らのクラス担任である新島先生が、宿泊棟の二階へ続く階段から落ちてしまったらしい。


 幸いり傷程度の軽傷で済んだらしいが、聞いた話によると、新島先生の部屋がある二階へ続く階段に、白い糸が見えないよう張られていたというのだ。


 昨日の就寝前までは張られていなかったことから、昨晩の間に新島先生を転ばせる目的で生徒の誰かが仕掛けたのは間違いない。


 そんなことがあって、この悪戯をした犯人を見つけるために、僕ら一年生徒全員が集められ、こんな悪質な悪戯を誰がやったのか、小一時間ほど先生たちからしつこく問いただされる羽目になった。


 ――でもこの時、僕には犯人が誰なのか、既に見当がついてしまっていた。


 つい数日前、犯人はこの犯行の動機を、僕の目の前で打ち明けていたからだ。自分の大切にしていたものを新島先生によって奪われた、たったそれだけの理由で。


 昨日の夜、皆が寝静まったのを見計らって部屋を抜け出し、二階から降りる階段の両隅に糸を伸ばしてセロハンテープで固定している紬希の姿が、はっきりと目に浮かぶ。もしそうでなければ、昨日の夜、僕がトイレで不良男子生徒に襲われていた時、就寝時間中であったにもかかわらず彼女が助けに来たことの説明がつかない。


 朝食時間が終わり、皆が部屋に戻って合宿の帰り支度を始める中、僕は秘かに女子たちの居る宿泊棟に赴き、紬希を呼び出した。


 そして、やって来た彼女に単刀直入に質問を投げてみる。


「――昨日の夜、二階の階段に糸を仕掛けたの、お前だろ?」


「うん、そう」


 すると紬希は、追及する僕に対して反論することもなく、むしろ清々しさを感じさせるほどにあっさりと、自分が犯した罪を認めてしまった。おかげで推理小説の謎解きシーンのような息を呑む雰囲気が瞬く間にぶち壊しだ。


「……確かに、自分の大切なものを奪われて、いちゃもん付けられて苛立つ気持ちも分かるよ。でも、だからといってこんな陰湿いんしつな悪戯をして良い理由になる訳じゃないだろ。今回は擦り傷程度で済んだみたいだけど、実際に階段から落ちて死んだ人だって数え切れないほどいるんだ。だから、頼むから勝手な真似をしないでくれよ」


 なるべく普段から感情を人前でさらけ出さないよう努めてきた僕だったが、流石にこの時ばかりは胸の奥に封印してあった怒りの感情を全て持ち出してきて、彼女にぶつけた。


 正直言って、紬希がこんなに身勝手な奴だなんて思いもしなかった。彼女の突飛な行動によって、僕らの平穏な日常がみるみるうちに崩されていくように思えてきて、気が気でない。僕はトラブルに頭を抱えることなく普通の高校生活を送っていたい。そのことを、トラブルメーカーである彼女にも分かってほしかった。


「……分かった。これからああいうことがあったら、凪咲君に一度相談する」


 そう言われて、僕は言葉を詰まらせる。まさかそんな返事が返ってくるとは予想していなかった。


「いや、だからそういうことじゃなくて――」


「ほら、急がないと、みんなもう外に集まってるよ」


 無理やり話を断ち切られ、紬希は荷物を抱えてホテルのロビーへ走って行ってしまう。


 なんだか、余計な面倒事に自ら首を突っ込んでしまったのかもしれない。そんな不安が、僕の脳裏を過ぎる。


 けれど、それでも紬希一人で自分勝手にあれこれやられるよりは、いくらかマシであるような気もして、僕は渋々しぶしぶ荷物をまとめ、合宿所を後にしたのだった。



 ……結局、合宿が終わって、三日ぶりの我が家に帰り着くまで、紬希が僕の視界の中から離れることはなかった。彼女が僕の家の近所に住んでいるという現実が、この時ばかりは不幸のように思えてくる。


「――じゃ、さよなら」


 僕の家の前で別れの言葉を残し、去っていく紬希の後ろ姿を見て、僕は溜息を吐く。何を考えているのか分からないトラブルメーカーのお世話係を押し付けられてしまったように感じて、酷い憂鬱感を覚えた。


(ひょっとすると僕は、高校生活初っ端から、とんでもない面倒事を抱えてしまったのかもしれないな……)


 ――これまで、誰一人として友達を持ったことがない(縫いぐるみのクマッパチは除いて)と、自己紹介の時に話していた紬希。


 しかし今回の合宿で、彼女は初めて僕のことを名前で呼び、僕を危機から救い、終いには僕を頼ってきた。事実、今もこうやって登下校の時も一緒だし、普通に会話も交わしている。


 ひょっとすると僕は、彼女が今まで歩んできた人生の中で、最も近しい間柄になれた人間なのかもしれないと、ふと思った。


 けれどそれは、僕にとってとても嬉しい出来事であるとは言い難かった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る