第13話 前箸村(5)


「ねえ。リョージくんさ」


 そうして迎えた夏祭りの当日。

 私は白地に紺の大きな花柄の入った浴衣を着て、屋台の並ぶ参道をぴょこぴょこと歩いていた。やっぱ下駄は苦手だね。リョージくんは、ポロシャツに綿パンのいつもの格好だ。ふと見上げると随分身長も伸びたんだなあと思う。つい二年ほど前までおんなじぐらいだったのに。


「んー?」


 リョージくんはいつものテンションでそれほど変わった様子はない。テンションがおかしいのは私の方だった。

 リョージくんが家に誘いに来る前から、いや、白状すると浴衣に着替える前の午前中から妙に浮足だっているな、と自覚していた。

 朝の十時から浴衣をためつすがめつ眺めて「そろそろ着替えた方がいいかな?」とかお母さんに聞いては「あんた、こんな午前中から屋台もやってないのに、なに焦ってんのよ。お昼ご飯食べてひと眠りしてからでもまだ時間余るよ?」と呆れられたりしていた。いやいや、私が自分で聞きたい。なにをそんなに焦っているのよ。


「なんか今日、みんなとあんまり会わないよね。みんな来てるんだよね?」


 田舎の小さな夏祭りだから人混みもたかが知れている。参道の両脇には出店が並んでいるが、それほど混んではいない。同級生とすれ違えば見逃すということはない。しかし、今日はここまで誰とも会っていない。私は、少しリョージくんと二人でいるところをみんなに見せられなくて残念な気分がしていた。それでも足元は圧倒的に弾んでいるし気分も軽い。なんでこんな気分になるのか、自分で自分の心境がさっぱり解析できていない。それでもとにかく、気分の軽さだけは隠しようがなかった。油断していると鼻歌が飛び出すのも時間の問題だ。


「中三にもなると、めんどくせーとか蚊に刺されるからいやだとか言って夏祭りに来ないやつが増えるんだな。俺たちみたいに家が近いと、とりあえず顔だけは出そうかって気にもなるんだけど。奥大畑に住んでる奴なんか親に車で送ってもらわないといけないし、そこまでしてくるほどの祭りでもないからかなあ」

「あー、前箸の夏祭りにケチ付けるんだー。リョージくんは知らないかもしれないけど、わざわざ県立大から見に来る人もいるんだよー」

「へー、そんなもの好きがいるんだ」


 自分のセリフに私はハッとした。そうだった。なんか浮かれててすっかり忘れてた。今日のミッション。私は少し慌てて説明を始めた。


「そうなのよ。たいへん! 私、すっかり忘れてた! リョージくん、実は志保ちゃんがね……」

「そういえば志保はどうしたんだ? 由紀恵と一緒に来ると思ってたのに。約束してなかったの?」

「実は、今日ね、私たちにはとーっても大事なミッションが課せられてるの」


 私は表情を引き締めて説明を始める。


「今日ね、志保ちゃんが県立大学の大学生の男の人を案内しているはずだから、マークしなきゃならないんだ。もしかしたらヤバい人かもしれないから。関口先生と剣持先生も境内のどこかに来てるはずなの」

「んー? どういうことだ、それ。志保がなんでそんな男と夏祭りに来ることになってんの?」

「なんかツイッピーで知り合ったんだって」

「まじか! あいかわらずアイツは抜けてるっていうか、怖いもの知らずっていうか。とにかく、志保を探さなきゃな。本堂の方行ってみるか」


 リョージくんは即座に事態のヤバさを把握して、山門の石段に足を向けた。私は慣れない下駄に悪戦苦闘しながらリョージくんを追う。下駄の乾いた音が参道の敷石の上を転がって行った。


 ◇


 石段を登り切った山門をくぐると、志保ちゃんぽい後ろ姿が本堂へと続く参道の人ごみの中にちらっと見えた。意外にも志保ちゃんは浴衣でなくてワンピース姿だ。左手であちこち指さしながら、隣を歩く背の高い男の人に話しかけている。隣の男の人は志保ちゃんにペットボトルを手渡した。声は聞こえないが、見るからに「わーい、ありがとう!」とはしゃぎながら男の人にもらった飲み物を口にしているようだ。


「リョージくん、アレ見て!」

「うわ、ホントに志保が男の人と歩いているじゃん」


 リョージくんは垢ぬけた服装の男の人と並んで歩いている志保ちゃんにショックを受けつつ、ドン引きしているようだった。まあ、分からなくもない。田舎の中学の同級生が都会の華やかな世界に飛び込もうとするのを唐突に目の当たりにしたら、誰でもそうなるだろう。正直私もちょっとショックを受けている。隣に並んでいる男の人がいかにも場慣れしている感じがするからだ。直感的に私は思った。これはなんとかしないと本当にやばいかも……。

 志保ちゃんはきっとこにこと愛想よく笑いながら、背の高い大学生に向かって一生懸命龍刻寺の観光案内をしているんだろう。その仕草からはいじましさすら感じられる。

 後ろ姿だけでは分からないけど、おそらく志保ちゃんは雰囲気的にメイクも決めてるんじゃないかと思う。近寄って志保ちゃんの顔をまじまじと見つめたら、リョージくんもっと衝撃を受けるんじゃないかな、と余計な心配をしてしまった。

 と、思っていたら、リョージくんがショックを受けていたのはもっと別のことだったらしい。


「見てみろよ、由紀恵。あの左の奥の灯篭の陰。写真撮ってる男がいるだろ?」


 私はリョージくんが言った本堂の右手にある灯篭に目を向けると、若い男が龍刻寺の本堂を取るようにして一眼レフを構えていた。断定はできないけど角度的には志保ちゃんがばっちり映る。志保ちゃんを主に狙っているように見えなくもない。


「ほんとだね。なんかヤバそう」

「ほら、志保たちに合わせて移動している。あれ絶対怪しいって。あ、あの志保といっしょの男、志保の腰に手をまわしてる!」


 見ると志保ちゃんの腰には一緒に歩いている男の腕が回されているじゃない! 志保ちゃんは男の腕に気づいてないのかな。表情まではここからでは分からない。


 すると、腰に手を回していた男が振り返った。志保ちゃんも遅れて振り返る。


 男達の背後、三十メートルぐらいのところを歩いていた私たちは、一瞬男と視線が合いそうになった。リョージくんが咄嗟に私の手を握った。


 うわっ!


 私は驚いた。驚いたのは本当なんだけど、どっちに対して、何がうわっなのか分からなくなってしまう。いきなりいろんな視覚や触覚のインプットが一度に重なって、処理能力許容値をオーバーしてしまったらしい。かなり呆けた表情でリョージくんに握られた手を見つめていた。リョージくんが顔を向けて声を潜めて言った。


「由紀恵、右手のタコ焼き屋の屋台の裏に回る。志保に気づかれないようにしろよ」


 私は言われた通りごく自然な風に参道の敷石を外れた。急ぎ足にならないように注意しつつ、タコ焼き屋の屋台の影にリョージくんに手を引かれて移動する。ここなら参道の志保ちゃんたちからは直接見られる心配はない。


 志保ちゃんの腰に手を回していた男の顔を改めて観察する。なーんかニヤけた表情で締まりがないナンパヤロー、という印象だ。男は顔を口に手をあてて大きな声を出した。


蛇麻杉じゃますぎ! こっち来いよ! この子が前園志保ちゃん! これ、俺の友達、蛇麻杉映吉。実はこう見えて総受け専門なんだぜ? 面白いだろ? で、しかもこいつさ、今日はカノジョと一緒に来るはずだったんだけど、フラれちゃったんだってさ」


 志保ちゃんは少し戸惑った表情で「こんにちわー」とお辞儀をしている。蛇麻杉と呼ばれたがっちりした体格の男が参道を小走りで志保ちゃんたちのところへ駆け寄った。


「あれー、おかしいなあ。大学生の男の人の友達は、カノジョと来て別行動って志保ちゃん言ってたんだけど……」

「アイツ、志保のところに近寄るときにカメラ隠したぜ。盗撮じゃん。こりゃまずい。とにかく見つからないように後をつけるぞ」


一気に緊迫した顔のリョージくんに向かって私は恐る恐る問うた。


「どういう風にまずいの? 写真、ツイッピーに晒されちゃったりするの?」


リョージくんは厳しい顔を私に向けて低い声で答えた。


「由紀恵、甘い。それで済むならこんなに騒がないよ。男二人と中学生女子、その組み合わせだと、このまま車で連れまわされて、裸の写真とか撮られちゃうんだ。で、それをばらまくって脅されて、何回も呼び出される。アイツら、最初からそのつもりに違いない。ついひと月ほど前に同じような事件があったじゃん」


 私は思わず震え上がった。本当にまずい事態になってる。何とかしなきゃ! このままじゃ志保ちゃんが危ない。

 その時、タコ焼き屋に並んでいた男女から声をかけられた。


「あれー? 由紀恵じゃん! リョージくんも! 二人で来てたんだ!」


 浴衣できれいに着飾ったカスミちゃんと普段着のシンヤくんだった。心なしか緩んだ顔とバツの悪そうな表情をブレンドしたシンヤくんに、タコ焼きのプラスチック皿を渡すカスミちゃんの仕草が妙に甲斐甲斐しい。しかも薔薇の匂いのフレグランスが鼻をくすぐった。

 へえー、この空気感はアレだよねー、と私は一瞬で察した。まったく、カスミちゃんってば。それならそうと言ってくれればいいのに。教室じゃあ分かんない表情ってのもあるもんなんだねー、と私はなかば感心していた。しかし、リョージくんはそのあたりをすっ飛ばして真剣な顔をしている。


「カスミ、シンヤ、のん気にタコ焼き食ってる場合じゃねーんだよ。先生見なかったか?」

 シンヤくんはマヌケな表情をしてリョージくんを見返す。

「せっちゃんか? 見てないけど……」

「でも涼香先生の車は駐車場にあったよ」


 カスミちゃんがすかさずフォローを入れた。リョージくんは真剣な顔でシンヤくんに向かって声をあげた。


「シンヤ、悪いけど駐車場まで一緒に来てくれ。ひょっとすると荒事になるかもしれないから。由紀恵はカスミと先生探して事情を伝えてくれ」

「分かった。カスミちゃん、行こ?」

 カスミちゃんは事態がよく呑み込めていない。とりあえず手に持ったタコ焼きの皿をシンヤくんに手渡している。

 私はカスミちゃんの手を引っ張って、タコ焼き屋の裏手を抜けて走り出した。


「ちょっと、由紀恵! どこ行くの!」

「カスミちゃん、関口先生探して! 早く先生を見つけないと志保ちゃんが危ないの!」





 

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