第16話
男は自身の殺人の痕跡の隠ぺいを図った。
包丁は池の中に捨て、血で汚れた服は埋めた。
翌日、夫婦の死体が発見されたが、村の調査技術で犯人を見定めるのは困難であった。また、村はつねに不安がうずまいており、空気が悪く、村人同士が殺しあうのは、稀にあることであった。その事件のひとつとして、今回も処理された。
凄惨な事件のあとは、疑心暗鬼が村人の心を巣食い、村に邪気がただよう。
神の娘はそんな時、村の祠で祈りをささげる。
祠のまわりにはかがり火が焚かれ、神の娘の白い頬が朱に染まった。娘は水の入った盆を両手で抱え、空にかかげた。
目をつむり神への祈りのことばを詠唱する。
周りにいた村人たちも目をつむり、両手をあわせた。
男はその光景を遠くからみていた。
後日、夫婦の部屋を片付けるよう男は託った。男は殺害現場に残っていた遺品から、神の娘の殺害をこの夫婦がくわだていたことを示唆すると提言した。村の大人たちも気づかなかった証拠、ならびに論理展開だった。子供ながらにも卓越した分析をみせる男に、村人は舌を巻いた。
「護衛を強化したほうがよいでしょう。エリオスペの葉はあらゆる毒素に対して拒絶反応をみせます。私が採取しておきますので、毎朝窯の水を調査いたしましょう」
娘は証拠をもとに提言を真実として受け入れ、沈痛な表情でうつむいた。膝の上でかさねたちいさな両手がこきざみに震えている。
「わかっているんです。私が村人からうけとる感情は、親しみだけではないということ。私が無力なばかりに大切な人を亡くした方がたくさんいる。わかっては、いるのですが」
そのまま目元に手をやり、すすり泣いた。
その日から神の娘の警護はより強固なものになった。
男は十五歳になった。
村の学堂の成績はほかの子供の追随を許さないほどに優秀なものだった。
「あなたを宝都の大学の特待生として推薦したいとおもいます。むこうもあなたの学力をみて、ぜひともとの返事をいただいてます」
神の娘は男にそういった。歳を重ねて大人にちかづいた彼女は、さらに美しさへ磨きをかけていた。
「いきます」
男は即答した。
「ありがとう。いつの日か、あなたに私がお願いしたことをおぼえていますか?」
「おぼえております。あなたがそれを望むなら」
神の娘は返答をきき、微笑んだ。
「勉学の期間は六年にもおよぶといいます。あなたが村からいなくなるのは、すこしさみしいですね」
そして、男の耳元へと唇をちかづけ、小声でささやいた。
「宝都には、生物培養学を研究されている研究者がいるそうです。生物培養学なんていいますけど、キマイラの製作、らしいです。あなたも名前だけはきいたことがあるのではないですか? キマイラは神があたえた構造を否定する、贋作だ、……そんなことをいわれ、宝都の人々から忌み嫌われているそうですが」
窓の側でひなたぼっこをしている彼女の猫をちらりとみて、娘はつづけた。
「私はそうはおもいません。私はあの子のおかげで、こうして救われているのですから。あなたなら、興味がある話ではありませんか?」
村から宝都の大学へいく者がでるのは、初のことであった。男のために宴が行われた。男は宴の途中にこっそり出発することにした。
夜空には満月がのぼっていた。
男は村が準備していた馬に跨り、裏門から出た。寒風が遠くの山からおりてくる。
「お待ちなさい」
神の娘の声が男の背後からきこえた。
「なぜ、勝手にいくのですか」
護衛と女中の姿はなかった。彼女は単身で男のあとを追いかけたのである。
男は馬からおりたが、神の娘の顔をみることができなかった。
そんな男をみて、娘は一つため息をつき、手にもっていたものを差し出した。
「これはすくないですが金品です。旅の資金はあらかじめ用意した分で事足りかとおもいますが、むこうでなにかと入用になるでしょう。あとこれ」
娘は茶色のローブをてわたした。
「もしかしたら、旅路で雪がふるかもしれません。あたたかい毛皮のローブも作らせました。私が直々に祈りをほどこしました。あなたが無事に旅ができますように」
「ありがとうございます。私には、もったいない物でございます」
「すっかり大きくなってしまいましたね。それに、男性とはおもえないほど、キレイな顔立ち」
娘は男の頭をなでようとしたが、とどかなかった。男は顔をそむけて拒んだ。
「私もプレゼントを用意しておいたのです。家のまえで待機させていたのですが」
男は胸元にさげていた笛をふく。歪な音に娘は耳をふさぎ、顔をしかめた。
村のどこかで、地を軽快に蹴る獣の走行音がひびき始めた。それはやがてふたりのもとへ近づいてくる。その正体を認めると娘は破顔した。
「まぁ、かわいい」
それは男が秘密裏に作成した、狼の子供と野良犬を縫い合わせた狼犬だった。
神の娘は笑いながら、狼の頭部を撫でた。スッと態勢を低くして、犬はされるがままになっている。
幾度となく、男は娘からもらった髪飾りの臭いを狼犬にかがせた。主従本能にしたがって、神の娘を守ってくれれば、と男はおもっていた。
娘は狼犬の頭部を撫でながら、目をほそめた。
「私は神の娘としてこの村で生きてきました」
娘はさみしげに微笑み、そうつぶやく。
「神なのだから、村人を救える。村の皆はそう思っていたのでしょう。いや、そう思いこむことで救われていたかったのです。でも、そんなのはまやかしなのです。私は無力なただ一人の女です。本当の神は」
神の娘と男はみつめあった。
「力。すべてをまとめ上げ、他をみちびく、そんな、強い力」
娘は男の手をにぎって、目を伏せた。
「いってきます」
「えぇ、気をつけてください」
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