第35話「荒野の戦争 ――高鳴るものは」
様々な騒音が入り乱れた戦場を、ユウトとリカーネは後方にあるレーヴェがいるテントの近くで見ていた。
ここからではそう細かくまで見えないが、それでも何故か誰かが死んだであろう音だけは、リカーネの耳に魔族も魔物も人も、等しく平等に入ってきた。
一体幾つの命が今消えているのだろうか?
リカーネは頭に過ぎる考えに、ズキリと胸を痛める。
「始まってしまったすね。リカーネさん。」
「ええ……みんな無事でいて……」
ユウトの言葉に拳を握りしめて不安そうに眉を下げたリカーネ。
戦争が開始されてから、一体どれぐらいの時間が経ったのだろう?
きっと自分が思うほど経っていない。
それに今は計画の第一段階、ここからもっと残酷な方向に戦争は動いていく。
拳は白くなるほど握りこまれるが、リカーネはそんな痛みには気づかずk握り締め続ける。
(イヤミはきっと……このまま私を生温い方向に行かせるつもりなんかないわ。どうせイヤミの事だから、私にはバレてないって思っているんでしょうけど……)
確かに、イヤミは全ての作戦をリカーネ達に話していた。どう動くのでさえ。
だがそれは表面上のもの。
イヤミの本当の目的はリカーネには分からない。上手く隠されてしまったから。
それでも薄々リカーネは気づいていた。
イヤミがこの戦争で、自分に何をさせようとしていたのかを。
本当はそんな事をイヤミがリカーネさせたくないと思っていたことでも、イヤミは私の為に苦肉を食んで飲み込んだのだ。
これからする事に後悔がないように。
「余計なお世話よ。馬鹿。」
「え、どうしたんすか?」
「なんでもないわ。そろそろ戻りましょ?」
リカーネの突然暴言に驚いた顔で、リカーネを見上げるユウト。
ピクピクと動くユウトの猫耳を見て少しだけ苛立ちが収まったリカーネは、微笑んだ顔でテントに戻った。
それでも、鬱々とした気持ちが消えることがないままリカーネの目が細められる。
(私だって、伊達にヒロインなんかやってないわよ。こんな事、私なら平気なんだから。……だからそんな顔をして私を見ないでよ、イヤミ。)
脳裏に浮かぶ、大事な人の苦しげな表情。
その顔をする時はいつも私のせいなのね、とリカーネは自傷じみた笑みを浮かべる。
リカーネ知っていた。
イヤミが苦しむとき、いつも優しい顔をして自分に視線を注ぐことを。
****
真っ赤な煙とともに、赤い光が戦場を照らす。
それが一体何なのか、魔物は戸惑うばかりだったが兵士たちは知っている。
赤い硝煙が意味することを。
「イヤミ、出番だぞ。」
「じゃあ、いっちょやりますか。――魔族狩りを。」
赤い目にちなんだあの光は、イヤミが鷹たちに渡していた硝煙弾だ。
意味は、自分たちでは対処できないほどの力を持つ魔族が出た。
という意味である。
他には、黄色。作戦がうまく機能してないことを示す。
緑、作戦の終了及び撤退。
黒、四天王つまりグライアが出たことを示す。
青、次の作戦に移行する意味。
白、戦争の終了。つまり獣人国の勝利を意味する。
簡単な意味なら即時伝達の可能である硝煙弾は、獣人国を更に有利にしていた。
イヤミは立ち上がって銃をホルダーから取り出す。
そしてやる気十分な笑みを浮かべて、ジャックとともに戦場を駈けた。
粉塵を巻き起こしながら兵士と魔物の間を縫って行くイヤミは、魔物を途中途中始末して硝煙弾の上がった方角に走っていく。
「この様子を見るに、なかなかうまく行っているみたいだな?」
「油断すんなよイヤミ。いつ何がおきんのかわからないのが戦場だ。」
戦場の様子を見ながら口の端を上げたイヤミに、ジャックは呆れたような目で余裕ぶるイヤミを制した。
この男本当に過保護だな、なんてイヤミはヘラっとした顔で思いながら適当に相槌をかわして更に走る速度を上げる。
硝煙弾の上がった場所近くまで来たイヤミたちの上空に見えたコウモリのような羽が、空を覆い尽くさんばかりに見えてイヤミはため息を付いた。
「ジャック左。私は右に行くわ。」
「了解した。」
「これが終わったら全軍を撤退させよう。もうこれ以上は必要ない。ほかはお前が状況見て決めろ。」
「ならマンスを見つけたら俺から伝えとく。」
「ん、よろしく。」
状況を見てイヤミはジャックに左の方向を指さしてこの後のことも伝える。
頷いたジャックはイヤミと一言二言話してその場から消えた。
左の方向に消えていったジャックを静かに見て立ち止まるイヤミ。
血の混じった風の匂いに、どこか高鳴りを覚えたイヤミは顔をしかめて呟いた。
「……本当に、人間なのかねぇ……」
不機嫌な顔をしても、戦場という言葉に喜ぶイヤミは自己嫌悪に陥る。
まるで自分が嫌っているはずの戦場に行くことを喜んでいるみたいじゃないか。
そんな恐ろしい気持ちになっているはずなのに、そうだというかのように高鳴る胸の内にイヤミは更に自己嫌悪に陥っていく。
しかし今はそんな場合ではないと、イヤミは首を振って目の前を見た。
上空から聞こえる空気を切る音が、下にいるイヤミを笑うかのように聞こえてきてイヤミは不敵な笑みを浮かべて空を見上げた。
空にはいつの間にか多くの魔族がイヤミを囲って見下していたが、イヤミは特に焦ることもなく近くにいた魔族に声をかける。
「本当に羽虫みたいだなお前らは。暇なのか?」
「ハッ、お前もあの人間共のように地面に這いつくばってみろ。異邦人。」
コイツも私のことを知っているみたいだな。
イヤミはニヤニヤと笑いながらイヤミを見下ろす魔族に銃を握り込み、赤い舌でぺろりと乾いた唇を濡らした。
妖艶に笑うイヤミの表情に、魔族たちに小さな動揺が走る。
「這いつくばるのはお前らだ。せいぜい私を楽しませろ、魔族。」
嗤ったイヤミは近くにいた魔族に銃口を合わせて、引き金を引く。
今イヤミの胸のうちにある感情は、ただ喜びだけだった。
****
「マンス!」
「ジャ、ジャックさん!!」
イヤミと別れてすぐ、ジャックは魔族と交戦中のマンスに近寄った。
息を荒くして魔族を睨んでいたマンスは突然飛んできたダガーに驚きながらも、ジャックの声にすぐに納得する。
マンスと戦っていた魔族は頭にダガーが突き刺さってうめき声も上げる間もなく落ちていった。
「部隊の状況は?」
「負傷者五名、意識不明者三名、ほかは疲労気味ですが無事です!!」
「分かった、ではこの場は俺に任せて今すぐお前らは撤退しろ。」
骨が砕ける音を立てながら落ちて来る魔族に近づき、ジャックは自身のダガーを引き抜く。
溢れ出てきた血に濡れたダガーの血を払うように振ってジャックはマンスにそう伝える。
その言葉に、マンスは驚きで目を丸くさせた。
「そ、そんな!無茶ですよ!!ここに一体何体の魔族がいると思って……」
「俺を誰だと思っている?ただの分隊程度で負けるはずない。良いから退け。」
「っ!」
慌ててジャックを止めるマンスだったが、ジャックの思わず頼ってしまいたくなるような笑みに、マンスは上げていた手をおろした。
その様子にフッと笑いをこぼしたジャックを、マンスは恨めしそうな目で見る。
「ジャックさん……アンタあの人にスッゲェ似てますよ。こういう時に笑うところとか、雰囲気とか全部。」
「……一緒にいすぎたせいかも知れんな……」
ジャックは少し顔を顰めて頭をかく。
脳裏に出てきたイヤミの小馬鹿にした笑みに、ジャックの頭が痛くなる。
そこまでか?なんてジャックは首を傾げるがマンスはそんなジャックに力強く頷いて肯定した。
「でも、リカーネさんにも少し似てるから良いんじゃないですか?それでは俺たちは撤退します。ご武運を。」
「……ああ。」
マンスは持っていた硝煙弾をジャックに手渡して、撤退を叫んでこの場から去っていく。
最後に言われたマンスの言葉が今でも頭に木霊して、ジャックは少し困った表情をした。耳を赤くして。
「そう言われると……少し恥ずかしいもんだな……」
自分の相棒の次に出てきた可憐な笑みを浮かべたリカーネに、ジャックの心が暖かくなったが、最も暖かくなったのは二人が自分に笑いかけた記憶だった。
俺は単純だな。そうジャックは呟いてダガーを構える。
目の前には、ジャックを睨みつける魔族の集団。
少しでも動けば殺すという緊迫感の中、ジャックの胸に黒いものが燻った。
魔族がジャックを睨みつける中、ジャックは怯えるどころか目を細めて嗤う。
美しいジャックの笑みに、魔族の動きが止まって惚けた。
男だろうが女だろうが見惚れさせるジャックの笑みに固まるが最後。
その場はあっという間にジャックを飾り立てるかのような朱い花が咲き乱れる。
驚愕の表情で落ちてきた魔族たちを横目に、ジャックは吐き捨てた。
「彼奴等の進む道に、お前らは不要だ。」
無慈悲にそして冷酷にジャックは魔族を切っていく。
冷たく濡れて光るダガーを魔族の胸や首に突き刺し、吹き出た朱がジャックの浅黒い頬に美しく映えた。
「ア、ガッ……!」
「死ね、羽虫。」
ジャックに首を切られた魔族の1人が、朱く濡れた手でジャックの首を掴むが力なく落ちていく。
最後の足掻きを見せた魔族に、ジャックはその冷たい水晶のような黄色い目で見つめ、そっと息を吐いた。
その周りに広がる肉の山と、何にも遮られていない灰色が広がる空を見たジャック。
遠くから聞こえ続ける銃撃音にそっと耳を傾け、ジャックは硝煙弾を打ち上げる。
その色は、灰色の空に線引するような鮮やかな緑だった。
****
打ち上げられていく緑に呼応するかのように何本の緑の線が打ち上げられる。
それを見上げたレベンは、持っていた自分の武器である槍斧を地面に突き刺した。
作戦の終了を意味する緑に、レベンは全軍を退かせるため声を張った。
「全軍撤退!!!退けぇい!!!」
レベンの声を聞いたものはすぐさま戦場から離れる。
波のように消えていく獣人国の軍に、魔物たちは戸惑い追うのを忘れて立ち止まっていた。
「案外早かったな。」
「ええ、ですが彼女の計画通り僕達も撤退をしなければ。」
レベンの呟きを拾ったフリーエは、同調するように頷いて長剣を鞘に納める。
そして腕を組んで戦場を見つめて動かないレベンの腕を引いて撤退の言葉を口にしたフリーエは、たいそう面倒くさそうな顔をしていた。
「全く、何故僕がこんなことを……早く馬に乗りなさい下民。置いていきますよ。」
「誰が下民だこのボンボン!言われなくとも行くわ!!」
馬に乗って見下すようにレベンに視線を送ったフリーエに、レベンは悔しそうにして地面に刺さる槍斧を引き抜く。
地団駄を踏んで馬に乗り込んだレベンのその品の無さにフリーエは片手で頭を抱えてため息をついた。
「……ここからが、本番、か。」
フリーエは馬を走らせて呟く。
脳裏に浮かぶ真っ黒いコートを翻す一人の女を思い出して。
空には、風でかき消えていく緑が、今は霧のように広がっていった。
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