第36話「荒野の戦争――袋の鼠作戦」

今回はかなり長いです。

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 頭から血を吹き出して落ちていく魔族を、イヤミは艶やかな笑みでそれを見ていた。

 戦っている、いや蹂躙している間、イヤミの体はまるで自分の意思を無視して動いているかのように、勝手に動いて魔族を殺し続けた。


 緑の硝煙が近くで打ち上げられ、イヤミはハッと意識を戻す。

 気づけば、周りには肉となった魔族がイヤミの回りで山をなしていた。


「……あ、れ?私は……一体何を?」


 喜びに身を任せていたイヤミは、その後のことが酷く曖昧で思い出せず頭を押さえる。

 あちこちにベットリとついた朱が自分のしたことを忘れるなと言うかのように拭けども拭けども取れない。

 返り血以外にイヤミが流したと思えるような血も傷もなく、ただイヤミは戸惑った。


 一体自分は何をしたのかと……


 しかし思い出そうとすればピリピリと頭の奥が痛んで仕方なく、イヤミは取り敢えずここから離れようと周りを見渡す。

 既に魔族たちは全滅しているようで、イヤミはジャックを探して声を上げた。


「おおーい!ジャッククーン!」


 イヤミの声が荒野に響く。

 しかし声は返ってこず、イヤミの心臓がヒヤッとしたが、後ろから近づく気配にイヤミは後ろを向いた。


「おっ前なぁ……こんな戦場ど真ん中で叫ぶんじゃねぇよ。」


「えー、居たなら返事しろよな。こんな所で死んだなんてリリィが知ったら泣くぜ?」


 イヤミを呆れた目で見下ろすジャックに、イヤミは肩をすくめて冗談を口から吐く。

 しかしそんな冗談も切れが悪く、どこか思い詰めた表情をしたイヤミに、ジャックは眉をひそめた。


「イヤミ……何があった?」


「……なんのことだ?」


「とぼけんな。んな顔をしてなにもないわけねーだろうが。」


 ニッコリと笑ってごまかすイヤミの頭を鷲掴むジャック。

 その手から伝わる言えという重圧に、イヤミの顔が引き攣った。

 しかしその手は以外にもすぐに離れてイヤミはほっと胸を撫で下ろす。


「まあいい。今はここから離れよう。」


「そ、そうだな!いつ魔物が来るかわからんしな!さっさと本陣戻ろう!」


 イヤミは早口でそう捲し立てジャックの背中を押す。

 なんとか退避できたことに喜ぶイヤミだったが、次のジャックの言葉でイヤミは完全に動きを止めた。


「ああ、だから――本陣に戻ったら。」


「はへぇ……」


 気の抜けるような声を出して固まったイヤミの腕を掴んでジャックは黒い笑みを浮かべる。

 そんな笑みすらも美しいジャックを、イヤミは引き攣った顔で見上げた。


 絶対に逃さん。そう顔に書いてあったジャックにイヤミの目はもう既に死んでいた。


 ****


「――さて、これで作戦の第一段階は完了。ただこれは序章に過ぎない、ここからが本番だ。偵察班、状況説明を!」


 本陣に戻ったイヤミ達。早速イヤミの方を掴んで何があったか聞こうとしていたジャックと、それから逃げようとするイヤミのもとに兵士が焦ったようにやってきた。

 その兵士は王が呼んでいるのできて欲しいとの事を伝えると、イヤミはこれ幸いとさっさとレーヴェのいるテントに走っていった。

 つまり逃げたのである。


 そして今は軍の重要関係者とともに次の作戦について話し合いをしていた。


「はっ!現在魔王軍は我軍の撤退をきに前進中であります!全ては計画通りであります!」


「敵本陣の様子は?」


「特に動きなし!以前の事静観中であります!」


「分かった下がれ。」


 敬礼を取りながら状況説明をしていく兵士にイヤミは頷いて下がらせた。

 しかし眉間の皺は深くなるばかりだ。


「(何故動かない、グライア。一体どういうつもりだ?彼奴ならこれが罠ぐらい気づくはずだ。……まさかわからないとかではないよな?そこまでのバカのはずがない。じゃあ何故?……ああ、クッソ!一体何なんだ!!)……レーヴェ、この状況をどう見る?」


「そうだな……少し不気味だ。ここまで上手くいくなど……」


「やっぱりそう思うよな。」


 イヤミは親指の爪を噛んで地図を睨む。

 動いた黒い駒は確かにイヤミの望む位置にしっかりと近づいていて順調にことは進んでいた。

 そう、順調すぎるのだ。不気味になるほどに。

 イヤミはその不気味さをかき消すように頭を掻きむしる。


「……っ作戦はこのまま遂行する。魔王軍共が自らネズミ捕りに入るんだったら、それを迎い入れてやろうじゃないか。なあ、そう思わないか?」


 ぐっと拳に力を込めたイヤミは力を抜いてこれから起こることに笑いをこぼす。

 変わらないイヤミの態度に、緊迫していたテント内はふっと柔らかい空気に変わった。


「そうだな!間抜けな鼠共を一気に叩くチャンスってもんだ!」


「はぁ、本当粗野な男だ。……ですが、せっかく招かれた客をもてなさないのは僕の信念に反する。是非とももてなさなければなりませんね。イヤミ殿。」


「なにスカしてんだこのボンボンが。お前は良いから俺の師団の後ろでプルプル震えてろ。」


「ハハハ、お前のジョークは本当に低俗だな。……この僕が震えるだと?抜かせ、震えて逃げるのはお前の方だこの単細胞。」


 メンチ切って喧嘩を始めたレベンとフリーエに、周りから笑いが漏れ出る。

 二人のいつもの喧嘩がこんな所で役に立つとは、とイヤミは内心ほくそ笑んでじっとりとした表情を作った。


「お前らなぁ、喧嘩は外でやれ外で。って聞いてないし。もう良いや、今日はここまで。作戦はこのまま進める方向で。それじゃあ解散!」


 その場にいた全員がイヤミの言葉に頷いて喧嘩する二人を放置してテントを出ていく。

 イヤミも外に出て、凝り固まった体を伸ばした。

 空は雲のせいかドロリとした闇で、イヤミは月が見えないことを残念に思う。

 そんなイヤミの横から湯気の立つ温かいコップが差し出され、イヤミは斜め後ろに視線を送った。


「ほれ、イヤミ。」


「お?あー、ありがとうジャック。」


 ジャックは、コーヒーもどきのような物をイヤミに渡し、自分の持っていたコップに口をつけた。

 ゆらゆらと揺れる白い湯気と、真っ黒い液体をじっと見つめイヤミは黙る。


「…………」


「……グライアのことか?」


「っ!……うん、どうもおかしくてな。どう考えてもこれから進む所に罠があることが分かるはずなのに……あれは一体何を考えている?」


「さぁな、俺には何もわからん。俺は戦うことしか出来んからな。」


 ぐいっと勢いよくコーヒーもどきを飲み干すジャックを、イヤミはそれを眺めて一口コーヒーもどきを飲んだ。

 苦くてほんのり甘い味が口に広がり肩の力が抜ける。

 そこでイヤミは気持ちが少しだけ楽になって気づいた。


 どうやら自分は不安になっていたらしい。

 思えば、頭では負けないと分かっていても心の片隅で、その不安はずっと燻っていた。

 本当に勝てるのかと。


「プッ、アハハハ!バッカみたいだ!」


「!?え、どうした?」


 突然声を上げて腹を抱えて嗤うイヤミに、ジャックは目を丸くして驚く。

 とうとう頭がおかしく……そんな表情で語るジャックにイヤミは手を振った。


「ああ、すまん。いやぁ、おかしくておかしくて。……どんだけ策を練ろうとも、完璧なんて存在しないっていうのに、それを望むなんて馬鹿らしい。」


 拳を握りしめて目が覚めたと言わんばかりにイヤミはにやりと笑う。

 コップの中身を飲み干せば、イヤミはジャックの方向に顔を向けた。


「ジャック!もう一度作戦の話しをする、全員を集めてくれ!」


「は、はぁ!?お前何いってんだ!」


「良いから!今すぐにだ!」


 イヤミの突然の発言に驚くジャックを置いて、イヤミはテントの方へ戻っていく。

 ジャックは本当に何なんだと呟くが、さっきまで思い詰めた表情していたイヤミが柔らかくなっているのに気づいてジャックはふっと笑う。


「さっきのこと聞こうと思ったんだが……たくっ、仕方ねぇ相棒だな。」


 仕方なさそうに頭をかいて呟くジャックの顔は、少し嬉しそうに表情を緩ましていた。


 ****


「おいおい、いきなりどうしたイヤミ?また会議だなんて……」


 レベンは不思議そうな顔をしてイヤミを見つめる。

 それはその場にいた全員がそうだったようで、レーヴェも同じような顔をしていた。


「いやぁ、ちょっと良いこと思いついちゃって。」


「なんだ、また悪巧みか?」


「そんなとこ。勿論、作戦を大きく変えるつもりはないよ。短期間で変えたら戸惑うしね。」


 レーヴェは好奇心の目でイヤミを見上げる。

 視線を受けたイヤミはニヤリと笑って真っ白い駒を持ち上げた。


「まず第二段階の作戦内容の前におさらいだ。

 魔王軍は本陣である魔族隊を後ろに、前を後尾、側面、全面を魔物で固めた陣形だ。だから第一作戦内では、一番邪魔になる全面を重点的、そして側面を少し削るように攻めた。ついでに本陣に挑発行為もしてね。

 おかげで計画通り、魔王軍の戦力を削ることができた。

 それでこのあとの動きだが、山岳地帯に入る場合、予測では本陣を真ん中に置いて前後を固めていくだろう。山岳地帯ともなれば本丸である魔族たちも動かざる負えない。空中戦に移行する可能性は十分にある。」


「ではどうするんだ?」


 駒を地図に滑らせ、形を大きく変えていくイヤミ。

 それを見つめながら、空中戦に対抗策のない今の軍隊でどうするのかとレーヴェは口元に手を置く。

 その言葉に、イヤミは不敵な笑みを浮かべて鳥の形をした駒を持つ。


「簡単だ。空中戦に対抗策がないのであれば、空中に行けなくさせれば良い。

 戦術の基本は、相手を自分の望む所に誘い込むことだからね。」


「だがどうやって……?」


「この矢を使う。」


 イヤミは一本の矢を地図の上に置き、その近くに鳥の形をした駒を置いた。

 その矢は、鏃が大きく膨れ柔らかく奇妙な形をしている。

 その矢を手に取ったレーヴェは首を傾げて、これはなんだとイヤミに視線を向けた。


「その矢は少しだけ面白い仕掛けつきでね。その鏃に触れると大きな音を立てて軽い爆発が起きる。つっても、ただの虚仮威し用なんだけどね。殺傷性はほぼない。」


 イヤミの説明を受けるが、いまいちピンとこない全員に実践してみたほうが良いな、とイヤミはレーヴェから矢を取り近くの空箱に矢をダーツのように投げる。

 するとや鏃が箱に触れた瞬間、イヤミの持つ銃よりも大きな音を立てて爆発した。


「なっ!」


「うわっ!!」


 その場の全員が耳を塞いだり顔をかばったりする中、砂埃を払ってイヤミは箱を全員に見せる。

 箱は確かに穴が空いていたが、音ほど大きく穴が空いているわけでもなく、本当にただの虚仮威し用だと分かった。


「この通り、箱自体はそこまでの損害はないけど音が凄まじい。私の銃よりもな。私の銃ならこんな箱木っ端微塵だ。」


 そう言って箱を投げたイヤミは全員の前で銃を抜きその箱を撃ち抜いた。

 撃ち抜かれた箱は言葉通り木っ端微塵になって地面に散る。


「っ……!」


「と、まあこうなる。でもこの銃を鷹の部隊全員に渡すには私の魔力がいくら合っても足りない。それに銃の本来の目的は音による衝撃だ。なら銃以上の音が出るこの矢なら、いくらでも量産できるし形自体は普通の矢なんだから扱いは楽だ。他の矢と一緒にこれを射てば良い。」


 改めてイヤミの銃の威力を見たレーヴェは固まってイヤミをじっと見る。

 それを軽く流してイヤミは矢の説明を進めた。


「っこれで、魔族共を……?」


「自分たちの望む場に、進めさせる。リリィの作るバリア内までな。」


 今まで空気になっていたジャックたちの方向に視線を送るイヤミ。

 じっと今までの会話を静観していたリカーネ。

 ボーッとしていたと言うか、少し放心していたわけではないが、リカーネはイヤミに見られたことでハッと意識を戻して立ち上がる。


「リリィ、できるかい?」


「ええ、それ程度の範囲なら例え四天王でも出ることはできないわ。」


「頼もしいけど、あまり無理すんなよ?」


 意気込むリカーネにイヤミとジャックは苦笑する。

 だが他のものからすれば、リカーネは元聖女だ。ここまで頼もしい存在の言葉なら例え無茶なものでも信じられるものだと言うものらしい。

 現にレーヴェも期待を込めて力強く頷いていた。


「頼んだぞ、リカーネ。」


「お任せください国王様。」


 美しいカーテシーでレーヴェにかしこまるリカーネ。

 それを見ていたイヤミは何かを思うような目で見つめていた。


 ****


 荒野の戦争が始まって二日目。

 魔王軍は、既に山岳地帯にまで行軍を進めていた。

 陣形はイヤミの予想通り本陣を前後で挟むように取られていた。

 その陣形のまま、魔王軍は山岳地帯を真っ直ぐに突っ切っていく。

 イヤミが罠を張っている、その近くまで。


 行軍中、昨日とは打って変わって晴れた空に冷えた体を温めるよう朝日が夜を照らした。

 そんな空に、更に濃い青い線が空に上っていった。


「突撃ぃいいいいいいい!!!!」


『おおおおおおお!!!』


 地が鳴り響くような声とともに、地面に振動が起きる。

 パラパラと砂や石が上、つまり山腹か落ちていくのを見た魔物たちはその知性を持って気づく。


 これは奇襲だと。


「オラオラ!!そこをどけぇ!!」


 勇ましく山腹から駆け下りるレベン率いる第二師団。

 後方から現れた第二師団に、魔物たちに動揺が走る。

 今回の戦い完全にイヤミ達が背後をついた形で、第二回戦は始まった。


 第一回戦同様、猛々しく戦う第二師団を、イヤミは昨日と同じようにスコープで覗き見ていた。


「……第一師団に通達しろ。弓隊および遊撃隊は第二師団の取りこぼしを掃除だとな。」


「はっ!」


 スコープを覗きがら後ろで待機していた兵に要件をまとめて伝える。

 敬礼をして走り去っていくのを音で感じながら、イヤミは口の端を上げた。


「――さてさて、ここからどう動く?グライア。」


 イヤミはスコープから目を離して吹き抜ける風を感じる。

 空はどこまでも青く、雲ひとつなかった。



 ****


 後方を突かれてから数時間、魔王軍は後退することはできず前に進んでいた。

 それが敵の思うつぼだと分かっていても、進む他なかったのだ。

 此処から先、前方に広がる自然の脅威は荒野平原とは比べ物にならないほど過酷を極めている。

 そもそも山岳地帯自体、大軍での行軍は向いていない。

 狭い道を俊敏に動くのが難しく、少しでも隙きを突かれれば隊列を乱しやすいからである。


「っ!黒星に動きあり!!各師団に通達しろ!!硝煙弾の色はだ!!」


 そうして追い詰められる魔王軍は、大きな動きを見せる。

 魔王軍の本丸であるグライア率いる魔族部隊の動きに、観測班が声を荒らげた。


 グライアが、とうとう動き出したのだ。


「ほう?ようやっとか、随分のんびりとした奴だな。」


 空に打ち上げられた黒い硝煙弾に、イヤミはのんびりとした口調で返す。

 この緊迫とした空気に全く合わない口調に、待機していた連絡班に冷や汗が流れる。


 スコープで本陣のいるであろう方向を見るイヤミ。

 そのスコープから見えた黒い翼に、イヤミは目を細めて嗤う。


 もう遅い、既に大きな駒を配置済みだ。

 脳裏に浮かぶ美しい自分の相棒を思い浮かべてイヤミの喉が鳴って笑いが漏れる。


「それでは、上に待機中の鷹とフリーエに伝えろ。ハンティングの時間だとな。」


「はっ!それでジャック様にはなんと?」


「好きにさせろ、レーヴェには許可をもらっている。」


「了解であります!」


 バタバタと音を立てて走り去る兵士。

 元気なやつだなとイヤミは走り去っていく兵士を見て、イヤミは胡座をかいて頬をつく。


 そして前に、前に進んでいく魔王軍はとうとうある目的の場所に入っていく。

 ただそれをイヤミは嗤ってみていた。


「お前らはもう、袋の鼠だよ。」


 だってそれが私の目的なんだからね?

 魔王軍を囲むように透明の膜が広がっていくのを勘で気づいたイヤミ。

 そして何日も前に準備を重ねていた罠が、ようやっと機能し始める。



 第二段回、作戦名は


 ――――袋の鼠作戦。

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