第3話 アメリカ(2)


「えーと、ウィー・セレブレイト・ユー・バックだってさ」

「ああ、もういいわ。それ以上先は読んでくれなくても、書いてあること想像つく。そんなキザったらしいこと書くのなんて、どうせクリスでしょ?」


 スズカは俺のたどたどしい英語を最初のワンセンテンスでぶった切った。ざっと目を通すと故郷に戻ってくれる気になって嬉しい、ここで我々とともに平和に暮らしていこうと書いてある。最後に読みにくい字でクリストファーとサインしてあった。


「なんかプロポーズされてるみたいな文章だな。これ、知り合いか?」


 ちょっとつっけんどんな対応になってしまったところを見ると、俺はガラにもなくメッセージカードを書いたヤローにやきもち妬いてるようだ。イヤだねー、男の嫉妬。見苦しいったらありゃしねーぜ。


「まあ、そんなところ。歓迎なんてしてくれなくて結構よ、まったくうんざりだわ。リョージ、少し飛ばすわよ。街中では目立ちたくないんだけど、なんか腹立ってきた」


 そう言うとスズカはアクセルを踏み込んだ。エンジンが唸りを上げて、スピードメーターが跳ね上がる。


「うわ、こえーよ。なに慌ててんだ。アメリカで事故とかしゃれにならんからやめてくれよ!」


 俺は助手席で悲鳴を上げる。ただでさえ右側通行の違和感が拭えないのに、ハンドルがあるべき位置にフロントガラスごしの景色が広がっているのが、どうにも気持ち悪い。左右が入れ替わるだけでこんなにも気持ち悪く感じるもんなのか。眼前には片側三車線のハイウェイの白っぽいアスファルトが伸びる。その先にはコバルトブルーよりも濃い青空に、夕陽の茜色が差し込んでいた。高層ビルの背後のはるか遠くには、大いなるロッキー山脈が夕陽に映えている。


 片側三車線のハイウェイ。スズカはぐいぐいと車を縫って進んで行く。多少荒っぽいが、今のところは交通違反を取られるほどの危険な運転でもない。スズカの運転ペースと左ハンドル右側通行に慣れて、やっと俺は疑問を口にする余裕がでてきた。


「スズカ、どうしたんだよ。一体なにがあったんだ」


 スズカはサングラスごしにちらりと俺を見やってふんと鼻を鳴らすと、再び夕暮れ色の街中に顔を向けた。バックミラーに視線を投げながら口を開く。


「あそこで暮らすのはもうごめんだわ。五年ぶりだけど、やっぱり里心なんて湧かない。不義理で上等よ。わたしにとってあそこは、もう知らない田舎町と同じ」


 ひとりごとのようにスズカはつぶやいて、みずから納得しているが、全然説明になっていない。俺の表情にさっぱり分からんと出てしまったからか、スズカはもう一回横目で俺を見て続けた。


「なんでも監視してなきゃ気が済まない連中なのよ。くだらない。余計なお世話だって分からないのかしら、アイツら」


 俺は身体をねじって後方を見た。セダンが二台とSUVが俺たちのレンタカーの後ろに連なっている。特段不審な感じはしない。アメリカだから助手席からライフル突き出して身を乗り出した黒スーツサングラスの男がこっちを狙ってるかと思ったのに、いたって普通の街中の夕暮れ時だ。

 そう言えばもう午後七時を過ぎているのにまだ外は陽が射している。ヘッドライトもいらないぐらいの明るさだ。真後ろのセダンの運転席には年齢不詳のアフロヘアの黒人のおねーちゃん、助手席はこりゃまたお人形さんのようなかわいい白人の幼女だ。

 その隣の車線は大きなBMWのSUV。その運転席を見て俺は驚いて声をあげる。中学生にしか見えない中国系の女の子が全長五メートルを超えるBMWを運転していた。


「うわ、スズカ、アメリカじゃ中学生が車運転できるのか? 右後ろのBMW運転してるの、あれ中学生の女の子じゃねーのかよ」

「ちっ、クリスの手先ね。ホントに車運転させてまで私を監視しようというその根性が気に入らないわ。ところで、ああいうロリっぽいの、リョージの好みなんじゃないの?」

「いや、まあ、嫌いじゃないけど。いやいやいや、俺の性癖の話はどうでもいいんだよ」

「紗代ちゃん見てたらモロばれだもんね。ふふふ」


 唐突にスズカの口から出てきた紗代子の名前に一瞬ひるんでしまう。紗代子とスズカはそれなりに仲がいい。今回のアメリカ行きも、スズカは紗代子には正直に告げている。ただ、俺と一緒だということはさすがに伏せているとは思うが。こいつが拉致まがいにしてまで俺をアメリカに連れて来た理由は、いまだによく分からない。どこへ向かっていて、何をしようとしているのか。

 ただ俺の聞き間違いでなければ、空港のレンタカーカウンターでエミリアさんに「ママが療養している」と言っていた。それの意味するところも俺にはさっぱり分からないが、そこから推測できるのはスズカは、あまり本人が望まない理由で帰郷をしているということだ。


「まあ、アイツらは見てるだけしかできないから、鬱陶しいけどほっとけば大丈夫。ちょうどいいからここでまいてやるわ」


 そう言っているうちに大きなジャンクションが目前に迫ってきた。直進方向に向かって89という案内表示板が出ている。あれがレンタカー屋のエミリアさんが言っていたルートエイティナインのことだな、と納得していると、スズカは分岐の直前で申し訳程度にウィンカーを出して、豪快にタイヤをきしませながら車線変更した。側道ランプウェイには「ソルトレーク・ダウンタウン・セントラル」の案内板。車内に衝撃が走って大きく車が揺れる。トランクルームのキャリーケース同士がぶつかってバコバコと音をたてている。不意を突かれた俺も思い切りサイドウィンドウに肩をぶつけた。


「いてえっ! あぶねーじゃねーか。もうちょい安全運転とかできねーのか。アメリカまで来て交通事故とかまじやめてくれよ!」

「文句言わないの! しっかりつかまっててよ!」


 スズカは狭い側道ランプウェイを七十マイルですっ飛ばしながらうそぶく。側道は細かく分岐を繰り返しているが、スズカは躊躇するヒマもないスピードで左に右に分岐をクリアしていった。ダッシュボードのナビもろくに見ずにハンドルを切っているところを見ると、スズカは道を知っているらしい。側道の道幅は本線と比べて狭く、実際のスピードよりも体感が明らかに速い。身体をねじって後方を見ると後続のセダンとBMWはもう見えなくなっていた。


「ふふ、ちょろいもんよね。まあ、アイツらもド派手にカーチェイスするつもりはもとからなかっただろうけどね」


 得意げにニヤリと笑うと、ずれたサングラスを指先で直して、再び片側三車線の本線に合流した。左手から夕陽が射しているから北を向いて走っているはずだ。


「ちょっと遠回りしていくことにするわ。あのレンタカーカウンターのエミリアさんも百パーセント信用できないから。ちょっと口がすべっちゃったこと、実は後悔しているの」


 車は高層ビルの連なる市街地のはずれを走っている。右手に屏風のようにそびえる山々は夕陽を浴びてオレンジに映えている。長い昼間を終えてようやく一日が暮れようとしていた。インターステートを走る車にもだんだんスモールライトがともり始めた。左手は飛行機からも見えたグレートソルトレークの湖面があるはずだが、一面の白っぽい荒野が見えるだけだ。


「なあ、スズカさあ、ママが療養してるって言ったの、あれホントなのか?」

「あら、わたしとエミリアさんの話してた英語の会話、ちゃんと聞き取れていたんだね。えらいじゃん」


 はぐらかすように茶化したスズカの眼を、俺は見つめ続ける。スズカは観念したのか、ふうとため息を一つつくと重い口を開いた。


「私のママは、ある病気にかかってね、そこで療養しているんだ。……簡単に言うと、現代医学では治せない病気。今はワサッチのふもと……、あ、このあたりのロッキー山脈はね、細かくいくつかの山並みに別れていてさ、そのうちの一つがワサッチ山脈っていうんだけど、そのふもとに小さな村があってさ」


 ……んー、なんだか随分な話になってきた。俺は黙って腕を組んで話を聞き続ける。意外と助手席で座ってるのって腕の持って行き場がないもんだ。しょうがないからグルメ雑誌のラーメン屋の店主みたいな格好でスズカの独白を聞き続ける。


「その村には、世界中のママと同じ病気の人が集まってきて、隠れ里みたいになってるのよ。ママの病気は、一億人に一人の極めて珍しい病気で、世界中探しても患者は七十人ぐらい。そしてその病気の患者たちは、生涯一度は必ずこのコミュニティで暮らすことになっているの。生まれてすぐここで暮らしてから世に出る人、逆に年がいってから余生をここで送る人、いろいろ。だけどね、患者は世界中のどこにいても必ず見つけ出されて、必ず一度はそこで暮らすことになるの」


 スズカの重い独白に、俺は黙って耳を傾けた。そんな病気があるのか。

 ハイウェイのアスファルトの継ぎ目を乗り越えるタイヤの音だけが車内にリズミカルに響いている。


「なるほど。その病気にかかると必ず連れてこられる場所がここ、っていうことなのか。昔の結核とかハンセン病の療養所みたいなもんだな」

「まさにその通り。移る病気じゃないんだけどね。ママはプレスティックソンという村のサナトリウムにいるの」

「……それでスズカのお母さんはその病気にかかって、プレスティックソンに連れて来られたってことか」


 全体的にアメリカに着いてからのスズカは、大学にいるときの人をくったような態度がなくて、いつもよりも表情が険しいなと思っていたが、ひょっとすると囚われの身にあるお母さんを救出したいとか考えているのか。もしそうだとしたら、軽い気持ちの観光旅行とは正反対の旅紀行になる。銃社会のアメリカで最悪銃撃戦を経験する羽目になる可能性も十分ある。


「スズカははるばる見舞いに来たのか、お母さんの。それとも、……もしかして、お母さんを連れ戻しに来たのか?」


 俺は少し身構えて正面に目を向けたまま尋ねた。前の車列のテールランプが視界にいろどりを加えている。


「違うわ」


 低く短く放たれた否定の声の後に、感情が抜けた声が続いた。


「看取りに、来たのよ。……もう長くないからね」

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