第23話「置いて逃げない!!」
あまりに凛々しいリカーネに、イヤミは目を細めて見つめる。逆さまになりながら。
リカーネの結界はどうやら、外側からも内側からも干渉することはできず、球体になっていた結界はグライアの拳がぶつかった衝撃でコロコロと転がった。
最近の自分への対応、雑じゃね?
逆さまになったイヤミは、リカーネに目でそう送るが普通に気づいてくれなかったので諦めた。が、その目は潤んで見える。
「いや、これは別に涙とかじゃないよ?ただの汗だから。か、勘違いしないでよね!」
「……お前誰に言ってんだ?」
「心の中にいる私のファンにだよ。よぉジャック。もう怪我は大丈夫か?」
もう一歩も動けないイヤミは、ただ重力と結界の行く方向に身を任せて転がって行った。
結界はかなり遠くまで進んだが、その方向の先にいたジャックによってイヤミは姿勢を戻されれる。
イヤミを上から覗き込むジャックは、さっきのイヤミの独り言に反応しながらもいつものことかと思い結界の固定をする為に、周りを土で固めて土台を作った。
「もう大丈夫だ……この結界どうすればいいんだ?」
「今なんか体力戻ってきてるから、怪我とか全部治ったら消えるんじゃないか?それよりもジャック、お前らが何企んだかは知らんが、この場を打開できるものなんだろう?なら、早くリリィの元にいけ。……全く、まさかリリィが戦うだなんて……」
キリッとした顔でコロコロ転がるイヤミは全く決まっていないが、ジャックを見るイヤミの目は、2人を信用しているものだった。
特に何も聞かず、イヤミはジャックにリカーネの方向を顎で指して、目でさっさと行けと語る。
「……ああ、行ってくる。」
ジャックはイヤミの仕草に小さく笑うと、背を向けてリカーネの方向に走っていく。
戦場から離れたイヤミは、グライアの攻撃によって来る振動によって土台を無視してコロコロずっと転がり続ける結界の中で、魔力を練ってある物を創造する。
「――あともう少し。」
イヤミの漏れ出た呟きは、結界の中で小さく反響した。
****
「リカーネ……その名覚えておこう……だが、吾の拳を弾くだけでは吾は倒せんぞ!!」
グライアの拳は、イヤミの時とは比にならないほどの速さと力でリカーネの結界に叩き込まれる。
だが即席とは言え、リカーネの本気で作った結界はグライアの拳にも平然と耐えていた。
しかし問題なのは、それが何発も打ち込まれるため結界は壊れやすくなっていく。
だからリカーネはいつでもその結界に大量の魔力を消費させて行くので、体力はゴリゴリと削られてしまう。
端的に言えばものすごく疲れてしまうのだ。
「――そんなのっ、私が一番よくわかっているわよ!」
リカーネは歯を噛み締めて杖を前に押し出す形で結界を維持していく。
結界はグライアの拳を物ともせずにそこに存在しているが、位置は段々と後方へと下がり、リカーネの足元には砂の山が出来上がる。
「やはり硬いな、この結界は。……元聖女よ、吾の体力がなくなるまで耐えるつもりか?もしそうだと言うなら全くの無駄だと言っておこう。」
グライアは結界を破壊するのに飽きてきたのか、さっきまでの好戦的な雰囲気を鳴り潜め、リカーネの行動に疑問を持つ。
だがグライアはあまり頭は良くない。政治的駆け引きなど話にもならないほどに。
しかし彼は頭はあまり良くないが、彼の本分である戦いにおいて彼は戦神と言われるほどの戦いのセンスが有る。
だからこそ、彼は余裕そうにリカーネと話しているがその実、自身のテリトリーから約3倍の距離にいるイヤミの行動までもが筒抜けになっていた。
(あの結界、内側からも出れないとなると暫く行動は不能だろう。丁度いい。あとはリカーネとやらを殺してしまえば……)
「……いや、待て……あの男は一体どこに?」
その時、ようやっとグライアは気づく。
最初に自分と戦っていたあの黒い猫のような男はどこに行ったのだと。
地面の振動には一切引っかからず、近くにはイヤミとリカーネ以外には感じられない。
この二人を置いて逃げた可能性もあるが、グライアはその可能性は限りなく低いと考える。
なぜならあの男がこの二人を見る目には、どこか血の繋がりよりも深いものがあると感じさせる目だった。
そんな目をした男がそんな手を考えるなど、ありえないとグライアの勘が働く。
では一体どこに行ったのか。グライアは神経を地面全体に張り巡らすが見つからない。
グライアは焦るように、体揺らした。
グライアの評価は少し過剰評価があるが、概ねその通りであるジャックの本質を見抜いたグライアは、まさに獣のような勘の持ち主だ。
だが、今回はその勘が働くのが遅かった。
「――ここだ脳筋野郎。」
「ッッ!?」
背中からの滲み出すような僅かな殺気。黒い死の気配がグライアを襲う。
いつの間に近寄られたのか、グライアの喉元に添えられたジャックのダガーは、グライアの硬い皮膚を滑り、その喉元を切り裂いた。
「イヤミとリカーネが世話になったな。……それでチャラにしてやる。」
「グゥゥウッ……そうか、この女は囮。本当の目的は吾の体力を奪うことではなく、お前が吾の首を文字通り掻き切ることだったとは……見事っ。」
吹き出した赤い鮮血は、グライアの全身そして地面を濡らす。
ここまで大怪我したグライアには、最早戦う体力はないだろう。
それどころか放おっておけば、出血多量で死ぬ可能性がある。
勝負は完全に決まったといっても過言ではないだろう……その相手がグライアではなかったら、そうなっていたはずだった。
「フ、フハハ、フハハハハッ!!!素晴らしい!素晴らしいぞ!!まさかこの吾がこう二度も傷をつけられるとは、コレほど愉快なことがあろうか!!」
「そ、んな……傷が、塞がっていく!?」
吹き出す血の量が減り、遂にはじわじわと傷が塞がっていく。
一分も立たないうちにその傷は痕だけ残して完全に完治していった。
ジャックは忘れていた、あまりに重要なことを。
リカーネは知らなかった、グライアのことを。
イヤミは懸念していた、ある真実に。
グライアはまだ、本気を出していなかったという現実。
その現実が今、二人に暴力となって牙を剥く。
****
不味いな、とうとうジャックがあの化け物のやる気を引き出しやがった。
イヤミは結界の中で、頭を抱える。
二人の計画は単純ながらも完璧だった。完璧過ぎた。
おかげで成功してしまい、結果はグライアのやる気を引き出して更に状況を悪化させる事となった訳だが、もう後悔しても後の祭り。
イヤミはまずこの状況を打開するべく、精神的に疲れた体にムチを打って動く。
結界を軽く叩けば音はかなり軽いものと変わっていて、段々と薄くなっている結界にイヤミはうっすらとした笑みを浮かべた。
そして自身の懐にかなり大きめの銃を仕舞い、拳に力を込めて結界にうちつける。
かなり薄くなっていたリカーネの結界は、簡単にひび割れ甲高い音で散っていった。
大きく結界の破れたところからイヤミは出て、体を伸ばして軽いストレッチをする。
大きく息を吸って吐き、ニヤリと笑った。
「よし、じゃあ行くか。」
イヤミはグライアのいる方向とは別に走る。
先ほどから熱烈な視線を向け続けている、誰かのもとにへと。
――イヤミが動き出していたその時、ジャックはこの状況が非常に自分たちが不利になっていることに気づく。
誤算だった、まさかコイツが回復魔法が使えるなんてしかもコイツ、大きくなっている!!
3メートルだったはずのグライアの体は今、その倍の6メートル近い巨体に変わり、肌には奇妙な模様が浮かび上がっていた。
目の不気味な赤は更に禍々しく、ジャックを睨む。
「まさかこの吾が、ただの人間ごときに二度も食わされるとは……やはり戦いとは面白きものよ。そしてそこの男よ、名は何という?」
「ジャックだ。……お前の能力、まさか回復系のものだったとはな。侮っていた。」
耳打つようなうるさい鼓動を黙らせ、ジャックはグライアの能力について追求する。
答えるとは一切思ってはいないが、ジャックはせめてリカーネが逃げるための時間を稼ぐをするために、怪物の前に立つ。
「違うな、吾の能力はそれではない。吾の能力は『地の力を操ること』。この傷を塞いだのは、吾が地にあるエネルギーを傷の修復力に使ったまでのことよ。」
「っ!?」
まさか答えるとは思わなかったジャックは、その場で一瞬固まってしまう。
自分の能力を明かす、それは相手に有利となってしまう為、用心深いものならまずしないことだ。
だが今ここで明かしたということは、それだけの自信がグライアにはあるということ。
それに気づいたジャックは一瞬だけグライアに隙きを見せてしまった。
しかし戦神と言われたグライアがその隙きを見逃すほど甘い性格はしていない。
ジャックは足場が、少し振動した事に気づいた瞬間、横腹に凄まじい痛みと衝撃でふっ飛ばされた。
「ガッ!!」
「ジャックッ!!!」
「吾の前で隙きを見せるなどなんと不用心なものよ……もうその男、ジャックは動けんぞリカーネとやらよ。」
悲痛な声で叫ぶリカーネは吹き飛ばされたジャックのもとに走る。
ジャックの腹は鋭い何かで抉れ、血も大量に出て非常に危険な状況だった。
一体何がっ?リカーネはジャックが吹っ飛ぶ前にいたところ見る。
そこには土が鋭い槍のような形状で地面から突き出し、その先が真っ赤になっていた。あの槍でやられたのは間違えないようだ。
「っ土の槍、あなたの能力ね!!」
「そうだリカーネとやら。吾としてももう少しその男と楽しみたかったが、状況が変わってな。そうそうに貴様らを始末しなくてはいけなくなった。非常に心苦しいが、せめてもの情けだ。痛みなくあの世に送ってやろう。」
目の前に立ち、二人を見下ろすグライアの目は本当に残念そうに目を光らせる。
「やってみなさい、必ず防ぐわよ。」
「お前も分かっているだろう。今の吾の拳を防ぐことはできないと。聖痕のない聖女など聖女にあらず、吾の敵ではない。」
――っいつから気づいていたの、この魔族は!?イヤミにもジャックにも言ってなかったのにっ……
ジトリとした目線を注ぐグライアに、リカーネは冷や汗をかいた。
仲間にすら言ってなかったことを、まさか見抜かれるとは思っていなかったリカーネはすぐさま結界をはる。
「無駄だと言っただろう、こんな薄い結界ではな。」
「ならやってみなさい!必ず防ぐ!!」
リカーネはその間もジャックが死なないように回復魔法をかけ続ける。
だがかなりの血を流してしまったのか、ジャックは気絶したまま浅い呼吸を繰り返すばかり。顔の色も青から土色に変わり始めた。
(イヤミっ、どうしてこないの!?もう結界はなくなったはずなのに!)
こんな状況でもこないイヤミに、リカーネは何かあったのかと疑問を持つ。
その事に気づいたのかグライアは邪悪な笑みを浮かべいて言う。
あの異邦人は、どこかに消えたぞ逃げたのではないか。と……
「そんなことない!イヤミはそんなやつじゃない!!」
「ではどうしてこない?仲間を見捨てないなら、もう出てきてもおかしくはないだろう?こないということは逃げたと考えるほうが自然――」
「イヤミのことを何も知らないやつが勝手に決めつけるな!!イヤミは、イヤミは!どんな状況になっても私を見捨てなかった!国のすべてが、親が、敵になっても、イヤミだけは味方だった!!イヤミは尻尾を巻いて、私達を置いて逃げない!!」
リカーネは、グライアに正面切って啖呵を切った。怖いはずの存在だったグライアは、今やイヤミを貶した憎しみの対象となる。
あまりに殺気立ったリカーネの目に、少しだけ恐れを感じたグライアは拳に力を入れて結界を殴る。それはまるで、恐れをごまかすように。
拳が結界を殴った瞬間、イヤミのときよりも甲高い音で割れる結界にリカーネは目を見開く。
「そ、んな……」
「やはり、薄いな。」
「クッ……絶対に後悔するわよ、イヤミはあなたを地獄の底まで追いかけるわ。」
グライアを睨み、リカーネはそう吐き捨てる。
それを黙って聞いたグライアは静かに拳を上げ、冷徹な目でリカーネを見下ろす。
「死ね、何も知らない哀れな女よ。」
振り下ろされた拳は、無慈悲にリカーネとジャックに落ちていく。
(イヤミっ……ごめんなさい……)
「――させねぇ!!くらえ『火炎 火球』!!」
「ヌゥ、これはっ!!」
真っ赤な炎がグライアの拳を巻き付くように焼くが、一振りで消え去る。
目を瞑って衝撃を覚悟したリカーネは、肌を焼くような熱さを感じて目を開いた。
そこにいたのは猫耳と尻尾を持つ可愛らしい顔立ちをした男が、グライアの前に立ちはだかる。
あまりに意外過ぎた人物に、リカーネは声を上げた。
「ユウトくん!?」
「リカーネさん、大丈夫っすか!?」
汗だくになっているユウトは、振り返って心配そうな顔でリカーネを見つめる。
しかしそんな状況でリカーネが思ったことは唯一つ。
(いや、イヤミじゃないの!?)
現実は無情であった。
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