第7話 アメリカ(6)

 スバルは四輪駆動にモノを言わせて結構な角度のダウンヒルを乱暴にくだっていく。バックミラーには金髪少年の運転するチェロキーが映っている。シリアスな表情でハンドルを握るスズカは鬼気迫る迫力だ。追手から逃げることに、ではなく。自らの目的地、今はおそらく母親のところだろう、にしか目に入っていない様子だ。追手を振り切ることにはあまり気にしているようには見えない。

 俺の得心の行かない表情に気が付いたのか、スズカは忙し気に運転をしながらぽつりと話し出した。


「わたしのママはね、わりと早くに病気が発症して、療養のためにここに移住してきた。まだ日本にいるころから英語はいまのうちに勉強しておきなさい、と幼いわたしに熱心に英語の練習をさせていてね。二人でここに移住して、ずっと療養していたの。パパはわたしが小学生の時に事故で亡くなっていたしね。ママの症状が進行しても、ここプレスティックソンでなら最低限の生活はしていける。当たり前だよね、そのためのコミュニティなんだから。でも、ママは私に高校から日本に行けと言ったわ。ここプレスティックソンの子供たちに、未来なんかかけらもないから」


 スズカの身の上話を、しっかり聞くのは知り合って始めてかもしれない。父親が亡くなっているということはなんとなく聞いたことがあったかもしれないが、事故でというのは初耳だった。

 スズカはハンドルを小刻みに動かしながら話を続ける。


「ママはずっとわたしに、ホントに物心つく前から、将来はプレスティックソンを出て日本に行きなさい、広い世界を見ておきなさいって繰り返し言っていたの。ここプレスティックソンは世界中のママと同じ病気の人、ゲルスト・シュメルツァリスティーク・ヴィスツィオドーゼ症候群の患者が集まっている。といっても全世界で百人もいないんだけどね」


 ん? 話のつながりがよく分からない。スズカの母親がそのゲルストなんとか病にかかったから、その病気の人が集まっている村にスズカと移住して療養した、それは分かる。しかし、病気になる前からスズカに英語を練習させていた? それはつまり、自分が病気になることを知っていた、ということになるんじゃないか? 


「患者のデータは世界中から逐一村の療養所、サナトリウム・クレプシドラに集まってくる。誰一人として、発症したら逃れられないの。世界中のどこにいても逃げられないのよ」

「ゲ、ゲルスト、なんだっけ?」

「全部覚えなくていいわよ。リョージが日常生活で使うことは多分一生ない病名だから」

「そのゲルストなんとか病、なんで患者が逃げなきゃならないんだよ。おかしいんじゃね? 日本の病院でも直せるんだろ?」

「この病気は、今のところ発症したら治せないと言われてる。現代医学をもってしても、ね。そもそもこの病気のことを知っている医者は、今はプレスティックソンにしかいない。その数少ない例外の一人がキミのおじいさん。ドクター・ソーヘイ・クニミヤ。この村でドクター・クニミヤの名を知らない人はいないわ」


 スズカの使う難解な用語も気になったし、もう五年以上前に他界したじいちゃんの名前がなんででてきたのかまるで分からない。が、それよりも眼前に展開するワインディングロードを、めったに見ない真剣な表情でハンドルを左右に操りながらたどっていくスズカの迫力に圧倒された。ダートなのにちょっと飛ばしすぎだ。俺は助手席のサイドウィンドウの上の握り棒を握って横揺れに耐えた。スズカがハンドルを回すたびに左右に土埃があがる。


「さっきのクリスもゲルスト・シュメルツァリスティーク・ヴィスツィオドーゼ症候群の患者の一人よ。発症して、ここプレスティックソンに来たのよ。発症するの遅かったみたいなんだけど、村の外の世界を知っている分、病気を受け入れることができなかったのかもね。この病気のことを世界に知らせようと活動を始めたの。ママとわたしが到底受け入れられない手段でね。おっと、危ないわね」


 ブラインドカーブを左に曲がると眼前に倒木があった。スズカは腕をクロスさせながら乱暴にハンドルを切った。大きく車が揺れて身体が激しくゆすぶられる。路上の倒木を寸前のところで回避する。道路の右側は崖になっている。路肩からはみ出したら谷へまっさかさまだ。俺の故郷の山の中でも年に数回、山道のカーブから川底へ転落した車を見かける。


「ス、スズカ、わりいけど、もう少しジェントルに、いてっ、運転してくれねーかな。ハンドル切るよりもブレーキ踏んでスピード落とした方が……」

「ふふふ、なに? ビビってんの? おしっこ漏らしそう?」

「バ、バカなこと言うなよ。それは平気だけど、うおっ、い、いや、さすがにこれは飛ばしすぎじゃねーか?」

「大丈夫、もうすぐダートは終わるわ。サナトリウム・クレプシドラまで五分もかからない。なんたって小さな村だからね」


 妙な自信をもってハンドルを操るスズカは、俺の嘆願なんかどこ吹く風だ。嫌がらせのようにアクセルを踏み増してさらにスピードを上げ、田舎のダートを駆け降りていった。



 しばらくすると勾配がゆるくなった。道路わきに大きな一本松のある交差点で唐突にダートが終わり、アスファルトの舗装が戻ってきた。道路の右手にあった断崖は高低差がなくなって、一面の畑になっている。麦畑かと思うが、とうもろこし畑かもしれない。そのあたりの見分けは、俺にはまだ付かない。


 その緑の穂の中をスバルをかっ飛ばして村の中心部にやってきた。ぽつりぽつりと建物が目につく。道路と建物の間は小さめの広場となっていて、小さな女の子が二人で遊んでいた。胸に付けたリボンがかわいい。さすがにスズカもここではスピードを落としている。ふと見ると後方にいたチェロキーがぐんと接近してきていた。


 村の奥の方に古い洋館のような建物があった。スズカはさらにスピードを落として左のウィンカーを出すと、時間的に学校からの帰り道と思しき小学生の集団を避けながら、洋館の入り口前の広場に車を寄せて止めた。

 病人の集まる村、とスズカに聞いていたが、子どもたちの笑い声が響いている。

 森と湖と澄んだ空気と子供たちの笑い声、そして赤い屋根の小さな木造の家、古い洋館のサナトリウム。思っていたよりもずっと明るい雰囲気の村だな、と俺は思った。何より子供たちのはしゃぎ声であふれている。


 スズカはエンジンを止めるや否や、乱暴に車の扉を開いて洋館に向かって飛び出して行った。俺もすぐ後を追うが、最後のハードダートでの無茶なドライブがたたって膝に力が入らない。思わず腰が砕けたようにふらついてしまった。


「スズカ! 危ない! 止まれ!」


 俺の呼び止めた声は背後から聞こえるクラクションにかき消された。見ると金髪の少年の運転するチェロキーがアクション映画さながらのスピンターンで洋館の前に立ちはだかった。


「バカヤロー、あぶねーじゃねーか!」


 思わず日本語で怒鳴った。チェロキーからは例の金髪少年がステッキを持って優美に降りて来た。


「スズカ、待っていたよ。ようこそ、プレスティックソンへ。キミの帰還に立ち会えて、光栄だ」


 高く澄んだ声に乗せてクイーンズイングリッシュだと思われるきれいな英語で話しかけてくる。そう言えばこいつ、ガキのくせに自分で車を運転してやがったのか。しかし、もうそれぐらいでは俺は驚かない。慣れってのは怖いもんだ。


「スズカ、もう一度言っておこう。キョーコは残念ながら、もう助からない。キミが行ってもできることと言えば見守ることだけだ。それでも行くかね? 行ってただ泣くかね? でも、それが何になると言うんだ。何にもならないではないか! キミもキョーコに似て、とても聡明な女性だ。もっとキミにしかできない、キミにならできることがあることが、分かっているはずだ」


 スズカは洋館の玄関の前に立ちはだかる少年を、足を止めてにらみつけている。


「キョーコは、もう長くはない。それは万物のことわり、神の思し召しだ。キミはそれを止めるべきではないし、キミにそれを止める権利はない」


 金髪少年の英語はよどみがなく聞き取りやすい。俺のプアな英語力でもそれなりに意味が聞き取れる。英語は分かるが、言っていることの意味がどうにもつながらない。こいつはスズカに何をさせたいんだ? にらみ続けるスズカの後ろで立ち往生している俺に向かって、金髪の少年は態度だけフレンドリーに話しかけて来た。


「またお会いできて光栄だな、リョージくん。申し遅れたが、わたしはクリストファー。クリストファー・タウンゼント」


 金髪の少年は、鷹揚な物言いでステッキを片手に腕を広げた。


「知ってる。スズカに聞いた」

「ほお、じゃあ、私がここプレスティックソンの顔役だってこともかね?」

「それも聞いた」

「スズカはここプレスティックソンになくてはならない人物だ。外の世界を見て聞いて感じて、そして知っている。なによりドクターから直接話を聞いた数少ない人物だ。キミはこの村の住人は、みなある病気の患者だということは聞いているかね?」

「ゲルストなんとか病だろ。さっきスバルの中で聞いた。病人ばっかりの村にしては雰囲気が暗くないじゃないか。元気な子供もたくさんいるみたいだし」

「そう、見えるかね? ……この村の子どもたちは生き延びる努力を諦めた者たちギヴン・アップだ。この村の子供に未来なんてものはないんだよ。しかし、人間ならばいくつになっても、身体がどうなっても、諦めてはいけない。決して諦めてはいけない」


 ちょうどクリスの後ろの道路を幼女が二人、手を繋いでスキップしながら通り過ぎて行った。二人とも陽の光の中できれいな金髪をなびかせている。俺はさっきから感じる違和感の正体にやっと気が付いた。

―――この村には大人が極端に少ない。さっきから見かけるのは子どもばかりだ。

 クリスは俺の様子にはさして気にも留めずに、熱のこもった独白を続ける。


「キョーコにも、スズカにも何度も言ったものだ。彼女たちは、私の言うことを理解はするが協力はできない、と頑なだった。この村の住人を救えるのは彼女たちのような、外の世界を知っている人間だけなのだがね」


 そしてダメ押しのように告げた。


「残念だ。至極残念だよ。ただ、今回こそスズカは私たちに協力してくれるだろう」

「ふざけないで! クリスにこそわたしを止める権利はない!」


 スズカは声をあげてクリスを突き飛ばして、洋館の中に駆け込んでいった。


「スズカ! おい!」

「リョージくん、行かせてやりなさい。それが、彼女の選択なんだ。そこまで言うなら、私は止めない。傷ついて、絶望して、神の力にひれ伏す、それをスズカが選ぶというのなら」

「クリス、おまえ、なに言ってんだ! どうすればスズカが幸せになれるか、それを教えろよ! おまえの話は難しくてさっぱりわかんねーんだよ!」


 クリスの英語と俺の日本語が混ざり合った。しかし俺たちの会話の中身は互いに交差することのない、永遠の平行線エターナル・パラレルだった。

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