第9話

「あなた、マスターにあったわね」

 次の日、開口一番にアサナギはそういった。

 昨晩までの疑問は一瞬にして解消した。

 ――やはり。

 昨日、あの男が背負っていたピンクのクマのぬいぐるみ。

 どこかで見たとおもっていたが、あれはアサナギのツリーハウスの棚だ。

 今はなくなっている。彼がもっていったのだ。

「私が助けなかったら、トオルの脳みそハチの巣になってたわよ。あの人の人嫌いは筋金入りなんだから」

「彼は、アサナギのお父さん?」

「ちがうわ」

 森から青い鳥がツリーハウスにもどってきた。

「私に家族はいない。捨てられたの。マスターは私を拾ったのよ。それだけ」

 黄色い花弁をくわえており、それをアサナギの口元へもっていく。

「このお花の蜜、とってもクセになる味なの。安眠作用もあるのかな。寝る前に飲むと、胸のあたりがポカポカするの」

 一瞬、鳥の嘴とアサナギの唇がかさなる。やさしい手つきで鳥の頭をひとなでしたあと、彼女は花弁をつまんだ。花弁の匂いをかぎ、とろけた表情をうかべた。ピンク色の舌を艶めかしくゆらしながら、花弁の中心を舐めた。

「ありがとう。とてもおいしかったわ」

 アサナギが食事を終えた後、鳥は花弁をくわえて、ふたたび森にきえた。

「ぼくもお土産があるんだ……マァ、命を助けてもらった対価としては、少々物足りないかもしれないけど」

 昨日買ったチーズパンをちぎって彼女の鳥に運んでもらった。

 彼女はワァと歓声をあげながら、目をとろけさせた。

「ありがとう。すごいわね、中はトロトロなのに外側はカリカリしているわ」

 この前とおなじようにピースケがパンを運んだ。ピースケの嘴は、すっかりチーズまみれになってしまった。

 すべてを食べ終え、彼女は口元をナプキンでふいた。

「私、昨日この子たちの目を通して、あなたの町をみていたのよ。どうしたの? すっかりお祭り騒ぎじゃない。私、『どーなっつ』とかいう丸いの食べてみたかった。この子たちが人のことばを話せたら、トオルにお遣いさせたのにっ! 役立たずっ! ぴーぴー鳴くんじゃんなくて、美しい詩の一つでもそらんじてはどうなのっ!」

 きぃといいながら、アサナギは悔しがった。

 周りにいた鳥たちは抗議するように彼女の髪をつついた。

「町の人がキマイラを討伐しようとしている。そのために英気を養うお祭りをしていたんだ」

「ふーん?」

 アサナギはまったく興味がなさそうだった。その対応に面食らう。

「ふーん……って、君はあの『マスター』が大事な人なんじゃないの?」

「私は彼とただ契約をしただけよ。みて、この髪飾り」

 アサナギは自身の耳の横をゆびさす。そこにあるのは、いつも着けている花の髪飾りだ。

「これが契約の証。マスターが昔大切な人からもらったんだって。すこし作りが古いけど、けっこうかわいいよね」

「契約? 前もいっていたね」

「そう。なんの契約だとおもう? トオルー、あててみてー」

 アサナギは今日、袖の長い青のドレスを着ていた。

 両手いっぱいにひろげて、ふらんふらんと体を軸にしてまわした。水辺の鳥が湖面で水浴びをしているようだった。

「メイドさんかな? マスターが留守の間、君が部屋の掃除をしているんだ」

「ぶっぶー。ここは彼のお家じゃないよ」

「じゃあ君は、マスターのなんなのさ」

「私は」

 アサナギはそこでことばを切り、ンーと口元に指をあてる。

「なんだろ? なんなんだろね? 番犬かしら?」

 ワンとアサナギは犬の真似をした。

「そう。でも、パッとみたかんじではお金の気配はしないね」

 ぼくはため息をつく。

「それで? じゃあアサナギは、マスターが死んじゃってもいいっていうんだ」

 森のどこかで銃声がきこえ、悲鳴が空をこだまする。

 もしかしたら、昨日の今日でキマイラ討伐が始まったのか?

 そういえば、今日の森には獣の気配がなかった。硝煙の臭いと人の気配をかんじとり、森の奥深くへ逃げたのかもしれない。

 また、銃声が鳴る。

 ぼくの手は無意識に弓にのびていた。

「ねぇアサナギ。今、銃声が」

「マスターが死ぬわけないじゃん」

 その自信満々な様子に、ぼくは二の句をつげなくなる。

 アサナギはしずかに口元に笑みをうかべて、ツリーハウスの窓からぼくをみおろしている。

「天空の城――ホールスティン城。あなたもこの城、しっているわよね?」

 ホールスティン城。

 その城はしっている。たしか、頭脳に長けた名君が統べていた城だ。反り立つ山の上に建ち、あらゆる軍勢を退けてきた。軍備も兵数も申し分なく、何世紀にも渡って難攻不落であった……人々は畏敬の念をこめて『天空の城』と呼んだ。

「しっているよ」

 だが、それは最近までの話だ。

 ホールスティン城は陥落した。城はみるも無残な姿へ様変わりし、その黒の瓦礫は血で赤く染まった。

 たった、一晩の出来事だった。

 アサナギは腕を水平に薙いだ。

「それをやったのが、キメコとマスターだもの。キメコはすごいのよ。とっても勇気があるんだから。鉄砲の弾を喰らっても、目に槍が刺さっても、果敢に兵士をなぎ倒した。って、マスターからきいたの」

 鼻で笑うのは簡単だった。

 だけど、ぼくはなにもいえずに立ち尽くした。

「私、仮説があるの。キメコ、きっとマスターに恐怖という感情を取り払われているんだわ。生存本能……、それすらもないキメコは、生物かしら? それとも? それでも私とキメコはお友達よ」

 彼女はクスクスと口元に手をあてて笑い、しばらくして気がすんだのか、パンと手をたたいた。

「さぁ、トオル。そんなどうでもいい話は終わりよ。今日は私が『トリノメ』でみた物を絵に描いてあげるわ。カミシバイ、ってやつね」

 アサナギは手元をゴソゴソとあさり、スケッチブックをとりだした。

 遠くてみえにくいけど、鳥がクレヨンで描かれているのがわかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る