第5話 黄金色の景色
「先生。それにしても先生はいつになったら、私とデートしてくださるのでしょうか」
少女がそんな阿呆を言ったのは、私が依頼主から封筒を受け取った3日後のことだった。
あらかた”インフラ”による作業を終えて、行動を起こそうとしたところに、やたら甘い言葉。
ため息。
「まず、君にデートに誘われた覚えがない。次に、何度も言うが君は生物学的には私と同性だ。最後にデートと呼ぶかは知らないが二人で外出することはいくらでもあったじゃないか」
「先生は恋愛を知らないようですね。デートというのは浮かれた男女が、まあ生物学的に男男でもよいとしましょう、秋風そよぐ黄金色の景色の中をふわりふわりと歩きつつ、来世でも君と一緒になるよ、などと迷い事を言いながら、やはり浮かれるものなのです」
少女は迷い事を言った。よかろう。十年もすれば今の言葉が恥ずかしくて仕方がなくなるはずだ。その時にそっと教えてあげよう。若気の至りという言葉を。
それまで私が彼女のそばにいるかは全く保障できないが、私は心の中でそう誓った。そして誓いを口にする代わりに、彼女の言葉に応えるでもなくあいまいに手を挙げた。
「あら、先生もわかってくださったみたいでうれしいです」
どうやら、同意と捉えられたみたいだ。まあよいだろう。私自身なんのジェスチャーをしたのかよくわかっていないのだ。コミュニケーションは相手が受信して、解釈を経て初めて完成する。そう思うと、私が今まで受けた相手からの疎通はきっと大部分が私の幻想なのかもしれない。そう思うと非常に愉快だ。
「さて、ではデートというわけではないが、少し外出しよう。ついて来たまえ」
本当に外出するとは思わなかったのだろう、少女はキョトンとした顔をした。
「先生。いまから私たちはどこへ行くのでしょう?」
訊きようによっては、「どこからきて、何者で」という言葉が前につきそうな哲学的な問いかけを俗な回答で打ち返す。
「キャバクラだ」
「あら。先生は聖人君子とまでは言わずとも、そのような疑似恋愛の商業施設を好むとは思いませんでした」
「妙なことを言うな…」
「そうではありませんか。彼女らはお店で雇用契約を結び、労働として男の方とお話をして、対価として金銭を受け取るのですよ。真実の愛ではありません」
私は客としてキャバクラに行くわけではなかったが、一応少女の議論に付き合うことにした。私は彼女の先生だ。特に正解を示せるわけでもないときでも、考えることを促すことには付き合える。
「全く。では訊くが真実の愛はどこで手に入る?」
「先生。私に任せていただければご覧に入れます」
「質問を変える。真実の愛とは何かね」
「想像力と費やす時間です」
「具体的に」
「想像力は誰かを慮ることです。もし想像力のない人間であれば相手が何を欲しているか、誰を欲しているかを知るすべがありません」
人は自分の情報を全部他人に開示しているわけではない。そのため他人の欲を知るためには自分の経験則や一般論、不合理な推理に頼るほかないのだ。
私は、なるほど、とつぶやいた。少女は話を続ける。
「自分が想像した、欲しているものを与えるために最適な行動を検討し実行する。それに費やす時間が愛情の正体だと思います」
「なるほど。しかしその理屈だとキャバクラ譲が愛情を持っていないとは全くいえないのでは?彼女らだって客が欲するものを想像して与えるために最善をつくす。たとえそれがお金のためであっても」
「違います。彼女らはお客さんがほしいものを捏造するのです。本当は欲していないものをさも最初からほしがっていたとお客さん自身に信じ込ませるのです。それは相手を慮るとは言えません」
本当の自分ではない自分をねつ造して、それを商品として、お客さんにほしいと思わせる。そして関心は対価である金銭。確かにそれは愛情ではないだろう。商売だ。
少女の意見を正論だともおもわなかったが、面白い意見ではある。
「となると、順序の問題だな。相手がほしがっているものを想像して与えるか、相手のほしいものを作りだして与えるか。しかしそれだと自殺志願者の更生を生業とする心理カウンセラーも彼らに目的を与えるし、その目的達成に手を貸すのでは?」
「本質的には同じですね。給与が発生することも含め」
「……それにしても君はキャバクラ譲が嫌いなのか」
「嫌いではありません。むしろ目指していた節もございます。その時に自分なりに考えてみたのです。商業的な愛情と私的な愛情とを」
「それで、君は商業的な愛情は相手の欲望を捏造することと定義した訳だな。それで?君は結果的にキャバクラに勤めていないが不満があったのかね」
「誰かの、特に私が慕う誰かの、欲するものをできるだけ純粋に培養したいと思ったのです。捏造することも、ある人には必要でしょうが、きっと私の慕う人はそれを望みませんもの」
「ふふん」
私がいちゃもんをつけて、彼女の考えが深まったかはわからない。ただ、私にとって彼女の哲学はすっと私の胸に溶けて、しみ込んでいった気がした。こうしていると、どちらが教え子かわからない。とはいえ仕事をせねばならないし、つまりはこの議論に関係なくキャバクラに行かねばならない。
「では、今から君が分析の結果、自身の哲学にそぐわないと判断した疑似恋愛の商業施設に向かうとしよう」
「先生。もしかしてお仕事ですか」
「いかにも」
「それは失礼いたしました。私、てっきり先生が私というものがありながら、若いおなごにうつつを抜かすものとばかり」
「君の言葉遣いは美しいと思うし、語彙も文法も正確で私も学ぶところは多いが、少々古風すぎやしないか。君は現代のワカモノ言葉に興味はないのかね」
「基本的な語彙と文法を身に付けたうえで時々ワカモノ言葉を使うのが魅力につながるものと存じております」
「ともかく、私は時間とお金を払って見知らぬ女性とお酒を飲むのは好まない。どうせなら心の置けない女性と時間を忘れてお酒を飲みたいものだ」
「ではそのうちお付き合いいたしますわ」
「そうしたまえ」
「それで?今回のお仕事はどのようなものなのです?」
「君の言うところの疑似恋愛施設に入れ込んでいる、聖人君子たるべき高校教師の生体情報の確保だ」
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