ある作品は叩かれて別の作品が叩かれない理由を考えてみた

久野真一

ある作品は叩かれて別の作品が叩かれない理由を考えてみた

 はじめましての方ははじめまして。久野真一くのまいちと申します。

 主にネット小説で、幼馴染ものばっかり書いているちょっと変人な作家です。


 今回は、幼馴染ものとかあんまり関係なく、表題の件について前から考えている事があったので少し考察を書いてみることにしました。ジャンル横断で考察するとややこしくなるので、恋愛または恋愛のサブジャンル限定です。


 なんでそんな考察を書いてみたくなったかというと、折に触れて一部読者からの心無い感想に凹んだというお話を耳にするからなのですが、考えてみると興味深い話題だと思うんですよ。


 批判相手も人間であるということを前提にマナーを考えようねというのは大前提ですが、それにしても特定の作品に対する感想欄は異様な程ヘイトで溢れているのに、同じくらい読まれてそうな作品の感想欄が平穏そのものなのは少々不思議です。


 商業作品であれば、読者は同時にお金を払った「お客様」なので、ある程度は文句を言う権利があるにせよ、無料で提供されているネット小説で何故このような格差が生じるのでしょうか。


 もちろん、その理由を究明するには明らかに証拠が不足していますが、普段からコメント欄を観察している限り、いくつか明白な要因はあるように感じます。以下、あくまで私が観察した結果の主観にはなりますが、原因を列挙してみます。


 あくまで「因果関係」についての考察であって、作者様に「責任がある」という話ではない点にはご留意してお読みいただければ幸いです。


1.小説プラットフォームの設計


 皆様ご存知の通り、ネット小説最大手のプラットフォームは「小説家になろう」(通称なろう)です。私が思う限り、「小説家になろう」はプラットフォームの設計として、読者の「批判したい」欲求を刺激する面があるようです。


 特に、感想欄が


「良い点」

「気になる点」

「一言」


 の三つに分かれている事自体、健全な範囲での作品批判はOKという読者へのメッセージになっています。


 ここで問題になるのが「じゃあ、どの程度の批判ならOKか」という事です。利用規約第14条「禁止事項」にて


「当グループもしくは他者を不当に差別もしくは誹謗中傷し、他者への不当な差別を助長し、又はその名誉もしくは信用を毀損する行為。」


 は禁止される旨は明記されていますが、作品批判自体は明示的に禁じられていません。もちろん、作品批判を禁じると一切ネガティブな感想が書けなくなるわけで、これは当然なのですが、「気になる点」を書いていいとなれば、感情の抑えが効かない人も出てくるのが世の常というもの。さらに、一度ネガティブな感想が投稿されると「俺もそういう事書いていいんだ」と尻馬に乗る人が出てくるのもやっぱり世の常です。


 一方、プラットフォーム上は明確に「安易な批判」が行われないように設計されているのが「なろう」を強く意識した「カクヨム」です。特に、「感想」という文言の代わりに「応援コメント」となっているのは設計として秀逸です。「応援コメント」にネガティブな感想をあまり書くのは、普通気が引けますしね。


 このようなプラットフォームの設計によって、読者がネガティブな感想を叩きつけるのを緩和出来るのは、両方のプラットフォームで作品を書いている者からするとほぼ自明なように思います。逆に、ネガティブな感想に辟易している作者様がいるなら、メインのプラットフォームを選ぶというのも戦略の一つかもしれません。


 もちろん、システム設計で防ぐのにも当然限度があって、カクヨムも作品によっては心ない応援コメントが投稿される事はままありますが、少なくともなろうより程度はマシな事が多いようです。


 アルファポリスなどその他のプラットフォームについては、一部作品を投稿した事があるくらいであまり事情に詳しくは無いですが、エブリスタも「応援」だったりして、読者がネガティブな感情をあんまり叩きつけないような設計が意識されているようです(どのくらい効いてくるかは程度問題ですが)


2.読者のネガティブ感情を誘発しやすいジャンルと誘発しにくいジャンル


 観察しているとほぼ明らかなのですが、恋愛ジャンルでも、甘々で波風立たず最後はハッピーエンドであるような作品は(描写がぶっ壊れていない限り)批判されづらいです。


 私自身が甘々系ジャンルがメインで「それなり」には読まれているから強く実感するのですが、喜びとか幸せとかのポジティブな感情を主に扱うジャンルでは、読者の怒りや憎悪を誘発しづらいというのが本質的な原因のように感じます。少なくとも、無料のネット小説だと「退屈」だとみなされることはあれど、嫌悪の対象にはなりにくいです。 


 一方、同じ恋愛ジャンルに区分けされる作品でも、「ざまぁ」や「すれ違い」ものに代表されるような、作品中で憎悪や怒りなど負の感情を主に扱う作品となれば、一気に感想欄が荒れる確率は高くなります。


 この原因については色々考えたことがあるのですが、ジャンルとして作中人物に一定のヘイトを集める事が前提である以上、読者側はそのヘイトが何らかの形で昇華される事を期待する一方で、ヘイトの形は人さまざまなので、万人が納得する「裁き」は描写しにくいというのが根源的な理由のように感じます。


 実際、荒れているコメント欄を見ても、あるキャラに対して、非があるか無いか、情状酌量の余地があるか無いかなどで意見が分かれている事も多いです。


 もちろん、作者が意図して「こいつは悪役ね」と設定したキャラがこき下ろされているのは作者としても望む所だと思いますが、それが作品自体への悪感情に繋がったりもするのが難しいところかもしれません。


3.ヘイトコントロールの失敗


 悪行までは行かなくても、「無神経」「不誠実」「臆病」「優柔不断」「怒りっぽい」などなど、主人公ないしはヒロインが何らかの(社会的に見て)ネガティブな面を持つのは、人間を描写する上で必須と言えるでしょう。ただ、問題なのが、「その場面でそれはあかんでしょ」という言動や行動をしたキャラが「お咎めなし」となった場合です。


 作中に「ツッコミ」キャラが居れば(主人公が間違いに気づくでもいい)、読者は納得するものの、ツッコミ役が不在だったり、主人公の行動や言動が放置されたままだと読者の一部はヘイトを募らせて行きます。


 感想欄が炎上する時、「読者のヘイト」をうまく昇華させられていないケースが多いです。なにはともあれ、ヘイトが溜まるキャラの扱いをミスると危険であるとは言えそうです。


 一方で、社会的に見て明らかにやばい行動をしているキャラが居ても、そのキャラに対して作中できっちりツッコミが入っている場合はあまり炎上していません。


4.作者が想定したキャラの役割と読者感情の乖離


 3.に似た話なのですが、作者側が「こいつはちょっとヘタれな所もあるけど、そこまで悪くないよ」的な役割を設定したキャラが、読者から見て「そいつアウトでしょ」レベルのひどい人格を持っている事もままあります。


 もちろん、高校生がメインキャラの場合に「登場人物はまだ高校生でしょ。犯罪を犯したわけでもないし、そのくらい見逃してあげてよ」と作者側が言いたいケースはあるにしても、読者は現実の高校生よりも「成熟した」キャラを求める傾向があるようです。



 というわけで、考察というより雑感になってしまいましたが、恋愛ジャンルでは読者が感じるネガティブ感情をどう処理するかがキモだと言えそうです。


 特定の事例に触れないように配慮すると、どうしても微妙な書き方になってしまうのですが「べき」論とは別の「なぜ」論として参考になる方がいれば幸いです。

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