第10話 前箸村(2)

「やっぱ夏祭りはリョージくんと一緒に二人で回りたいからねー。ユキちゃんが協力してくれるから安心だよね!」


 志保ちゃんは恥ずかしそうなそぶりも見せずに、からりと言い放った。龍刻寺の講堂の外で、まだ暮れ切らない宵の空にお星さまがきらきら輝き始めている。少し薄暗くなってきた足元の敷石を軽いステップで踏み越えながら、志保ちゃんは軽やかに話す。志保ちゃんのこういう天真爛漫で無邪気なところ、少しうらやましい。


 私は思わず周囲を見回した。リョージくんもついさっきまで一緒に塾で勉強していた。私たちの方が先に出て来たけど、どこで聞かれてるか分からない。志保ちゃんはそんなこと頓着しない様子でからからと楽しそうに話している。


「タカハルくんもシンヤくんもいいけどさあ、なんかわたし的には二人で行くならリョージくんなんだよねー」


 あははは、と軽く笑いながら言われると、そんな適当な気持ちで誘うもんなの? と疑問も湧いてくる。


「えー、そうなのー? シンヤくんの方がいいんじゃない?」


 と、どうでもいい相槌を返すが、私の心中はまったく穏やかではない。前箸中学の私の同級生は男女合わせて全部で二十八人。そのうち二十人は小学校から一緒のメンバーだ。もちろん私も志保ちゃんもリョージくんも前箸小学校からずっと一緒の組。ちなみに残りの八人は前箸からさらに五キロほど笹平渓谷の奥に行ったところにある光沢分校の出身で、スクールバス通学をしている。運動部の子の中にはあえてスクールバスに乗らずに走って通学している猛者もいるけど、普通に渓谷沿いの道は暗くて危ないと思うんだけど、大したもんだ。あれ? またちょっと話がそれちゃったかな。


 ◇


 そもそもことの始まりは、何日か前の中学校の教室でお昼休みにお弁当を食べていた時のことだった。

 窓を全開にした教室には、初夏のにおいをたっぷり含んだ風が心地よくなびいている。


「ねえ、ユキちゃん、なんかさ、夏祭りに男の人と二人で行くのってさ、デートみたいだと思わない?」


 と志保ちゃんがいきなり言い出して、私は口の中に入っていたタコさんウィンナーを吹き出しそうになってしまった。


「ど、どうしたの? 志保ちゃん、急に」


 ボトルのお茶をやっとのことで飲み込んで半分むせながら言うのがやっとだった。


「あのさ、昨日テレビで『キミの瞳に肘撃崩』っていうアニメ見てたのね?」

「ああ、あれ? 私も見てたよ」


 今クールの話題作、天才忍術少女の純愛を描いたアニメの題名を上げてにこにこと笑う志保ちゃんの顔には一切の邪気がない。このふわふわ感が男子に人気なことを本人はあまり自覚していない。簡単に言えばラブコメの鈍感ドジかわ系ヒロインを地で行ってるのが志保ちゃんだった。


「その中で夏祭りデートシーンが出てきたじゃない?」

「ああ、出てきたねー」

「で、ツイッピーの書き込み見てたらさ、あんな夏祭り今時どこでもやってない、都市伝説だって書いてあってさ」

「やってるじゃない。龍刻寺の境内でちょうど来週あるじゃない」


 そのアニメの中では忍術少女が憧れている兄弟子と、二人で巡回警備という名目で夏祭りに繰り出すシーンがあった。龍刻寺の夏祭りよりも随分派手だな、と思いながら見ていたので記憶に残っている。

 それよりも私はツイッピーで情報を収集してる志保ちゃんに少し驚いた。志保ちゃん、スマホ買ってもらったのも中3になってからだし、そういうSNS系のものに興味があるそぶりなんて今まで見せたこともなかった。

 私は県庁に勤めているお父さんが仕事でタブレットを使っていたので、中学に入るころからひそかにSNSサイトを巡回して楽しんでいたから知っていた。画面の向こうに広がる大きな大人の世界。それはまだ幼い私にとって、とても刺激的で魅力的だった。と、同時にその奥にうごめく悪意のようなものを何度か目にしていて、直接的ではないにしろ怖いなあと感じていた部分もある。志保ちゃんはそういうところには無防備すぎて危ない気がする。


「でしょ? わたしたちにとったらお馴染みの夏祭りの風景だからさ」


 志保ちゃんはそういうとにっこり笑ってお箸でのりたまのふってあるおにぎりを口に運んだ。


「わたし、レス書き込んだの。うちの近くで来週見れますよー、って」

「え? 知ってる人なの?」

「ううん、ツイッピーでフォローしてくれた知らない人。県立大の一年生なんだって。そしたらその人さ、行きたい、是非案内してくれないかって」

「はあ?」


 私は嫌な予感がしてぶるっと武者震いをする。


「もしかして、そんなどこの誰とも分からない人と夏祭り行くことにしたの?」


 つい声が鋭くなる。


「やめときなよ! そんなのホントに県立大の学生かどうかわかったもんじゃないじゃん」

「えー、でもイケメンだったよー?」

「そんな写真どうとでもなるって。そんな訳の分からない人と行くぐらいだったら、クラスの男子と行った方がいいんじゃない?」

「そうかなあ」


 いやあ、田舎の女子中学生に声掛けられてほいほい寄ってくる男なんてろくなやつじゃないと思う。私は志保ちゃんと違ってニヒルで、シビアで、ペシミスティックなリアリストなんだから。


「なんの話をしてるのかしら?」


 そこに顔を出したのが関口先生だった。今日の先生は白いブラウスと紺のスカート。落ち着いた声でゆったりと話しかけるその表情は、都会的で大人な感じがする。将来あんな大人になりたい、とは同級生の女子みんなの憧れでもあった。

 もともとアメリカ暮らしが長くて、都心の女子校で英語の先生をやっていたそうだが、なぜか自ら強く志願して数年前からこの田舎に赴任してきた、というちょっと不思議な経歴の持ち主だ。

 しかし、落ち着いているけど気さくな性格で、男子にも女子にも、あと中年だらけの先生たちの間でも人気があった。もうすぐ三十歳らしくて、年齢のことを言うと少し怒るのを男子がよくからかっている。でも先生、ホントにイヤそうな顔する時あるから、私は極力年齢の話は先生の前ではしないようにしていた。

 志保ちゃんはお弁当のお箸をふたの裏において、関口先生に助けを乞うように言った。


「涼香先生、聞いてよー。わたしが大学生の男の人とデートの約束したら、由紀恵ちゃんがやめとけっていうんだよー」


 関口先生の顔が当然ながらすっと険しくなった。


「志保ちゃん、どういうこと? その大学生ってどこの人?」

「県立大学の学生さん。ツイッピーで知り合ったイケメンなんだよ。先生、写真見る?」

「志保ちゃん、下校のHRが終わるまでスマホの電源入れたらダメなのは知ってるよね? それと志保ちゃんツイッピーなんかやってるの?」


 志保ちゃんはしまったという顔をした。いや、当たり前だよ。いくら関口先生でもそりゃダメって言うに決まってる。私だったらごまかすなあ、と思いながら二人のやり取りを見ていた。

 でも、ま、そういうところで咄嗟に嘘や出まかせが出て来ないところが志保ちゃんのいいところなのかもしれない。でも、それは置いといたとしても、今回のこの話は危なっかしいことこの上ない。


「いーい? 志保ちゃん。世の中はいい人ばかりじゃないのよ。都会とネットの中は特にね。見ず知らずの他人を信用するなとは言わないけど、注意と警戒はしておかなきゃダメよ。あなたたちみたいな中学生の女子なら、注意と警戒しすぎぐらいでちょうどいいわ」


 先生は至極まっとうな意見で志保ちゃんを押しとどめた。他の先生に言われたら当たり前すぎて反発したくなることでも、関口先生に言われたらそうなのかなーと思ってしまう。これも先生の雰囲気のなせるわざだ。さすがだなあ、と私はこっそり舌を巻いていた。


「はーい」


 志保ちゃんは勢いよく手をあげた。「わかったわね?」と念を押して先生は一旦教室から出て行く。昼休みが終わるまであと十分ちょっとだった。志保ちゃんは、先生に怒られちゃった、えへっ、とあまり気にした様子はない。


「涼香先生に言われちゃったら仕方ないなあ。お断りしておこうかなー。せっかくイケメン大学生とデートできると思ってたんだけどなー」

「まったく志保ちゃん、ときどきびっくりするぐらい大胆なことするよね」

「そうかなあ? でもせっかくだから同級生の誰かと二人で夏祭り行ってみたいなー。誰か一緒に行ってくれないかなあ」


 なんだ、志保ちゃん、相手は誰でもよくてデートっぽいことがしてみたかっただけだったのね。でも、それだけのために見ず知らずの男の人に付いていくなんて、危なすぎて私でも絶対止めるなあ。実際、先生も秒で止めさせたぐらいだもんね。先生に止められなくても、志保ちゃんのことだから、家でもさっきみたいなノリで嬉しそうに話して親に止められただろうけどね。


「そうだよ、志保ちゃん。同級生の男子ならまだいくらか安心だよ」

「うーん、そうねえ。同級生の男子ってイマイチカッコよさが足りないんだよねー。ガキっぽいし、田舎臭いし。うーん、そうだ! ユキちゃん、リョージくんと仲いいじゃない? わたし、リョージくんと夏祭り行きたい!」


 え? いや、たしかにリョージくんとは小学校の頃から家が近いこともあって毎年一緒に夏祭り行っていたけど、てゆーか、約束してないけどどうせ今年もリョージくんと行くんだろうなーとなんとなく思っていたんだけど。

 私の動揺に気付いているのかいないのか。志保ちゃんは机に両手をついて飛び跳ねながら言った。


「ユキちゃん、わたし、リョージくんと夏祭り行きたいから! 声かけといてね! いい? わたしとリョージくんの二人で、だよ?」

「う、うん。きっとリョージくん、行ってくれると思うよ」

「わーい、お願いね!」


「自分で誘った方がいいんじゃない?」と言えばよかったんだ、と気付いたのは午後の関口先生の英語の授業が始まってからのことだった。


 ◇


「ねえ、ユキちゃん、夏祭りの当日、やっぱり浴衣の方がいいかなあ? それともササモールタウンでなんかかわいい服新しく買って行った方がいいかなあ」


 暮れかけた山並みを見上げて嬉しそうに声をあげる志保ちゃんに、私は気が付かれないようにそっとため息をつく。


 リョージくんに「志保ちゃんと一緒に夏祭り行こ?」と声をかけて、自分だけドタキャンするなり、現場に着いてから上手にはぐれればいいだけの話。そんなに難しいタスクじゃないはずなのに、どうにもすっきりしない。

 私ってこんなに連絡係もできないようなダメな子だったっけ?


 なんとも言えないもどかしさといらだちと恨み節を抱えながら、私はそれでもそれを表情を出さないように気をつけて、足取り軽く山門をくぐって石段を駆け下りていく志保ちゃんの後ろを追いかけた。


 夏の気配は、龍刻寺の山門の外まであふれ出しきている。

 夏は、私のためらいを、待ってはくれない。

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