第38話「荒野の戦争――裏切り者と甘美なキスを」
ジャックは地面にそのまま叩きつけられ、間一髪でグライアの拳を避ける。
背に感じる感触で、土槍は地面ごと抉れて窪みができていた。
(なんだ……これは?)
明らかに人為的なもの。
一体誰がやったのか、どんなものでこれを抉ったのか。それすらも分からないのにジャックは何故か安心した。
しかし今はそれどころではない。
未だにジャックが危険な状況であることには変わりない、だがもうジャックが焦ることも、死を覚悟することもなくなった。
あるのはただ、目の前の敵を倒すという闘志のみである。
意識がはっきりしたジャックは身を素早く起き上がらせて立ち、ダガーを構え直す。
ダガーで狙うは目の前の敵唯一人。
グライアだけだ。
「――……ほう?この吾でも感知できない攻撃とは……だが、このタイミングの良さ、この刃物のような殺気。ククッ、そうか……そうか!お前もちゃんといるのだな!!イヤミ!!!」
「…………」
「良いだろう!!二人まとめてかかってこい!!捻り潰してくれるわ!!!」
「……」
グライアは力を地面に集めるように魔力を集中させ、地に魔力の渦を作り上げた。
濃すぎる魔力の渦に風圧が起き、騒々しかった周囲の音が消え失せる。
ここまで死の気配というのを肌で感じたことのない新兵たちは腰が抜けて無様に足を震わせ、歴戦を知る老兵ですら冷や汗を滲ませずにはいられなかった。
その風圧、そして濃い死の気配を一心にぶつけられているはずの男は、そんなものを物ともせず涼しい顔でグライアを見て、笑う。
「二人、か……なあ、本当に二人だと思っているのか?」
「なん、だと……」
「今のお前には、俺と戦う資格はないな。だから、ここは一旦譲ってやるよお兄さん。」
「なにを言って――ッ!?」
ジャックがダガーを仕舞い腕を組んだのをせっかく闘志みなぎっていたグライアはそれを忌々しそうに見やる。
まさか自分が戦う資格がないと格下である
そんなグライアの後頭部に、真っ赤な炎が掠めグライアは目を見開いた。
「おい誘拐犯、俺の大事な
ユウトの炎は当たらずとも、グライアの動揺は相当大きなものへと変わっていく。
ジャックはそれを、静かな目で見守るだけだった。
****
「……ミッションクリア、これでもう平気だな。全くあの阿呆め、少し強くなったからって調子乗り過ぎだな。」
スナイパーライフルから目を離してボヤいたのは、上からずっとスコープで見ていたイヤミだ。
呆れたような表情をしながらイヤミはスナイパーライフルを地面に立てて戦況を確認し終える。
(最早魔王軍は壊滅した。例えグライアがいようとも、ここからこの地獄をひっくり返すのは不可能。状況を変える手立てなど、もう存在しない。)
黒いコートは肩から少しだけずれ落ち、地面スレスレで風に吹かれて揺れる。
その揺れのようにイヤミの心は、まだ灰色の不安がちらついてしかたない。
それもそのはず、これほど楽な戦があろうかとイヤミは不愉快に思うからだ。
まるで脚本に沿うかのように策を練り、立ち回りを決めて演劇をしていく。
何者かの掌で動くように操られていると感じるイヤミはそれが不愉快でしかない。
イヤミの勘が訴えかけてくる、裏切り者はいると。
馬鹿馬鹿しい、自分を騙せるようなやつがいるかとイヤミは嘲笑した、いやしたかったがそれが無視できずにイヤミは目を細める。
(もしこの勘が合っていたとしたら、それは一体誰だ?私を騙し、レーヴェすらも騙すようなやつは一体……いや、そもそもソイツは……)
人間、なのか?
その時イヤミの脳裏でカチッと頭にパズルが一つはまる。
イヤミはその感覚にハッとしながらも元に記憶を引きずり出して徹底的に洗っていく、一切の零れなく徹底的に。
(いつからだ?いつからなんだ。私は一体いつからソイツに騙されている。この戦争が始まる前か?いやもっと前のはずだ、もっと前から私はソイツに操られて駒のように働かされていたはずだ。でも一体何のために?そいつの正体がもし魔王軍の誰かだとして私に接触していたのであれば、何故このグライアの愚行を止めない?どうしてこっちが有利になるよう働きかける?……考えても答えがでないな。なら逆に考えよう。私がもしその立場ならどうするんだ?どうして敵の有利な方向に働くか考えろ。)
イヤミの周りでは戦争はまだ続いているというのに、イヤミはただそれだけを考えた。
自分の最大の障害になりえるであろうその存在のことを、まるで恋する乙女かのように必死に考え模索し、時計ではわずか五分程度の短い時間でイヤミはある一つの仮説に近づく。
イヤミは信じられないと言うかのように首を振って目を見開く。
(まさか、ソイツの目的は私……なのか?)
その瞬間、悪寒が背筋を走って産毛すべてが泡立つ。
確かにイヤミの知るグライアの目的もイヤミを連れて行くこと、それは知っている。
しかし今回で分かる裏切りものはそれとは明らかに違う。
イヤミを連れて行くだけならグライアと結託してイヤミが力を付ける前に拐ってしまえばよかった。
それかこの国を落とすのであればグライアの愚行を止めるべく行動を起こす方が何倍も効率的なのだ。それがグライアの真の味方であるなら。
それをどちらもしなかったソイツは、今回のこの戦争で両種族間で大きな亀裂を生ました、漁夫の利を狙う第三勢力。
イヤミはその事に気づいて今回の裏切り者の正体である謎のベールに触れる。
少しだけ分かった僅かな情報にイヤミは嬉しそうに嗤った。
(だとしたらソイツは、四天王であるグライアとかなりの交流があり、戦争に口出しできるほどの信用と魔王軍をいのままに操れるだけの地位がある。そして潜伏先であるこの国でなんの違和感なく私すらも操る手腕。つまり裏切り者の正体、種族は人じゃない。ソイツは――)
空を仰ぎ見るイヤミ。
その空に浮かんだのは、陽の光で薄くなった満月よりも欠けた月。
その月に、イヤミは目を細めた。
「――悪魔族、だ。なあ、そうなんだろう?リート。裏切り者はお前だ。」
イヤミは後ろにずっと待機していた元気な兵士に向かって振り向きざまに言う。
その兵士の後ろには魔王軍の別働隊が武器をイヤミに向けて待機済みだった。
「イ、イヤミ様!?何を言って……この状況が分からないのですか!!」
兵士は涙目になって両手を上に上げて叫ぶ。
しかしイヤミはそのことには一切反応を示さず、ただその兵士をじっと見やっては口を閉じ続けた。
「イ、イヤミ様、た、助けて!!」
「……」
「イヤミ様…………――フフフ、正解ですよイヤミ。よくたどり着きましたね。」
涙をポロポロと流してイヤミに縋っていた兵士は俯き、そして肩を震わせて笑った。
兵士は頭の兜を取り顔を上げる。
その顔はさっきの明るく気の抜けるような顔ではなく、美しくも鬱くしい。人を堕落させるような美貌を持ち、青い瞳の奥が赤く輝く。
悪魔だった。
「……信じられなかったが、悪魔だったとはな。あの尻尾と耳はお前の趣味か?」
「貴女が獣人に興味があると分かり作ったものですよ。似合っていたでしょう。」
「それを知っているということは、お前かなり最初っから私の近くにいたな?」
「秘密です。しかし貴女が元聖女であるリカーネのために、一国の王に喧嘩を売ったのは大変面白かった。本当にあの小娘には勿体ない人物ですよ、イヤミ。」
リートを肩をすくませて物語を語るかのような口ぶりでイヤミに聞かせ続ける。
イヤミは静かにリートの話を聞き続けることはせず、銃を取り出し発砲した。
「言わないというのであれば倒すまでだ。お前が死にかけの時に洗いざらい全てを吐いてもらうぞ。」
「本当にイヤミ、貴女という人は容赦のかけらもない。……ねぇイヤミ。貴女がこの国のいざこざに巻き込まれたのが単なる偶然だとでも?」
「……何が言いたい?」
「最初にリカーネを拐わせたのも、この国の盗賊共を貴女に殲滅させたのも、聖女をグライア殿にさらわせたのも、この戦争の引き金を引いたのも、この状況に自体を操ったのも全て私なんですよ。」
「随分とまぁこんな大掛かりな茶番の準備をしたものだな?ご苦労なこって。……それでお前の目的はなんだ?お前は魔王軍のやつではないのか?忠誠はどうした?」
「まさか!たしかに私は魔王軍にいますがあんな小僧相手に忠誠を誓う訳ありませんよ。あんな力だけの無能に誓うなんてまっぴらごめんです。」
イヤミはリートの言葉に更に混乱していく。
この国に入ってから、イヤミはずっとリートの手のひらで転がされ続けていた。
しかし理由がわからない。
今目の前にいるこの男の目的がわからない内に大きく動くのは危険。
そしてこれ以上の混乱を防ぐため、イヤミは薄ら笑いを浮かべてニヤつく男に銃弾を叩き込んだ。
「(今のは完璧に入った。これ以上混乱は危険だ早くリリィのとことに向かわなくて、は)……彼奴は、どこに消えっ!!」
「――そういやイヤミ、さっき私の目的を聞いていましたね?貴女には教えて差し上げましょう、それはね――」
「っ!?」
後ろに立つ燕尾服の男。
いつ着替えた?それよりもいつの間に後ろに?影には魔力は感じなかった!!
混乱で動きが鈍くなったイヤミに、リートは素早くイヤミの腰を引いて頭を押さえつけ、そしてその潤々とした唇をイヤミの唇に合わせた。
「それではイヤミ、また逢いましょう。次は二人っきりになれる場で。……続きは、その時にでも。」
リップ音が小さく音を立てて唇同士が離れる。固まったイヤミの髪を一房ゆっくりと優しく触ったリートはその言葉を残して掻き消えた。
残ったのは固まって動かないイヤミと、驚愕とともに混乱した魔王軍のみ。
沈黙が両間で続いたが、一人の少女の笑い声で魔物たちは武器を向ける。
「フフフ、フハハハ、アッハハハハ!!!――絶対に殺す。肉片残さずに殺してやる!灰一つ残らず殺してやる!!」
憎悪がその場を支配し、殺気立ったイヤミが銃を握り込んだ。
そして殺気と憎悪で身を固くした魔物を視界に入れたイヤミは銃口を向ける。
「良いだろうやってみろリート!この私に喧嘩を売ったのはお前だ、精々私を楽しませてみせろ!!」
引き金を引いて魔物を殺し回るイヤミ。
その場が血の海になるのはそう遅くなく、イヤミは最後の魔物に銃口を頭に当てて打つ。
その音を最後に、その場はイヤミ以外の誰もが地面にふした。
「……もう戦争は終わりだ。」
イヤミはポツリと呟いてその場から去る。
吉報のその言葉を吐いたイヤミは、どこまでも苦々しそうに前を睨み、唇を舐めた。
蜂蜜のような甘さに更にイヤミの気分が急降下していく。
そんな不機嫌なイヤミを置いて、戦争はまさかの形で幕を閉じることをイヤミは知らない。今下で何が起きているのか、イヤミは何も知らないのだった。
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