第14話 前箸村(6)

 私は走りながらカスミちゃんに事情を話した。おそらくリョージくんもシンヤくんに同じように事情を話していることだろう。


「あのさ、志保ちゃんがね、ツイッピーで知り合ったなんかヤバそうな男二人と祭り見てるんだけどさ」

「ああ、さっきすれ違ったよ。男の人は一人だったけど。志保、背の高いイケメンと腕組んで歩いてたから声掛けなかったんだ」

「んもー! その時声掛けとけばもっと違った展開になってたかもしれないのにー! 実は男がもう一人隠れてたんだよ。一対一ならともかく二対一だから相当ヤバいよ!」


 まあ、ここでカスミちゃんを非難するのはちょっと酷かもしれない、とは思った。カスミちゃんもシンヤくんと楽しく過ごしていたんだから。なんだかんだ普段から言い合いしてるけど、この二人、やっぱりお似合いなんだよね。カスミちゃんは私の言葉を聞いて事態のヤバさを悟ったらしく、切羽詰まった声になった。


「え? まじ? なに、それ、激ヤバじゃん。早く先生に言わなきゃ」

「うん。リョージくんがあれは相当危ない状況だって。早く先生探そうよ。どこ行ったんだろう、関口先生」


 さほど広くはない龍刻寺の境内だけど、焦っているからかなかなか先生の姿は見当たらなかった。


「由紀恵、本堂の方、行ってみようよ」


 二人とも浴衣姿で走っているせいで、敷石の上に派手な音が鳴り響いている。何度も転びそうになる。もう、走りにくいったらありゃしない。

 カスミちゃんは陸上部だから走るのは得意なはずだけど、今は浴衣のせいで完全に脚力を封じられていて、とてももどかしそうだ。なんなら手だけが先に行こうとして何度か泳ぐような姿勢になっていたりする。それでも抜群のバランス感覚で転ばないで走れているあたり、運動能力が私とは一ケタ違うらしい。


 私たちは参道にカラカラとステレオで下駄を響かせていた。ぼつぼつ人も増えてきて、走るに走れない。人の間をすり抜けるようにして、ハトが玉砂利の上を闊歩する本堂の前に出た。


「由紀恵! 涼香先生、あそこに!」


 カスミちゃんの指さす先には賽銭箱の前で神妙に手を合わせているニットブラウスの関口先生の姿があった。

 おしゃれだけど落ち着いた雰囲気。思慮深く静かに手を合わせているその姿は、遠目にも分かるほど存在感がある。まるでスポットライトが当たって、周りとは違う時間の流れの中にいるようだった。

 私たちはばたばたと先生に駆け寄った。玉砂利をくちばしで探っていたハトの群れが一斉に羽音を立てて飛び上がる。


「先生! 涼香先生!」

「あら、カスミちゃん、由紀恵ちゃんも。お寺の中で走っちゃだめじゃない。どうしたの? そんなにあわてて」

「それどころじゃないんです! 志保ちゃんが、志保ちゃんが、男の人に連れて行かれそうになってるんです!」

「そうです。志保、車に乗せられて、裸の写真がツイッピーでばらまかれるんです!」


 カスミちゃんが因果関係を豪快にすっ飛ばして結論だけを叫ぶ。文章的にめちゃくちゃだけど、言いたいことはよく分かった。しかし、私はその危険性があるっていう話をしただけなんだけどなあ。ともかく、事態のヤバさを伝えるには十分以上の効果があったらしいから、よしとしておこう。

 先生はカスミちゃんの声を聞いてさっと厳しい表情に変わった。スマホを取り出し、画面をタップして耳に当てる。展開を予想していたという冷静さだ。


「もしもし。剣持先生、関口です。うちのクラスの前園志保、やっぱり大学生の男二人と一緒にいるそうです。今、高林由紀恵と上原花澄が知らせてくれました。警察? ええ、連絡した方がいいと思います。お願いします。……車だそうです。……はい、そのつもりです。……いいえ、事態は緊急ですから、私が駐車場に行きます」


 私はふと思いついて、先生の通話に割って入った。


「先生、先生、二人の男、羽生坂と蛇麻杉って言う名前なんです!」

「剣持先生、もしもし? 男の名前、羽生坂と蛇麻杉っていうらしいです。……ええ、高林由紀恵がそう言っています。……はい。気を付けます」


 先生はスマホの通話を終えると、私たちに向き直った。


「カスミちゃん、由紀恵ちゃん、駐車場に先回りして待ち伏せするわ。あなたたちもついてきて。車にさえ乗せなければ取り逃がすことはないから」

「でも、先生、歩いて逃げられたらどうするんです?」


 カスミちゃんが緊張した声で先生に問いかける。


「歩いて行ける範囲内は剣持先生と駐在さんがなんとかしてくれるわ。それに村の住民の目もあるからそこまで悪いことはできない。車に乗られてしまうと追いかけるのも、探すのも、捕まえるのも格段に難しくなっちゃう。車に乗るまでが勝負なのよ」

「わかった。涼香先生、行こう!」


 カスミちゃんがまた駆け出した。その後ろに先生、私の順で駐車場に向かって走りだした。


 ◇


 駐車場は龍刻寺の境内のはずれにある。今日は夏祭りなので、出店のトラックが何台か止まっていて少しにぎやかだけど、いつもは物陰が多くて人気ひとけが少なくて、周囲の木に遮られて薄暗い。ちょっと気味が悪いから私はこの場所があまり好きではない。


「おい、志保を放せよ! 嫌がってるじゃねーか!」


 シンヤくんが駐車場の入り口で男二人相手にすごんでいるのが見えた。先回りするつもりで来たけど、男たちの方が一枚上手だったらしい。二人の男のうち、がっしりした体格の男が運転席のドアに手をかけている。優男風の方は志保ちゃんの腰に手を回して後部座席の方へ回っていた。数歩離れたところから声を上げているのはシンヤくんだ。


「んん? なんだ、おまえ? 言いがかりはやめろよ。志保ちゃーん、なんか嫌がってたりするかなー?」


 前半はシンヤくんの声に対抗した怒号すれすれのドスの効いた声、後半は志保ちゃんに向けてゲロ甘の首筋がかゆくなるようなへろへろな声だ。どう見てもこの二人、怪しい。夏祭りを楽しみに来た大学生にはとても見えない。


「志保ちゃん、俺たちなんか怖いことした? してないよね? これからササモールタウン行くんだよね?」


 ごく爽やかな声で志保ちゃんに問いかける羽生坂という男の人は、逆にあまりに爽やか過ぎて、かえってむくむくと警戒感が湧く。しかし、当の志保ちゃんはのんきなもんだった。


「ぜーんぜん怖くないよー。とーっても楽しいでーす。あー、シンヤくん、来てたんだねー、リョージくんも。私、これから羽生坂さんの車に乗せてもらってね、ササモールタウンでグレートビッグパフェおごってもらうんだー。へへへへー」

「志保、そんなのに付いて行っちゃだめだろ! 知らない人に理由もなくものおごってもらうなんて信じられねーよ」


 シンヤくんが叫び声を上げたところで私たちは一団に追い付いた。よく見ると志保ちゃん、なんか目がトロンとしてる。ろれつも怪しい。


「じゃあねー、シンヤくんー、リョージくんー。また月曜日、学校であおーねー。チャオ―」


 志保ちゃんは焦点の合わない視線でゆるゆると手を振った。足元もおぼつかないし、顔が心なしか赤い。

 私は思わず寒気を覚えた。

 志保ちゃんは羽生坂という男にエスコートされてるように見えるが、それは視覚トリックだ。彼女は今、支えてもらわないと、まっすぐ歩くことすらできなくなっているんだ!


「あなたたち! 何したの! 志保ちゃん、あなた何か飲まされたんじゃない?」


 先生が叫んだ。ふてぶてしい表情で蛇麻坂というがっしりした方が返事を投げ返す。


「お、どちら様ですか? 俺たち志保ちゃんとデート中なんで、邪魔しないでもらえますかね」

「その子たちの担任よ。キミたち、大概にしときなさいよ。中学生だまして引っかけて何をするつもりなの?」


 そう言っているうちに優男風の羽生坂の方が、志保ちゃんを抱え込むようにして後部座席に座り込んだ。すかさずがっしりした方が運転席のドアを開けて乗り込み、あっという間にエンジンをかけてしまった。


「先生、心配しないでください。ちゃんと志保ちゃんの家に送っていきますから。俺たちこう見えてジェントルメンなんですよ、ジェントルメン。それじゃ、失礼します」


 後部座席のパワーウィンドウを開けて、優男の羽生坂があくまで爽やかに言葉を残した。そのセリフの爽やかさと相反する乱暴なタイヤの音とともに、志保ちゃんと男二人を乗せた車が発進した。テールランプの赤を振りまきながら駐車場の出口に向かっていく。


「まったく、なに言ってるのかしらね。どこのジェントルメンが中学生にあやしいもん飲ませるのよ。とにかく先生、追いかけるわね」


 先生は自分の赤い車に向かって走っていく。あまりの急展開に呆然としていると、腕をつかまれて引っ張られた。


「痛い!」

「由紀恵、なにぼーっとしてるんだ! 先生、俺たちも行きます! 乗せてください!」


 リョージくんが私の腕を引っ張って先生の後を追う。さっきの志保ちゃんの方がよっぽど優しく扱われてるんじゃないかと思えるほど、私は乱暴に後部座席に叩きこまれた。


「リョージくん、痛いって!」

「ちょっとだけ我慢しろ!」


 続いてリョージくんが助手席にぐいと身体をねじ込んで、パワーウィンドウを下げて駐車場に残ったシンヤくんとカスミちゃんに向かって怒鳴った。


「シンヤ、カスミ、剣持先生がもうすぐ来るから事情を話してくれ。奴らの車のナンバーは8710だったから! 頼んだぞ!」


 そう言ってドアを閉めた途端、先生が車をスタートさせた。


 ◇


 龍刻寺の駐車場を出ると、すぐ県道に合流する。前箸村を南北に貫くメインストリートだ。古くは前箸街道としてこの先の峠を越えていく往来の多かった道だが、昭和の中ごろに山脈を貫く長い国道のトンネルができると、すっかり人も車も通らなくなってしまった。県道を右折して南に行くと川沿いを下って笹平に行く。

 先生は、志保ちゃんを乗せたグレーの車のうしろを少し離れて付いていく。


「先生! もっと早く走れないんですか? 追い付けないですよ!」

「あの人たち、左に曲がるわね。笹平には行かないで山奥の峠の方へ行くつもりね。どっちに曲がるかだけ確認できたらあとは一本道だから。無理に追い付くとかえって危険よ」


 志保ちゃんを乗せた車はまさか後ろから先生が追っているとは思っていないらしい。それほどスピードを出していない。先生は慎重に間合いを測りながら車をすすめた。


 前箸の村は南北に細長い。北に向かって上り坂が続く。二車線の道路が集落を抜けると人家が途切れて川沿いの道だけになる。


「これはさすがに目立つわね。あの人たち、どこまで行くつもりなのかしら」

「このまま行っても峠のトンネルがあるだけですよね」


 谷間に少しずつ夜のとばりが降りて来て、周囲はもう薄暗くなってきていた。



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