第15話
神の娘は外に出られない分、家での時間を楽しむために、猫と犬を飼っていた。ある日、娘は犬にボールをとりに行かせて遊んでいた。水をとどけにきた男をみつけて、娘は庭から声をかけた。
「あなたも撫でてみますか? 大丈夫、噛んだりしませんよ」
男は怖がっていたわけではない。ただ、犬が自身をみつめる瞳に、ふしぎな感情をくみとったのだ。
――村の子供たちとは、ちがう。
自分に対してさげすむでもない、恐れるでもない。
無をみていた。
同士にむける瞳だった。
ある日、彼女の猫が病に倒れた。顔を痙攣させ、泡を吹いている。
神の娘は泣いた。猫の名前を何度もよび、すがりついた。村の医療技術では助けることは不可能だった。
男は猫の様子を観察し、下半身がパンパンに膨らんでいることに気づく。尿道が詰まり、毒素で下半身が冒されているのだ。
「もしかしたら、この猫を救えるかもしれない」
「……どういうこと?」
「ですが、あなたは私をお嫌いになるでしょう」
娘はとまどいながらも、男を嫌わないと約束した。
男は近くにいた野良猫をつかまえ、包丁で胴を切断した。
「なんてことをするのですか!」
神の娘は悲鳴をあげた。
「止めないでください」
男はそのまま、神の娘の猫の体をつかんだ。猫は雄たけびをあげながら逃げようとする。必死の形相で男の手をひっかくが、取り押さえられた。
「この猫の下半身は壊死しています。私は、今から彼の下半身を入れ替える」
「そんなことをすると死んでしまいます!」
娘は泣いて拒んだ。
「みてください」
男は野良猫を指さす。
野良猫はじぶんが切られたことに気づいていないように、上半身をバタバタと元気にうごかしていた。
神の娘は驚愕と恐れの入り混じった眼で、その光景をながめていた。
「私が切った動物は死なないんです」
最初はおぞましさで顔を竦ませていた娘だが、やがて、男の真摯な態度と目のまえの現実を前にしてなにもいわず見守るようになった。
娘の飼い猫は切られる直前までは暴れていたが、刃が胴に入った瞬間、目をほそめて恍惚の表情をうかべた。
男はそのまま、二匹の下半身をいれかえた。
神の娘の飼い猫は、やがて元気になった。上半身は白い毛並み、下半身は斑の混じった茶色の毛をもつ、ふしぎな猫になった。術式が終わった後、変わり果てた自分の下半身をしばらくながめていたが、やがて、おおきな伸びをして庭にでていった。
その一部始終を、神の娘は夢でもみるような心地でながめた。
「あなた、いったい何者なのですか?」
男は汗をふきながら、しずかに首をふった。
「約束の通りです。私はあなたのことを嫌いません」
そして、目元の涙をぬぐった。
「いいえ、むしろ、ありがとう」
彼女はそのまま、村の現状について語り始める。
神の娘が村人のまえに姿をだすのは、年に数回ある牛肉祭と、ラーラの神にささげる儀式の時、そして、断罪のために祠に祈りをささげる時だけだ。だから、娘が大人からきいた話であった。
「村にお医者様がいないの。だから、病を患った村人は、治療されることなく死にゆくこともあるそうです。感染を恐れ、森の奥地へ捨てられるのです。私は、神の娘としてここにいて、村の安寧をとどける立ち位置にいますが、本当はわかっています。そんなことよりも、村にお医者様をよぶべきだと……でも、そんな財力この村にはないのです」
神の娘は汗で張り付いた男の前髪に指をそえて整えた。
「あなたほどに聡明で、そして、あなたのようにすばらしい力があれば、きっと村を救えるはず。……って、ダメですね。未来ある子供に、願望を押しつけてしまって」
男はその願いをききいれるか、悩んだ。
男の手には、猫の胴体を切った時の快感がのこっていたからだ。
だが、男のしっている世界で、神の娘が全てであった。
男は医学の道を志すことにした。
神の娘を生んだ親は、村から手厚い待遇を受けることができる。
ゆえに、その座を目論む者が多かった。
ある晩、男は解体用の昆虫を採取すべく、村の木をまわっていた。
「ぬかるなよ、明日の晩だ」
男は木陰でヒソヒソと話し合う、夫婦を目撃した。そのふたりに男は見覚えがあった。神の娘の着物の調達や、家具の修理をおこなっていた下人であった。
「私たちの娘を神にする。そうすれば莫大な金が手に入るから、都へ移住することができるだろう。ここにいたら病で早死にしちまう」
夫婦の娘も小綺麗な見た目をしていたが、当時の神の娘のほうが容姿にすぐれていたため当落し、男たちの性欲の慰めに利用されていた。
夫婦は神の娘の暗殺をくわだてていた。神の娘の飲む水に毒をしこもうとしていた。もしもこの暗殺が成功すれば、水係であった男が容疑者に浮上するだろう。
男は前々から試してみたいことがあった。
調理場にある大きな包丁。
あれで人を切れば、殺すことができるのだろうか。あるいは、自分の力は人にも有効なのだろうか。
男は夫婦が寝静まった後に、藁屋へ忍びこんだ。
ふたりは男の侵入にきづかずに、眠っていた。娘はいない。どこかで男に使われているのだろう。
夫のほうが体躯がおおきく脅威になるだろうとおもい、先に始末することにした。室内にあった漬物石を手にし、その顔面にめがけて勢いよく叩き落した。
男は夫が息絶えたのを確認した。
轟音に妻が悲鳴をあげて飛び起きた。
声をかき消すため、包丁で首を薙いだ。妻は喉元をおさえて血を止めようとした。普通なら死に至る出血量であったが、生きていた。妻はふしぎな表情をしていた。快楽に顔を蕩けさせながらも、死への恐怖を顔中に張り付け、困惑しているようだ。この時、男のもっている力は『刃物による切断の関与』が必要であることを学んだ。刃物の傷は致命傷にならない。どんなに深い傷であっても、それが人であったとしてもおなじであった。
それがわかればもう用済みであった。男は妻の顔面を漬物石でなんども殴って殺害した。
これが彼が十二歳の時、初めての殺人であった。
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