第13話 ダンジョンボス戦 前編
ステータスを強化しきった翌日。僕はこれまでの疲れがぶり返したのか死んだように爆睡していた。心配になったマートさんや協会職員の人が様子を見に来たようだが気づくことなく眠り続けた。夜中に目を覚ました僕は窓の外を見るとすでに日が沈んでいることに驚き自分の思っていた以上に疲労がたまっていたことを知ることになる。その日は夜も遅いことから簡単な食事とビーちゃんを補給しもう一度眠りについた。
次の日、疲労が全て吹き飛んだ快適な目覚めを迎えた。
「ん~ いや~よく寝た ほんとによく寝た」
思わず独り言を呟いてしまうほどには身体から疲れが完全に消えている。
僕はいつも通りの朝の身支度を済ませ時間を確認したところ起きた時間が早かったからかまだ余裕がある。朝食の時間を気持ちゆっくりと行い食後のビーちゃん補給をボーっとしていた。
時計の針がちっちっとなる音を聞いていると時間の流れが戻ってきたように感じる。あの本【凡人が強くなるには・・・】を見つけてからのこれまでの日々は怒涛の勢いで過ぎていた。思い返してもこれまでの時間は僕の短い人生の中でも飛び切り濃い時間だったように思う。
ダンジョンに潜り始めてあと二か月ほどで一年が過ぎてしまう。その間の日々はつらいことも多かったがそれ以上に楽しかった。僕自身が強くなっていくことを日々実感することができる時間はなんだろう?常に満たしてくれているようなそんな風に錯覚していたように思う。
今までのことが嘘ではないかと思いステータスを確認するとはっきりとこれまでやってきた結果を見ることができる。レベルは基礎レベルもジョブレベルも99。HP、MPの棒グラフは余白がないほどに大きく上昇している。僕の身体能力を表すレーダーチャートも同様に余白がないほどに大きなグラフの色に染まっている。
スキルも一つ一つ確認するように発動する。問題なくすべてが僕のスキルとして僕の力として発動する。今まで散々使ってきた魔法も問題なくすべて発動した。『クリーン』で洗濯物を綺麗にし『ヒール』で窓の縁に置いていた観葉植物を元気にし『ウォーム』でクッキーを温めて『クール』で飲み物を冷やし『ウォーター』で食器を洗い『ドライ』で乾かす。最後に『チェンジ』でパッと服装を整えたら準備完了だ。
改めて思うが日々生活するうえでこれほど便利な魔法はないと思う。完全習得したから消費する魔力は微々たるものだし無演唱で思うだけで発動する。この魔法がメイドに使われていることも納得の性能である。
部屋を出る前にもう一度忘れ物がないか確認しビーちゃんを腰に差して部屋を出た。僕がここにお世話になってからほぼ八年間。あまり変化のない悪く言えば武骨、よく言えば無難で親しみやすい内装の宿舎を後にする。
準備が完了したら次に向かうのは探索者協会だ。ほぼ担当受付であるマートさんに僕が今日ダンジョンボスに挑むことを話さなければならない。もし、何も言わずに挑んだりすれば心配させることになるし協会としても今の僕がどこまでのステータスなのか知っておきたいだろう。あと、怒ったマートさんは怖い。これ大事です。
「おはようございます!」
「おはよう、セイくん 今日も元気ね 何か知りたいことでもあるのかな?」
「いえ、ダンジョンボスに挑むのでその連絡です」
「・・・・・ ステータスを確認しますので奥の部屋へお願いします」
僕はマートさんに続いて移動する。マートさんの何かを覚悟するような雰囲気は何だろうか?それほどに危険なボスということか?
マートさんがパパッとお茶とお茶請けを用意すると話が始まった。
「セイくん、お願いできるかな?」
「はい、どうぞ」
僕は言われたとおりにステータスを可視化し見せる。マートさんはメモを走らせ手元の資料を何度も確認している。しばらくすると諦めるように溜息をつきながら力を抜いて顔を上げた。
「・・・・・ はぁ セイくん、ボスに挑む基準の能力値に達してるわ 探索者協会としては問題なく送り出すことができるんだけどね でも、私としては危険なボスに挑んでほしくないわ・・・・・行くのよね?」
「はい、行きます」
「はぁ~ じゃあ、再確認するわ ダンジョンボスは戦闘が始まると逃げ出すことはできない ボスが死ぬか挑戦者が死ぬかどちらかでしか扉は開かない それは理解してる?」
「はい、素材集めで何度かダンジョンボスには挑んでいるので大丈夫です」
僕はしっかりとマートさんの目を見て話す。僕が全て理解して挑もうとしていることをわかってもらうために・・・。
「わかったわ わかったわよ 絶対帰ってくるのよ? 約束よ?」
そういうとマートさんに長い長いはぐをされた。力が入りすぎて少し痛いがそれだけ僕のことを心配してくれているのかもしれない。
「はい! 行ってきます!」
僕はその答えに返すようにいつも以上に元気な声で出発のあいさつをした。
僕は探索者協会を後にし試しのダンジョンに向かう。協会を出る途中、どこか見たことのある少女と目が合ったが特に会話することなく通りすぎる。口をパクパクしていたが何か用があったのだろうか?う~ん?どこかで会ったことあったかな?
何も変わらない人種の雑多なこの都市ならではの街並み。早朝ということもあり年齢問わず様々な人が行きかっている。ランニングをしている人や散歩している老人、登校の待ち合わせか公園で集まっている学生、職場に急いでいるのか早歩きで通り過ぎていく大人、朝でもとくに人の行き来が多い時間ということもあり人口密度が高い。それでいて人種も様々、髪の色、肌の色など見た目も様々なため一つとして似たような瞬間がない。色の洪水そう言ってもいいかもしれない。
僕はビーちゃんを銜えて魔力を流しビーちゃんを補給する。今では補給する必要がない時でも癖の様に口に銜えている。最近はビーちゃんが気を利かせてくれているのかフルーツジュースのような深い味わいだけでなくサイダーや緑茶、紅茶、水、など既存の飲み物以上の味わい深い飲み物に変えてくれる。他にも説明できないような味わいのゼリーにも変わってくれるため全く飽きが来ない。ビーちゃんも僕の反応を楽しんでいるらしく居心地が良いようだ。鈴のような音色が心地いい。
カランコロン
ダンジョン前に到着した。ここは相変わらずの人種の坩堝だ。一般の街道よりも戦闘を生業とする人が多いためごつい人と威圧的な武器が多い。視覚に入る筋肉の比率で気持ち暑苦しく感じてしまう。でも、ここにも半年近く連続で通っているのだ。僕はもう慣れた。
ダンジョンへの入り口の横に併設されている転移の間へ他の人の波に合わせて入る。順番にパーティーごとに入り、流れるように列が消化されていく。数分とたたずに僕の番になった。職員の人に料金を渡しダンジョンへ転移する。
視界が白く染まり目を開けるとそこは見慣れたダンジョンの中。あれだけいた人々は見当たらない。僕が転移したのは95階層。転移の魔法陣が設置されている最終階層だ。次に設置されるはずの階層はダンジョンボスの間となるためここが設置されている最後の階層になる。
軽く索敵してみたがこの付近には魔物はいないようだ。僕は集中を切り替えるように大きく深呼吸を繰り返し気持ちを落ち着ける。
「さて、行くか」
気合を入れるためにあえて声に出し一歩踏み出した。
95階層、96階層、97階層、98階層、と僕とのレベル差もあることから苦戦することなく進んでいく。
開幕早々ハルバードで先頭の魔物の頭をカチ割り即死させる。ハルバードが勢いに任せて地面に埋まる前に『チェンジ』。体制を無理に直さずかつ視線は外さないようにしながらドッジロール。取り回しのしやすい短剣や重量の軽いラウンドシールドに装備を『チェンジ』。大ぶりの隙のでかい行動を避け手堅く攻撃を繰り返せば相手の魔物は痺れを切らしてか孤立させることが比較的容易になる。連携が崩れ始めればこちらの番だ。
そこからは早い。重量武器の投擲を混ぜながら各個撃破していく。投げ槍を投げ、投げ斧を投げ、盾を投げ、構える時間があれば弓を、短剣の投擲などで牽制し、確実に急所を仕留めていく。
そして、最後に立っているのは僕だ。返り血を浴びて血まみれだが致命傷となる傷はない。『クリーン』で身だしなみを整え、負傷箇所がないか再度確認する。念のため『ヒール』を使う。
素材を種類ごとに小分けに集めたら『チェンジ』に収納。緊張は完全に切らずに一つ戦闘が終了したことで息を吐く。
「フゥー」
戦闘の基本中の基本、呼吸を忘れてはならない。
どんな人間でも無酸素運動では長く動くことはできない。常に呼吸は繰り返し乱すことはあれど止めることはあってはならない。それはこの環境下では死を意味する。
僕がこれまでの戦闘で理解させられたことだ。決まって重傷を負うのは呼吸が止まっていたことに気づかなかったときだ。いくら見えていても情報を処理する脳にまで酸素が行き届かなければ判断が遅れてしまう。
しばらく進むと下への階段を見つけた。再度自分の状態を確認し階段を下りていく。
次は同レベル帯の魔物が出現する99階層だ。同レベル帯であれば僕の方が身体能力が高いことは多い。だが、ドラゴンや精霊などと比べると僕の身体能力は低い。これは種族的な問題だし仕方がない。僕はドラゴンのような鱗の巨体ではない。僕は精霊のような魔力の塊ではない。ステータスにある通り僕はどこまでいっても人間だ。関節は逆に曲がらないし頭の後ろに目はないのだ。
ここから先はこれまで以上に気を引き締めて進もう。その先のダンジョンボスに向けて無理をせず最短で進みたい。
70階層以降はこのダンジョンの魔物が総出で出現した。70以降から異形種の追加。80以降から不死種の追加。90以降からは幻想種の追加だ。僕がいる99階層は魔物の脅威度こそレベル99相当だがこれまでの試しのダンジョンで戦った魔物が全て出現する。それこそランダムに出現するため一階層で相手した兎の魔物が混ざっていることもあればドラゴン集団の可能性もあるのだ。
そう考えると精霊や竜と戦うことになる確率は低い。試しのダンジョンの中で多い種族は亜人種と動物種だ。様々な職業の亜人種に混沌とした進化先の動物種。異業種はその延長線上と考えてもいい。不死種はその多くがアンデットであり長命種と連戦することなど稀だ。
何が言いたいかというとモンスターハウスはあかんやろ。
進んできた時間的にあと数部屋でボス部屋に着くだろうというときに限って運がない。部屋に入った時点ですでに逃げるという選択肢はなかった。モンスターハウスはその部屋の中央あたりまで進んだ時に起動する。一瞬部屋が警戒色の赤に染まったかと思うと元の色に戻り周辺のいたるところから魔物が湧き出てくる。
ほぼ同時に切り替わるかのように湧き出てくるため気づいたときには囲まれているのだ。生き残るには全滅させるしか選択肢がない。逃げようにも退路はないし通路からもまだ魔物が侵入してきている。
ザッと見渡しただけでも竜種が数体、精霊種も見かける。これはボス以上にキツイ状況か?
「・・・やってやる」
静かに覚悟を決めるように呟く。
俯いて表情は確認できないがその口角は上がっていた。後に続くかのように カランコロン と綺麗な音色が魔物の耳に残った。
ザシュ
肉を断ち切る音。傍から見るとどちらが斬られたのか分からないがまだ動くのは片方のみ。血にまみれた赤色の者は動き続ける。半眼に開いた眼は何を見ているのかわからない。どこを見ているのかわからないが理性がないはずの魔物が恐れをなし動きが一瞬止まった。その者はその隙を悠長に待つことなどしない。
動きが速いわけではない。この99階層の魔物であればどの魔物であろうとも問題なく目で追えるはずだ。ましてや野生の感が鋭い獣人種であればなおさら見失うはずがないだろう。だが、結果として斬られた魔物は何が起きたのか理解できずに崩れ落ちる。
予備動作がないのだ。同じ姿勢のまま虚像が拡大するかのように目の前に、死角に出現する。通り過ぎた後に残るのは切断され上下が泣き別れした物のみ。血だまりが広がり足場がまた一段と悪くなる。
ある竜は恐怖に駆られてかそこにいるはずの者に対して武器である尾を薙ぎ払った。その薙ぎ払いは他の魔物を巻き込み、威力を衰えさせることなくその者へ直進する。
また、だ。右前の姿勢は変えず、唐突に尾の軌道の外に立つ。次に出現するときは左前の姿勢で竜の眼前にいた。その者がいつの間にか持っていた長槍がその目に突き刺さる。痛みで反射的に顔を上げたときには右前の姿勢のその者が目の前にいた。
「・・・死歩」
槍の柄尻を踏込むと竜の眼前からはたと消える。竜はその者を探すことができなかった。なぜなら、既に息絶えていたからだ。
部屋の魔物の全てが見失っているとまたどこかで断末魔の悲鳴が聞こえる。振り向くと赤いその者がたたずんでいる。
理性のない魔物が恐怖に理性を失い我武者羅にその者に殺到した。カランコロン 部屋にいた魔物が最後に聞いた音色だ。
僕は生き残った。あたり一面血の海だ。海に突き立つように武器が散乱している。ダンジョンで拾った武器たちだ。自分よりも体格の大きな魔物を倒すにはそれこそ使い捨ての様に武器を使わなければこのモンスターハウスは生き残れなかった。
「終わったか」
呼吸を落ち着け、『クリーン』と『ヒール』をかける。真っ赤だったその姿は元の服装に戻る。数か所深手を負っていたがポーションでどうにかなる程度の傷だ。マートさんおすすめのポーションをぐびっと飲み、ビーちゃんを銜えて補給しながら回収を始める。
『クリーン』を小まめにかけて回収する。ドラゴンに止めを刺した槍なんかは刃が欠けていた。その他にもいくつかの武器は破損がひどい。投擲としてはまだ使えそうなので一応回収しておく。魔物の素材はどうしよう?大き目の風呂敷の上にまとめて『チェンジ』でしまうことにする。整理は後回しだ。
周りを索敵すると魔物の気配は遠いがここはあまり安全ではなさそうだ。体力は消耗しているがボス部屋前で休息をとれば問題なく挑めそうではある。
しばらく進むと予想どうりボス部屋の前に到着した。ボス部屋の前は一種の安全地帯でもあるのでここで休憩することにする。時間は・・・多分、昼をだいぶ過ぎた時間だと思う。遅めだが昼食を取りボス戦に抜けて休憩する。
試しのダンジョンのボスは一体の魔物だ。体長がゆうに20メートルを超える巨人。完全武装をしておりその攻撃力、防御力、どちらも凄まじい。生半可な力では傷つけることはできない。直撃すれは即死すらあり得る。ここまで来ることができた探索者のその多くを殲滅してきたボスだ。
だが、過去に討伐された記録は残っている。巨体はそれだけで脅威だがその分動きが大ぶりであり予備動作が分かりやすい。冷静に判断し足元から順に崩していけば倒せない敵ではないはずだ。
モンスターハウスも厄介だったがボス戦も油断することはできない。しっかりと休憩の後に挑みたいと思う。
カランコロン
ん?ビーちゃんの音色だ。効率よく休息を取るためにビーちゃんに目覚ましをお願いしていた。大体三時間ぐらい休めたと思う。テイムしているためか主従関係だからか僕にとって心に響く心地いい音色だ。
ダンジョンボスの前は魔物が生成されない。一説としてボス扉前はボス部屋の一部と考えられている。最下層に住むボスはそのダンジョンの集大成。魔力が一極に集中されるため他の魔物が生成される余地はないのではないかと考えられている。理由は確かではないがダンジョンボスの扉前は安全地帯として有名なのだ。
『クリーン』で身だしなみを整え、冷やされた『ウォーター』で顔を洗い眠気を飛ばす。準備体操をしながら体の調子を確認してみたがどこも不調はなく問題ない。モンスターハウスに引っかかったにしては大した消耗もなく十全な実力が発揮できるコンディションだ。装備を整え準備を済ませる。
改めて僕はここまで来れたのだと実感するがこのボスを倒さなければ明確な記録が残らない。今の僕は試しのダンジョンの99階層に潜ったと自称することしかできない。箔をつける理由としても僕にとって倒さなければならないボスだ。
装飾のほとんどない素材そのままの黒い巨大な扉を押し開ける。僕一人が通れるほどの隙間を開け中に侵入した。
ボス部屋の中は広く天井も高かった。側面の壁と天井が見えないことから相当広い。部屋の中は青紫色の霧が立ちこめている。この霧は何かと観察していると入ってきた扉がひとりでに閉まった。
やけに扉の閉まる音が響き渡る。すると部屋中に立ちこめていた霧が一ヶ所に集まり始める。部屋中の霧が、、、可視化された魔力が集まり一つの魔物を作り出す。
「は?」
霧が全て集まり変化した姿は予想と違った。
体長は3メートルほどの人型。六腕の腕を持ち、頭部は三方向に死角を潰すように三つ、端整の取れた筋肉のつき方を確認できることから防具は履物以外つけていない。その見るからに剛腕な腕にはそれぞれ武器を持っている。斧、槍、盾、メイス、大剣を二本。中二本の腕に大剣を持ち、下の腕に右に盾と左に槍を持ち、上の腕に右にメイスと左に斧を持つ。肌は赤黒く血管が浮き出ており、六つの眼光は威圧的、軽蔑的、挑戦的、混じりあった複雑な不快な視線。
僕は無意識にビーちゃんを銜えていた。予想外な光景に癖な動作をしてしまったのだと思う。でも、ビーちゃんを補給したことと カランコロン の音色で僕は少し落ち着く。当初の作戦では魔物が活動できるようになる前に一撃入れる予定だったが仕方がない。チラッと後ろを確認したが逃走の選択肢はない。マートさんからの事前情報のない未知の敵。相手の実力が何もわからない。予想外、想定外、逃走不可、未知数、短い間に何度考えても答えは出ない。
ゴクリ。
汗が頬を伝う。胸に手を当て心臓の鼓動を確かめた。安定している?僕は考えているほどこの状況に焦りを感じていない?
そうこうしているうちに相手は戦闘態勢に入ってしまった。僕はまだ考えがまとまらないが使い慣れた短剣を右手に構える。
ボス戦の戦いは相手の攻撃から始まった。メイスと斧による叩きつけ。その攻撃は僕の想定よりも数段速く、力強い。僕は咄嗟にその場を離れるしか選択肢がなかった。
一歩、二歩、三歩。精霊の靴のバフにより予備動作なしで移動する。
一歩でその場を離れ、二歩で右側面に着き、三歩で裏に回る。その間、相手の視線を確認したがどの視線も見失っていない。これではうかつに攻撃できない。
右側面に着いた時点で盾がとんできた。裏に回ったが槍の柄がとんでくる。僕は大きく下がるしかなかった。
「ック」
これらの一連の流れの中で二本の大剣は使われていない。圧倒的に手数が足りない。それでいて相手の方が身体能力が高く、僕が唯一喰らい付けるのは瞬間速度だけだ。それも精霊の靴によるバフありきの三歩分しか効果がない。
死歩は四歩目に攻撃からの離脱が条件だ。これをクリアすれば一時的にすべての視界から外れることができるだろうが現状攻撃を仕掛けられる未来が見えない。攻撃が仕掛けられなければただのバックステップだ。この魔物相手では確実に仕留められる。
どうする、どうする? どうする! そんな答えのない無意味な時間はない。脊髄反射に近い反応速度で躱し続けなければ終わる。勝利の道を模索する時間が物理的に潰される。
とにかく【真似る】で情報を取り入れなければ始まらない。確実に避けれる予備動作なしの三歩で情報を取り入れ、少しでも取り入れた情報から一歩を避ける。
剛腕から放たれる刺突は槍の穂先が突然巨大化したように錯覚する。避けろと命令する前に死の恐怖からか精霊の一歩を踏込む。僕の横を武骨な槍が空間の空気を根こそぎ巻き込みながら斜め上に直立する。
僕は相手の持ち手側、左に避けていたようだ。次に迫ってくるのは左大剣の横薙ぎ。黒に塗りつぶされた大剣の軌道は嫌らしくもしゃがむだけでは避けきることができない絶妙な角度の横薙ぎ。それでいて槍と比べて速度が若干遅いことから余力がある。軌道修正も容易に確実に当てることを重きに置いた剣の使い方。僕はギリギリで精霊の二歩目を踏み空中で逆さ吊りの状況になる。僕の頭上を黒塗りの大剣が通り過ぎる。
空中にいる僕に決めに来るのは斧の振り下ろし。それは単純であるがゆえに最速で放たれる。僕の視界の隅で斧の刀身が霞んだ。槍の刺突よりも速い。僕の目では動いたことしかわからなかった。これも反射の行動、僕よりも強大な敵との経験から導き出された思考する前の反射的行動。逆さ吊りの状況から空中の足場を元に精霊の三歩目を踏込む。相手の死角となるだろう左背面に移動した。
着地と同時に相手の動作を確認する前にその場を飛びのいた。が、追撃で放たれた右の大剣を避けきることはできなかった。
「ツッ」
重症ではないが下腹部を浅く斬られた。咄嗟に『ヒール』発動し治療する。深い傷ではないので止血できた。
空中の足場を踏みしめたのは精霊の靴のバフ効果の一つ空歩だ。空間に足場を作り立つことができる。効果はシンプルだが初めに使用したときは魔力消費量が尋常ではなかった。一瞬立とうとするだけで魔力が枯渇寸前になるという燃費の悪い性能。これを克服するには生活魔法と同じように練習を繰り返すしかなかった。初めこそ使えないバフではあったが今では足場を作る時間をごく短時間にかつ爪先の一点にのみ発生させることで使えるようになった。この方法であれば最小の魔力量で空中も踏込むことができるようになる。
今の二合目の接触で実力差を改めて理解させられてしまう。精霊の靴がなければ僕は反応速度で追いつけない。相手はまだ全力を出していないだろうが僕の方は既に全力だ。完全に積んでいる。
それでも退路はないんだ。
「やってやる」
それから、十、二十と攻撃を回避していく。少ない一瞬の時間を【真似る】で出来る限り情報を取り込む。取り込んだ情報から相手の行動を先読みしようと努力する。相手の癖を理解しようと模索する。相手の技術を模倣する。少しでも多くの情報を取得しようと足掻いた。
その成果か僕は徐々に牛歩の如き一歩だったかもしれないがこの三頭六腕の魔物に慣れていく。
一度の行動で安全圏へ移動することができるようになる。バフがなくても無傷で避けれることが増えてくる。武器の受け流しを合わせることが最終手段として一度できた。
試行の回数は同じ回数以上に生傷を増やした。腹を斬られ、腕を斬られ、足を斬られ、頬を斬られ、背を斬られる。どれも重傷は避けたが出血は免れない。そのたびに【ヒール】と【クリーン】を行使し治療と滑りを落としていく。
僕は未だ一度も攻撃に転じられていない。防戦一方だ。それも盾などで正面から防ぐことはできず紙一重で避け続けるしかない。常に死と隣り合わせの状況。精神がひどく摩耗する。攻撃ができなくても攻撃するための体力はどんどん失われていく。僕の勝ち筋はもともとゼロに近かったかもしれないが今では本当にゼロなのではないだろうか?そんな弱気な考えに逃げそうになる。
それでも僕は足掻いた。生き残るために足掻いた。自分で選んだ選択であるがゆえに足掻いた。足掻いて、足掻いて僕の求める強さが欲しかった。
僕一人で胸を張って主張できる強さが欲しかった。
ただ、それだけが欲しかった。
「グフッ」
腹部の激痛。唐突な痛みに見下ろすと槍の穂先が見えた。僕の体から映えた酸素供給量の多い綺麗な血に濡れた銀色の穂先。
僕は力任せに飛ばされ床に横たわる。これまでの足掻きのせいか力が入らない。せりあがってくる生暖かいものを吐き出しながらも相手を視界の端に捉える。
魔物は槍を素早く振り血糊を落としている。
魔物の動きを把握できなかった。ずっと見据えていた魔物がこれまでの猛攻が何だったのかと言いたくなるほどに行動が止まったのだ。僕は行動が変わったことによりこれまでの情報が当てにならなくなる。気づいたときには背後から刺されていた。それこそあれは予備動作なしでないと・・・・・。
ああ、そっか。何も学んでいるのは僕だけではなかったのだ。魔物も僕を殺そうと観察していたのだ。
身体の状態を確認してみるがこれは誰が見ても重傷だ。三メートルの剛腕の魔物が扱う槍で貫かれたのだ。腹部の穴は相応に大きい。血も流し過ぎている。視界も徐々に霞んできているし、本価格的にダメそうだなぁ~。
まだ動かせるのは魔力ぐらいか。魔力操作は肉体に依存しないから動かせる。でも、こんな激痛の中で思考を乱さずに発動ができればの話だ。それに僕が習得している魔法は生活魔法だ。攻撃魔法でも回復魔法でもない。
ゆっくりとだが足音が聞こえてくる。
止めを刺しに来たのだろう。
これは、つんだか・・・。
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