キタハチの危機

@hanapuke1

白羽の矢

プロローグ

快いエンジン音を聞きながら、クニオは操縦管をわずかに引いた。グリーンの小型飛行機は乱気流を避けてさらに上昇し3200mの高度を飛んでいる。初夏だというのに、まだ雪に覆われたシエラ・ネバダ山脈にさしかかると、左前方下に朝日に眩しく輝くタホウ湖が見えてきた。右前方の鋭くそびえた山の近くに大きな黒っぽい鳥が2羽飛んでいる。

「あれはきっとコンドルだ」

と助手席で双眼鏡をのぞきながらジェフがつぶやいた。

「コンドル?」

「南米のアンデス山脈で見たコンドルに大きさも飛びかたも似ている」

とジェフが答えた。しかしクニオが機体を傾け操縦席から見ようとしたときは、もうコンドルに似た鳥の姿はなかった。クニオは一人つぶやいた。

「コンドルを見に、アンデス山脈に行きたい」

クニオは山が好きだ。そして太陽が好き。だから、太陽中心の生活を山の上で営んでいたインカ文化が昔から好きだった。

そのインカ文化が、この世界で大切にしていたものが3つある。

ひとつは、しなやかに土を蹴る豹。地球上で一番強い動物として崇められていた。ひとつは、地を這いまわる蛇。地球の内側と地上の人間とをつなぐ役目を担っていると考えられていた。そしてもうひとつは、空をはばたくコンドル。コンドルは、太陽と人間との間をとりなす使者と信じられていた。

太陽・山・自分をとりもつシンボルとして、クニオがコンドルに特別な魅力を感じるのは無理もないことだった。

山を愛するクニオは、以前から、いつかアンデス山脈に行きたいと漠然と思っていた。その気持ちに、今日のフライトが火をつけた。

「う~ん」

南米の地図を広げてクニオはうなった。広い。アンデス山脈は南米大陸を縦に走っている。いつ、どのようにアンデスに行こうか、クニオは色々と考えた。そして、ジェフが行ったことがあるというペルーのクスコ市とマチュピチュ遺跡から入ることに決めた。時期は標高4000mの台地なので夏がいいだろうと考えた。ただでさえ落ち着きのないクニオは、自分の計画にわくわくしすぎて、仕事をしていても、デートをしていても落ち着かない。

「アンデスだ!コンドルだ!」

と思うだけで、にやにやしてしまう。アンデスとコンドルのことを考えている時、クニオは一番幸せだった。

クニオに、どういうわけか突然、キタハチへの転勤が命じられた。

「まいったなぁ。アンデスから遠くなっちゃったなぁ」


キタハチ

キタハチ電機産業は、八王子と高崎を結ぶ八高線沿いにある年商約70億円企業。

駅から見える本社建物は都会のオフィスを思わせるように目を引く。

西側の道路沿いは、大きな桜の並木が植わってる、郊外らしさを思わせる雰囲気。

電子機器メーカーとして50種類以上の製品を開発・製造・販売。

海外にも代理店を通して売っている。

持っている技術力は抜群だが、課題は業績悪化が何年も続いている。それに、顧客からの不満も多い。

過去4年、毎年赤字経営が続き、一向に良くなる兆しが見えない。

株の値は年々下がる一方。

この状態を放置している取締役会に、株主達の不満が募っている。

今回の株主総会で、取締役5人のうち3人を入れ替えた。

その後、新しいメンバーで構成された取締役会で社長交代を決めた。

そしてクニオに白羽の矢が立ち、新社長に任命された。


債務データ

キタハチ電産も3月末が決算である。

決算とは、一年間の収支を計算し、利益や損失を算出すること。

4年連続赤字とか業績悪化と言われても、数字を見ないと現状がつかめない。

クニオは穂高経理部長に、「財務の現状を知りたいんだが」 と頼んだ。

穂高は直ぐと債務データを持って現れ、大まかな数字の説明に入った。

持ってきた財務データは、詳しい会社概要、3年分の貸借対照表 (balance sheet)、損益計算書 (profit & loss statement)、資金繰り表 (cash flow) 、それに試算表。

見慣れない数字にクニオは目を丸くした。 穂高はクニオの表情を察して、「この貸借対照表は、簡単に言うと会社の財産と借金の図のようなものですよ。つまり、会社がどんな資産をいくら所有し、どんな負債があるかも一目で分かります」

貸借対照表から読めた財務内容は健全に見えた。資産がたっぷりある。

「これだけ資産が有れば、銀行はいつでも融資してくれるだろう」 とクニオは呟いた。

問題の連続赤字を示す損益計算書を広げながら、穂高が、「これは、会社がどれだけ儲けたか、或いは赤字かを売り上げと費用の差し引きによって表したものです」 と説明を続けた。

過去の損益計算書を見て、2億円、3億円、5億円と毎年赤字が増えているのが分かった。

そもそもクニオの経営理論は、売り上げを伸ばし、経費を抑え,社員が満足なら、それでいい。

何事もスピード重視で、積極的な経営をしてきた成功体験が今回も役に立つだろうか。

研究開発のエンジニアで技術畑出身のクニオは、財務データを理解するのに苦労している。

最初は穂高の話を熱心に聴いいたクニオだが、頭が疲れて、資金繰り表と試算表の説明が後日にする事にした。


直面の課題

事業不振の問題は、多くの汎用機種が、売れているのに採算が合わない。

「年商70億円なのに、どうして利益が出ないの?」

「競合に押されて、値引きを迫られている製品が多過ぎるんです。 半導体製造工程で使われている計測装置ジャンダルムは例外で利益を生み出しているんですが」

「すると、原因は値引き?」

「そうですが、値引きだけではないんです。汎用機種は応用が多様なので、各種のサポートにリソースが分散され、費用もそれなりに掛かっています」

マーケティング部門は汎用機種を販売支援する為に、各業界の学会や展示会に参加出展し製品デモも行っている。 広告も各業界の専門誌に出している。

セールス部門には、汎用機種の応用を技術的に説明するシステムエンジニアが足りない状況が続いている。 彼らは各自の専門応用分野に担当が分かれていて毎日残業しても対応に追われている。

顧客の数も日本全国に散らばっているので、サポート部門は各地に飛び回っている。 キタハチが手がけている WIFI プリンターなど、製品売り上げはは浮き沈みはしている。

顧客からの苦情も絶えなかった。 電子装置の現場サポートが手薄な事と装置が特定応用分野で使いにくい事、顧客への対応が遅い事などで。 苦情は幾つかの仕入先からもあり、部品の需要予測が前触れもなく変る事の批判が多かった。

多くの従業員は毎日忙しく働いているが、彼らは上司から言われた仕事だけをするロボットの様な存在に成ってしまっている。 社員の仕事環境に対する満足度は、何年も下げ続けて50%以下。仕事への意欲が掛けている。

経営判断の甘さが次々と露呈しても、誰も危機感さえ抱かない社風。

「乗ったからにはもう後戻り出来ない」 とクニオは思い、前に向かって行くしかない。


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