第8話 搾取

 あたりはまだ明るさを残してはいるが、すぐに夜が来るだろう。


 少女に声をかける。


「多分、ものの10分で終わる。集合地点は…」


 少女は首を横にふる。


「予定は頭に入れています。確認は大事ですが、ここで時間を潰すのは得策ではありませんよ」

 

 言外に信用しろと言われた気がして、私は苦笑する。


「わかった、任せる」


 少女は頷き、そのままシェアカーに乗り発進する。


 車から降りた私は今から入る建物を見やった。外見では本当に水商売の店とは思えない。周りの住宅街に溶け込むような、こじんまりとした洋風の建物。


 薄いベージュの壁には、控えめな文字で店名が書かれた看板がさがっている。メルクリウス、と書いてある。確かどこかの神話の神様だったか。店名にしてはいささか大層なものだ、と私は思ったが、考えてみれば、有名なビールも神様の名前をつけていた。神様の名前で験を担ぐのは商売人には馴染みのものなのかもしれない。


 入り口は地面よりすこし上、石造りの階段がそこに続いている。階段を登り、木製のドアに手をかけた。


 抵抗なく、すっとドアが開く。


 普通の飲食店であればここで自身の携帯端末による認証が必要だが、この店では必要ない。多くの飲食店で、安全保障のために認証を求められる中、その時流に逆行して、水商売の店では客のプライバシーを優先する。


 キャバクラに行く男性が、入店時に認証を求められるのはなんとなく嫌だろう。匿名でいたほうが、殿方も心置き無く羽目を外せるというものだ。


 もっとも、だからこそ、私は対象がこのような店に来るときを狙っていたのだが。


 店内を見回した。外装と違って内装はきらびやかな雰囲気に包まれている。ビロードのソファ、シャンデリア、アルコールの匂い、黒服の大きな声、胸の空いたドレスを着た女たち。


 赤いカーペットは毛が長く、足音を吸収する。私は出来るだけリラックスした様子を作り、店の奥へ行く。そして周囲をさっと見渡す。


 客は5組。その中でジャケットを脱いだスーツ姿の、すこしくたびれた男を見つけた。


 対象の高校教師の男だ。


 大体私が立っているところから10mくらい先に座っている。


 黒服に声をかけられる。


「いらっしゃいませ、お一人様でしょうか」


 ああ、と私は適当な返事をする。黒服が続ける。


「では、向こうのお席にご案内いたします」


 黒服が案内する線上に、対象の席がある。もし、全く別のところに案内されていれば、すぐにトイレにでも立とうと思っていたが、その必要は無くなった。


 なんでもないように私は黒服について行く。


 対象から7m。普段着ないようなラフなミリタリージャケットの、内ポケットに私は右手を入れた。銃の持ち手のようなものを掴む。汗がにじむのを感じた。


 対象から5m。男の隣には接客しているドレス姿の女がいる。


「ここ最近よく来るけど、仕事は忙しくないのかしら」


 2m。男はつまらなそうに言う。


「忙しいけどさ。いつもいつも仕事は途切れることなくやってくるけど、それを手早くこなしているんだ。おかげで、こうやってこの店に来ても困らない程度には稼いでる」


 1.5m。不意に私は考えた。別段、ここは違法な店でもなんでもない。そして対象の教師だって、法を破ることを(少なくとも私が持っている資料に書いてある限りは)一度もしていない。


 ここで罪を犯すのは私一人だ。


 そして、罰を受けるのは私ではなく、対象の男一人だ。私の行為は免責される。罪と罰は対ではない。誰かが平然と罪を犯して、別の誰かがいわれのない罰を受けることは往々にしてある。


 だとしたら、私の隣の少女もいつか、いわれもない罰を受けることがあるのか?


 1m。私は歩く速度を上げ、対象の男に素早く近づいた。


 0m。内ポケットから銃のような注射器を取り出す。空いている左手で男の肩を掴み、右手の注射器を男の首筋に当て、引き金を絞る。


 どしゅ、どしゅっと二発の鈍い音。生体情報と位置情報。二つの検知器は男の首筋、正確には肩の筋肉に埋め込まれる。これで男は”あれ”たる依頼主にプライバシーをかなりの高精度で搾取され続けることになった。


 男が振り返る。何をされたかわからないようだ。


 すでに私が注射器をしまっていたこともあるが、普通に生活していて肩の筋肉に注射をされ異物を埋め込まれるという経験はなかなかできない。


 私は一目散に逃げる。店内を突っ切り、入り口の階段をひとっ飛びで降りた。


 あの男は呆然とするか、すぐに病院へ行こうとするだろう。警察に連絡することも、まれにあるが多くの場合相手にされない。


 残念なことに、生体情報と位置情報の検知器を埋め込まれた人間がどのように反応するかは、すでに膨大なデータがとられている。そして、その対策はすでに行われている。


 病院に行こうが、なにも異常はないと診断されるはずだ。MRIだろうがCTだろうが、この検知器を発見できない。


 男はこれからずっと生体反応と位置情報を、”あれ”である依頼主にとられ続ける。

この超高度管理社会で生体反応と位置情報を、高精度でとられていることは裸で生活しているのとあまり変わらない。


 なるほど、確かに、すでに街には監視カメラもあるし、インターネットの使用履歴だって隠しておくことはできない。そして”インフラ”。すでに人々は生活を裸にされているとも言える。


 しかし、あの男はそれ以上の仕打ちをうける。あの男はこれから行うことと、それに伴う感情を全て生理学的な言葉で丸裸にされる。


 帰省して久しぶりに母に会うとき。


 友人と酒飲み、馬鹿話をするとき。


 小説を読んで感動するとき。


 アダルトサイトをみて自慰行為をするとき。


 ある状況で何を感じるか。心理的動作をモニタリングする体内の化学物質はすでにたくさん報告されている。生体情報の検知器はそれらを定量化し、そのデータを送信する。


 私の依頼主に。


 究極のプライバシー侵害だ。


 彼は知らずに社会秩序からはみ出てしまった。彼は”異分子”になってしまった。そして、知らずのうちに搾取されている。


 せめてもの救いは、彼がそのことに無自覚であることだろうか。


 店の外では少女がシェアカーを確保して、待っていた。私はすぐにシェアカーに乗り、できるだけこの場所と事務所から遠くの住所を入力する。


「先生」


 少女は口を開いたが、しばらく逡巡した後、こう言った。


「ご苦労様です」


 私は自分を守る為に、他人を犠牲にしている。

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