第12話 前箸村(4)

 その日の六時間目が終わって、私は先生のところへ行くべく荷物をまとめていた。よっこらしょとリュックを背負った私の背後からリョージくんが声をかけてきた。


「由紀恵、帰るの? 一緒に帰ろうぜ」

「ん、ごめん、今日は先に行ってて。私、先生とこに呼ばれてるの」


 まあ、リョージくんの件で呼ばれてるんだけどね。でも、考えてみたら今この場で「夏祭りどうする? よかったら志保ちゃんと私といっしょに行かない?」と聞けばいいだけの話だ。それをわざわざごまかしてまで先生に相談に行くのって、考えてみれば不誠実な話だよね。リョージくんに対しても、先生に対しても、そして誰より頼りにしてくれている志保ちゃんに対しても。

 私はそんなずるい自分が少し嫌になった。


「そうか。じゃあな」


 リョージくんは私の不機嫌っぽい仕草に微妙に反応したのか、あっさりと別れの挨拶を口にして教室から出て行った。


「何やってんだろうな、私……。あー、もうっ!」


 これじゃ、リョージくんに八つ当たりしてるみたいじゃん。なんというか、どうにも自分の感情がコントロールできない。まったくこのイライラとモヤモヤをなんとかしてほしい。悪いのはおおむね私自身なんだけど。当たるところがない分気持ちのはけ口がなくて、余計に思考が悪い方へと引きずり込まれて行きそうだ。

 人数の減ってきた教室ではまだシンヤくんとカスミちゃんを中心に数名の男女が金髪だ、巨乳だ、美少女だと声高に議論をしている。ある意味健全で平和な空間だった。私はそれを眩し気に見ていた。


「ねえ、由紀恵ちゃん」


 その声にはっと振り向く。思考が回転している時に声をかけられると、ついびびってしまう。声の主は志保ちゃんだった。


「リョージくんね、もう誘わなくてよくなった」


 ふんわりにこにこ笑う志保ちゃんには悪意のかけらもない。


「えっ? どういうこと?」

「あのね、羽生坂さんがね、もう友達と来る手配しちゃったから、少しだけでも付き合ってほしいって言うからね。やっぱり案内してあげることにしたの。もう時間も約束しちゃった」

「羽生坂さん? 例の県立大学の一年生の人?」

「そう。お友達のカップルと三人で来るんだって。で、お友達のカップルは二人で夏祭り回るから、その間、私が羽生坂さんの案内をすることになったの。だからリョージくんにはもう声かけなくて大丈夫になった」


 まじ? 人を疑うことを知らない純朴な志保ちゃんがまた少しうらやましくなったが、これはそういう問題じゃない。志保ちゃんの話が、どうにも怪しく聞こえてしまうのは私の心が曇っているからなのかなあ。でも先生も警戒しすぎるぐらいがちょうどいいって言ってたし……。


「いや、あの、志保ちゃん、それやっぱり怪しいよ。断った方が……」

「今日はお母さんにササモールに連れてってもらって、新しい服を買うんだ。じゃあね、由紀恵ちゃん! ありがとね、いろいろ」


 志保ちゃんは満面の笑顔で手を振って走って教室から出て行った。取り残された私は一瞬だけ考えて、カバンを握った。こんなことしている場合じゃない。自分で判断が付かなければ、大人に頼ってしまえばいい。これは子供の特権だ。私たちはまだ子供だ。チク密告するみたいだけど、これは先生に言わなくちゃ。


「金髪巨乳美女は体臭キツイんだよー。しかも剛毛だし」というカスミちゃんの言葉に、「俺のカノジョはそんなことはない! 絶対ない! 全身薔薇の香り一択だ!」とムキになって根拠のない反論をしているシンヤくんの側を駆け足で抜けて、職員室に向かって走った。


 ◇


「それは、マズいわね。志保ちゃんなんか一番騙しやすいタイプだから」

「そうです。なんというか、疑うことを知らないから、志保ちゃん」


 私の話を聞いて先生は深刻そうに眉をひそめた。普通は親が止めるところだけど、夏祭りに行くこと自体は別に問題にならないはずだ。問題は「知らない大学生と二人で夏祭りに行く」というところ。そこをしっかり話さない限り、夏祭りに行くなとは志保ちゃんの親も絶対に言わなくて、あっさりOKが出てしまうに違いない。だからこそ危険だ。志保ちゃんは、悪気なくその部分の説明を省略する可能性が大きい。親は同級生と行くとしか思わない。これは、マズい、と私も思った。


「私が親に言うのは教師の告げ口になっちゃうからね。一番生徒の信頼を損なうやり方だけど、さすがに今回は仕方がないか」


 先生は困った顔で、額にかかった髪の毛を人差し指で払った。


「先生、なんで? 親に止めてもらうのが一番簡単で確実なんじゃないんですか?」


 先生がそんなところで躊躇するとは思わなかった。私は胸に生じた疑問をストレートにぶつけてみる。


「そうなんだけど、もしもその学生さんがホントに普通の学生さんだった場合、案内してあげようとする志保ちゃんの親切心を教師の権力で止めさせたことになっちゃうのよ。極論すれば志保ちゃんの自由恋愛の芽を教師がつぶしたことにもなっちゃう。実際に去年東北地方の高校教師が似たような事例で訴えられて負けているのよ。その事例は文化祭だったんだけどね」

「えー、そんなことあったんですか」

「世知辛い世の中になったわよね」


 ぼやきつつも先生は真剣に悩んでいる様子だ。私は困っている先生の事態の解決策としていい案を思いついた。


「先生、私がこっそり志保ちゃんを尾行するってのがいいんじゃないですか?」


 先生はあごに人差し指をあてて一瞬考えた。


「それは……、ちょっと危ないわね。あなたたちだけだと、その学生さんたちが暴力的だった場合に巻き込まれちゃったら大変だしね。中学生だけに任せるには相手の素性が分かってない分、危険度が高すぎるわ」

「うーん、そこまで危ないもんなのかなあ。だって、県立大学の学生さんにそこまで危険な男の人なんかいないという気がするんですけど……」

「それはね、あくまでSNSでの自己申告でしかないところが危険なのよ。いーい? 由紀恵ちゃん。ツイッピーみたいなSNSの書き込みが全部正しいという前提でものを考えちゃダメよ。むしろ必ず嘘と、間違いと、不正確な情報が混じっていると考えなきゃダメ。今回の場合だと、志保ちゃんと約束した男の人が本当に県立大学の学生さんである確率は、よくて五十パーセントぐらいだと先生は思っているの」

「嘘や間違いは分かるけど、不正確な情報ってなんですか?」

「本当に県立大学の一年生だったけど、すでに退学している、とかね」


 私はへえーと深刻に考えている関口先生の切れ長の目を見つめてしまった。大人の世界はなんか怖いなあ。

 職員室の隣の面談室の蛍光灯は先生の長い髪の艶を鈍く照らし出している。本当に前箸みたいな、ある意味辺境の地の一介の英語教師には似つかわしくない雰囲気。女子の憧れになるのも必然だ。先生は都会でノートパソコンを小脇にかかえた、颯爽としたビジネスパーソンの方が絶対イメージに合っている。

 そんなことを思っていると、さっきまでのいらいらやモヤモヤがなくなっていることに気が付いた。関口先生は必死に最善手を考えてくれている。関口先生のこういうところは、やっぱり頼りになる。


「あんまり大ごとにしたくないけど、生活指導の剣持先生に話をしておきましょう。ただツイッピーで知り合った、というところは伏せておいた方がいいかなあ。それ言っちゃうといきなり志保ちゃん呼び出されて、問答無用で怒られることになりそうだから。難しいところね。当日は私もそれとなく会場に行ってみる」

「あー、そう言えば剣持先生、去年も会場に来てましたよ。『あんまり遅くならないうちに帰りなさい』って言われました」

「今年も剣持先生は見回り担当だから、会場に行くはずよ。剣持先生なら大学生の男相手でも問題ないでしょ」


 私は剣持先生のがっしりした体格を思い浮かべてうなづいた。怒られると怖いけど、護衛してもらうには最適な感じだ。だって剣持先生って鬼ごっこ系のバラエティテレビ番組に出てくる黒サングラス黒スーツの追いかけ役がばっちり似合いそうな感じなんだもん。


「とりあえず今のところは、それで様子を見ましょう。由紀恵ちゃんも会場で志保ちゃんのことよーく見ておいてね。リョージくんと二人で行って、見失わないようにマークしておいてくれる? 危ないことになったときに巻き込まれるといけないから、顔はあまり見られないように注意しておきなさい」


 関口先生はそれだけ話すと、少しいたずらっ子っぽい雰囲気の流し目で私を見つめて付け加えた。


「由紀恵ちゃんも、リョージくんと二人で行動した方が楽しいでしょ? ね?」


 私が? リョージくんと? 二人で楽しい? いや、確かにそうかもしれないけど。志保ちゃんという足かせがない方が見慣れた夏祭りでも楽しめそうだけど。

 予想外の突っ込みに私はしどろもどろになりながら精一杯の反論をぶちまけた。


「せ、先生! な、なに言ってるんですか。わ、私、べ、別にリョージくんと二人で行きたいとか、志保ちゃんがリョージくんと二人でデートっぽく夏祭り行くのが絶対イヤだとか、そんなこと一言も言ってないです!」


 先生は、ふふふと軽く笑って、私のおでこをつついた。


「言ってなくても顔にがっつり書いてあるし、そもそもこの前の授業中のひとりごとは、心の声がダダ漏れしてたんじゃなーい?」


 私は反論しようとしたが言葉にならない。顔が熱を帯びていくのが自分でも分かる。


「でもね、由紀恵ちゃん。先生、志保ちゃんとリョージくんが二人になるのがイヤなんて初めて聞いたわよ。けど、それが由紀恵ちゃんの本当の心の声、なんじゃないかしら? 違うかな?」


 え? そうだったの? 私、志保ちゃんとリョージくんが二人で夏祭り行って楽しそうにするのがイヤだったの? 二人を近づけたくなかったってこと?

 先生に言われて驚いてしまった。驚きすぎて声を失うと同時に、ここしばらく私を悩ませたいらいらとモヤモヤの正体が分かった気がした。 


「由紀恵ちゃん、泣いても笑っても由紀恵ちゃんの中学生活はあと半年ちょっとで終わる。でもね、人生はまだまだ続くわ。無限の未来がある。今、思い通りになるのが最善とは限らないのよ。それだけはしっかり覚えておいてね」


 そういうと先生は椅子から立ち上がって、面談室の扉を開けた。私も椅子を引いて先生の後を追う。廊下に出たところで先生はまたにこりと笑顔を見せた。


「夏祭り、楽しんできなさいね。今は由紀恵ちゃんにとっては、それが一番いいと先生は思うわ」


 そう言って先生は柔らかく私の髪をなでた。

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