気象状況

情報価値

三鷹駅構内ですれ違いに見覚えのある初老の紳士と目が合った。

相手もクニオに気づき立ち止まって振り返った。

「やぁー、久しぶり。此処で何をしているだ!」、と声をかけて来たのは筑波教授だった。

彼は若いときにオートバイ事故で右足を切断し、義足と杖で歩いている。今でも時々痛むそうだ。

10年以上前に量子コンピューティング (quantum computing) のセミナーで出会ってからの長い知り合い。 それ以来、彼との主な話題は量子コンピューティング或いは携帯端末のトレンドについてだった。

「今週から難しい仕事にチャレンジする事になってね」 と言って新しい名刺を筑波に渡した。

名刺をみながら、「大抵の場合、どこかに解決策が有るんだよ。情報価値を活用しろょ」

「情報価値って?」 クニオの問いに、筑波は 「情報を料理して価値を生み出す事だ」 と言いながら急ぎ足で電車の方向に立ち去った。


マネージャ会議

定例のマネージャ会議は毎月だったが、クニオの要望で毎週にした。 各部門からの情報を頻繁に把握し、これからする変革をタイムリーに議論したいからだった。 少なくとも黒字経営に戻るまでは。

マネージャ会議の顔ぶれは常に苗場技術部長、妙高製造部長、蓼科マーケティング部長、丹沢セールス部長、穂高経理部長、それに雲取人事部長が出席する。各部門のトップが出席の会議だが、トピックによって課題の担当者も出席するのでマネージャ会議と言う。蓼科は随一の女性マネージャなので、議題を討論する多様性に少しは期待をもてた。

クニオはマネージャ会議で、「現在のビジネス状況を皆どう思う?」 と切り出した。

誰もが、自分の部署は正常に動いている。悪いのは他部署が機能していないと思っている。

「この赤字状況を打破する為の計画を作ろうと思っているが」 

クニオの提案に対し、否定的な意見が幾つも出た。 

業績改善計画は過去何回も作ったが、きちんと履行されず、計画が無意味に終わったからだ。

「今回は違う」 どうしたらそう思ってもらえるだろうか。

いろいろと話し合いの結果、「もう一度、新しい角度から作ってみましょうよ」 と蓼科が同意を表した。

値引きを迫られない付加価値の提供を強調する為に、顧客を重視した計画を作る事にした。

「まずは、顧客の声を聞き集め、その情報を整理しましょうか」

それを聞いて、情報価値の活用とはこの事かな、とクニオは思った。


顧客の声

真夏の太陽が容赦なく照る中、顧客の声を聞く目的で蓼科と丹波は顧客トップ10社を訪問し、いろいろな人と会った。キタハチの商品を使っている人、製品の選定をした人、購入を承認した人など、様々な意見を聞いた。勿論、ジャンダルムを納入した幾つかの半導体製造の顧客も含まれていた。丹波は体育会系の気質が濃厚で、文科系の蓼科とは正反対。ところが二人は気が合い、似た観点の質問を顧客に次々とした。

キタハチの製品とサービスはどう受け止められているのだろうか?

顧客が汎用機器に何を期待しているだろうか? 

ジャンダルムの様な計測装置に対しての期待は? 

顧客のビジネスが成功するにはどのように貢献出来るのだろうか? 

何が欠けているのだろうか?。。。と言う具体的な質問もした。

顧客訪問の帰りに電車の中でお互いのノートを読み返しながら顧客から得た情報について話し合った。

面白い事実に二人は気が付いた。

「あら、これって誰にインタビューした時のノート?」

「誰って、さっき一緒にしたじゃないか」

「何か。。。さっきインタビューしたひとが言った事が違うみたい」

「どれどれ。あー、分かった。それぞれ違った立場で解釈をしたメモを書いたんだ」

マーケティングとセールスの各々の立場で顧客が言った事を解釈して、それぞれのノートに書き込んでいた。

「今後は、顧客が言った事をありのままに顧客の言葉でメモを取る様にしましょう」 とうなずきあった。

得た情報は期待以上の成果があったので、蓼科と丹沢は、キタハチの現在の顧客に拘らず、競合先の製品を購入した顧客にも訪問した。


顧客訪問レポートを受けたクニオが蓼科と丹波に、情報価値の話をし、「得た情報を料理して、ビジネスの効率向上に役立て欲しい」 と励ました。

蓼科は彼女のマーケティング感覚で早速、顧客から得た情報を料理をしてみた。すると、顧客の声を分析したら三つの購入タイプが有る事が分かった。

• Ttransactional 買いの客: 買いたい物が決まっていて、買う事に関して手間を掛けたくない客。

• Competitive 買いの客:価値を競合と比較し、見極めた上で購入する客。

• Strategic 買いの客: 自分のビジネス戦略を成功させる為に、一番効果的な物を買う客。

分類して聴いた顧客の声は。。。

Transactional 買いの顧客にとって。。。

• 何時でも商品の情報を手に入れられる。

• 今すぐオーダー出来る。

• 欲しいときに物が届く。

Competitive 買いの顧客にとって。。。

• 製品、サービスの選定情報を与えてくれる。

• 正しい選定に導いてくれる。

• 製品価格と性能を考慮する。

Strategic 買いの顧客にとって。。。

• 事業の成功を確信できる提案をしてくれる。

• あうんの呼吸ができる関係になっている。

• 事業目標の達成まで付き合ってくれる。


得た情報を料理をした感覚に自信を持った蓼科は、料理を続けた。

顧客からのコンタクトにおいて。。。

• 何時でも連絡がつく。

• 特定の担当者と話したい。

• 納得の出来る回答を直ぐほしい。

購買チャンネルに対しての期待は。。。

• セールス担当者から:デモ等、製品の説明、現場を見て相談にのって貰う。

• インターネットを使って:即情報を手に入れる。即売買する。

•  代理店から:他社の商品も同時に検討する。


顧客価値の観点から整理したら面白い事が分かった。

「顧客価値って、お客さんが使う立場によって製品やサービスの価値が違うのよね」

「例えば?」

キタハチにとって主力製品ではないがWIFI プリンターも製造している。

「そうね。WIFI プリンター を使う人の場面を分類してみると」

家庭での使用。。。

• 特定の人が使う。

• ページ数が少ない。

• 週に数回しか使わない。

小さなオフィスでの使用。。。

• 数人しか使わない。

• 通信回線が限られている。

企業での使用。。。

• 大勢が使う。

• 常時使用されている。

蓼科のチームは、情報を活かした新しい戦術で動き始めた。


資金繰り  

マネージャ会議の後、穂高が、「ちょっといいですか?」 とクニオに話しかけてきた。

「現在の財務状況だと、あと3ヶ月で運転資金が足りなくなります。何とかしないとショートになってしまいます」

「なに、あと3ヶ月?」

「貯金と入金予定だけでは、支払い予定額が賄いきれないかも」

「つまり銀行口座の資金が足りず、残高不足。ひょとして倒産って言う事?」

それで、前回の続きで、資金繰り表と予定試算表の説明を穂高が始めた。

「この資金繰り表は、一定期間のすべての現金収入と現金支出を分類・集計して、現金収支の動きや現金過不足の実態などを把握できるような表です。 それと、この予定試算表は月次で勘定科目ごとに分類して集計され、予定される試算の一覧表です」

決算書は1年に1度のペースで作成されるのに対し、試算表は月次で作成するから現状が分かり易い。 

財務状況がなんとなく分かってきクニオが、「だったら銀行にたのめないの?」

「そう簡単に行きませんよ」

数年前、赤字をごまかす為に粉飾をした事があった。

その事が去年、銀行にばれて、それ以来銀行からのチェックが厳しくなった。

「前期も、銀行は決算書を手に、社員削減をして経費を減らすように求めて来たんです」

一昨年に新製品発表した半導体製造の計測装置ジャンダルムが好評で、製造部は忙しい。 顧客をサポートする部門も忙しい。それなのに会社全体の利益がマイナスなので人員を削減しろ、と銀行は迫ってくる。

傍で聞いてた妙高が、「まったく、銀行の担当者は会社の現場の事を分からなくても経営に口を出す」 と言い不機嫌な顔をした。

クニオは悩んだ。社員削減かぁー。頭の重い課題である。出来れば、回避策を探したい。

大抵の場合、どこかに解決策が有ると思いたい気持ちでいっぱいだ。

筑波の、「情報価値を活用しろょ」 と言った言葉が、時々頭の奥から呼びかけてくる。

もう一度、貸借対照表から読める情報を理解する事を試みた。

前回と同じ貸借対照表を読んでいるのだが、今回は資産がたっぷり有る事が問題だと感じた。

「沢山の在庫部品が資産として計上されている。これが問題だ!」

全資産から在庫部品の額を取り除くと負債が大きすぎる。財務内容は確かに悪い。

穂高の助けを借り、財務データを詳しくいろいろな角度から読んで見た。

毎月良く売れている製品も有れば、年間数台しか売れない製品もある。

年商70億円企業のわりに、57種類の製品、付属品とアクセサリーを合わせると150以上の商品が定価表に載っている。これは品種が多すぎる。

せっかちのクニオは早速、蓼科、丹沢にマーケティング、セールスの観点で製品種類の見直しを求めた。在庫部品を減らす為だ。 妙高には製造の観点から見て貰った。

製品の種類によって、製造計画の見直し、部品在庫の見直しをするつもりだ。


選択と集中

蓼科がリーダーシップをとって、出荷した製品の種類と台数、大口顧客の業界、製品応用分野の魅力度などを分析。その後、主要顧客を半導体と通信のマーケットに絞った提案を持ってきた。

結果として、扱う製品の種類を22種類に縮小し、在庫部品の資産を半分以下に減らす事が出来る。

扱う商品が減るぶん年商も60億円未満に落ちる予想。勿論、切り外した在庫部品が全て現金かさる分けではないので貸借対照表は負債の割り合いが増え、純資産、株主資本が残り少なくなる。

確かに、年商は60億円未満に落ちる。だが、穂高が用意した予想試算表をみると、選択と集中効果でマーケティングと製造の経費が下がりセールス効率が上がる事によって、今期の決算では赤字が3億円に減る。

予想試算表を読んでいたクニオに 「選択と集中の効果で、運転資金が今期はなんとか持ちそうです」 と穂高が付け加えた。つまり銀行に頭を下げなくてもよくなった。

「今までの間違いを認める事が解決策なのに。。。」 と思いながら、マーケットの的を絞った事に自信を持った。

「それにしても、どうして57種類もの製品を扱っていたの?]

「前の社長が顧客満足、顧客満足、と念仏のように唱えるので顧客の要望に対応して製品を増やし、積み重なってしまった背景があります」

「と言う事は、顧客満足と言う一言だけでは経営の羅針盤の役を果たさなかったね?」

「そうとも言えます」

「それじゃぁー、今度作るビジネス計画は、役を果たす計画にしよう」 とクニオが提案した。

地図があれば、見知らぬ土地でも迷わず目的地に到着することができるように、ビジネス計画とは事業のロードマップの役割。

「それが無いと、各自まちまちの方向に進んだりも」 

「有れば、たとえ迷ったとしても、進むべき方向に修正することができるでしょ」 

「進んでいる方向が目標に向かっていることを確信できますよね」

クニオが感心して 「なぁーんだ、皆分かってるじゃん」 と思った。



>>>次のエピソードに続く

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