第2話 アメリカ(1)
「まったくなにやってんだ、スズカは」
空港の到着ロビーで俺は時計を見ながらひとりごとを口にした。あえて日本語で、声に出して言うところがキモだ。なんといっても周囲はド迫力の外国人だらけ。聞こえてくるのは英語ばかり。
俺は日本ではさほど体格のことを大きいとも小さいとも意識したことがなかったから、日本人としては平均だと思っている。しかし、ここアメリカではどう見ても小柄だ。ウェスト二メートルぐらいありそうなおばさんとか、腕回りだけで二リットルペットボトルが五本分ぐらいありそうなおっさんとか、どうみてもティーンエイジャーなのに身長百八十センチ以上あるお姉ちゃんとか。耳に入る言葉はすべて横文字。多分英語なのだろうが、それすらもはや確信が持てなかった。
要するに、外国の地にぽんと一人で放り出されて。俺は今、過去最高に不安になっている、というのが正しい。客観的に見ると田舎もん丸出しでダサいのだが、俺はそんな自分の心細さを、日本語のつぶやきをわざわざ声に出すことによってごまかしていた。
俺たちは羽田から十二時間ほどかかって、ここロッキー山脈のふもと、ソルトレークシティにやってきた。深夜に羽田を出発して、今は夜の七時だ。羽田を出発した時刻よりも時差の関係で時計の針が戻っている。俺たちにとって二度目の六月十日の午後七時。この時差って奴は面白いと思う。始めて時差を体験した人はさぞ驚いたに違いない。
結局俺はスズカに押し切られる格好で、紗代子にはホントに適当に「ちょっと妹が怪我して入院したから二週間ほど帰省する」的な嘘を言って日本を後にしてきた。人を疑うことを知らない紗代子に嘘をついて誤魔化すのは心苦しいが、それでも多分なんとかなるだろうとは思った。あまりに不誠実なところが自分で嫌になる。が、これは仕方がない。生き様の問題だから。
罪悪感? そりゃあるに決まってるさ。俺だって普通なら断るよ。でも、不思議とスズカの頼み(というかほとんど命令)に俺はすこぶる弱い。およそすべてが断れない。もうそういう上下関係になってしまった感がある。
そうこう言ってるうちにスズカがサングラスをチェーンで首から吊るし、キャリーバッグを引いて到着ロビーに姿を現した。
「おせーじゃねーか」
不満をためた俺の声に、スズカはぎろりと視線を向けた。やばい、あまり機嫌がよろしくないらしい。途端にへたれる俺も俺だ。こんなことしてるから常にコイツのペースに巻き込まれるんだよ。それは分かっている。
「文句はイミグレに言ってよ。相変わらずわたしのパスポートをおもちゃにするんだから! そんなにわたしが若く見えるのが面白いのかってえの。まったく腹立つ。これでもとっくに成人してるっつーの。ほら、リョージ、行くわよ」
うげ、なんかガチで怒ってる。まあアメリカ人から見ると日本人は実際の年齢よりも若く見られるって言うし。中学生ぐらいに間違えられたかもしれないな。
実はスズカは化粧の具合によっては、やたら若く、というよりもガキっぽく見える時がある。が、それを本人に言うとガチギレするので言わないようにしている。セクハラだと騒がれても面倒だ。それにしても若いと言われてキレる女子がいるとは思わなかった。普通喜ぶところだと思うが。
英語のアナウンスが広い空港の到着ロビーにエコーしながら響きわたっていた。周囲には陽気なアメリカ人たちがあふれている。アメリカという国、アメリカ人という人々は、少なくとも表面上は、俺たちのような若輩者の訪問客には極めてフレンドリーだ。
やたら楽しそうに手を叩いてはしゃぐ黒人の子供を横目に、スズカはすいすいと迷いなく到着ロビーの連絡通路を歩いていった。やがて、黄色い看板のレンタカーのカウンターの前でスズカは立ちどまった。
「ハーイ! わたし、日本から来たスズカ・セキグチよ。予約してあるわ」
臆することなくカウンターのきれいな黒髪のお姉さんに向かって話し始めた。若干声が冷たいのは中学生に間違えられたことがまだ気に障ってるからだろうか。
しかし、スズカ、しっかり英語で喋れてるじゃん。たいしたもんだぜ。
「オー! ウェルカムアボード!」
といかにもアメリカ人と言った気さくさで、黒髪のお姉さんはカウンターの向こうから早口で返す。それぐらいの英語は俺にだって分かる。このお姉さんが陽気で気さくで人懐こいのも、その一言で感じ取れた。
「ミス・スズカ・セキグチね。ようこそ私たちのソルトレークシティへ。少し早いみたいだけど、すぐ乗り始める? 特に料金は変わらないから。それとも料理でも食べてからにする? あまり大きい声では言えないけど、ここの空港ターミナルの中のレストランはどこも大したことないわりに、高くておススメできないけどね」
「あ、早く乗ってもいいのかしら? それは嬉しいわ。すぐ出発することにする」
「パスポート見せてね。あ、それと免許証もね」
スズカはお姉さんの求めに応じて国際免許証を取り出す。お姉さんはパスポートのページをさらさらとめくっただけで免許証にはさわりもしない。さしてろくに確認もせずに「オーケー、じゃ、ここにサインして。すぐ車呼ぶわ」と言った。受話器を握るとさらりと黒髪を振って耳にあてた。
「なんか雑じゃね? 中身全然見てねーじゃん」
思わずスズカに日本語で話しかけた。
「あんなもんよ。見せてくれと言うようになっただけでも随分仕事熱心になったもんだわ」
スズカが振り向いてコメントした。スズカのセリフを追いかけて、受話器を耳にあてたままお姉さんが英語で話しかけてくる。
「ふふふ、そうね。でも、日本人の客だけよ。なんたって日本人はたいがい悪さなんてしないからね。パスポートの手触りだけはしっかりチェックさせてもらってるわよ。ごくたまーに
「あら、あなた日本語が分かるの? ごめんね、わたし失礼なこと言っちゃったかもしれない」
スズカは少し恐縮したように流暢な英語でお姉さんに詫びを入れている。しかし、スズカがこんなに英語が得意だとは聞いてなかった。俺が余計なコメントをしたせいでスズカに詫びを入れさせる展開になっている。ちょっと申し訳ない気がする。ここはおとなしくアルカイックスマイル係に徹しておくのが無難だな。
「もしもし、マーク? 私。エミリア。十九時からのスバルだけどね、すぐこっちに回して。お客さん来たわよ。えーと、たしかスバルの4WDね」
お姉さんは受話器に向かってほとんど一方的に告げると、相手の返事を聞いたのか聞いてないのか、ものすごい勢いで受話器を戻した。そして顔をあげてスズカに笑顔で尋ねる。
「あなたたち
「ワイオミングピークの近くまでいくつもり。わたしのママがプレスティックソンの村で療養しているのよ」
「あら、プレスティックソンへ行くのね! 私はその近くのスティングレーっていう街の生まれなの! なんだか嬉しいわね。スズカのママはご病気なのかしら? あ、ごめん、ちょっと立ち入ったこと聞きすぎたわね。でも大丈夫よ。プレスティックソンは水と空気の新鮮さだけは世界中のどこにも負けないわよ。チベットにもノルウェーにも負けないわ。私はどっちも行ったことないけどね。ふふ」
しかしこのお姉さん、よく喋る。すごい勢いだ。でもまあ、なんだ。英語英語とビビっていたけど、細かい単語聞き取れなくても、だいたい言っていることは分かるもんだな。正直、お姉さんのセリフをディクテーションしろと言われたら半分も正解できないと思うけど、言ってることはだいたいそんなことだろう。スズカに通訳してもらわなくたって意味は分かった。俺は少し認識を改めた。
「プレスティックソンに行くならルート・エイティナイン経由がいいわよ。リンカーンハイウェイからエディクス・ジャンクションを通る道路は、先月の大雨でがけ崩れがあって、通行止めになっているわ。でもルート・エイティナインは最近ポリスの取り締まりが多いから、特に州境近くはスピード出すのは禁物よ。あとブレイズウィックの街では絶対ガソリン補給しておいてね。その先のガスステーションはつぶれちゃってるから、入れそこなうと百マイルも走らなきゃならないからね。ひどい目にあうわよ」
……ネイティブの英語をナチュラルスピードで聞くのはおそらく初めてだったが、半分以上聞き取れない。ただ、お姉さんはワンフレーズ喋るごとにオーバーなジェスチャーで地図を指さしながら話しているので、その表情でだいたいこんな意味かな、と推測している。
「これ、車のキー。ああ、あそこに着いたのがあなたたちの車よ。気を付けて行ってね」
「ありがとう、あなた、名前なんていうの?」
「わたしはエミリア。プレスティックソンから二十マイル奥に行ったところにあるスティングレーのパン屋の出身なの。スティングレーにはパン屋は一軒しかないから時間があったら寄ってみて。空港のレンタカーカウンターで働いているエミリアの友達だって言ったらサービスしてくれるわよ」
「ありがとうエミリア」
「あ、忘れてた。ミス・スズカ・セキグチあてにメッセージを預かっているの。じゃあね、ハブ・ア・ナイス・ドライブ、スズカ!」
スズカは黒髪のエミリアさんからキーとメッセージカードを受け取ると、ひらりと手を振ってカウンターを離れた。ずっとアルカイックスマイルでかかしになっていた俺も慌ててエミリアさんにお辞儀をして、二人分のキャリーを引いてスズカの後を追う。
カウンターの横の自動ドアを抜けると、そこには黒人の係員が控えていて荷物を黒のスバルまで運んでくれた。
◇
運転席に収まったスズカはシートベルトを締めると、軽快に車をスタートさせる。国際免許証は写真とパスポートと日本の免許証を持って運転免許試験場へ行くだけで、簡単に即日発行してもらえる。実は俺もそのことを知らなくて、スズカに言われてつい三日前に作ってもらったばっかりだった。
しかしアメリカに到着したばかりの今日の運転はスズカに任せる。いきなり右側通行はさすがにハードルが高すぎる。
スズカは慣れた様子で左手でウィンカー、右手でギアを操作して左ハンドル右側通行の道路を走り出した。
「リョージさ、このエミリアさんのくれたメッセージカード、読んでみてくれない?」
走り出して五分もたたないうちにスズカがセンターコンソールに置いたカードを指さした。なんか女子あての手紙を盗み見するのは気が引けるが、命令とあれば仕方がない。カードを開くとそこにはペンで癖のある筆記体がしたためてあった。
「えーと、
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