2日目
寝苦しさで目が覚めた。
この日泊まったホテルは全館空調で部屋での調整ができなかった。
窓をかけようにも蠅が入るので開けるなと書いてある。
結局布団をかけずに寝ていた。
外を見ると雨が降っている。
昨日の予報では晴れだったのだが、よくわからない天気だ。
晴れていれば早朝に出て少し駅周辺を探索しようと思っていたが、昨日に続いてついていない。
仕方なくテレビをつけると、未明に岩手県沖で地震があったと報じられていた。
こちらに影響はないが、やはりいつ何があるか分からないので乗れるうちに乗っておくに限る。
短期的にも長期的にも。
この週の平日は保線工事の関係で日中の列車が特急大雪を含め軒並み運休になっている。
お陰で朝一のオホーツクに乗らないととんでもないことになる。
発時刻の30分くらい前に網走駅に行くと、これから乗るオホーツク2号はまだ入線していなかった。
一応指定席券売機で指定席の混み具合を見てみるが、かなり空いている。
これならば自由席で良いだろう。
前に乗った時は遠軽まで前が見える一番前の指定席を取ったが、今回は遠軽から先で前が見える自由席を確保しておく作戦だ。
10分前くらいになって列車が入ってきた。
すでに改札に何人か並んでいてあわやとも思ったが、幸いにも競合者はおらず目的の席を確保できた。
網走を定刻5時56分に出発。
陣取った席は左側だが、一時右側に移る。
しばらくは右側の方が景色が良いはずだ。
まずしばらくは湧網線の線路跡が並んでいる。
じきにこちらが左へカーブするとあちらはそのまままっすぐ進み分かれていく。
すぐに道路をくぐると右手に網走湖が見えてくる。
車掌がやってきたので検札かと思い切符を取り出すが、背後の乗務員室入って何かをしてそのまま帰っていった。
少し恥ずかしい。
しばらく網走湖の湖畔に沿って進み、それが終わる頃女満別に着く。
女満別ではホームで近所のおばちゃんたちが花壇の手入れをしていた。
美幌を出る頃には雨は上がって空も明るくなってきた。
この調子なら大雪山が見えてくれるかもしれない。
車窓に人家が増えてくると高架線を通って北見に停まる。
北見でこの車両だけで3人乗ってきた。
地北線跡はまだ砂利はあるが線路は取り外されている。
駅を出てすぐトンネルに入る。
トンネルを出るといきなり晴れていた。
天気がいいとなんでもない風景でも美しく感じる。
また車掌がやってきてそのまま帰っていった。
今日は札幌まで行くと決めているから、いつ目的地を聞かれても構わないのだが、そういう時に限って聞かれない。
留辺蘂を過ぎて常紋峠に差し掛かる。
格下げになった金華信号場で3両編成の普通列車とすれ違う。
エンジンをけたたましく鳴らしながらゆっくりと坂を登っていく。
進むにつれてどんどん木々が色づいていく。
まるで時間を早回しにしているようで面白い。
桜の時期に東北本線をなんかしている時と同じような気分だ。
常紋信号場跡を通過して常紋トンネルに入る。
このほんの数十秒で通過するトンネルのために多大な犠牲を払ったというのだから恐ろしい。
そんな劣悪な環境であったからより時間がかかったのではとも思うが。
現代社会に通ずるところがある。
トンネルを抜けるとエンジンの代わりにブレーキの擦れる音がしてきて下りに入る。
空はすっかり快晴となった。
快調に坂を駆け下りていると麓の生田原に着いた。
常紋峠用の補機の基地であった名残に広い構内が残されている。
駅舎の反対側には貯木場があるが、あれを鉄道で運んでくれないだろうか。
なんだか愛国心を試されるような名前の駅を過ぎると遠軽に着く。
左手からこれから向かう旭川からの線路が見えてくる。
停車中に座席の向きを変えてここからは前面展望が楽しめる。
瀬戸瀬駅で貨物とすれ違う。
プッシュプルでかっこいい。
赤い駅舎が特徴的な丸瀬布を過ぎるとカーブが多くなり速度が落ちる。
白滝からはかなり勾配がキツくなる。
カーブも厳しくおそらく60キロもない速度で走り続ける。
その分紅葉をゆっくり楽しむことができる。
奥白滝信号場で一息つけるように一度惰性で走ると、再びノッチが入る。
雪崩避けのシェルターを2つくぐり、石北トンネルに入る。
トンネルに入ると40キロほどと思われる所から加速し始めた。
どうやら低速の原因は勾配よりもカーブだったようだ。
ひたすらまっすぐなトンネルを快調に進んでいく。
いつのまには登り勾配は終わっていたようで、エンジン音が消えていた。
やがて少しブレーキをかけて左へカーブすると、すぐに出口がやってきた。
トンネルを出るとすぐに上越信号場を通過する。
この辺りの山は広葉樹が多いようで、一面が見事に色づいていた。
北見峠越えの基地であった中越信号場を過ぎて坂を駆け下りていると、途中に直線の途中で右によってまた戻るという駅らしい線形を見つけた。
果たしてそこは天幕駅跡であった。
この駅のwikiを見ると面白い逸話があることがわかったので見てみてほしい。
上川停車時にATSが鳴動していた。
特に交換はないはずだがと思ったが、上り方面には安全側線がない1番線に入るための措置であった。
次の安足間で運転停車し下りのオホーツク1号と交換。
上川でもう少し停まっていればと思わないでもないが、私は楽しいので構わない。
1分もせずに通過していった。
お互い所定通りなのは何よりだが、もう特にこれといった計画もないので何かアクシデントが起こらないかなとも思っている。
大雪山の雪はどうかと思ったが、ちょうどその辺りにだけ低い雲があって見えなかった。
特に何も起こらず新旭川で宗谷本線と合流する。
急激に街が発展してきて旭川に到着。
ここで乗務員が交代。
車掌のアナウンスが、モノマネでもそこまでやらないだろうというくらいタメを効かせていて笑いそうになる。
モノマネのお手本のようなアナウンスを聞きながら列車は函館本線に入り、今までの鬱憤を晴らすかのように快速で走り始める。
揺れも圧倒的に少ない。
さすがは北海道随一の大幹線である。
それにしてもこの路線、北海道新幹線全通の暁には小樽ー旭川間しか残らない予定なのだが、それでも函館本線の名前を使い続けるのだろうか。
すでに有名無実感があるが、何かもっといい名前をつけるべきだろうか。
それともその功績を讃えるために名前を残し続けるのか。
JR北海道のみぞ知る話だ。
長いトンネルを抜けてしばらく走ると深川に停車。
留萌本線との接続駅であり、深名線も分かれていた。
留萌本線も早晩なくなるであろうから乗っておいてよかった。
次の滝川では根室本線が分岐している。
根室本線の分断は想定外であったし、復旧しないとも思わなかった。
狩勝峠の区間は一度乗ってみたかっただけに後悔の念が強い。
隣の砂川駅も特急停車駅だが、オホーツクは通過する。
昔は運炭のための路線が2つ接続しており、そのために敷地はかなりの広さを誇るが今では何の用も成していない。
とにかく岩見沢ー旭川間は主に炭鉱からの石炭輸送のために、ほぼ全ての駅で何かしらの路線や専用線が接続していてとんでもない恩恵をもたらしていた。
しかし今ではそのことごとくが姿を消している。
まだ石炭火力発電をしているのだからその分くらい自国内で掘ればいいのにと思うのだが、その程度の需要では採算が合わないのだろうか。
そう思ったら近年(と言っても10年以上前だが)やはり火力発電向けに露天掘りを再開していたらしい。
だったら鉄道使ってくれよ。
砂川と同じく特急停車駅の美唄を通過。
例によってここも炭鉱までひと区間だけの支線があった。
時刻表を見ていて思ったが、30分に1本特急が走っているのに、岩見沢以東の普通列車が極端に少ない。
ここだけは国鉄時代に戻ったようだ。
そうこうしているうちに岩見沢に停車。
こここそ最大最強の駅でただでさえ広い駅構内に加え、隣接してとんでもない広さの操車場を有していた。
今では駅構内こそ車両基地として使われているが、操車場跡はひたすら草ぼうぼうの空き地である。
岩見沢からはノンストップで札幌まで突っ走る。
ここでやっと検札がやってきた。
今更感がすごい。
駅間距離も短くなり次第に住宅が立ち並ぶようになって札幌のベッドタウン感が増してくる。
厚別を過ぎると左手に千歳線の高架が見えてくると同時に、札幌貨物ターミナルへの線路が分かれていく。
しばらくすると終着札幌のアナウンスがされた。
注意信号のためにゆっくり進んでいると、豊平川を渡るあたりで複々線の隣をエアポートが抜かしていく。
数分遅れて札幌に到着した。
このままただ函館に行くのも芸がないと思い、何か良い暇つぶしはないかと考えたところ、秘境駅と名高い小幌へ行こうと思いついた。
時刻表を捲るとちょうど次の北斗で洞爺まで行くと普通列車に連絡し、30分ほどの滞在時間で逆向きの普通がやってくるという神のような旅程が出現した。
その北斗12号までは50分ほど時間があるので、その時間で昼食を摂りたい。
正直前日の晩飯が良過ぎたのでここで下手なご当地ものを食ってその余韻を汚したくない。
スープカレーの店があり悪くないと思ったが昼時というのもあり外で待つ必要があるとのことで断念した。
そういえば札幌程の都市ならば私の好きな台湾まぜそばを食わせる店があるだろうと思い調べるとはたして駅からそう遠くない位置にあった。
もう迷っている時間もないのでそこに決めてささっと食べて出てきた。
微妙なのを食わせる店がたまにあるが、ここのはちゃんと美味しくて安心した。
12時9分発の北斗12号は座席数の3分の1程度の乗客を乗せて札幌を出発した。
岩見沢行きの普通列車と並走し、さっき見た札幌貨物ターミナルを今度は高架の上から見下ろして新札幌に停まる。
新札幌を出ると検札がやってきた。
今回はどちらまでと聞かれたので、今度こそ即座に洞爺までと返答した。
しかし言い方が悪かったのか聞きかけしれてしまった。
なかなか締まらない。
そもそも洞爺より手前で降りて先に鈍行に乗っても良いのではないかと思い時刻表を見ると、やはり始発の東室蘭で乗り換えても全く構わないことがわかった。
車掌さんには悪いがここは予定を変更させてもらおう。
南千歳でそれなりに乗ってきて、各2人がけの席に1人ずつ程度の乗車率になった。
左から室蘭本線がやってきて合流し沼ノ端を通過する。
千歳線のwikiを見ていると、驚いたことに空港絡みの新線開発の計画があると書いてある。
本当に貴重な北海道の明るい話題だった。
苫小牧を過ぎて次の白老の案内がされている時突然よくわからない言葉が聞こえてきたと思ったら、アイヌ語の案内だという。
とてもびっくりするので心の準備をさせて欲しい。
というか言われないと何が何だか分からず聞き流すしかないので、どうせやるのならば先にアイヌ語の放送をしますとでも言ったほうが良いと思う。
沼ノ端からここまで日本で一番長い直線区間だというが、前も後ろも見えないので言われてみればそうだったかもくらいにしかわからない。
いつの間にか少し雲が出てきた。
小幌に着く頃にまた雨が降るのではないかと心配になる。
萩野駅を通過するときに専用線らしき線路が見えたので嬉しくなったら、とっくの昔に辞めていた。
使っていた日本製紙の工場はまだ動いてるのになんでだよと思う。
登別と言えばクマ牧場のCMが頭をよぎる。
その時点であのCMは大成功なのだろう。
トンネルを抜けると海が見える。
昨日までの灰色の海ではなく、青い海だ。
貨物の東室蘭駅に伊豆急行から貸し出されているロイヤルエクスプレスがいた。
偶然にも今日が返却の日らしい。
東室蘭に着いて駅舎内をうろうろしていると、自分のスマホが鳴り出した。
土曜に高校の時の友人と落ち合って余市の蒸留所の見学をしようということで今日予約をする手筈であった。
札幌で電話をしようと思っていたのを忘れたので、東室蘭では忘れないようにと念のためアラームをセットしておいたのだ。
案の定忘れていた。
単行のH100系が入線していた。
2×1の座席配置はいつもなら喜ばしいが、キハ40があるならそちらの方が良かった。
どうにも最近の硬い座席は好きじゃない。
乗客は地元の高校生が5人と観光客と仕事の人が半々の計20人くらいであった。
東室蘭をで出ると室蘭方面の線路が左に分かれていく。
大きな工場群を左に見ながら山裾に沿って進んでいく。
本輪西に差し掛かったところで踏切の特発が発光しているのがチラリと見えた。
駅の向こうのものだったようで、ひとまず駅に停まった後運転再開の指示を受けて発車した。
黄金駅あたりで左手に海を挟んで対岸が見える。
一番大きいのが駒ヶ岳であろう。
正面には羊蹄山が見える。
海が間近に見える北舟岡で対向列車の待避待ち。
いつの間にか単線になっていた。
ここで5人降りていく。
こんなところで降りるのかと思ったが、ホームから階段を上がったところが住宅地であった。
風が強い。
風規制が怖くなってきた。
伊達紋別で残っていた半分が降りてそれ以上に乗ってきた。
ドア付近で風景を見ていたので、慌てて荷物を2人掛けボックスからロングシートに移す。
胆振線跡が分かれていく様子を見ようと思ったが、よくわからなかった。
胆振という地名は地震の時に初めて知ったので、その後その名を冠する路線があったということを知って驚いた。
右手に有珠山と小さく昭和新山が見える。
ちょくちょくカブとも大根ともつかないような畑があるがあれが甜菜だろうか。
洞爺でかなり降りたのでボックス席に座る。
やはり洞爺まで先行すればよかった。
海のすぐ近くを走る。
津波が来たら一巻の終わりだ。
このさらに海側に旧線があるということだが、すでにギリギリを走っているのにどこを通っていたのか不思議でしょうがない。
少し高台に移って海がよく見えるようになった。
しかし西日が強烈に眩しい。
礼文に到着。
次が小幌である。
なんだか無駄にドキドキしていた。
小幌では私ともう1人が降りた。
その人は駅の写真をくまなく撮っていたが、私はそれよりも山道を行くとあるという海岸が気になっていた。
一体どれほど歩けば辿り着くのかわからないが、最悪30分後の列車を逃しても17時台の列車があるので良いだろうということで行ってみることにした。
おそらくこの道だろうと歩いていくとすぐに右へ文太郎浜、左へ岩谷観音という看板があった。
さらに左には岩谷観音と小幌洞窟という看板まである。
その洞窟も非常に気になるが、ひとまず海岸へ降りることにした。
海岸への道は思ったよりもちゃんとしていて、所々に線路と枕木で作った土留が設置されていた。
この道もJRが管理しているのだろうか。
その海岸は両脇を迫り出した崖に囲まれていた。
拳大ほどの丸石ばかりがゴロゴロしていて、波が引くごとにガラガラと音を立てていて小気味良い。
砂を巻き込まないせいか波が綺麗だった。
しばし波の音を聞いて満足し、きた道を引き返した。
行きは良い良い帰りは怖いの通り、かなりの急傾斜を一気に駆け上ったせいでとても疲れた。
まだ15分ほど時間があったので、件の洞窟も見てみようと進んだが、なかなか辿り着かず遂には眼前に果てしない上り坂が現れたために心が折れて引き返した。
重しを蓋に乗せたプラスチックケースが駅ノート入れとして雨ざらして置いてあり、その中に大きな記念入場券レプリカが入れてあった。
マグネットシールで日付を変えるようになっていたので4日から6日に変えて写真を撮った。
駅名標には35cm以下のヒラメはリリースしてくださいという日焼けした張り紙が貼ってある。
あの浜で釣れるのだろうか。
急いで各所の写真を撮っていると、トンネルの方から接近の警報音がしてきた。
やがて列車がゆっくりとやってきて2人でそれに乗り込む。
流石に降りる人はいなかった。
そのもう1人が礼文ですぐに降りた。
整理券で乗ってきたし地元の人なのだろうか、よくわからない。
洞爺に着くと私と入れ替わりに高校生がまとまって乗っていく。
やはり洞爺を境に需要の度合いがガラッと変わる。
函館行きの特急まで20分ほど時間があったので少し駅の周りを歩いてみる。
洞爺湖電気鉄道なるものが戦前にあったらしいので何か痕跡がないかと探したがよくわからなかった。
途中函館方面の接近放送が聞こえドキッとしたが、貨物列車であった。
列車を待っていると3番線に札幌方面への貨物がそろそろとやってきた。
洞爺から北は単線なので私がこれから乗る北斗を待っているわけだ。
程なくして北斗16号がやってきた。
洞爺を出ると早速検札が来た。
切符を見せると、差し支えなければどちらまでと聞いてきた。
そんな差し支えがある場合があるものかと思ったが、思い返せば昨日の自分は差し支えがあった。
今日のところは素直に函館までと答えておく。
この辺りを短時間に2往復しているが、それでもこの海岸の風景は見ていて飽きない。
それにしてもこの辺りはだいたい普通の砂浜なのに、どうして小幌の海岸だけは石ばかりだったのだろうか。
洞爺で見た貨物を礼文で追い越す。
警笛の音が聞こえたかと思うと小幌を勢いよく通過する。
17時に長万部に着いた。
まだ空が明るい。
今日は晴れているからとはいえやはり昨日とは日の長さが違う。
山道を歩いた疲れからか眠くなってきた。
しかしここで寝ると後で眠れなくなりそうだ。
明日は函館の朝市に開店凸してやろうと思っているのでなんとか堪える。
森の手前の妙なタイミングで車掌からの肉声で全車禁煙である旨の放送があった。
誰かが吸っていたのだろうか。
森でかなり降りていった。
そこまで需要のある駅だとは思わなかった。
森を出ると新幹線利用者向けの乗り換え案内が日本語、英語、中国語で長々とされていた。
新函館北斗で対向の北斗が少し遅れているため待ち合わせとの放送。
そういえば単線であった。
函館に着くとすぐにホテルへ向かう。
食欲があまりないし強いて何か食べたいものもない。
何より猛烈に眠いのでホテルに入るとすぐに寝た。
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