第7話 教職とキャバクラ
その男は高校教師だった。
教師といっても、昔の高校とは大きく様変わりしている。生徒たちは対面式ででの授業を受けたりはしない。高校の授業と名付けられたカリキュラムがあるだけだ。生徒たちは自由にこの授業を組み合わせて単位を取得していく。そして取得単位に応じて高校から学位を授けられる。
実はすでに小学校・中学校・高校というのは実態としては存在しない。名称だけあるだけだ。そしてどの授業選んでも良いのだから小中高いずれの科目も学力のレベルにかなり差がある。
かつての工業社会に必要とされた画一的な人間を生み出すことはできなくなったが、高度に最適化され、管理された社会ではそれで充分だった。
いや、むしろ特定の才能を持つ人を最適な位置に配置できるので、能力のバランスがいびつである方が、もしくはいびつな能力の生育を推進する教育である方が、現状に適している。
その男は高校教師だった、もっと正確に言うなら高校の科目を教える人間だった。
かつての教師は科目を教えるだけでなく、生徒の管理や道徳的な刷り込みという役割も与えられていた。これらを行うにあたって必要なのは教師の人格とそれに伴う生徒からの信頼だった。だが、映像で納められた授業を学校教育とする現状では、管理と道徳の刷り込みという役割を教師から取り上げた。
かつて教師が担っていたそれらの役割は、対個人教育コンサルタントという業種が担っている。曰く生徒の希望の職種に沿う授業選択の相談者やモチベータとして働く。こちらの業種の方がよほど信頼、それに適した人格を要しそうだ。
つまり何が言いたいか。既に教師と言うのは人格を問われなくなったと言うことだ。そしてその男も例にもれない。
だから、どれだけその男がキャバクラで羽目を外していたところで、私にとやかく言われる筋合いはない。
私達は多少、事前の調査に、主に役割分担に難儀したものの、必要なデータをそろえることができた。
”インフラ”の情報を使うと仕事は楽になるが、あまりあてにはできない。いや、”インフラ”があてになるときには、私の仕事はあまり必要とされない。
”インフラ”のデータと足で稼いだ前情報を元に、私達は複数の場合を想定し、実行作戦を立てた。
そして、今はシェアカーに乗り、件のキャバクラに向かっている。
「ともあれ、例のキャバクラに対象の男がいる。早速拝顔しようではないか」
「先生、ひとつ確認したいのですが、この仕事の目的はその教諭に生体情報と位置情報の検知機を取り付けることですよね」
そうだ、と私は答えてポケットから注射針のついた銃のようなものを取り出す。個人の生体情報の取得。これは思いっきり違法だ。
「先生、当たり前ですけど、その教師さんは検知器を打ち込もうとしたら、絶対に抵抗しますよね」
「そうだな」
私は答えた。
「抵抗されても、やるべきことをやるだけだがな」
とはいえ、まずは抵抗される前に事を終えることを優先して考えるべきだろう。
我々が乗っているシェアリングカー、通称シェアカーはクラシックな型のものだった。30年前に販売された型の復刻版。丸いフォルムで淡い水色の外装。
ただ、自動運転が実施される前の車と大きく違う箇所は、運転席がないことだろう。私と少女は向かい合った形に配置されている革張りの椅子に座っている。広さとしては観覧車の中を想像するとよいだろう。そして向かい合った席の中央には、目的地までの所要時間が表示されている。そして私達はどちらも、進行方向を見ていない。
この車は人間が運転することを禁止している。自動運転が実用化されて間もないころは、必ず人間が運転席に座り、必要とあれば自分で運転しなければならなかった。だが、完全にオートで運転している際の事故率に比べ、人間が運転する場合の事故率が圧倒的に高いという論文が公開されて以降、ほとんどの自動車メーカーが、人間が運転可能な車を作ることをやめてしまった。
自動運転技術の発達は所有欲以外の自動車購入動機を奪った。端的に言えば購入の必要がなくなったのだ。少し昔はタクシー運転手という職業があった。だが、タクシーに日常的に乗るのはコストが高い。何故なら人が運転しているからだ。人的労働力はその頃かなり高価だったから、他人に運転してもらうより、自分で運転した安く済んだ。
かといって、自動車を借りることもその当時は高くついた。人にはミスがつきものだ。そして自動車の運転中のミスは事故となり、貸した車が帰ってこない可能性が発生する。そのリスクを補填するためには貸し賃は高く設定するほかない。
だから人々は自動車を購入し、ガソリン代と税金と車検費を払った。それでもタクシー代や自動車の貸し賃より安かったからだ。
しかし、自動運転は運転手を安価で事故を起こす可能性が限りなく0に近いコンピュータに置き換えた。
だから、もはや人は自分で運転する必要はないし、自動車を所有する必要はない。ものすごく賃料が安いタクシーが町中を走りまわっており、いつでも乗ることができるからだ。いまや自動車を所有することはダイヤを身につけることとほとんど変わらない。
「自動運転は安価で安全というだけでなく、移動という面倒なタスクを全部取っ払ってしまったからな。
「そういえば先生は経済学が専門でしたね」
「正確に言えば神経経済学が専門だったが、今となっては昔の話だ」
ふと窓の外を見やる。まだ目的地まではまだ時間がかかるだろう。石畳の歩道、わずかに赤色の割合が多い太陽光。近くで見たらたくさん汚れがあるだろうに、なぜかピカピカに周りの景色を反射しているビルの窓。
私は思った。
高校教師は求められる職業倫理や職業的人格が、テクノロジーにより塗り替えられた。
タクシー運転手はテクノロジーにより、その職業そのものが消失した。
私の仕事、特に”インフラ”を使う仕事は、思いっきりテクノロジーに依っている。おそらく、遠くない将来、私は抗いようのない流れに飲まれることになる。時間の流れと供に社会の流れは加速するだろう。
私は少女に言った。
「君が言っていることがやはり正しいのだろうな」
少女はこちらを見ずに、頷くでもなく、少し首をかしげる。
シェアカーはもう少しでビル街を抜け、住宅街へ入る。
目的の場所まで、15分を切っていた。時間の流れは思っているよりずっと早い。
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